破滅と創世の竪琴の音をお聴き。過去から現在へと受け継がれ、未来へと伝えられる、吟遊詩人ハオラーンの、妙なる詩を……

 

振り向いた女性は、紛うこと無き、佳人であった。小柄というわけではないが、細身で華奢な風体、ゆるやかに波打つ濃い茶色の髪、透ける様に白い肌、はしばみ色の瞳に暖かな微笑を浮かべて、清楚で優しげな顔立ちをしている。こちらを見て、上品な仕草で会釈をした。

「クローディアさん、この男はグレイといって、貴女の護衛というか、ガイドのようなものです」

二人の間に立つジャンが、愛想の良い口調でそんなことを言った。クローディアと呼ばれた女性は、物怖じする気配もなく、柔らかな表情で頷いた。

「よろしく、お嬢さん」

相手はお客なのだから、もうすこし格式ばった、礼儀正しい挨拶の仕方もあるのだろうが、まだ海のものとも山のものとも知れない相手に対して仰々しく振舞うのを、グレイは好まない。ジャンがやれやれと肩を竦めるのを尻目に、ごく当たり前の挨拶をしてのけた。

「はい、よろしくお願いします」

なるほど、どこかの世間知らずのお嬢様といったところだ。確かに護衛もガイドも必要だなと、グレイは冷ややかに思った。 

 グレイは、財宝を求めて世界中を旅する冒険者である。ここ一年ほどは、ふとしたきっかけからミリアム、ガラハドという二人の仲間と旅をしていたが、その二人が故郷へ帰りたいと言い出したので、また一人になってしまった。天涯孤独の身の上にとっては、いつもの状況になっただけだが、これまでほど難易度の高い冒険をするわけにもいかなくなった。そういうわけで、ここバファル帝国の近衛兵をしている旧友ジャンを訪ねたところ、「何も聞かずに、ある女性の護衛をして欲しい」と頼まれた。莫迦に報酬がいいのが気になったが、身分を隠すくらいだから、どこかの名のある貴族の姫君か何かだろうと踏んで、あっさり引き受けた。子供の頃から一人で生き抜いてきたし、冒険者としての経験もある。精神力にも剣の腕にも、相当な自信があるからこその、無造作な決断だった。

 「じゃあ、俺はこれで。グレイ、クローディアさんをよろしくな」

愛想良く笑って、ジャンが部屋を出てゆく。そこでグレイはもう一度、クローディアを見据えた。

「それで、俺はこれからどうすればいいんだ?」

「あの、もし良かったら、この街を案内してください。私、本当に何も知らないから」

よほどの箱入りなのだろう、口調がおっとりしていて、初対面の人間相手の警戒感が無い。

「あの、それから、グレイさん」

「グレイでいい」

「あの…私、人間の世の中のこと、何にも知らないんです。だから、何か間違えていたらごめんなさい。すぐに教えてくださいね」

この言葉の意味は、流石のグレイも図りかねた。表情を読み取られたのだろう、クローディアは、滲むような美しい笑顔を浮かべた。

 クローディアが語ってくれた生い立ちは、まったくの夢物語に聞こえた。バファル帝国の首都、今二人が居るここメルビルの南には、広大な森林地帯が広がっていて、通称迷いの森と呼ばれている。その森には人嫌いの魔女が棲むと言われ、何度踏み込んでも必ず外に出てきてしまうと専らの噂だ。クローディアは、物心ついた時から今まで、その魔女に育てられたのだという。ところが先日その森にジャンが迷い込み、出口まで案内してやった。その時機会があればメルビルに来いと言われて、魔女に相談したら行ってみろといわれたのだとか。

「オウルは、私もそろそろ外の世界で、人間としての幸せを探さなければいけないって。でも私、本当に何も知らないから、グレイが居てくれると心強いわ」

では、とグレイは内心首を傾げた。ジャンは何故、この娘の護衛など依頼したのだろう。それともジャンは、彼女の素性を何処かで知ったのか…いや。この娘は客だ。グレイはあっさりと思案を断ち切り、ではこの街を案内しようか、と踵を返した。

 バファル帝国は古い文化国家で、新興の軍事国家ローザリアに押され、往時の勢いは無い。しかし、長い歴史と伝統はメルビルの町並みのそこここから覗われ、春の穏やかな陽気と相まって、世間知らずのお嬢さんを案内するに丁度いい、優しい空間になっていた。宿を出て港を見て、次はメルビル王立図書館へ。宮殿の前を通ってエロール神殿へ。ぐるりと見て回ったが、森育ちだけあって足腰が強いらしく、クローディアは疲れる様子も見せなかった。

 見るもの見るもの何もかもが新しいせいか、クローディアは本当によく表情を変えた。感情が豊かで、それが溢れ出すごとに、滲むように頬を染める。子供のように声をあげてはしゃぐことはしないが、表情のひとつひとつが幸福に輝いて、とても美しい。

「世界は広いのね。私、何も知らなかった――」

呟きながら、クローディアは空を仰いだ。眩しさに、目元に手を掲げた、その白い指には、繊細な透かし彫りの指輪が嵌っている。派手なものではないが、持ち主の容貌や雰囲気と同じに上品で優しく、鮮やかな東雲色の珊瑚は極上の品、相当な身分の者でなければ持てない代物だ。やはり、ジャンはどこかで娘の素性を知ったのだろう。詮索はしないと契約はしたが、気になるものはどうしても気になった。

 その時である。すこし向こうの雑踏から、甲高い悲鳴が聞こえた。グレイは咄嗟にクローディアを背後に庇い、灰色の目を凝らした。

 メルビルの街には、地下水道が完備されている。下水も兼ねるが、海を埋め立てた土地故の排水設備で、古くからこれを備えていることが、メルビルの文化都市たる証拠とも言われている。しかし、聞いた話では、近年ここにモンスターが棲みつき、時折地上にまで姿を現すという。雑踏の向こうで起きているのは、噂通りのことだった。巨大なハサミを持つ蟹のモンスターが、水路から上がってきて、石畳の上で暴れている。衛兵は、と周囲を見回したが、この辺りには居ないようだ。誰かが詰め所まで通報して、ここまで駆けつけるには時間がかかる。

「グレイ……!」

傍らのクローディアの様子を伺うと、はしばみ色の目を大きくみひらき、そこに緊張の色をたたえて、目の前の光景を凝視している。怯えて悲鳴をあげたり、闇雲に逃げ出さないのが幸いだ。

「片付けてくる。ここを動くなよ」

手短に言いつけて、グレイはバスタードソードの鞘を払った。

 本能で敏感に敵意の存在を感じ取ったのか、大蟹は、グレイの姿を見つけると、ハサミを大きく振り上げた。まずはそれを受け止め、刃を滑らして受け流す。勢い余ったハサミは制御を失い、石畳に深々と突き刺さった。こうなってくれればしめたもので、後はハサミを切り落とし、背中に回ってとどめを刺すだけだ。

 その時、たった今掻き分けてきた人ごみの向こうから、また何か、新しい悲鳴が上がった。クローディアを置いてきた辺りだ。嫌な予感がしたので、グレイは手早く蟹を始末すると、もう一度雑踏の向こうへと走った。

 そこには、クローディアの姿は無かった。野次馬の一人らしい老婦人が、おもむろにグレイの手を取る。

「大変だよ、お兄さん、あんたの連れの娘さんが、邪教の神官に攫われちまったんだよ。連中は、いつもこうなのさ。ああやってモンスターを使って騒ぎを起こしては、その隙に若くて綺麗な娘を攫っていって、生贄にするのさ。気の毒に、あの娘さん、助かるまいよ」

何と言う失態!グレイは思わず、長靴の踵で石畳を踏みつけた。目を離した隙に攫われるなど、護衛として最低だ。それは恐らく、彼が今までこなしてきた仕事の中で、最悪の部類に入る失敗に違いなかった。

 

 「全く、困ったことをしてくれた。地下水道のモンスターや犯罪者どもは、警備隊も手をこまねいている代物なんだぞ。どうしてくれるんだ」

苛立ちを隠せずにまくしたてるジャンに、グレイは事も無げに言い放った。非があり、糾弾されている張本人だと言うのに、その態度は一貫して冷ややかなものだ。

「だから、責任は取ると言っている。だが情報が欲しい。あれだけの広大な地下水道を、無闇に探し回っても時間の無駄だからな」

「わかったよ、これまでの捜査で目星を着けている場所を教えてやる。待っていろ」

そう言って、ジャンは一旦奥へ下がっていった。そうだ、これが欲しかったからこそ、時間がかかるのを承知で、グレイは一度ジャンを呼び出したのだ。

 すぐに戻ってきたジャンは、数箇所に赤い印をつけた地下水道の見取り図を持っていた。

「この赤い点が、すべて疑わしい場所だ」

印の数は、片手の指に納まる程度だ。虱潰しにしてもいいが、事件の発生した場所を考えると、優先順位がつけられる。どこから探すかは、あっという間に決まった。

 立ち上がり、挨拶もしないで歩き出すグレイに、ジャンが声をかけた。

「頼んだぞ、グレイ、必ずクローディアさんを助け出してくれ」

「当然だ。こんな下らん失敗をしたのは初めてだからな」

対するグレイの答えは、相変わらずの冷ややかなものだった。

 

 扉を開けると、古くなった血の臭いが鼻をついた。同時に赤黒いローブを纏った邪教の神官たちが、次々と振り向く。その向こうに、石造りの祭壇があり、クローディアはその上に寝かされていた。邪神サルーインを信仰する者たちは、若い娘の心臓を生きたまま抉り出して供物にするという。血の臭いの感じからいっても、まだ無事なようだ。

「その娘を返して貰おうか」

当然のことだが、そのような依頼が通るわけもない。邪教徒たちは、物々しい雰囲気を漂わせ、手に手に短刀を持って襲い掛かってきた。

 グレイは、目的のためとあれば殺人を厭うような人間ではない。そもそもこの邪教徒たちは皆賞金首だと聞いているから、躊躇う理由は何も無かった。最初に、幻の術法・火幻術で一人を倒し、ほかの顔ぶれを牽制する。鮮やかな赤い炎が狙った一人を包み込み、苦しみ悶えた末に倒れさせるが、あの炎は現実の熱さを持ってはいない。人の心を焼き尽くす、幻の炎なのだ。しかし、攻撃力は並みの炎にも劣らない。

「さあ、死にたい奴からかかって来い!」

挑発するまでのことも無かったのだが、時間が惜しかったので、敢えて逆上させた。殺到してくる邪教徒たちの動きは、モンスターよりずっと遅く、読み易い。そもそも日も当たらない地下水道に篭りきって暗躍しているのだから、健康状態も良くないのだ。一撃でカタが着く。

 下っ端の教徒たちを斬り捨てると、後は祭壇の前に立つ、神官級の数名のみ。問答無用で一人を倒した、その時。毒を孕んだような、嫌な熱さがグレイを包んだ。闇の術法・ダークファイアだ。闇の中では最も下位に当たるが、莫迦にならない攻撃力を持っている。残りを斬り伏せたと時、どっと全身から力が抜けた。それなりのダメージを受けたようだ。

 屍が無造作に折り重なり、そこから流れ出す真新しい血の臭いで、狭い空間が満たされる。常人なら吐気を催すような惨状だが、これまで幾多の困難な冒険を乗り越えてきたグレイには、初めてというわけでもない。眉一つ動かさずに、奥の祭壇に眠るクローディアに歩み寄った。

「クローディア」

抱え起こして、軽く揺さぶる。ひょっとしたら、何か薬でも嗅がされているかもしれない。何にせよ一度、医者に見せる必要がありそうだ。

「クローディア、おい、大丈夫か」

仕事絡みの人間でさえなければ、頬のひとつも叩いてやるところだが。

 仕方ないからこのまま運び出そうかと思った瞬間、閉ざされていた瞼が震え、うっすらとはしばみ色の瞳が開かれた。

「すまなかった、クローディア。怪我は無いか」

「……グレイ」

クローディアは、まだ完全には焦点の合わないとろんとした瞳で、真っ直ぐにグレイの瞳を見た。

「助けに来てくれたのね。ありがとう」

どこかで聞いたような、陳腐な台詞だった。しかしクローディアが言うと、何故か心に染み入るようだから不思議だ。

「俺の失策だったんだ。貴女が礼を言う筋じゃない」

グレイは、人の言葉を素直に受け取る、という作業に慣れていない。あまりにも素直に心に流れ込んでくるクローディアの言葉に困惑し、いつもの要領で冷たく突き放そうとしたが、クローディアは柔らかく微笑んでかぶりを振った。

「でも、助けてくれたのは貴方よ。でなければ私は殺されていたわ」

これ以上切り返しても無駄のようだ。グレイは、大人しく頷いて見せた。

 すると今度は、クローディアの瞳に動揺の色が浮かび始めた。

「怪我をしているの?」

「大したことはない。それより今は、早くここを出よう。貴女も一度医者に見て貰った方がいいだろうし」

確かにブラックファイアのダメージは無視出来ないものだったが、この程度は冒険者ならば日常茶飯事。騒ぎ立てるほどの事でも無い。しかしクローディアは、みるみるうちにその目を潤ませていった。

「でも、今怪我をしているのは貴方だわ。手当てをしないと」

言うなり手を伸ばして、グレイの頬に触れた。珊瑚の指輪に淡い蒼の光が灯り、涼やかな心地好さが、体の中に入っていった。痛みが消える。水系統に属する、癒しの術法だ。

「これで大丈夫」

明るさを取り戻したはしばみ色の中に、吸い込まれるような気がした。しばらく、触れていた手の温かさを、忘れられそうも無かった。

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