「あれはまた、物騒な代物を見つけてきたな」

ヴェンツェルが肩越しに視線を投げたのは、ユーリエの新しい得物だ。以前の両手剣(ツヴァイハンダー)よりは、短くて細い。けれども、炎の形に波打つその刃は、掠っただけでも、深く醜く、致命傷に至る傷を抉る。ましてやユーリエの力で叩きつければ、人間など容易に形を崩す。

「そうは思ったんだけどね…あの子以外に、あれを使いこなせる人間を、思いつかなくて」

その傍らには常の如くザビーネが居て、艶やかで豊かな黒髪を微風に遊ばせながら、こちらは真っ直ぐに、ユーリエを見ている。

「そうだな。気持ちは、分からんでもない」

軽く頷いて、ヴェンツェルもまた体の向きを変え、正面から炎の刃を見据えた。

 良い武具を見れば、使い手を探してしまうのが、戦士というものの度し難いところであろうか。大人の男の身長にも等しい丈をものともせず、持ち上げる腕力、使いこなせる技術力、使い続けられる体力。それは恐らく、アースガルド軍広しと言えども、ユーリエにしか無い。大陸最強の名を恣にするヴェンツェルでさえ、そんな芸当は出来ないのだ。それ故に、フランベルジュは数少ない。ましてあれほど拵えの良いものは、探しても見当たらないものだ。柄や鞘に、妙に繊細な装飾が施されている辺りも何となく女であるユーリエに似合い、手の中に馴染んだ今となっては、彼女のために誂えられた雰囲気さえ漂っている。ヴェンツェルが言ったのは、そういう意味のことだ。

 無論そんな思いは、ザビーネの中にもある。けれどもそれ以上に湧き上がり、去来するのは、ユーリエに初めて会った時の姿だ。最も、あれを称して「会った」などと言えるのであれば、だが。

 

 その時ユーリエは、薄暗い路地で、膝を抱えて座り込んでいた。ザビーネがヘルベルトに拾われて間もない頃だ。戦火に追われた子供など珍しくも無い。ユーリエも、その御多分に漏れず、がりがりに痩せて薄汚れて、並みの男に劣ったものではない長身が、哀しいばかりに小さく見えた。

 けれども、違っていたのは、ライラック色の瞳の奥に、ぽかんと空虚なものが穿たれていて、真っ暗だったことだ。飢えているのに食べ物に手を出そうともせず、傷だらけの手足に触れても、何の反応もしない。心臓は動いていても、ほかのどこも生きていないのだと、ザビーネは感じた。

 拾って帰りはしたものの、食事は摂らず、触れても反応しないくせに、傷の手当てをしようとすると払いのける。眠っていても、近寄るとびくん、と大きく震えて目を覚ました。死を待つ獣のようだ、とザビーネは思った。思いながら、その傍らに寄り添って、黙って見守っていた。

 五日目の朝だった。ザビーネがふと目を覚ますと、ライラック色の瞳がこちらを見ていた。その向こう側の空白に、たくさんの涙を溜めて。

「傷を、洗おうか。痛むだろう?」

菫色の瞳を、その視線に合わせる。痩せた顎が、かすかに頷くのを見てから、ザビーネは手を伸ばし、その冷えた手に触れた。

 

 「…あの子は、人の命の儚さを、よく知っているから。自分の命を通して、ね。だから、それを壊す恐ろしさが分かるんだ。それだけが、あの剣を任せられる資格だと思った」

ゆっくりと、噛み締めるように、ザビーネは言い、そして続ける。

「でも本当は、あの子を守るものを、あの子に持たせておきたいのかもしれないね。力は強いけれど、寂しがり屋だから。いつもどこか、寄る辺ないものを抱えている」

そう言いながら、ザビーネは、喉の奥に何かが込み上げてくるのを感じていた。涙には満たないが、その予感とでも言うべきもの。寂しがり屋と人のことを言いながら、自分がその寂しさでいっぱいになる、不安の感触。

「…わたしは、あの子を見送りたくはないんだ」

それを思い過ごしだと言うことは、ヴェンツェルには出来なかった。確かに、ユーリエの戦いぶりを見ていて、何かうそ寒いものを感じたことが、彼にもあるのだ。戦女神の守護者として、アースガルドの兵から畏敬される、その強さに、ではない。戦えば勝てるという自信が、大陸最強を以て鳴らすヴェンツェルには、ある。

 ユーリエは、その強さに比して、技術というものを持っていない。天から与えられた才と、身体の強さだけを使っている。そのせいか否か、全身で向かっていって、その力を投げ出すような戦い方しか知らないのだ。駆け引きも、間合いも無い。これまでは、その類稀な力ですべてを粉砕してきたが、そんなことがいつまで続くのだろうかと、ふと思う。何時か、どこか投げてはいけない場所に、その身を投げ打ってしまうのではないか、と、不安になるのだ。

 「強いようで、弱い、か……確かにな」

ヴェンツェルの呟きに、ザビーネは黙って頷く。その黒髪を、ヴェンツェルの手が梳いてゆく。

「まずはお前が揺るがずに居ろ。そうすれば、そこを目印に、あの娘は帰ってくる。それが揺らいだら…どうにもならん」

もうひとつ頷いたザビーネの、細い顎が幽かに震えた。

 

 大陸最強を以て鳴らすヴェンツェルは、常日頃どうやって鍛錬をしているのか。多くの兵がそれを疑問に思うのだが、実態は至って簡素なものだ。体の髄まで沁み込ませた技術を、日々確かめる。それだけのことだ。ほぼ基本動作の繰り返しに等しい。

実際に確認して拍子抜けする兵も多いが、それ以外のことを、彼は必要としていないのだ。必要な技量というものがあれば、それはすべて覚えているから、あとはそれを錆びつかせなければそれで良い。立ち会って価値があるほどの実力を持つ兵は、アースガルド軍広しと言えども存在しないし、戦乱のこの時代にあっては、勝負勘が鈍る心配とて無い。

だから彼がすることと言えば、日々時間を定めて基本動作一通りを丁寧に繰り返すことと、敢えて言うなら、他の兵に稽古をつけることだろう。実戦経験と言うにはあまりにも軽いが、己の所作を見つめ直す手段としては、それなりに有用だ。

挑んでくるのは、主として自ら率いる兵たちだが、時折ゲオルグやその他の将から依頼を受けて、彼らの兵を預かることもある。

が、思えば「彼女」の来訪は初めてのことだったし、当然と言えば当然か、上官を通すなどという回りくどい手続きは、この際無視された。

「このままで良いのでしょう?貴方なら、傷を受けることも与えることもなく、私一人をあしらうくらいは、お出来になるのだから」

ユーリエはそう言って、抜身のままの炎の刃を手に、ヴェンツェルの前に現れた。そしてその、あまりにも大胆だがほぼ正しい分析は、大陸最強の剣士を感嘆させた。傍で見ていて、その力に驚いたことは何度もある。しかし、その目とその頭をしかと確かめたのは、思えば今回が初めてであるように思う。

と同時に、やはり、一瞬は血が騒いだ。ユーリエ自身が言う通り、彼我の力の差はかなりのものがあり、間違いさえ起こらなければ、勝負は見えている。が、それでもユーリエ自身とその辺りの兵とでは強さの桁が違う。すこしはまともな勝負になりそうだ。

切っ先と切っ先が、軽くぶつかりあって、澄んだ音を立てる。正直に言えば、ヴェンツェルには、一瞬で勝負をつける方法が見えていた。刃渡りの長いフランベルジュを相手にする時は、間合いを詰めてその優位性を奪ってしまえば良い。力づくでその隙を生み出す自信もあった。

が、それではあまりに味気無かろう。ユーリエの力を、己の手で測っておきたい気持ちもある。互いの武器を傷めない程度にと、頭の隅には置きながら、そのまま剣戟の応酬に入った。

攻めの重さは、やはり大したものだと、最初の一撃を弾き返しながら思う。隙だらけの動作なのに、その速さと勢いが図抜けているために、分かっていても付け入ることは難しい。これに勝てるとしたら、ヴェンツェルが知るうちでは、彼自身か、あるいは滅多に自ら剣を取ることはしないが、ナイトハルトか。畳みかけられる攻撃を、浅め浅めに捌きながら、ヴェンツェルは考えていた。

そしてユーリエ自身も愚かでは有り得ないから、自分が軽くいなされていることは分かっている。立ち会う前から承知していたとはいえ、いざその状況になってみれば、何としてでも打開したいものだろう。今度は一気に間合いを詰めて、息がかかりそうな至近まで迫ってくる。正しい判断だ、とヴェンツェルは思った。刃渡りの長いフランベルジュは、懐に生まれる隙が大きい。いつまでも距離を取っていれば、そこに潜り込まれる機を与えるだけだ。

しかし、押し合っても力で勝てないなら、ユーリエはここから先をどうするのか。

そこまで考えた瞬間に、刃にかかる重みが、一気に増した。まだこれほどの力を隠し持っていたのか、と思うと同時に、捨て身だな、とも、ヴェンツェルは悟った。持って生まれた力に任せているユーリエの、それだ限界と言うことだ。

そのことを、無謀だとも憐れだとも思うことは出来るが、その時のヴェンツェルには、いじらしいとしか思えなかった。

真正面からかかる力を、軽く横に流して態勢を崩させる。かかっていた力が大きいだけに、外された時の衝撃も大きい。膝から折れたユーリエの首筋に、ヴェンツェルは素早く剣の平を擬した。

「お終いだ」

それでも、実戦以外でヴェンツェルに本気を出させた相手は、ナイトハルト以来、随分久しぶりだった。

 ヴェンツェルが剣を納めても、ユーリエは憮然としたまま立ち上がろうとしない。最初から分かっていた結果とはいえ、よほど悔しいのだろう。土の上で握りしめた拳が、白くなって細かく震えている。

「悔しかったら、何時でも挑んで来い。お前には、色々と教えることがありそうだ」

ヴェンツェルがそう言って立ち去りかけた瞬間、ユーリエは、咄嗟に手を伸ばして、その足首を掴んだ。驚いたヴェンツェルが振り返ると、ライラック色の双眸が必死の色を浮かべて、こちらを見上げている。

「あると言うなら、今すぐにでも教えて下さい。時間が惜しい」

「ではまず素振りからだ」

「莫迦にして…!」

取り縋ろうとするユーリエを、ヴェンツェルは軽くいなす。

「時間が惜しいのは、最もだ。技術など、時間をかけて積み上げるよりほかに、身に着ける手段が無いからな。なまじに桁外れの才を持ったから、お前はそれをしてこなかった」

恨みがましく見上げていた瞳は、一瞬光を失い、すぐにまた、炎を灯す。

「そうだ、それでいい」

その燃えるような輝きに、ヴェンツェルは思わず目を細めた。

 ユーリエは、ゆっくりと握っていた拳をほどき、取り落していたフランベルジュを手にする。

「私は…あの方のために戦って、あの方のお側に帰らなければなりません。それだけが…私の、なすべき唯一ですから」

「その割に捨て身だが…それが分かっていれば十分だ。何度でもかかって来い」

「貴方の、その余裕が嫌いです」

その、子供のような憎まれ口に、ヴェンツェルは思わず微笑んだ。

 

 後から思えば、結局ユーリエは、その「唯一」を完遂出来ず、そのことは、ザビーネにとってもヴェンツェルにとっても、終生消えぬ傷となった。

 けれどもヴェンツェルは、胸の古傷に痛みを感じる度、同じように思い出した――炎の刃を握りしめて、健気なほど一途に挑みかかってきた、澄み切った瞳の娘のことを。

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