蒸し暑い電車の中から抜け出すと、改札の外も相変わらず雨が降っている。肩の凝りをほぐしながら店に入り、うっかり坦坦麺を注文してしまう。今更変えてもらうことも出来ずに大量の水分を補給しながら箸を進めていると、隣の客が白飯を頼んでくれる。卓で湯気を立てているのはみそラーメンだ。長い靴下で隠れた膝小僧の上に夜色のドレスが広がり、それを柔らかな帽子が覆っている。脇の槍がどうも物欲しそうな光線を発しているようで気になるが、持ち主は意にも解さずはふはふと麺を啜り、しゃくしゃくともやしを平らげてゆく。この小柄な身体の何処に入るのか。ともあれ礼を言い、好きなラーメンの種類や先日強制捜査が入った悪徳企業の噂話、簡単な自己紹介などをしながら夕餉を共にする。会話の折にこちらを向く瞳の瑠璃色が、くたびれた心には一際眩しい。

 これで見納めだろうと職場を後にした次の日、したたかに酔っ払う。道行く車輌のテールランプが窓をつたう雨粒でにじむのを眺め、胸に巣食う先行きへの不安を金糸雀(カナリヤ)色や南国色の甘い酒で奥深く沈める。外に出ると雨の勢いも弱まっていたので、向かいの建物まで歩く。此処の屋上に小さな庭園があるのだ。勤め先のすぐ横なので、時々内緒で午睡を取りに行ったものである。エレベータが震え、壁に寄りかかる。揺れているのは自分なのかそうではないのか、どうでもいい。最上階に着くと、緑の息吹が吹き付けてくる。薔薇、紫陽花、彼岸花、アマリリス、トケイソウ、オオオニバス、石榴、羊歯、黒百合…良い気分で中を彷徨って、仙人掌の側でしゃがみこみ、少し意識が飛ぶ。向こう側の屋上にも誰かいる。よく手入れされた昔ながらのトランクと大きな水筒を足元に揃え、緩く波打つ焦茶色の髪が微風になびく。ああ以前お会いした、と槍が手を振った、のだろう。何とも見事な唐辛子色のスープだった、挑んでみたいが暴君の哄笑が聞こえるなと嘆息するのが可笑しくて、フェンスの設置場所まで近づく。雨は止んでいる。網にもたれかかって、曇り空だねロートレアモン、挨拶をする。そういう日もある、槍が返答する。アスファルトの残骸が至る所に伏している。窓硝子は悉く砕け散り、薄い煙がたなびいている。地面は半分以上崩壊し、本社は差し詰め溶けかけた塩の柱か。明朝の一面記事はいただきだなと槍が楽しそうに回転し、困った表情の主が軽く柄に手刀を喰らわす。私は持ち出した書類を引き裂き、建物の谷間に投げ捨てる。

 晴れることなんてないかもしれないね、天を見上げて私が呟くとそうかもしれないと再び槍が頷く気配が伝わる。けれどそれは鈍く熱い緞帳で覆われているだけだ、雲の上はいつも澄んだ空さと彼は詩う。幕の切れ間があれば巻き取って仕舞い込めば良いだろう、なあ我が主、ロートレアモンは呼び掛け、夜明け、ひしゃげた柵の上でLAYLAは温かなココアを注ぐ。

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