気が向いたら、いつでもネイル村に来て頂戴――別れ際に渡されたのは、そんな言葉だった。だが結局、ヒュンケルがその言葉に従ったのは、それから三ヶ月も後のことだった。

 運命の分かれ道になった「あの日」、バルジ島に近い海岸に置き去りに去れた二人は、とりあえずポップに言われた通り、色々なことを話しながら帰った。過去と現在と、それに纏わる思いのすべて、そして岐路になった事件のことも――多分、二十二年の人生の中で最も密度の濃い会話をしたのではないだろうか。そうして三日後、パプニカの港に着いた時には、もう仲間たちはそれぞれ故郷に帰っていて、ラーハルトだけが待っていた。正直、道中にそこまで話し合う余裕はなく、この先どうするのかをまったく考えていなかったので、二人はそこで初めて焦ることになった。だがヒュンケルは、まだすこし、世界を見て回りたい気もしたし、心の整理も必要だったので、結局あまり悩むこともなく、しばらくラーハルトとの旅を続けることにした。その時マァムがくれたのが、あの言葉だった。

 混乱の残っていた気持ちを片付けるのに、一ヶ月もかからなかった。勇者探しの旅も、一年以上続けると、段々得るものも無くなってくる。旅すること自体が目的になっていた。その状況で、最愛の少女を育んだ地への興味は自ずと膨らんだが、決心するのに異様なほど時間がかかってしまった。触れたことの無い、「普通の人の暮らし」の中へ入ってゆくには、まだ臆病だった。 

 ロモスの港町で、両親の墓参りに行くというラーハルトと別れた。先のことをどうするかまでは決めていない。マァムと再会して、自分がどんな決断を下すのか、まだ分らなかったからだ。それにラーハルトとは、離れていても信頼感がある。また旅を続けることになれば、何となくあっさり会えそうな気がした。

 そして、魔の森を抜けて辿り着いた村は、心優しい少女を育むに相応しい、小さいながらも暖かな雰囲気に包まれた場所だった。人懐こく、気の良い村人たちは、余所者である彼を快く迎え入れてくれた。マァムの母レイラもその一人で、娘の、一応恋人だという青年を、まるで家族のように遇してくれた。

 とにかく面食らうことばかりだった三日間が過ぎ、四日目の朝、食事を終えて、何か手伝うことは無いかと、うろうろしていた時のこと。といってもヒュンケルに手伝えるのは薪割りとか力仕事くらいで、朝のうちは邪魔にならないようにしているので精一杯。マァムとレイラも忙しくて、一日の中で最も居心地の悪い時間帯なのだが、この日はマァムの方から声をかけてきた。

「ねえヒュンケル、うっかり言うのを忘れていたんだけど、昨日村の子供たちから頼まれていたことがあるの。何人か、剣を教えて欲しいっていう子が居るんだけど、駄目かしら。もし良かったら、十時ごろから広場に集まっているから、声をかけてあげて」

「手伝えることなら何でもするが…オレに出来るのか?」

面食らった時の癖で、切れ長の目を見開きながら、ヒュンケルは些か間の抜けた返答をした。

「やってみたら?本格的に教えるんじゃなくて、チャンバラごっこの相手をしてあげればいいのよ。その中で、怖がってるとか、腰が引けてるとか、ちょっとずつアドバイスをしてあげればいいんじゃないかしら」

逃げたい、という気持ちが働かないでもなかったが、とにかくやってみよう、という気持ちの方が、僅かに強かった。この微妙な比率が、この一年余りの、彼の成長の記録になるだろう。

 

 言われた通り、十時すこし前に村の中央にある広場に足を運んでみた。すると、七、八歳から十歳くらいの男の子が三人、こちらに向かって駆けてくる。

「ヒュンケルお兄ちゃんでしょ?」

物怖じする気配さえない、真っ直ぐな眼差しで、子供たちはヒュンケルの、青灰色の瞳を見上げる。

「ああ、そうだ。名前を…教えてくれないか」

ちょっと面食らったが、黙っていては何も出来ない。勇気を出して問い掛けると、子供たちはわっと歓声を上げて、小躍りしたままの声で、背の高い順に自己紹介をした。

「おれは、リオ」一番年上らしい、ひょろりとした体格の少年が言った。

「おいら、セイナっていうんだ」のんびりした口調で言ったのは、笑窪のある少年。

「ぼくは、アルム」一番小柄なその子供は、まだ口調も甘ったるく、幼いらしい。

「…リオ、セイナ、アルム……あまり上手く教えられないかもしれないが、よろしく」

とりあえず挨拶をして、差し延べた手に、子供たちの温かな掌が重ねられた。

 マァムに言われた通り「チャンバラごっこ」から始めたはいいが、これがなかなか難しかった。相応の手加減は出来るし、相手のどこが悪いのかもちゃんと分るのだが、それをいつ、どうやって教えてやればいいのか、肝心な一点が分らないのだ。思い起こせば、自分もこうして、父やアバンに剣を教わったが、二人とも実にいいタイミングで、的確な言葉を投げかけてくれた。戦いばかりだった日々から足を洗ってみると、今更のように、自分を育ててくれた二人の偉大さが身に染みる。そんなことは、今日が始めてではないのだけれど。

 順番に、剣の代わりの棒きれを叩き落とすまで付き合ってやって、気がついたことを教えてやる。リオは、がむしゃらに振り回しすぎる。もうすこし、頭を使った方が良い。セイナは相手の攻撃を受け止める時、恐れているのか、力が弱まる。そういう時は、相手の動きをよく見ることから。アルムはまだ幼いせいもあって、自分で棒を振り下ろす時に、つい目を瞑ってしまうから、そこを直さなくては。

 ふと気付けば、それらはすべて、幼かった自分が、父やアバンに言われたことばかり。知らず知らずのうちに、記憶の箱からそれらの言葉を探し出して、子供たちに分け与えている自分が居た。無意識にやっておいて、随分驚いたが、我ながら偉そうなことを言ったものだ。

それからもう一度相手をしてやると、言いつけた部分はちゃんとましになっている。子供は飲み込みが早い。

 そうしてニセット終わったところで、その日の稽古はお終いにした。三セット目を始めると、たぶん、全員終わる前に昼食の時間になってしまう。

「続きは明日、またこの時間だ。わかったな」

言われると、子供たちは元気良く返事をしたが、セイナがふと思い出して、問い掛ける。

「お兄ちゃんは、いつまでこの村にいるの?」

「…実はまだ、決まっていないんだ」

「おうちにかえらなくていいの?」

アルムのその言葉は、至極尤もなものだったが、ヒュンケルとしては、返答に困る。さて、どう返したものか――迷った挙句、ふと見ると、子供たちは三人とも、ひどく心配そうな顔をして、真っ直ぐにこちらを見ている。そういえば自分も子供の頃、こんな目で父を見上げたことがあったかもしれない。そう思った胸の奥に、何か暖かいものがこみ上げてきた。

息をついて、最初の一言を探す。

「実は……オレには、帰る家が無いんだ。赤ん坊の頃に、本当の親とはぐれてしまって、拾ってくれた親も、もういない。だから、今までは世界のあちこちを旅していた」

言うべきことと、言わなくてもいいことを、慎重に選り分けてゆくと、そんな台詞になった。何故、たかが子供相手に、莫迦正直にこんなことを言う気になったのか、それは後になっても分らなかったが、あの眼差しには、答えなくてはいけないような気がした。

 不幸というものに触れたことも無かった子供たちは、目の前の、無愛想だがけっこう優しかった「お兄ちゃん」の持つ、想像を越えた過去に驚き、言葉を失っている。フォローする必要がありそうだが、さて、どう言ったものか。

「……お兄ちゃん、かわいそう」

先に、アルムが呟いた。大きな茶色の瞳に、じわりと涙が滲んでいる。

「だって、本当のお父さんとお母さんも知らなくて、帰るおうちも無いなんて、ひどいよ」

セイナがその言葉に頷いた。無垢な好意が、染みる。ヒュンケルは、ゆるやかにかぶりを振って、ゆっくりと言い放った。

「かわいそうじゃない」

「どういうこと?」

問い返したのは、一番年上のリオ。セイナとアルムは、まだ涙を堪えるのに精一杯の様子だ。

「…確かにオレは、本当の両親の顔も覚えていない。だが、今日お前たちに教えたことの半分は、拾ってくれた父さんから教わったことだ。残りの半分は、マァムも教わった先生から。その二人が、オレを育ててくれて……二人とも本当に良い人で、本当に愛されていたから、不幸じゃないんだ。ずっと長い間、自分は不幸だと思っていたけれど、それは違うと教えてくれた、大事な仲間も居る」

いつの間にか、子供たちの真っ直ぐな瞳は、ヒュンケルの双眸に注がれていた。そこに宿る穏やかな光に、ゆっくりと涙は消えて、代わりに笑みが灯された。

「ヒュンケル兄ちゃん」

そう言ったリオの表情は、すっかり悪ガキのそれに摩り替わっていた。

「兄ちゃんは、マァム姉ちゃんの恋人なんだろ。だったら姉ちゃんと結婚して、ここを家にすればいいじゃないか。そしたらおれたち、ずっと教えてもらえるし、兄ちゃんにも家ができる。今はなくてもいいかもしれないけど、あったっていいだろ」

「ませた口をきくな!」

この話題をふられると、まだまだこうして、つっけんどんに返すしかない。自分の、家――その言葉の響きは、甘やかで愛おしく、とても優しい。よく考えればそれは、彼がマァムに抱く気持ちと、殆ど変わりが無いものだ。いつでも来ていいと言われ、本当に来てしまった場所、そして、いつまでも居ていいと言われる場所――今、ヒュンケルにとってこのネイル村は、すこしは「家」に近い場所であるのは確かだ。

 子供たちのざわめく声が、ヒュンケルを現実に引き戻した。

「マァム姉ちゃんだ!」

リオが歓声をあげた。甲高い口笛の響きと、悪戯っぽい表情とに、マァムが反応する。

「ちょ、ちょっと、貴方たち、何してたの?!さあ、もうお昼なんだから、家に帰りなさい」

「じゃ、おれたちはこれで。じゃましても悪いし」

と、捨て台詞を残して、リオが駆けて行く。セイナとアルムも、挨拶もそこそこに、リオの口笛に合わせながら走っていった。

 気がつけば、村は、昼時の喧騒に包まれていた。その中で、二人だけになった広場は、どのざわめきからもやや遠く、微妙な静けさがたゆたっている。

「本当に、もう……ごめんなさいね、悪戯坊主ばかりで」

「…いや、いいんだ」

苦笑するマァムに、不器用に微笑み返す。風が、柔らかく二人の間を吹き抜けた。

「じゃあ、帰りましょうか。もうすぐお昼だから」

そう言って、マァムは軽やかに歩き出した。

「……そうさ、不幸なんかじゃない」

思わず零れた呟きに、マァムが振り向く。

「何か、言った?」

「何でもない」

ゆるやかにかぶりを振って、ヒュンケルは歩き出した。

 自分がこの先、どうやって生きてどこを家にするのか、そんなことは結局、時の流れに聞いてみなければわからない。ただひとつ、分っていることは、今ここにひとつ、幸福を抱きしめているということ、それだけなのだ。

 

 

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