これはあくまでも、本当に万が一、何かが起こって何も言い残せなかった時のために書いておくもので、今現在、私が何かを不安に感じているとか、理由があってのことではありません。ただ、思いついてしまったから書いているだけ。どんな状況で開封されているのか分りませんが、もし、そこに私が居たら、何事も無かったかのように封を閉じてくれれば嬉しいです。

 

 

花凛へ

 

 改めて思うたびに驚くけれど、貴女一体いつの間に、こんなに大きくなったのかしらね。私はまだ、掌に載ってしまうくらいの大きさだった頃のことも、よく覚えているのに。そうそう、貴女は8ヶ月目の途中で成長が止まってしまって、急遽帝王切開した子なので、最初は本当に小さかったのよ!

 その小さかった子が、一丁前の女の顔をして、将来やりたいことを言い出すなんて、時間の流れって本当に早い。もしかしたら。これを読んでいる頃には、とっくにすべて実現させているかも…多分そうなっているでしょう、貴女のことだから。

 音楽をやりたい、って言い出すのは、多分貴女が2歳くらいの時、お父さんの膝に座って、声の出し方を教わっていた時に、予感したような気はします。厳しい世界よなんて、言うまでもないし、多分お父さんが、嫌っていうくらい言っているだろうから、私は反対しません。

 というよりも、人生懸けてもいい、と言えるものを、貴女が見つけてくれたことを、とても嬉しく思います。親の欲を言えば、いい恋愛をしていずれは結婚もして、孫の顔も見せてねなんてことも、当然先々はありますが(これを書いている段階では、まだ現実にして貰っても困るんだけど)、まずは貴女の信じた通りにやってみればいいと思う。結局、そうやって自分の手で切り拓いた先に見えたものが、貴女がその手で掴めるもの、貴女を活かしていくものだと思います。

 本当のことを言うと、貴女が小さい頃、顔立ちといい性格といい、あんまりお父さんに似た子だったので、どうしようかしらと思ったことが、何度かあります。でも、今思えば、それで良かったとも思うの。お父さんのような、強さを誇示しない、優しい人で居てください。それが貴女に、1番に望むことです。

 でも…神経質で見栄っ張りなところを見ていると、やっぱり私の娘よね、とも思います。その気質と付き合うのはなかなか大変よ、頑張って!

 花凛、前にも話したことがあるけれど、貴女は私の2人目の子供です。1人目の、貴女のきょうだいのことは、生む勇気が持てませんでした。だから私はずっと長い間、本当に自分が幸せになってもいいのか、家庭なんか持つ資格があるのか、悩んでいました。割り切れる種類の悩みではなかったので、お父さんと一緒になってからも、思い出したようにぶり返して、その度に苦しかった。

 そういうことが無くなったのは、貴女が生まれてきてからです。もちろん、最初の子供に対して、申し訳なかった、謝っても謝りきれない、という思いも後悔も、消えずに残ってはいますが、それも含めて、人生を肯定出来るようになった、というのかな。

 貴女が生まれてきてくれて、健やかに生い立っていくことが、それをお父さんと2人で見守り続けることが、私の人生の中で、1番幸せなことでした。

 ありがとう花凛、生まれてきてくれて、そして今まで、私たちの娘で居てくれて。

 貴女の人生が実り多いものであるように、いつも祈っています。

 

母より

 

 

敦司へ

 

 そんなに泣かないで。あなたがこの手紙をどんな状況で開封しているか分らないけれど、多分、私が1番言いたいのはこれだと思う。あなたがこの手紙を、ここまで読んでいるっていうことは、私はもう、この世に居ないのよね。その時期でもないのに、うっかり発見してしまった場合、あなたはきっと、冒頭の言葉だけ読んで、何事も無かったかのように封をして、元の場所に手紙を戻しているだろう、という推測の下に書いているけど…きっとそうよね。

 あなたに言いたいことは、ひとつだけ。あなたと一緒に生きてこられて、私はとても幸せでした。これは例え、事故や事件に巻き込まれて、私が非業の死を遂げていたとしても、病気になって、苦しみ抜いて死んでいったとしても、はたまた最後の瞬間にあなたと大喧嘩をして、離婚届を突きつけて出て行ったとしても、よ。

 今数えてみてびっくりしたんだけど、これを書いている時点で、私は人生のちょうど半分を、あなたと一緒に生きていたことになるのね。というよりも…半分しか無かったんだ、っていうことに、心底驚きました。良いことも悪いこともあったし、前半分も、それはそれでいい時代だったとは思うのよ。だけど、あなたと一緒に居た時間の方が、大切すぎて、そしてあんまりにも身近なものでありすぎて、それが無かった過去のことが、嘘のように遠く思えます。

 本当に――色んなことがあったわね。大半は他愛も無いことだったし、下らない喧嘩も随分したし、愚痴ったり愚痴られたり、不毛な時間も随分あった。だけど、綺麗なものも見たし美味しいものも食べたし、深い話もたくさんしたわよね。

 その後ろに、あなたと居る時間がある、と思えばこそ、曲がりなりにもこの年まで、仕事を続けてこられたんだと思う。そのことに、感謝の言葉もありません。そして、私があなたの、そういう存在であれたことを、とても誇らしく思います。

 そして、何よりも、花凛の両親であれたこと――あなたと過ごした時間、一緒にやったことのすべてが、基本的に「アタリ」だったと思うけど、これが1番の「大当たり」だったわね。苦労もしたし、発狂しそうになったこともあったけれど、過ぎてしまえば楽しかった。私があの子の母親で、あなたが父親で、っていう状況そのものが、愛おしくて仕方がないと思えるの。

 私にとって、たったひとつだけ大切なことは、あなたと生きることだった。でも、そのためにはまず、自分自身がしっかりしていなければいけないし、そう思えば仕事も疎かには出来ないし、2人はいつのまにか3人になるし――ただの「ひとつ」が随分増えちゃったな、と思うけれど、それはそれだけ、私が満たされていた証拠だとも思います。そして、そのすべての根源には、やっぱりあなたが居るのよ。すべてはあなたのおかげです。

 あなたがこれを読んでいる時が何時で、状況がどう変わっているか、今の私には見当もつかないけれど、間違いなく言えるのは、最高の人生をありがとう、ということ。だからそんなに泣かないで。その様子だけは、手に取るように分る。この先何が起こったとしても、私は後悔しないし、幸せだったんだから…そのことだけは、忘れないで。

 気長に待っているから、そんなに急いで追いかけてこないで。あなたの時間を、大切に生きて。

 私の、最愛のあなたへ。

 

桐山佐恵子

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