ファーレンハイト王朝は、血を混ぜることを恐れなかった一門である。そもそも、始祖たる英雄帝ジークフリードの皇后が、既に異国人であった。古来より、大陸の北の一角でだけは国境を越えて婚姻を繰り返してきた歴史もあったものの、かつては交流すら無かった異国からの花嫁は、やはり異例であった。

 そうかと思えば、ジークフリードの父テオドールは、本来ファーレンハイト家の中では傍流の出身であった。大帝アンドレアスの皇后アルマも、元はと言えば下級貴族出身の女官だ。

 五百年の歴史を彩った皇帝たちの配偶者を並べても、大陸の北の、しかるべき家門から嫁いできた花嫁など三分の二程度に過ぎない。残る十人ほどは、異国人であり高からぬ出自であったというわけだ。

 そしてアラベラ・アデライドもまた、辺境出身の女官を母に持つ、言ってみれば傍流の血筋の皇帝であった。

 そんなアラベラ・アデライドに婿取りの話が持ち上がったのは、彼女が十五の年のことだ。齢七十となったリヒャルトが、いよいよ時が無いと思い定めて選んだその相手は、大陸の北の一角、ウェスタに端を発する貴族の家柄で、名をエドガルド・ドゥカーティと言った。その時代、ウェスタ一角を統治していた名家の御曹司である。その年二十三歳で、武官として宮廷に上がっていた。

 家門と年齢を考えれば、疾うに結婚していてもおかしくないのだが、独身であったことを考えると、ドゥカーティ家として些かならず、将来の皇配という地位に魅力を感じていたのであろう。そしてまた、我が息子こそはという自負もあったに違いない。

 そしてアラベラ・アデライドの前に現れたエドガルドは、目の覚めるような貴公子であった。長身で肩幅が広く、鍛え上げられた体躯がいかにも武官らしく、黒い目と黒い髪は、北の地の人間が少なからず持つ南への憧れを掻き立てる。目元は鋭いが口元はやや甘く、その対比が絶妙とも言えた。要するに色男然とした容姿なのだが、そこはそれ名門の御曹司であるから、物腰や雰囲気には気品があり、あまりに露骨な色気は感じない。しかし、振る舞い様によっては、さぞ宮廷で女にもてるだろう、という類の青年であった。

 「お初にお目にかかります、皇太子殿下」

朗々としたよく通る声で、臆せずそう言った姿は、ふてぶてしくもあり、また颯爽としても居た。射抜くような、黒い瞳――皇太子の配偶という立場を狙っているくせに、妙に堂々としていて、卑屈さが微塵も無い。リヒャルトはそれを、生意気に思い、またそうではなくてはとも感じた。すくなくとも、ここで下手に出るような男など、お呼びではない。かといって、当然、自分がこの娘を得るのだというこの態度に、父としては、好感を持てよう筈も無いのだが。

 一方のアラベラ・アデライドはと言えば、目の前の美丈夫から、疾うに目を離せなくなっていた。元々、年齢の近いお付きや学友が身近におらず、所謂「免疫の無い」少女である。そこに、いきなりこれだけ存在感の強い若い男を突きつければ、そのような反応も当然であろう。

 しかし、そこはそれ、負けず嫌いを以て鳴らす女皇太子でもあるから、態度には出さない。十五歳という年齢ながら、幼い頃からの鍛錬の賜物で、アラベラ・アデライドは既に、いつも平静を装う技術を身に着けていた。

「足労をかけた、ドゥカーティ」

そして口にしたのは、そんな余裕たっぷりの一言だ。実際には、喉の奥まで心臓の鼓動がせり上がってきて、息も詰まりそうだったのだが、そのようなことはおくびにも出さない。

「足労だなどと、滅相も無い。私は、この宮廷に仕える者。近くにおりますから、陛下のお呼びとあれば、いつでも馳せ参じますよ」

生意気な男だ、とリヒャルトは思った。口調も態度も、その辺りの宮廷人よりはずっと柔らかいが、それは常のことではなく、あくまで目の前の、アラベラ・アデライドを意識してのことだ。武官としてのエドガルドは、もっと殺ぎ落とした、的確過ぎるほどの言葉を使う。その程度ならまだ、場と相手に応じた気遣いが出来る人間だということなのだが、この時エドガルドは、リヒャルトに目線を合わせることを忘れなかった。そして、自分を召し出すのは、必ず皇帝であって皇太子ではないと、はっきり言ってのけたのである。

 それを、さりげない忠誠心の表明と見るべきか、阿諛追従の類ととるべきかで、リヒャルトは悩んだ。老いの焦りと、我が娘を得るかもしれぬ若い男に対する無意識を越えた反感も、確かに自分の中にあると、自覚しながら。

 エドガルドが優れた才を持つ青年であることは、何年かかけて、この目と、その他の多くの家臣たちの意見を合わせて確かめた。今日、この場に彼が上がったのは、他にも何人か居た候補者たちの中で、一歩ならず二歩三歩と抜きん出た存在だったからだ。

 武官としてのエドガルドは、果敢で判断力に優れ、視野も広い。経験を積み見聞を広げれば、間違いなく、将来のユグドラシルを担う人材であると、衆目の一致するところであった。娘の婿と見做さなければ、心強い若い家臣。その、意外な如才の無さを見せつけられて、自分は戸惑っているのかと、リヒャルトは思ったのだ。

 と、その時だった。快活そのもののような笑い声が、リヒャルトの試案を断ち切った。

「あまり、賢しらを言うなよ、ドゥカーティ。陛下の御気に障ろうぞ」

はたと見ればそこには、裏表のない笑みを浮かべる我が娘、アラベラ・アデライドの姿があった。

「陛下も、言葉尻のひとつを捉えて、あまり深々と考えられませぬよう。ドゥカーティとて、まだ若輩の身で、何かと気を使っておりましょうから」

どうやらアラベラ・アデライドはその一言を以て、場の空気を支配してしまったようだ。リヒャルトも、エドガルドも、その他近くに控えていた廷臣たちも、呆気に取られてアラベラ・アデライドを見ていた。

「ドゥカーティ、何か言うことは無いか?」

しかし、当のアラベラ・アデライドは、そのようなことは何も気づかぬげに、太陽のような笑顔のまま、エドガルドに問いかける。エドガルドは、一瞬だけは自失していたが、即座に面を取り繕うと、深々と頭を下げた。

「これは、大変な失礼を…殿下の仰る通り、些か舞い上がっていたようです」

取り繕いはしたものの、それが恐らく、紛れもないエドガルドの本音であったろうと思われる。

 心に壁を作らず、一気に相手との距離を詰めて、その本音を導き出すのは、アラベラ・アデライドの終生の得意技であったが、遡れば、英雄帝ジークフリードの、伝家の宝刀でもあった。アラベラ・アデライドとてその話は知らぬではないが、意図して同じものを使おうとしたわけではない。幼い頃から帝王学を叩き込まれた少女の中には、そういう類の不遜さは無かった。

「子供相手に、卑屈にならぬが良いぞ。皇太子など、親の威を借る若造なのだからな」

そして、自身は些かの卑屈さも無くそう言い、エドガルドの双眸を覗き込む。

「そう仰る辺りに…敬服致すのです、殿下」

それに対してエドガルドは、今度こそ小細工抜きに、目線を合わせた。

 その一対の姿を見てリヒャルトは、どうやら自分が、その場に不要であることに思い至った。確かに、若いアラベラ・アデライドに自ら配偶を選ばせることなど出来ぬ。そこには、父たる己の眼力が必要であろう。そして、家門や能力、年回りを考えれば、彼の心は、おおよそエドガルドで決まっていたのだ。ここで、感情的に気に入らなかったからと言って、内心の決意は覆るのか。考えてみれば、その答えは否であった。

 物怖じせず、快活な十五歳の少女と、ふてぶてしいながらその少女の調子に巻き込まれつつある二十三歳の青年。一歩退いて見れば、それはなかなか、好ましい一対であると思われた。

 

 エドガルドが伺候していた間、アラベラ・アデライドは、今まで父には見せたことが無いような表情を出し、よく笑って、実に楽しげに過ごした。

 ところがエドガルドが退出してしまうと、まるでそんなことは何も無かったかのように振る舞い、常のように与えられた課題をこなしたり、父の執務室に入ってその政務を見学したり、まるきり日常に戻ってしまった。

 アラベラ・アデライドは幼い頃から、気に入ったものにはかなりの執着を示す性質であったから、リヒャルトは訝った。

 しかしまた、同時にこの話題が少女にとって繊細なものであることを慮って、自ら口に出すことは禁じていた。

 そうするうちに一週間経ち、二週間経ち、根競べになってくれば、降参するのはやはり、年若い娘の方であった。その日、アラベラ・アデライドは父の執務室で秘書官の真似事をしていたのだが、合間に二人きりになった時に、常にない大人しげな声で、父上様、と言い出した。

 気の強さと強情さでは誰にも負けない娘の、妙にしおらしい様子に、父は嫌でも、それが何の話だか悟らざるを得なかった。

「ドゥカーティのことか」

水を向けてやると、アラベラ・アデライドの頬にさっと赤みがさす。父にとってはいつまでも子供にしか見えなくても、そういう表情は、いつの間にかすっかり娘らしくなった。

「というよりも、私の縁談のことでございます。まだ、考えておいででしょうか?」

お転婆だけれど、無分別では有り得なかったところが、この娘の悲しいところかもしれない、と、リヒャルトは時折思う。この気性で、人並みの環境で育ったなら、素直に一途に恋を夢見たであろう。けれどもアラベラ・アデライドは幼い頃から、宮廷の大人の間で育ったばかりに、この場合自分には何の選択権も、決定権も無いことをよく知っている。

 要するにアラベラ・アデライドは、与えられない答えに焦れていた。この間の、あの魅力的な青年に期待を持っていいのか。それとも、早く忘れてしまった方がいいのか。

 紫がかった青の瞳は、その光を翳らせることは滅多に無いが、やはり時には、不安に揺れることもある。この場合がまさにそれだった。

 その翳りに向けて、父は穏やかに微笑みかけた。

「そうだな、余の考えはおおよそ纏まっているが……そなたもう一度、ドゥカーティと話してみぬか」

アラベラ・アデライドは一瞬、きょとんとした顔をしたが、すぐにそれを取り払って、大きくかぶりを振った。

「父上様のお考えが固まっているのなら、そのようなことは無意味です。これは、私のような若輩が、無分別に決めていいことではありません」

きっぱりと、己の未練を断ち切るように、アラベラ・アデライドは言い、翳りすら拭った強い瞳で父を見た。

「いずれにしても、父上様が決めて下さったことが、私にとっては最良であると信じます」

強い娘だ、とリヒャルトは思い、同時にその強さを、些か痛ましく思った。

「余は、エドガルド・ドゥカーティがそなたの配偶に相応しいと思う。だから、行って、何か思うところがあれば確かめてくれば良い。そうして、胸に引っかかるものが無い状態で、あの男を迎えよう。わかったな?」

その瞬間、アラベラ・アデライドの双眸に、隠しきれない光が溢れて、瞬く間に紅潮した頬を伝った。

「……かしこまりました。ありがとうございます、父上様」

そうして震える声で返したアラベラ・アデライドは、父の目にはやはり、華奢で幼く映ったのだけれど。

 

 それから数日後、アラベラ・アデライドは父からではなく自ら使者を立てて、エドガルドを呼び出した。場所は、かつて彼女が逃げ込んだ場所、中庭の真ん中にある、小さな離宮。皇太子として与えられた執務室に呼ぶのは、何かが違う気がしたのだ。

 近侍の者が、エドガルドの来訪を告げる。振り返るとそこには、三週間近く前、目を離せなかったあの青年が跪いている。

「皇太子殿下、エドガルド・ドゥカーティ参りました」

「何度も手間を取らせてすまぬ。ドゥカーティ、顔を上げてくれぬか」

そう言いながら、アラベラ・アデライドは手振りで近侍の者を下がらせた。それから真っ直ぐに、エドガルドの双眸を覗き込む。その瞳はやはり夜のように黒くて、強い光でアラベラ・アデライドを見上げている。

 その場になってから、アラベラ・アデライドは、己の若さと、経験不足を呪っていた。それが、皇太子としてなのか、女性としてなのかは判然としなかったが、とにかくこんな場合に、平静を保って話をするのに、もっと何か、有効な手立てがあるのではないかという思いが、頭の中を駆け巡っていた。

 とはいえ、何を悔やんでももう遅いのだから、話し始めてみるしかない。そういう思い切りは良いアラベラ・アデライドである。

「ドゥカーティ、ひとつ訊いておきたいことがあった」

問いかけながら、深呼吸をして、心を整える。心臓の音が外まで聞こえないといいと願いながら。

「そなた、野心は無いのか?」

その直截な問いかけに、エドガルドはすこし、面食らったようであった。

「そなたと、ドゥカーティ一門の思いは想像がつく。そなたを私の配偶として送り込み、いずれは皇配として、大陸の実質的な支配者にする…しかも、正当な権利を行使するだけで、だ。そうだろう?」

続く言葉は更に直截であり、エドガルドは鼻白んだ。確かにその通り、誰も言わないだけで知っている事実なのだが、いざ口に出されると、首肯するのは憚られる。それを、目の前の小娘は、堂々と口にしてしまったのだ。

「殿下のご賢察、痛み入ります。しかし…臣下の身と致しましては、今ほど仰られた以上の野心を持てましょうや」

こうなったら、エドガルドの方にも余計な台詞は存在しなかった。というよりも、この少女が洞察力に優れている以上、下手に隠し立てては傷が大きくなると、エドガルドは判断したのだ。口先三寸で言いくるめられる相手とも思えなかった。

「わからぬぞ。例えば、私に子を産ませておいて、さっさと殺して我が子を玉座に据えれば、そなたは摂政だ」

「私を、お疑いでいらっしゃいますか」

これには流石にエドガルドも焦った。下手な対応をすれば、大逆罪に問われる内容ではないか。しかしアラベラ・アデライドは余裕の表情を変えない。

「野心の持ちどころだな。皇配の権力を得て、そこに安住しているだけの男に魅力感じぬし、あてにも出来ぬ。かといって寝首を掻かれては元も子もない。では、そなたは何者であろうなと、思っただけだ」

英雄帝の直系に意味は無く、英才教育を施されたと言っても所詮は十五の小娘に過ぎない――正直に言えば、エドガルドはアラベラ・アデライドをそうやって見ていた。臣下が望む、最も高い場所へと導く、足がかりに過ぎないと。しかし、今目の前にいる十五歳の少女は、臆せず彼と向き合い、堂々とその本音の扉を叩いて、今しも開かせようとしている。

 アラベラ・アデライドは微笑んだ。これしか無いと居直った末ではあったが、どうやら目的に対して、あながち間違いではなかった、という確信が、彼女に自信を与えた。

「頂点からの景色は、私にもまだ見えぬ。そこで何を成すべきかも。ただ、いずれにせよ私は、この大陸で唯一の立ち位置から、唯一の仕事をせねばならぬのだ。能うなら、喜んでその役目に当たりたいのだ。いずれ逃げられぬのだからな。そうして見る景色は、美しかろうと思う…そう信じる。どうだ、そなた、一緒に来ぬか?」

 紫がかった青の瞳の、その輝きに、エドガルドは酔った。実のところ彼は、帝国の女皇太子など、極大の持参金を持った花嫁候補くらいにしか考えていなかった。所詮は女、しかも子供だ。皇帝もそう長くはなかろうし、いずれ実験は自分のところに転がってくる。アラベラ・アデライドが指摘するまでもなく、それが彼と、ドゥカーティ一族の目論見であった。

 そして今、彼の目の前に立ち、嫣然と微笑むのは、その少女である。大した手管を使っているとは思えない。寧ろ愚直に過ぎると言えるだろう。しかし、何故かその言葉はエドガルドの胸をつき、瞳からは目を離せなくなった。

 確かにアラベラ・アデライドは美しい少女であった。艶やかな濃茶の髪は父リヒャルト譲りだが、人目を惹く華やかな容貌は、大帝アンドレアス、或いはその皇后アルマ辺りから、世代を経て受け継いだものとも言われていた。

 とはいえ、例えば英雄帝の皇后ルフィラのように、絶世を冠するほどではないし、第一、配偶とは利用価値で選ぶものだ。そして、快楽の相手はまた別に見繕えばいい。いずれにしても、たかが女に魅了されるなど、あまりに莫迦げている。

 何度でも、エドガルドはそう己に言い聞かせたが、すべては言葉になる側から霧消していった。アラベラ・アデライドという存在が、若く、才能豊かで野心に満ちた、些か狡猾な若い男を圧していた。

 今、この場では、これ以上どのような抵抗も無駄だ――その思いから、エドガルドは膝を折った。

「仰せのままに、皇太子殿下」

それは、目も眩むように甘美な味の敗北であった。

 

 それから約半年の後、エドガルド・ドゥカーティは正式に、皇太子アラベラ・アデライドの夫となった。前後して皇帝リヒャルトが体調を崩し、臥せりがちになり、アラベラ・アデライドが摂政として帝国の政治を執り行うことになった。

 これが「烈女帝」アラベラ・アデライドの治世の始めである。

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