ニーナの演技を観ていて常に感じることは、彼女は「愛する人」だということ。「愛される人」ではなくて。オデットも、ジュリエットも、キトリも、愛されるよりもまず、深い愛情を注ぐ人だった。そしてジゼルもそうでした。正直、これは安い話だと思う。筋だけ読んでもそこにはツッコミ所しかない。それなのに、終幕で涙が溢れてしまったのは、ジゼルがアルブレヒトを本当に愛していたから、だと思います。

 

キャスト

ジゼル:ニーナ・アナニアシヴィリ  アルブレヒト:アンドレイ・ウヴァーロフ

ベルタ:ニーノ・オチアウーリ  アルブレヒトの友人:ユーリー・ソローキン

公爵:パータ・チヒクシヴィリ  バチルド:マイア・アルパイーゼ

ハンス:イラクリ・バフターゼ  

ジゼルの友人:アンナ・ムラデーリ、テア・コパレイシヴィリ、ナチア・ブントゥーリ、エカテリーナ・スルマーワ、ニーノ・アルブダシヴィリ、エカテリーナ・シャビアシヴィリ

パ・ド・シス:テオーナ・アホバーゼ、ニーノ・マハシヴィリ、ラーナ・ムゲブリシヴィリ、ニーノ・マチアシヴィリ、ワシル・アフメテリ、オタール・ヘラシヴィリ

パ・ド・シスのソロ:ヤサウイ・メルガーリエフ

ミルタ:ラリ・カンデラキ

ドゥ・ウィリ:ニーノ・ゴグア、アンナ・ムラデーリ

 

 ファジェーチェフ版「ジゼル」の特徴は、振付面でいうと、ペザント・パ・ド・ドゥが無くてパ・ド・シスになっていること、そしてそこに派手目のソリストの出番があること。演出で言うと、細かい語り口(?)がかなり丁寧です。例えば冒頭、幕が開くと、背景の書割には、アルブレヒトのものか公爵のものか分りませんが、領主のものらしき城が描かれている。またアルブレヒトは、通常の版ではジゼルの家の向かいの空き家にマントや剣を隠していますが、この版では村人の1人に金を与えて預からせているという設定。そのほか、ベルタがジゼルにウィリの伝説を語って聴かせるシーンがあったり、ハンスがベルタに獲物(山鳥)を渡すんだけれど、それはずっと見向きされずに玄関に放置されていて、それを見たハンスが傷つく、とか。

 ベルタの存在感が大きい版だな、ということも感じました。やっていることは他の版とあまり変わらない気もするので、もしかしたらダンサーの個性によるのかもしれませんが、1人娘のジゼルのことを、とても可愛がっている優しいお母さん、ということを強く感じた。

 一方ハンスは、ある種の典型で、ジゼルのことが好きで、絶対に悪い奴じゃない、寧ろ気のいい田舎の兄ちゃんで、結婚したら良いお父さんになったりするんだろうけど、ジゼルには恋愛対称として見て貰えなかった、あまりに気の毒な人。

 ただ、残念ながら全体的にコール・ドのレベルは低くて(それでも前回に比べれば大きな進歩を遂げてはいますが)、パ・ド・シスに一体感があまり無かったのと、ウィリが「揃えるのに必死」感が出すぎていて、演技まで出来て居なかった。足音も大きかったですし。

 ミルタのカンデラキは、魅力的なダンサーだけど、この役は彼女の役ではないと感じました。寧ろジュリエットをダブルキャストでやったら面白かったと思う。

 アンドレイのアルブレヒトは、映像で2パターン観たことがあって、どちらも20代の時のもの。片方はグラチョーワ女史、もう片方はアナスタシア・ヴォロチコワと踊った時のものでしたが、前者が純愛系、後者がプレイボーイ系だったので、どう来るかは読めなかった。そして、結論から言うとそのどちらでも無い気がします。

 このアルブレヒトは、確かにジゼルを愛していたと思う。踊っていたジゼルが「胸が苦しい」と言い出した時には、確かに慌てふためいて、とても優しい目で彼女を気遣っていた。ただ、自分がしていることが本当は何なのか、その重大性を理解出来ないし、彼女を喪った時、その事実を受け止めることも出来ない。余裕で構えて、大人ぶって、ジゼルの無垢で幼いところを、苦笑しながら包み込んでいた積りだった。優しいけれど弱い人。愛しているつもりで愛されていた人、という意味では、ニーナのジゼルとの相性は最高だと思う。

 踊りに関しては、一昨年の「白鳥」以来の出来栄えで、丹精至極。2幕の「踊らされる」シーンに関しても、温存の「お」の字も過ぎらない必死のパフォーマンス。アントルシャ・シスは無かったですが、久しぶりに彼の、惚れ惚れするような高いジャンプを観られたし、細かい足さばきも綺麗でした。そして全体的に、手の表情が豊かで指先まで味わい深かった。

 そして「愛するジゼル」であるニーナは、田舎娘であったことが不幸でしょう。踊るのが好き、綺麗なものが好き、葡萄の収穫に行ったり家事に勤しむより、夢を見るように生きたかった少女。だからこそ彼女は、自分をお姫様扱いしてくれるアルブレヒトに恋をした。その恋心は、手を触れるのも躊躇うくらい、幼くて初々しいものなんだけど、それだけに一途で、踊りの輪の中から、ワンステップごとに振り返ってアルブレヒトに微笑みかけたりする。頬にキスされただけで、舞い上がってしまう。ある意味、空気は読めていません。この版のバチルドはとても高飛車で性格が悪そうなんですが、完全に気づいてませんしね。そういうところも含めて、決して現実的な、賢い女性ではなかったんです。

 そんな彼女が、受け入れられない現実を突きつけられた時の変貌ぶりが凄かった。半端にほどけた黒髪の向こうからのぞいた表情に――今まで無かった筈の、病的で真っ黒いクマが見えた、気がしたんです。表情と雰囲気の作り方ひとつだと思うんですが、どんな表現よりも、踊りや演技よりも、その一瞬で身震いがした。

 そして、真骨頂となった2幕――ニーナのジゼルは暖かみがあるとか、血が通っているとか言いますが、彼女はあくまでもずっと「ジゼル」であって「ウィリ」ではなかったと思います。そして、恐らく1幕と2幕の間には、彼女のこんな自問自答があったと思う。「あの人のせいで、私はこんなことになってしまった。原因は、あの人の不誠実さだよね。そしてあの人は、それを受け止めることも出来ない、弱い人なんだね」「そう、でも、私を愛してくれたことに間違いはない。私も、あの人が好き」

 だからジゼルは、夜の森に現れたアルブレヒトに逢いたい一心で、思わず出てきてしまったように見えました。そしてあとは、ただ彼を守りたくて踊り、踊りながら一心に祈り、最後に彼に「大好きよ」と微笑んで消えていくような――

 2幕のジゼルが持っているのは、1幕の幼い愛情ではなくて、辛くて苦しい事実を受け入れた末の、大きな母性愛に似たものだと思います。アルブレヒトを庇ってミルタの前に立つ時も、彼に寄り添う時も、その腕が包み込むように動いた。1幕とは違う眼差しで、でも確かに、ずっと彼のことを見ていた。

 それは、最後の最後、朝が訪れて他のウィリたちが消え、2人だけの短い時間が訪れた時もそう。この版には「お姫様抱っこ」のシーンがあるのですが、それでさえやはり、ジゼルがアルブレヒトに注ぐ想いの方が先に来ましたから。そして最後の最後――彼の腕をすり抜けて消えていくシーン。後光が差しているように見えたけど、それは多分、彼女の身体を透して、朝日が差していたんでしょう。もちろん100%錯覚です。でも、そんな錯覚を覚えるくらい、終盤にかけて、ニーナのジゼルは優しく、神々しかった。

 それだけに、ラストでジゼルが残していった百合の花を抱え、ゆっくりと、半ば呆然と歩いてくアルブレヒトの姿が感慨深いものになりました。まるで、自分が愛されていた、という事実、その意味を、何度も何度も問いかけているように思えて。そこに、ジゼルが生きて、愛した意味があったような気さえして。

 胸が熱くなる、というのはリアルにこのラストを観た時の心境を言うんだな、と思い、思った瞬間には立ち上がっていました。良いものを観られて幸せです、ありがとう。結局、ニーナの演技を観た後の言葉はこれしか浮かばない。いつも、そして今回も。

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