「眠り」の時間は、長かったのだろうか、それとも短かったのだろうか。ただ待つだけの無為な時間は、恐ろしいほど長く感じられる瞬間と、はっと驚くほど速く過ぎる瞬間を、綯い交ぜにして過ぎていった。

 水晶の洞窟を出て以降、クロコダインたちが「楔」を破壊するまで、ダイたち四人は待っていた。過去に培い、今蘇った力と、新たに手に入れた力、そのすべてを温存して、世界を引き裂いた大いなる悪意にぶつけるため――静かに待っていた。

 その「時」を断ち切ったのは、具体的にはセフィラの一言だったが、天界にたゆたう、厳しいほどに清浄な空気が変わったのは、誰もが分っていた。

「始まりますよ」

急速に張り詰め、不安に揺れ始めた空気の中で、セフィラの声が、静かに響いた。

「そして、恐らく終りになる――そのあとにまた、すべてが始まる。そういう時に、私たちは今、立っています」

予言に似た、謳うようなその調子は、まるでそれ自体で、伝説を織り上げているようにも聞こえる。だが実際には、何もかもを終らせるのも、始めるのも、ここに居る四人の使徒が成さねばならない。

 「セフィラ、おれたちは、どこへ行けばいいんだ?」

ダイの問いかけに、セフィラはその白い手を差し伸べて、指先で空間をなぞって見せた。その軌跡が、淡く白い線になって浮かび上がる。

「時の狭間へ――この世界の開闢から、溜まり続けた歪みが蓄積している場所へ、です」

やがて白い線に囲われた空間がたわみ、色をなくしてゆく。それがどうやら、入り口らしかった。

 ダイは、きりりと引き締まった表情で、仲間たちを振り返った。

「行こう」

きっぱりと短い言葉の中に、この事態を背負う、彼の覚悟のすべてがある。それは、二年前のあの時と変わらず、時に痛々しいほど清冽で、優しい。

「ああ。カタをつけてこような」

それを受け止めるのは、無論ポップの役目だ。そして、張り詰めすぎた空気を絶妙に和らげるのも。

「そういやあ、こうやってパーティで戦うのって、いつ以来だ?随分久しぶりだよなぁ。最後のバーンパレスの時なんて、色々とおめえに任せっ放しだったし、誰かさんは途中でリタイアしちまったしよ」

無論そんな混ぜ返しを真に受けるヒュンケルではなく、そこはさらりと流された。だが、パーティバトルが久しぶりなのは、本当だ。

「せいぜいあてにさせて貰うからな」

口先ではそんなことを言いつつ、ヒュンケルの全身には、既にふてぶてしいほどの気迫が漲っている。そしてマァムも、穏やかさの中に凛とした強さを秘めて、微笑んだ。

「そうね。そうやって戦うことが、私たちの一番の強みだったものね」

互いが互いを補い、高めあってひとつの敵に向かうこと――それはもしかしたら「そうありたかった、二年前」の再現なのかもしれない。ポップは、ゆくりもなく、そう思った。二年前、自分たちの背中を蹴って天に昇った勇者は、空高く消えて帰らなかった。あの時の、足元から世界が崩れてゆくような無力感を、二度と味わいたくは無い。誰にも味わわせはしない。自然と、思いはそちらへ向かってゆく。

 旅立つ前に、ポップはひとつ、思い切り力を込めて、ダイの背を叩いた。

「一緒に行こうな。んで、一緒に帰ろうぜ」

その思うところは、ダイにも過不足なく伝わったようだ。多少大人びようと、随分背が伸びようと、これだけは変わることの無い澄んだ瞳が、穢れの無い笑みに輝く。

「ああ。今度は、一緒に帰ろう。だから、その前に、行かなきゃ」

その一言を潮に、四人は等しく、セフィラの手元の、歪んだ空間を見つめた。

 空間の歪みは、やがて大きく捻じ曲げられて、ひとつの扉を開く。そこを潜り抜けた先には、見たことの無い世界が広がっていた。

 何が、あるわけでもない。だが、何も無い、というのとは、絶対的に違う。あまりにも多くのものが混ざり合い、溶け合って、混在している空間。何色とも言い難い。何かで濃密に満たされているのに、足元には何も無い。かといってそれは、浮いている感覚でもなく、無論沈みもしない。混沌、という言葉だけが、ただ似つかわしかった。

「…おっそろしい所に来ちまったな。昔、初めて死の大地に行った時も、同じこと思ったけどよ、これに比べたら、可愛いもんだったぜ。すくなくとも、何があったかは分ったからな」

ポップの呟きが、四人の心を代弁する。だが、うち二人には、差し当たってより切羽詰った問題があるらしい。

「それはそうだけど、ポップ、貴方ここで、どうやって姿勢を制御しているの?ダイも」

そう尋ねたマァムの足元は、覚束なく揺れている。踏みしめる大地が無い状況というのが、彼女にとって初めてなのだから、当然だろう。同じくヒュンケルも、マァムに比べればややマシだが、姿勢にいつもの安定を欠いている。

「あ、そっか、お前らはなー…トベルーラの要領なんだけど、わかるわけねぇか」

ポップが頭を掻くと、ダイが浅く笑った。

「身体の真ん中に、しっかり重心を置いて。あとは自然体にしていれば動ける筈だから」

そして――その語尾が、鋭い緊張感に震える。

「みんな!何かが来る!」

その言葉とともに、ダイは佩剣の鞘を払い、ヒュンケルも槍を引き抜いた。身構えて見つめる、その空間が悲鳴を上げる。耳をつんざく、呻きに似た声とともに、目の前の何かが形を変え始めた。

 それを、何と呼んだらいいのか、四人は等しく、言葉を失った。混沌の色が凝り固まって生まれる、醜悪な肉塊。そこから伸びる無数の手足、あるいは触手のようなもの。目にも見える幾つもの光。牙を生やした口のようなものも、幾つも見える。それは、彼らが今まで対峙してきた、どの敵とも違うものだった。生き物としての体を成していないもの。そうとしか言いようが無い。

 未知の敵を前にして、四人は動きを失った。あまりに想像の範疇を超えた魔神がどのように動くのか、見当もつかなかったからだ。まずはいつでも防御出来る態勢を整えて、出方を伺うか――そう思った瞬間、魔神の幾つもの口が一斉に咆哮を上げた。

 そして、その口のひとつから、光の塊が吐き出される。それは矢の速さで四人に襲い掛かった。

 誰が、何をするよりも速く、ヒュンケルが前に出た。腕に仕込んだ楯を中心に、銀色に輝く光の壁が浮かび上がって、攻撃を受け止める。その姿勢には、既に先ほどまでの揺らぎなど、欠片ほども見られない。

 ぶつかりあった光は、しばらくせめぎ合い、やがて、楯の方が勝った。弾き返した瞬間に、銀の光も霧散する。受け止めた勢いの凄まじさに、ヒュンケルが一歩後ずさるのを、ポップが受け止めた。

「流石に、慣れるのは早えよな。そうこなくっちゃ」

口先は軽く滑りながらも、ポップは頭を動かしていた。敵の大きさは、今まで挑んだ中でもかなりのもの。鬼岩城とは言わないが、それ以外の中では間違いなく、最も巨大だ。その敵に、どう挑めばいいのか。

 相手が次の動きをする前に、考えを纏める。決めたら迷わない。ポップは仲間たちの顔を見回した。

「そんじゃあ、まずは、ダイ。おめえがこの二年間で蓄えた力を、見せて貰おうか。おれはこの位置から援護する。マァムは、ひとまずあいつが生命体かどうかを確かめてくれ。ヒュンケルは、前線のサポート。防御を頼む」

結局のところ、すべきなのは敵の全貌を暴くことだ。そのためには、最も強い力をぶつけるのが、何よりも効果を成す。それにマァムは、相手が生物か非生物かでまったく戦法を変えなければならないので、その確認が第一。自分は遠距離からサポートしつつ、更に情報を集めればいいし、ヒュンケルはひとまず、オーブの力で相手の攻撃を受け止められることが分ったのだから、防御は一手に担って貰おう。

 ひとまずこれは第一の局面。いずれ次に進むこともあるだろうが、先ばかり見ても仕方ない。

「出たとこ勝負は、いつものこったな」

「そういうことだ」

ポップとヒュンケルの間で、鋭く短い笑みが交わされる。ダイとマァムも頷いた。

 誰が、何を合図するよりも速く、ダイの拳に、双竜紋が灯る。ポップたちも、見極めねばならない。ダイの力が、この二年でどれほど伸びたかを。まだ誰も、そのひとひらなりと、見てはいないのだから。

 最初、その飛び出しの速さは、誰にとっても予想の範囲内だった。この二年で身長が伸び、身体能力が増した分だけは、速くなる。それ以上のものではなかった。

 その飛び込みに対して、魔神の触手が伸びる。翻った刃が、それを斬り払った。鮮やかな反応だ。すこしずつ、無理なく、すべてが加速してゆく。

 だが、そうして魔神の本体に取り付こうとした時だった。先ほど払った筈の触手が再生し、背後からダイに襲い掛かった。複数の触手が、ダイを絡め取る。ポップが呪文で援護しようとしたが、一瞬遅れてしまった。

 ヒュンケルとマァムが、ダイの側に行こうとした。その時だった。一瞬、何かが光るのが見えた。黄金色の光――ドラゴニックオーラ。そして、誰かが詳細を確認するよりも先に、その光が弾けた。瞬間的とはいえ、目の眩むような光。それでも必死に目を凝らすと、その中央にダイが居て、両の拳にあった筈の紋章は、いつの間にかその額に輝いていた。それも、バーンとの最終決戦でのような、異様な姿ではない。一番最初にそうあったように――紋章の姿を保ったままで、あったのだ。けれども、その眩さと、感じる圧力と言ったら、かつての比ではなかった。そして、その圧倒的な黄金の光は、そのまま魔神本体に取り付き、深々と刃を突き立てた。最初の一撃は、ブレイクタイプのアバンストラッシュ。抉れた肉塊から、大量の血か体液が溢れ出す。そこに次の一撃を合わせるべきだったのだろうが、三人とも、思わず呆気に取られてしまった。

 そして気がつけばダイは、再び紋章を両の拳に戻して、軽やかに動き回っている。それが、この二年間で身につけた、新しい力。

「…負けてらんねえ」

半ば放心したようになりながら、ポップが呟く。あの巨大過ぎる力を使いこなすべく、費やされた時間には及ばないかもしれないが、彼らには彼らの二年間があり、それが決して無駄ではなかったと、証明したい。その想いが、言葉の後ろから溢れて、迸りかけている。

「そうね。今度は絶対に、次の一撃を繋げないと」

その想いを汲み取って、今度はマァムが頷く。

 けれども、動き出したのは、誰よりも先に、ヒュンケルだった。つい先ほど、初めて放り込まれたばかりの空間で、既に自由自在の動きを見せているセンスと身体の制御能力は、流石と言うよりほかは無い。殺到する触手を斬り払い、無駄の無い動きで本体に取り付くと、至近距離から必殺の一撃を繰り出す。二年ぶりの、ブラッディースクライド。敵の力を見極めるには、まず己の全力をぶつけてみるという、大胆な合理性――それはかつて、大魔王バーンが指摘したダイの美点だったが、どうやら今、ヒュンケルも同じことをしている。

 荒々しく抉れた傷跡に、今度は炎の嵐が吹き込む。ポップのメラゾーマだ。それも連発。この程度であれば、オーブの力が無くても可能ではあるが、オーブのお蔭で、より速く、それこそバーン並の強さで、魔法力を凝縮することが出来る。

 そして、まだ炎の消えないうちに、今度は真っ白な光が炸裂する。マァムの閃華裂光拳だ。インパクトは最高、深く入った。が――光が消えた瞬間に、全員が理解する。魔神に与えることが出来た傷は、拳の一撃程度でしかない。そして、その傷も、ポップとヒュンケルがつけた傷も、見る間に塞がっていく。つまり、敵は生命体ではない。

 そして、どうやらもうひとつ、彼らは知ることになる。

「ドラゴニックオーラも関係無しかよ…どんだけ再生能力があるんだ、こいつは」

そう、ポップの呟きがすべてだった。この調子であれば、互角以上に渡り合うことは、決して不可能ではない。だが、この魔神にダメージを与える方法が、無い。

 加えて厄介なのは、この、どうやら生命体ではないらしい敵には、もちろんというべきか、感情とか感覚とかいうものが、今のところ感じられないことだ。これまで戦ったモンスターは、少なくとも敵意や殺気を放ったり、苦痛を見せたりしたものだ。捉えどころが無く、もし仮にダメージを与えることに成功しても、それがダメージだと気づけないかもしれない。

 四人が、事態の意外な困難に気付き始めた、その時だった。

 魔神は無数の口から次々に咆哮を上げ、次いで光の弾丸を無数に吐き出した。ヒュンケルが前に出て、光の楯を作る。それが破られることは無かったが、次々と繰り出される弾丸の圧力に、崩されそうになる。

 その背中に、マァムが手を添えた。

「負けちゃ駄目よ」

きっぱりとした、迷いの無い声。

「助かる」

短い返しには、全幅の信頼が込められていた。そのやり取りは、恋人同士のものではなく、戦友としてのそれだとしても――絆の強さが、感じ取れる。

「おーお、熱い熱い」

それを受け止めるのは無論ポップの役割で、その両腕のオーブには、既に魔法力の燐光が灯っている。

「ヒュンケル、合図をしたら、その楯を消してくれ。一発デカイのがいくから、光弾はそれで消し飛ぶ筈だ。そしたら、後は頼むぜ」

両腕が、光の弓と矢を形作る。確かにこの呪文、メドローアならば、立ちはだかるすべてを掻き消すことが出来る。

「何事も無きゃあ、こいつで魔神の肉体を貫通出来る筈なんだ。どうせすぐに再生しちまうだろうが、内側に何があるかは、全員ちゃんと見てきてくれよ」

大魔道士の決断には、一切の無駄が無い。改めてそのことを確かめると、仲間たちは代わる代わるに頷いた。

「分った、任せてくれ」

そして最後を、ダイが締め括る。

 ポップは魔神を真っ直ぐに見据えた。その醜悪な身体の、おおよそ中央と思われる辺り。常道に則って、狙うのはそこだ。光弾の嵐の向こう側に、その位置を狙い澄ます。

「ヒュンケル!」

そして、これと思った瞬間には、もう叫んでいた。ヒュンケルが、軽く横に身を翻す。ほぼ同時に、光の矢が解き放たれた。その後を、ダイ、マァム、ヒュンケルが追いかける。

 メドローアの閃光が、魔神に穿った、一瞬の空隙――急速に再生する、何色とも言い難い色の肉が、抉られ、隆起し、蠢くその狭間に、見つけたのはダイだった。

 吐き気をもよおす色の混ざり合いの中で、ただひとつ、澄み切った色――拍動する、水晶色の球体。

「あった!」

鋭い叫び。だが、その発見が、ダイの動きを一瞬止めた。魔神の肉体は、あっという間に球体を覆い隠して再生する。ダイを包み込む。

「危ねえ!」

一足先に、ルーラで飛び出ていたポップが叫んだ。だが、引き返そうとしてももう遅い。ダイの姿は、混沌の色をした肉塊の中に消えてしまった。

 飛び込んだのは、マァムだった。再生したばかりの魔神に両手を当てて、軽く気合を込める。するとその皮膚が内側から弾けて、ダイが姿を現した。武神流の技のひとつで、水竜波動拳という。インパクトの位置から離れた場所で炸裂するのは土竜昇破拳と同じだが、闘気を送り込んでコントロールする技だ。

 ぼん、と鈍い音がして、肉塊が弾け、腐った様な色の体液が飛び散る。

「助かったよ、マァム。ありがとう」

そして、その中からダイが現れた。その額には紋章が輝いていたが、あっという間にその場所からは消えて、両の拳に戻る。

「こんなところで、オーラを無駄使いしちゃ駄目よ」

一旦魔神の側を離脱する際に、マァムはそう言って、ぽんとダイの背中を叩いた。

 そしてもう一度、全員が集まる。

「水晶色の、核があった。きっとあれが、魔神の心臓なんだと思う」

心臓、という言葉が正しいかどうかは分らないが、ダイに選べる言葉はそれしかなかった。とにかく、言わんとしていることは伝わるのだから。

「そんじゃ、とにかくあの肉体を貫いて、露出した核にダメージを与えるこったな…」

言いながら、ポップは考えた。メドローアが撃てるのは、その他に一切の呪文を使わないとしても、あと二回だろう。それ以上の破壊力を持つものとして、ドルオーラなら一発。準じるものとして、グランドクルスなら二発は撃てるだろうか。魔神の身体を突き破ることそれ自体は、決して大きな困難ではないが、あの再生能力は脅威だ。

 さてどうしようと、考えようとしたその時だった。身体の横を、風が流れる。ヒュンケルだった。何をと、尋ねるまでもない。魔神の表面に取り付き、攻撃を仕掛ける。すると、今まで口を開けていた場所だけではなく、ありとあらゆるところから、無秩序に口が開き、破壊光や炎を吐き出し、触手が伸びてヒュンケルを絡め取ろうとする。

 最初の数十秒は、まだしも本体への攻撃にかかれていたものが、やがて降りかかる火の粉を払うだけに血眼になり、次第にそれすらもままならなくなる――その寸前に、他の三人が動いた。まずはマァムが飛燕裂空拳で触手を払い、ポップの援護でダイが本体に取り付く。

一応の、攻撃の形が出来た瞬間。踏みしめていた足元が、大きく波打つ。そして、魔神の体表が捲れ上がり、全方向から四人を包み込んだ。息をつく暇も無い。そして、視界がすべて塞がった瞬間には、閃光が弾けた。

 要するに、魔神は己の肉体の一部を切り離して、群がる敵ごと自爆したのだ。

「あんだけの再生能力があれば、尻尾くらいは切り放題だって言うのかよ。おっそろしい奴だぜ」

眩すぎた光に、今だ回復しない視界を労わりながら、ポップは魔神を見据えた。徐々に見えてくるその醜悪な姿には、傷らしい傷など見受けられない。

「で、要するに、まだあいつの全貌なんて、わかっちゃいねえってことだよな。ったく、教え方が荒っぽすぎるんだよ、おめえは、いつも!」

ポップにそう言われたヒュンケルだが、流石に憎まれ口を返す余裕は無い。先程の爆発から皆を守るために、楯のパワーを最大限にして、バリアを作っていた。ダイのドラゴニックオーラと合わせて、破壊力のすべてを受け止め、耐え切れなくなって降り注いだ光を、浴びてしまっている。ダメージが大きく、立っているのがやっと、という状態だ。それはダイも大差無いし、ポップとマァムも無傷では済まなかった。

 そして、彼らがそうしている間に、魔神は次の動きに出た。これまで、主に攻められたら反応する、という具合だったものが、とうとう自ら動き出したのである。本体ごと接近してきて、触手を伸ばしてくる。

「ポップ、前に出て!」

マァムが、鋭く叫んだ。まずは、ダイとヒュンケルの回復だ。そうしなければ、再度の攻勢など覚束ない。

「おっしゃ、任せた!」

そんなこと、やりたくないと言っても前に出るしかない。息つく暇も無く襲い掛かる触手を、ギラの閃光で打ち払う。

 その間に、マァムはオーブの光を増幅させる。古の大回復呪文ベホマズン。だが、他の回復羽呪文と同じで、一瞬で全回復には至らない。

「ポップ、頑張って!」

叫んでしまったのは、状況が切羽詰っているのを、肌で感じたからだ。その肩を、触手の一本が撃ち抜く。

 どうやらそこが限界点だった。崩折れたマァムに、更に襲いかかろうとする触手を、ヒュンケルの槍が打ち払う。魔神本体には、ライデインの雷が降り注いだ。

「マァム、回復を続けるんだ!」

癒えない傷を引きずったまま、前に出るダイがそう言った。確かにオーブの光は、通常の回復呪文のように、直に手で触れていなければいけない、というわけではない。だから、立ち続ける限りは、回復を続けることが出来る。

「分ったわ、お願いね」

きっぱりと、マァムは返した。先程のダメージで、右の腕が上がらない。その状況では、武闘家としての戦力は半減以下。ならば、前に出るよりここに居た方が、パーティの力になれる。

 ならばせめて、仲間たちの姿は見続けよう。そう自分に言い聞かせて前を向く、マァムのその視界に、魔神の姿が映る。何の形とも言い難かった、醜悪な肉塊――それが、ぱっくりと二つに割れて、大きな口を開ける。何か、途轍もなく恐ろしいことが起こる、それは既に予感ではなく、不穏に震える空気が伝える、至近の未来だ。

 前に出ていた三人は、間違えなかった。今更防御に回っても、防ぎきれるかどうか分らない。後ろに居るマァムまで守りきれない。ならば、それぞれが持てる最高の力を、瞬間で爆発させて、来るであろう何かと相殺するまでだ。言葉は無い。一瞬、見交わした視線だけで、すべてを申し合わせる。

 ドルオーラ、メドローア、グランドクルス――三つの光と、魔神が吐き出した巨大な破壊光。それがぶつかり合って、空間まで灼き尽くそうかという、巨大な熱が生まれた。その熱波と、あまりにも大きなエネルギーが、互いを打ち消しあった余波。ただ息を吸い、吐き出すだけで、身体の内側が焼け付くように感じる。表に感じる熱は、既に理解出来ない。

 だが、それでも三人は止まらなかった。ベホマズンの力が、まだ自分たちに効いているという事実も彼らを強くしたかもしれないが、それ以上に、そこに勝機を見出していた。

 焼き尽くされて白く染まった空間を抜けると、そこには魔神の姿があり、魔神もまた、先程のあまりに巨大すぎるエネルギーにダメージを受け、かつ戸惑っている様子が伺えた。

「ポップ、援護を頼む。十秒でいい!」

最初に切り込んだのは、ヒュンケルだ。魔神の口に飛び込み、見事な波状攻撃で、次々に傷を穿っていく。それに合わせて、ポップはイオラの雨を降らせた。

 そして、ダイ――十秒という言葉の意味は、ちゃんと分っている。自分に出来る最大の攻撃をしろと、ヒュンケルは言ったのだ。剣にライデインの雷を灯すと、鞘に収める。そして、焦らずに十秒、与えられた時間を数える。

 ヒュンケルとポップが状況を動かしたのは、九秒目だ。

「ポップ、離脱するぞ!」

合図をしたのはヒュンケルから。最後の一撃は、当然、ブラッディースクライド。そこにポップが合わせたのは、ごく最近習得した新しい呪文、ベギラゴンだ。魔族以外でこれを使えるのは、大魔道士を名乗る二人、ポップとマトリフ以外にない。

 抉れた傷に閃熱が降り注ぎ、焼け爛れる。それが、きっかり十秒の瞬間だった。

「いっけえええ、ダイ!」

ポップは叫んでいた。

 鞘を払われた剣には、雷とドラゴニックオーラ、二つの光が宿って輝いている。その光は一筋の流星になって、魔神の口に飛び込んでゆく。目指したのは、ヒュンケルとポップが穿ってくれた、まだ癒えない傷。アバンストラッシュの鋭さと、ギガブレイクの重み――その二つを合わせて、ぶつける。ギガストラッシュの刃は、深々と魔神に食い込み、その肉体を斬り裂いた。

 一刀両断――醜悪な色の肉塊が、真っ二つに裂ける。

 その瞬間に、今度は最後の一人が動いた。マァムだ。狙いを定めたのは、二つのうち上側の塊。ダイが刃を返した瞬間には、もう取り付いていた。ここで繰り出すべき一撃は、彼女が持つ最強の一撃、武神流猛虎破砕拳。肉塊に、幾つもの亀裂が入る。そのひとつから、澄んだ光が零れた。

 ダイは、その色を見逃さなかった。ついさっき、この目で見た、脈打つ水晶色の核。返したばかりの刃を、そこに突き立てる。最初に、外殻の割れる硬い感触。次いで何か、どろりとした感触――それが何であるかを悟るよりも、嫌な予感が背筋を撫で斬りにする方が早かった。

 「危ねえっ!」

叫んだのは、ポップだった。何か大きなエネルギーが迸る、半瞬だけ前。そして、いざその塊が弾けた瞬間を、ポップはすこし離れた位置で、呆然と見ていた。その腕にはダイを抱えていて、つい今しがた、ルーラで飛びすさったところだ。

 殻を破られた巨大なエネルギーの塊が渦を巻き、空間を歪めて、また新しい形を作る。崩されずに残っていた、魔神の片割れ――あの醜い色の肉塊が、新たな熱に負けて、どろどろと崩れてゆく。

「なあ、ダイ。どうやらおれたちは、とんでもねえもののフタを、開けちまったらしいな」

目の前で起こるすべてを見極めようと、それでも真っ直ぐに前を見ながら、ポップは呆然と呟いた。この感触には、覚えがある。大魔王バーンが、最盛期の肉体を取り戻した、あの天が震えるような感覚。それに近いことが、目の前で起こっている。流石に、黙って耐えるには重過ぎた。

 一方のダイは、しばらく強張った表情で、エネルギーの渦を見ていたが、やがて、額を伝って落ちる冷や汗を拭った。

「この空間の外から、どんどんエネルギーが流れ込んでくる――さっきまでとは、比べ物にならないような大きさだ」

それだけ言って、ダイはポップの腕を振り解いた。

「なあ、ポップ――おれ、もしかしてみんなを、とんでもないことに巻き込んじゃったんじゃないかな」

その面には、明らかな迷いの影があった。自分が何も言わなければ、この事態は起こらなかった、という自責の念も見て取れる。そんな時、ポップに出来ることは、ひとつしか無い。軽く、でも大きな力を込めて、ダイの背を叩く。

「言っただろ。これは、この世界の未来のための戦いだって。そのことを、おれは一度も後悔してねえし、ヒュンケルやマァム、姫さんや先生だって一緒だぜ。いつか、誰かがやらなきゃいけないことを、たまたまおれたちがやっただけだ。そんなに背負い込むなって…」

そこまで言った時、急に鼻の奥がツンとして、涙がこみ上げてきた。それを、慌てて飲み込む。思い出したのだ。二年前のあの戦いの時、強大な敵を前にして、結局はいつも、勇者の一太刀に頼ってしまったことを。それは、勝利のためのやむをえない作戦だったにしても、いつのまにか、あまりに多くをダイに背負わせてしまった。

「おめえも強くなったけど、おれたちだって、負けちゃいないんだぜ。だからさ、おめえの荷物も、ちょっとは寄越せや。半分は無理でも、すこしでもいいからさ」

そして照れ隠しに、思い切り強く、ダイの背を叩く。

「おれたちは、それで嬉しいんだからさ」

ダイは、数秒の間、何も言わずに表情を決めあぐねていた。けれども、すぐに振り返って、いつかのような、透き通った笑みを浮かべる。

「頼んだよ、ポップ」

 

 その頃、地上には大きな異変が起きていた。降下してきたモンスターたちが、次々と消滅していったのだ。無論それは、必死の防戦を続けていた人々には、喜ばしいことには違いない。実際、勇者の勝利を予想して、叫びを上げた者さえあった。

 だが、ほどなくして、誰もが気付くことになる。本当に勇者が勝利したのなら、この禍々しい空の色は、何故晴れないのだろう。いつまでも不穏に張り詰めるこの空気は、いつになったら和らぐのだろう、と。

 「邪悪な気配はまだ消えていません。確かに、今、この地上には存在していませんが、何処か近くで――巨大なエネルギーになっています」

消えたモンスターの行方を、地上で唯一察知出来るのは、他でもない、メルルだ。テランの総司令部を預かるアバンは、各地の被害状況を取りまとめ、支援の手配をしていたが、メルルのその言葉に、うそ寒いような顔をして頷いた。

「そうでしょうね。恐らく、ダイ君たちと、魔神の戦いが、最終局面に入っている。その気配までは、分りませんか」

無茶を承知の問いだった。いかにメルルの力を以ってしても、この世界の境界を超えた向こう側まで、見通すことは出来ない。ただ彼女は、消えたエネルギーの行方を、朧に掴んでいるに過ぎないのだ。誰しも、己の力だけで、完璧に望むものを手にすることは難しい。

 メルルの表情が曇るのを見て、アバンは微笑んだ。

「無理を言ってすみませんでした。ですが、逆に言うなら、彼らは事態を、最終局面まで勧めることが出来たんですよね。ですから、あとは、信じて待ちましょう。最善を尽くして」

メルルは頷き、小さな掌を組んで、目を閉じた。今の彼女に出来ることはと言えば、アバンの言う通り、信じて待つしか無い。無論、その気になれば、ポップに声くらいは届けられるのかもしれないが、それは恐らく、何の助けにもならないだろう。だとしたら祈るしかない。例えそれが、自分のための気休めにしかならないとしても。


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