暗色に染まった空から、遠雷が聞こえる。何事も無くても不穏な気配を感じる天候だが、今はそれ以上に、空気に満ちた異常な緊張感が、程なくして起こることを告げている。

「いよいよ始まるのね」

パプニカ女王レオナは、張り詰めた険しい表情を浮かべて、呟いた。

 

 ダイたちからオーブを手に入れたとの報告を受けて、世界が厳戒態勢に入ってから、既に一週間が経っていた。モンスターが何処に落下するか知れないという事情から、事前の防衛計画にはかなりの混乱が付きまとったのだが、最終的には、拠点を作って人々を避難させ、各非難所には、アバンやレオナら数少ない使い手たちの手で、破邪呪文を施すことにした。各国の防衛は、それぞれの国の騎士団や戦士団が中心になって行うほか、テランに総司令部を置いて、ルーラの使える者を中心に援軍を待機させ、要請があった場合や、メルルの能力で落下地点を割り出した場合に派遣する、ということになった。カールをフローラが預かり、アバンは総司令部を統括する。

 最大の問題は、終りが見えないことではないか、とレオナは思っている。恐らくダイたちは今頃、世界を引き裂いた大いなる悪意との戦いに赴いたところに違いない。体力魔法力の問題もあるから、まさかそのまま、何日も戦い続けたりはしない筈だ。だが、それにしても、モンスターの落下がいつ起こり、いつになったら終るのかは、まったくダイたち次第なのだ。地上の者たちには、ただ攻撃を受けて、防ぐだけのことしか出来ない。

 それは、かつて魔王軍の侵攻を受けた時と同じ条件なのだが、そこにはまだ、こちらから攻撃に転じる、という選択肢もあった。今回はそれすら無いのだ。主導権を持たない戦いは、精神的にも消耗が大きいし、先が見えないので戦術を立て難い。長丁場になった時、どうやって休息を取ればいいかすら、自分たちには決定権が無いのだ。

 だが、それでも、やるしか無い。理由はふたつある。ひとつは、ダイと約束したからだ。ここで地上を守って、一緒に闘うと。それともうひとつ。誰と何を約束しなくても、彼女はパプニカの女王であり、民に対して責任を負うのだから。

 「女王様!」

廊下から、やや金属質な高い声が届く。エイミだ。

「第一陣が、港付近に落下しました。今、姉さんとアポロが向かっています」

パプニカの防衛の要となるのは、無論だが三賢者を筆頭とする賢者たちだ。攻守に回復とオールマイティな反面、無論だが体力は弱いし、爆発的な破壊力も無い。それは、かつて不死騎団との戦いで敗因となったのだが、今回は果たして、吉と出るか、凶と出るか。

 けれどもレオナは、そこで思考を振り払った。今、ここで自分が案じても、事態は何も改善しないのだから。

「わかったわ。エイミは次の襲来に備えてここで待機。あたしもすこし、様子が見えるところに出るから」

そう言うと、果敢な女王はもう一度、顔を上げて、暗色の空に目を遣った。そこには、黒い無数の点が散らばっている。それがすべて、倒すべき敵なのだった。

 

 「…なんて気味の悪い奴らなんだ」

倒すべき敵を前にして、ノヴァの口から最初に出たのは、そんな言葉だった。彼は、祖国リンガイアを父であるバウスン将軍と戦士団に任せて、復興の道半ばにある、オーザムに来ていた。過酷な気候条件と貧しい国土に加え、氷炎魔団の徹底的な攻撃の爪痕が深く、この国にはまだ、真っ当な軍隊らしきものが存在していない。つまりノヴァは、殆ど一人でこの北の地を守ることになるわけだが、そのこと事態に怖気付くような北の勇者ではない。

 彼が恐れたのは、もっと別の、言ってみれば単純なことだった。地上に生きる怪物たちにも、魔界からやってきた怪物たちにも、それぞれにあった「生き物らしい形」というものが、今回の魔物には無いのである。手や足、頭といった五体の区別であるとか、その他の動物に対する何らかの類似点、そうでなければ、怒りや敵意という、感情を読み取れる何らかの手段。これまで彼が対峙してきた怪物たちには、必ずあったそれらのものが、一切無いのである。

 まるで、闇の中に蠢く悪意から、そのまま吐き出された塊のような、醜悪な「モノ」たち。それが、集団で自分に向かってくる姿には、流石のノヴァも、言い知れない嫌悪感を感じた。

 だがそれは、彼らが癒そうと試みた、大地の根深い傷の歪みを、最も如実に表しているのかもしれない。

「怯んでいる場合じゃ、ないってことさ!」

自分に言い聞かせるように、ノヴァは鋭く叫んで、凍てついた大地を蹴った。最初の一撃は、彼の最大の技である、ノーザン・グランブレードだ。白く輝くオーラの刃が、蠢く闇を一掃する。一匹なら、或いは一群であれば、ノヴァ一人でも、決して無理な数ではない。無論ノヴァの中にも「次は何処に、どのくらいが来るのか」「一体いつまで続くのか」という不安は絶えずあるが、案じても仕方ないことは考えないと、心に決めた。

 雑念を捨て、手に叩き込んだ技術だけを信じて、一挙手一投足に、己のすべてを投げかける――それは、ロン・ベルクに付いて学んだこの二年間で、何度も繰り返し、師の口から聞いた言葉だった。差し向かうものが何であれ、それがノヴァの、ことに向かう姿勢になった。

「だから、地上は任せてくれ、ダイ」

自らを鼓舞する意味も込めて、北の勇者はそう呟くと、人々の居る避難所の辺りを見回るために、踵を返した。

 

 カール王国には、まだ具体的な被害の報告は入っていない。けれども、留守を預かる女王フローラは、それが、良くも悪くも無い、ただの現実だということを、よく弁えている。良かったと言えるのは、すべてが終り、もうこれ以上の攻撃を受けることが無くなった時に、犠牲者が出ていなかったら、だ。そしてそれは、殆ど夢物語のような、困難な目標なのである。

「引き続き、警戒を怠らないで。でも、攻撃が無い時は、必ず交代で休息を取るように。長丁場になるかもしれないから」

きっぱりとした口調ながら、同時に優しくもあるのは、いかにもフローラらしい心配りだ。

「いざという時には、どこまでもジタバタしないといけないから。だから、それまでは、無駄な力を使いすぎないことよ。そうでしょう――」

半ば自分に言い聞かせるように呟いて、フローラは想いの半分だけを、窓の外に飛ばした。すべてを投げ出すことは出来ない。彼女は、守るべき国と民を持つ、女王なのだから。けれども、残りの半分だけは、どうしても届けたいと願っている。彼女に「ジタバタ」の仕方を教えてくれた、勇者の下へ。

 

 テランの総司令部へは、刻々と、世界各地の戦況が報告されてくる。その一方で、メルルが敵の動きを察知し、すべての情報はアバンへと集約される。その上で、世界の戦力配置を逐一見直し、防衛の総指揮を執るのがアバンの役割である。

「ベンガーナの南、5648に百匹以上の大部隊が降下します」

静かな声で、メルルが言い放った。細やかに研ぎ澄まされた彼女の神経の網は、今、世界中を覆っていると言ってよい。それは決して楽なことではないのだが、自ら申し出て、引き下がらなかった。

「私には、武器を持って戦う力はありません。でも、武器を持つ方々とは違う力があります。その力は、こういう時に使うために、持っているんですよね?」

そう問いかけた彼女の、誇らしげで静かな笑顔を、アバンは忘れもしない。

「ベンガーナ王に連絡を。その位置なら、首都から援軍が出せる筈です」

けれども今は、感慨に浸るべき時ではない。アバンは目の前に広げた地図で敵の位置とベンガーナ軍の配置を確認すると、伝令を飛ばした。

 この伝令に対して、ベンガーナ王は拒否権を持たない。いや、ベンガーナに限らず、どの王も、将軍も同じことだ。そうでないと、せっかくの総司令部が機能しないのだから。

 実を言うとアバンは、各国の王たちとのサミットの席で、総司令の地位を一度、拒否している。自分ではなくて、フローラがやればいいと。けれども、この役割にはアバンの頭脳が最も適していると、誰もが口を揃え、地上防衛のための協力を申し出た。大義のためにエゴを捨てて、指揮系統をひとつに纏める、と。

 それは、二年前のあの戦いを通して、ダイが地上に残した、確かな足跡であると、アバンは思う。本来的に、人間は自分よりも高い能力を持った者を恐れたり、妬んだりする。であればこそ、かつてバランはアルキードを追われたのだし、アバン自身、一度はフローラと結ばれることを諦めた。トップに必要なのは、高すぎない能力と、何よりも人望である。それは今でもアバンの持論であるし、たった二年間で、人間という種全体が、大きな革新を遂げただなどとは思えない。

 けれども、人々はまだ、真新しい記憶として、覚えているのだ。勇者の下に一丸となって、世界を守ったあの戦いを。その結果として、勇者を犠牲にしてしまった自責の念を。その過ちを二度と繰り返すまいと、あの日に成した誓いを。

 それは、いつかは薄れて、決して長くは受け継がれない想いであるかもしれない。人間は、あらゆることを容易に忘れる。けれども、今、この段階において、決してゼロになっていなかったその軌跡は、確かに、彼の愛弟子が描いたものだ。

 そこまでで、アバンは軽く溜息をつき、もう一度地図に目を落とした。戦闘開始から既に一時間。地図の上には、今現在の味方の配置が、チェスの駒に似た目印で示されているが、このうちの幾つかは、もしかしたら既に、戦闘が終っているかもしれない。状況を把握し直した方が良さそうだ。

 そう、思った瞬間だった。

「アバン様、次が来ます!」

メルルの甲高い声が、振り向くと、その白い面は血の気を失い、細かく震える唇が、その先の言葉を紡ぐ。

「場所は、ロモスとパプニカ、そして、ここです…」

数はどうなのか。規模は。言葉にならない部分から、ひしひしとその強大さを感じながらも、アバンは尋ねようとした。そして――己の目で、すべてを見ることになる。

 空が真っ黒に染まり、目の前に現れたのは、小山のように巨大な、一匹の獣だった。空と同じ、闇の色の毛皮。それよりも更に黒い三つの目。巨大な角。けれども、その禍々しい姿は、地上のどんな生き物とも似ていない。

「ロモスとパプニカにも、これと同じものが行ったんですか?」

佩剣の鞘を払いながら、アバンは問うた。メルルが頷く。

「パプニカは、大聖堂の近くに。ロモスは魔の森の出口付近です」

「では、それぞれに伝令を。どちらも、城の兵力で対応出来る筈です」

その語尾に、獣の咆哮が重なる。最初の一撃を捌きながら、アバンは続けた。

「メルル、貴女は透視を続けてください。そして、今までと変わらずに、私に報告を。総司令部の機能を麻痺させるわけにはいきません」

「…はい」

必死に震えを押さえながらも、決然とした表情で、メルルは頷いた。正直に言えば、今でも、戦いをその目で見ることは恐ろしい。まして、その喧騒の中で、極限まで神経を研ぎ澄ましていなければならないのだ。迷わずすべてを受け入れられたのは、間違いなく、自分がこの場所で、世界を守るために果たすべき役割があるという、信念があったから。

 ゆっくりと一歩、後ろに下がってから、メルルはもう一度瞼を伏せて、世界の隅々にまで届くように、神経の糸を張り巡らせた。

 

 「あちゅ〜っ!!」

威勢の良い掛け声は、しかし、無慈悲な衝撃音に叩き潰された。地面に叩きつけられた、自称「獣王」は、血の混じった唾を吐きながら、顔を上げる。

「一体何なんだ、この不気味なモンスターは」

その目線の先に居るのは、テランの総司令部を襲ったのと同じ、黒い獣だ。迎え撃つのは、チウ率いる獣王遊撃隊。もちろんながら、ロモス城から派遣された部隊ではない。見回りのために、魔の森周辺を歩いていて、偶然ぶち当たってしまったのである。

 分不相応な相手と向き合っているのは、言われなくても分っている。何しろ尻尾の震えが止まらない。いや、そんなものは大概のバトルの時には感じるのだが(何しろチウよりも弱い相手はなかなか居ないのだから)、今回は、今までとは趣が異なる。

 大魔王バーンの前まで行ったことがある、というのが、一応チウの自慢なのだが、実際に戦ったことがあるわけではないのだ。そこにはいつも、ダイたちアバンの使徒や、先代獣王のクロコダインが居た。加えて今回致命的とも思えるのは、仮に今から大急ぎで、ロモスの城まで援軍を呼びに行っても、武術会のメンバーくらいしか、援軍が居ないことだ。ひょっとしたらひょっとして、獣王遊撃隊だけで、事態をどうにかしなければいけない、かもしれない。

 チウは、無駄な自信には溢れているが、決して莫迦ではないので、よく分る。それは殆ど奇跡みたいな成功率だ。というか、目の前のこの獣は相当強そうなので、仮に援軍が来ても、あんまり成功率は上がらないんじゃないか?という疑いも晴れない。

「…しかし、こうなった以上は、やるしかなぁ〜い!!」

思い切りの大声で、チウは叫び、遊撃隊員たちに振り返る。

「ラミたはお城まで伝令!援軍を呼んで来るんだ。それ以外の隊員は、フォーメーションDで総攻撃をかけるぞ!みんな、ぼくに続けーっ!」

因みにフォーメーションDとは、別名を集中アタックとも言って、早い話が全員で飛び掛るだけのこと。やったからといって、敵の目標を分散させる以外の効果は見込めない。

 だが、本当にやるしかないのだ。倒せなくてもいい。せめてダイたちが魔神と戦っている間、この獣を足止め出来れば、それでいい。飛び込みの一撃を景気良く跳ね返されながら、チウは心に念じた。とにかく頑張れ、自分、と。

 

 そしてパプニカにも、同じ獣が降り立っていた。場所は大聖堂の前。女王レオナが居る、目の前だ。

「下がってください!」

窓を跳ね開けて様子を見ようとしたレオナを、側に控えていたエイミが、鋭い声で制止する。

「危険ですから、女王様はここで。私が外に出ます」

その一言だけを残して、エイミは駆けてゆく。残されたレオナは、軽くかぶりを振ると、伝令の兵士を呼んだ。

「港の様子を見に行って。もしも戦闘が終りかけているようなら、アポロとマリンをこっちへ」

そう、レオナが第一にすべきは、陣頭に立って戦うことではない。こうして全体を見通して、人々を率いることだ。無論、物陰に隠れて安全な場所から家臣を死地に追い遣るようなことはしない、ただ、立つべき場所を弁えて、ともに戦うだけだ。

 一方エイミは、階段を駆け下りて大聖堂の入り口に辿り着くと、既に集まっていた兵士たちを、一旦下がらせた。まずはこの獣の戦闘能力を、ある程度測っておく必要がある。それで兵士たちに任せられるならそれも良し、援軍が必要な場合も考えられる。

 こういう時、最も有効なのは、まず自分が持てる最強の攻撃を仕掛けてみることだ。それが、どの程度通じるか、あるいはどのようなリアクションを取ってくるか。それで、かなりのことが洞察出来る。

 エイミの場合、最強の攻撃は、真空系の最高呪文である、バギクロスだ。両手で魔法力を増幅させ、刃物のように鋭利な気流を生み出すと、両手を掲げてその流れに方向を与える。そして最後に、両手を交差させる形で振り下ろす。X字に交わった真空の刃は、疾風よりもなお速く、獣にぶつかった。空気流の勢いだけでもかなりのものがあるので、獣の巨体は傾き、大きな音を立てて、石畳に倒れた。

 そこまでの展開は、見る者の多くに、案外楽に勝てるのでは、という期待を持たせるものだった。更に言うなら、もしやこの一撃で倒してしまったのでは、という楽観を。特に、闘気だの何だのを感じ取るのに慣れていない、魔法使いや僧侶、賢者からなるパプニカの兵士たちにとっては。

 ちょうどそのタイミングで、港の戦闘に方をつけた、アポロとマリンが戻ってきた。

「やったのか?」

そう、アポロが問いかけた瞬間に、獣は起き上がった。衝撃は受けたものの、その黒い皮膚には、傷ひとつ無い。そこに、今度はマリンがヒャダインをぶつけてみる。一瞬の凍結。けれども、獣が身を震わせると、微細な氷はすべて砕け散る。続いて放たれたアポロのメラゾーマも、獣を焼くには至らなかった。

 最悪の予想が、三賢者の脳裏を過ぎる。もしや、この獣には、呪文の類が一切通じないのではあるまいか。バギクロスの場合は、それによって生み出された空気の圧力という、極めて物理的な力に押されただけ。ヒャダインで凍結したのは、周囲の空気。それならば、メラゾーマの炎で焼けるものが何も無かったことにも説明がつく。

 けれどもそれは、同時に絶望的な宣告にもなってしまう。パプニカの守りの要は、この三賢者だ。兵士たちも伝統的に、武芸よりは呪文を得意とする者が多い。つまり、物理的な破壊力を持つものが、パプニカには殆ど存在しないのである。

「諦めるのはまだ早いかもしれんが…厄介なことになりそうだぞ」

アポロのその言葉が、その場に立つすべての者の思いを代弁していた。

 

つぎへ

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