こっ酷く妙なモノに出会ったのは、とある宿場町の酒場で、だった。

「隣を失礼するぞ」

若いくせに、妙に落ち着いた、男の声、だと思ったのが間違いで、ふと見た傍らには、槍が立っていた。その辺りの武器屋で手軽に買えるロングスピアではない。ダンジョンの奥深く、獰猛な竜に守られているような、神々しい拵えの代物と思えた。最も、些か禍々しい色合いも、それはたたえていたのだけれど。

 カウンターの隣は空席で、てっきり槍が座るのかと思ったが(どうやって)、腰掛けたのは、恐らく未だ十歳に満たないと思われる、あどけない童女だった。柔らかな藍色の帽子を脱ぐと、焦げ茶色の艶やかな髪が広がる。夜のような深い藍のドレスの上に、その色はとても魅力的だった。

 注文をしたのは、童女ではなく槍の方。童女は黙って微笑むと、親爺が出した食事を丁寧に食べ、食後のお茶を飲み干して、やがてうとうととし始めた。

 それにしても、妙な二人(?)連れだ。世界中が自由に歩き回れる昨今、街中をエルフが歩いていようと、盛り場で魔族に遭おうと、今更驚きはしないのだが、インテリジェント・スピアと子供の組み合わせは、いかにも目を惹いた。

 だが、まずは目の前の童女に風邪をひかせてはならないから、上着を脱いで、華奢な肩にかけてやる。思いがけず触れたその頬は、生気を感じないほど冷えていた。

 余計なお世話かもしれないが、今宵の宿はと槍に問うと、特段決めていないと答える。それではまずかろうと返したら、槍は、悲しみを含んだ調子で言った。

「気にするな。この娘は、風邪などひかぬ」

何故、と問おうとした口元に、冷たい光を宿す切っ先がつきつけられる。知りたいか、と槍は尋ねた。そこで深入りしたのが莫迦だという批判は、いつなりと受けよう。だが私は、好奇心に負けた。

 そして、槍――名はロートレアモンと言った――の昔語りは始まるのだった。

 

 それは一体何時のことで、何処だったかさえ、最早定かではない遠い遠い昔。「それ」がいつ宿ったかさえ知らないが、気が付くと槍は、今と同じように意思を持ち、ものを見聞きしていたという。その場所は城砦の塔で、周囲を見回すと、仲間の武器や、それ以外の宝物や希少なアイテムの類が、およそ無造作に、見る者が見たら怒り狂うか涎を垂らすかしそうな勢いで、ほったらかされていたという。

 そこはあまりに雑多で、申し訳ないくらい静かだったので、誰か返事をしはしないかと思い、おい、と問いかけてはみたが、声はそのまま闇に吸い込まれ、何の返事も無かった。

 些か寂しい、と思いはしたものの、槍は自分では動けなかったので、何をどうすることも出来ない。仕方が無いから、槍は黙った。日が昇り日が落ちて時間が過ぎ、それを嫌と言うほど繰り返しながら、それでもやはり時々は、おい、と問いかけて――多分、気が遠くなるくらいの時間が、流れた。

 もう、数える気も失せるほど回数を重ねた末の、ある日のことだった。

「わたしを呼んだのは、あなた?」

軽やかで柔らかい、天使のような声がした。同時に、一度たりとも開け放たれたことのない扉が開き、窓とは別方向から光が差して――童女が一人、入ってきた。艶やかな焦げ茶の髪、深い深い碧瑠璃の瞳、白磁の人形のような、端整な面差し。今と寸分違わぬその姿を、槍は今も、はっきりと覚えている。

 けれども、問いかけに対する答えは、つっけんどんなものだった。

「呼びはしていないが、この部屋で口がきけるとしたら、私だけだな」と。

 紛れも無い事実だが、些か大人気無く、それ以上に気遣いの無い一言だったが、童女は花がほころぶように笑うと、深く頷いた。

「それじゃあ、やっぱり、貴方が呼んだんだわ。声がしたもの。きっと貴方よ」

「そういうことにしておいてやろうか」

穏やかに、ささやかに、転がり出したその会話の愛しい響きは、今も槍の記憶に焼きついて消えない。

 そして童女は、決定的な問いかけを発した。

「貴方の名前は?」

一瞬、槍は虚を突かれて、黙りこくった。名前。そんなものは無い。呼びかけに答えるものの無かった、飽き飽きするほど長い時間の中で、そんなものは必要なかった。

「ロートレアモン」

すると唐突に、童女は言った。

「名前が無いのなら、わたしがつけてあげる。ロートレアモン、というのはどうかしら?」

古雅な響きを持つその名前を、童女がどこから拾ってきたのか、槍は終に、問いかける機会を逸した。けれども、何故か言葉を解する槍、という得体の知れないものが、名を与えられ、特別な意味を持つものになるというのは、くらくらするような、言い知れない快感だった。

「…悪くないな」

実際に返したのは、そんな、無愛想な言葉だったけれども。

 満足そうに、童女は微笑むと、白い小さな手を伸ばして、槍に触れた。その手は温かくて、忘れられない感触を、槍の記憶に残している。

「それじゃあ、ロートレアモン、よろしくね。わたしの名前は――」

その後に続いた言葉だけを、槍はもう、思い出せない。

 

 それからというもの、童女はほぼ毎日、ロートレアモンの待つ塔へやって来た。そして、ロートレアモンが概念としてしか知らない――というか、概念としては何故か知っていた――外の世界のことを、飽きもせず事細かに、語って聞かせるようになった。城に暮らす人々のことや、季節の移ろいや、もっと他愛の無い、彼女の身の回りのことや――それらを語る時、細い線で描かれたその面は、くるくると実によく表情を変え、笑い、その存在が、薄暗い塔の一角を、柔らかく照らしていた。

 童女は槍に世界を与え、その世界の中で、槍は安らかな時を生きていた。

 

 けれども、破局の訪れは、決してそこから遠い日のことでは無かった。

 それは、童女が塔を訪れていた、ある日の午後のこと。その時、その場所で細かく何があったかを、今もって槍は知らないし、別段知りたいとも思わない。ただ憶えているのは、窓から見えていた蒼穹が、一瞬にして紅く染まり、一瞬遅れて、耳を聾する轟音が轟いたこと。塔を揺すった激震。見上げえた童女の幼い面からは血が下がり、言葉を失った唇が、細かく戦慄いていた。

「心配するな。私がここに居る」

根拠も無いし、理由も無かった。けれども槍はそう言った。それは、彼がその時、童女に言える唯一の言葉であり、出来得るならば唯一、為したいことでもあった。

 けれども、それからの短い時間に、一体何があっただろうか。震える細い腕に抱かれて、彼が見たものは――血と炎と、累々たる屍と――気がつけば彼は、独り瓦礫の中に転がされていた。

 「――何処だ。何処に居る」

声を振り絞り呼んだのは、もう思い出せない、童女の名前。繰り返し、繰り返し、空に吸い込まれてしまうまで、何度でも呼んだ。動けるものなら、手当たり次第に走り回って、彼女の行方を捜したかった。

 けれども、どんなに呼んでも、答えてくれるものは無かった。転がされたままの、決して広くは無い視界には、瓦礫が立ち塞がり、その向こうに、焼け焦げた屍が折り重なっている。大きさからして子供のものではないのが、唯一の、救いと言えば救いかもしれなかった。

 日が落ち、闇が訪れて、その闇がまた晴れた後――槍はやっと、求めていたものを見出す。

「ロートレアモン!」

細く悲痛な叫びに遅れて、小さな白い手が、再び彼を握り締めた。冷え切った金属に、血の通う掌の温もりが、じわりと滲みた。

「無事で良かった。心配したのよ」

些か滑稽なその台詞を、しかし童女は、大真面目に言ってのけた。

「それは私の台詞だ。怪我は無いか」

煤けた頬を涙が伝う、それを拭う指さえ、槍は持っていなかった。出来たのは、優しく問いかけて、無事だという答えを導き出すこと。

 二人を除いて、見渡す限りは廃墟だった。生きたものの気配は無く、一体何が起こったかさえ分らない。これからどうしようか――二人は迷った。

「北の魔女に、訊いてみましょうか」

ややあって、童女は思いついたように、言った。妙にきっぱりした調子ではあったけれど。

「それは何者だ?」

「この世を見透かす、魔法の水晶玉を持っているんですって。それを使えば、何があったのか、分るかもしれない」

「分ってどうする気だ?仇でも討つというのか?」

「そうよ」

槍の問いかけは、半ば以上、冗談だった。けれども童女は、いっそ誇らしく思えるほど厳しい表情で、頷いて見せた。碧瑠璃の双眸には、あどけない顔に似合わぬ、厳しい色が浮かんでいた。

「まだ誰も、望んだほど生きてはいなかったわ。それを、こんなふうに奪った者を、赦すことは出来ない。ロートレアモン、一緒に来て頂戴」

まるで、拒絶されることなど想いもよらない強さで、童女は言ってのけた。貫くような眼差しの強さに、槍はどうしても逆らえなかった。そして、そのほかに歩むべき道もまた、思い浮かばなかった。

「いいだろう、それでは北へ行こうか。道は分るな?」

自らの力では、身じろぎひとつ出来ない分際で、ふてぶてしくも、槍はそう、言い放った。

 それが――今日に続く二人の旅の、最初の一歩だった。

 

 北の魔女の館は、存外と簡単に見つかった。というよりも、魔女自身が所在を隠しておらず、尋ねれば誰かが教えてくれた。

 北の魔女は、その名に相応しい、白髪で腰の曲がった、醜い老婆だった。

「ほう、ほう、それで、その細腕に槍を抱えて、その華奢な脚で、ここまで歩いてきたのかい」

童女と槍の身の上を聞くと、魔女は大して感慨も無い、という具合で、そう呟いた。

「そうだね、もし望むというなら、仇の名前くらいは教えてやってもいいだろうよ。だが…いいかい、お嬢ちゃん。言っておくが、あんたに仇を討ち果たす力などありはしないよ。あたしは、まずそれを手に入れる方が先決だと思うね。そこの槍。あんたも同じさ。情けないことに、あんたはその立派な拵えだけが取り柄で、本当のところ、お嬢ちゃんの助け無しには、身動きひとつ取れないんだからね」

意地悪くも聞こえたが、紛うことなく、それは事実であった。

 言葉を失った童女と槍に対して、魔女は言った。

「それじゃあ、まずそこの槍に、自分で動ける力を授けてあげようね。その後で、西に棲む、あたしの姉を訪ねるといい。そこで姉さんが、何か別のものをくれるだろうよ。一人の魔女とは、ひとつの契約しか結べないのだからね」

親切な、と言えば良かっただろうか。それともその言葉は、無感動に聞こえただろうか。いずれにしても、契約という言葉の重みしか、今はもう、覚えていない。

「ただし、魔女との契約には、相応の代償が必要だ。分っているだろうね」

そして無論、魔女は最も肝心なその一点を、決して忘れなかった。

 正直に言えば、槍は些かならず、躊躇した。迷わなかったのは童女だ。

「何を、差し上げればいいの」

きっぱりと、はっきりと、彼女は問いかけ、魔女はその歪んだ唇を、更に大きく歪めて、笑った。

「あんたが生まれて持った、その名前をお寄越し」

槍が制止する暇さえ無く、童女はその名を手放してしまい――だからもう、この世の誰も、その名前を思い出せない。それと引き換えに、槍は、自らの意思で動く力を手に入れた。

 

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