同行した母(生バレエは初)曰く「バレエを観たことが無い人間にもとても観易い、お芝居のように観られるバレエ」。確かに、クラシックのパを観たと言うよりは、物語を表現する音楽がまずあって、その音楽を雄弁に語る身のこなしがあった、という赴きです。とても古い作品なのは、観れば分った。でもそれは悪い意味ではなく、例えばヌレエフ版の濃厚さや、マクミラン版のスピーディな展開よりも、清純派で古雅なムードがあって、それが主演カップルの持ち味ともよく合っていた。何よりも、セットや衣装を含めて、時代の雰囲気が出ていて、韻文で書かれた古典恋愛小説、または詩のようなものを読んだような印象もあります。

 それと、是非とも特筆しておきたいのは、グルジアのダンサーたちの成長ぶり!前回「このコール・ドはちょっと…」と思った印象は既に影も形も無く、誰もが自然に、ルネサンスのイタリア人を生きていました。

 

キャスト

ジュリエット:ニーナ・アナニアシヴィリ  ロミオ:アンドレイ・ウヴァーロフ

マキューシオ:岩田守弘  ティボルト:イラクリ・バフターゼ

ヴェローナの太守: パータ・チヒクシヴィリ  キャピュレット卿:ユーリ・ソローキン

キャピュレット夫人:ニーノ・オチアウーリ  乳母:タチアナ・バフターゼ

パリス:ワシル・アフメテリ  パリスの小姓:テオーナ・ベドシヴィリ

ロレンス神父:パータ・チヒクシヴィリ  ジュリエットの友人:ラリ・カンデラキ

吟遊詩人:ヤサウイ・メルガリーエフ  モンタギュー卿:マヌシャール・シハルリーゼ

ベンヴォーリオ:ゲオルギー・ムシヴェニエラーゼ  居酒屋の主人:ベサリオン・シャチリシヴィリ

 

 幕が開いた瞬間、そこに在るのはヴェローナの広場。そう、確かにイタリアには、あんな広場がありました。そしてそこに座っている、ロミオ=アンドレイ。何に驚いたって、これまでどんな役を踊っても、20代前半以下には見えなかった(それだけ落ち着いて頼もしかったという意味なのですが)彼が、思いっきり「少年」していたことでしょう。岩田マキューシオやベンヴォーリオと笑顔でじゃれ回る姿や、くるくると変わる表情、感情を迸らせた演技の数々。彼自身、終演後に「青春に帰った気分」と言っていたようですが、なるほどロミオでした。良家のぼんぼんで、自分ではいきがって遊び回っている積りなんだけど、基本的に育ちは良くて、やや単純でお人好しで悪戯好きだったりもして。プラス、体力的にそうハードな振付ではないので、ここぞという箇所のジャンプや回転はとても美しかったし、迫力がありました。

 この公演のもう1人の目玉ゲストである岩田さんは、相変わらず素晴らしいテクニックなんだけど、「凄いことやった」というよりも先に、愛嬌がある。だからマキューシオなんですよね。今回が初役と聞いていますが、とてもそうは思えない。この役はDVDになっているオペラ座のドラノエが印象深いですが、岩田さんの道化ぶりも相当、板についていました。ヌレエフ版とこのラヴロフスキー版の差が、ちょうどドラノエと岩田さんの持ち味の差にもなっている感じがありましたし。唯一難があるとすれば…そうですね、やっぱりアンドレイとは身長が30pあまり違うので、友達として肩を組むシーンなんかは辛かった(苦笑)

 全体的には大人しいトーンの演目ですが、唯一の例外はチャンバラシーン。冒頭からキャピュレット・モンタギュー両家の諍いのシーンがありますが、フルーレのぶつかり合う金属音が情け容赦なく響き渡り、よくこれで怪我をしないものだと感心するしかない、激しい剣戟の応酬が繰り広げられます。それが振付として成立しているのが、地味に凄い。

 ところでこの演目では、両家が不仲なのは、ルネサンス前夜という時代背景あってのこと、という解釈なのだそうです。つまりロミオの家であるモンタギュー家は革新派で、故に息子のロミオもざっくばらんに友人や町の人々と交わっている。一方、伝統を重んじるキャピュレット家の娘ジュリエットは、文字通り深窓の令嬢として育ち、親の言うことには絶対服従しなければならない、と。

 ところでこの演目は場転がとても多いのですが、その際、舞台の真ん中を幕で仕切って、その前で演技をしたり踊ったりして、間を持たせます。中々、秀逸なシーンが多く、キャピュレット家の舞踏会の前だったら、ロミオたち3人が忍び込む算段をしていたり、料理人たちがご馳走を運んでいったり(山鳥を丸のままお皿に載せていましたが!)、後ろで大きな音がするのは興醒めだとしても、芸が細かくて面白かったです。

 そして、いよいよ登場したニーナのジュリエットは…花のよう、という言葉が何よりも似合う。清楚で瑞々しく愛らしい、ニーナのジュリエットはこんな風かな、と想像していた、そのままの姿でした。ちょうど衣装も淡い桜色で、イメージぴったり。羽根のように軽やかで、まだあどけなくて、少女というよりは子供子供していて、とても芸歴=私の年齢だとは信じられない。ニーナは、やっぱり幾つになってもニーナだな、と痛感しました。でもそれって凄すぎることです。

 舞踏会のシーンには、クッション・ダンスという不思議な踊りがありまして、キャピュレット家の人々が、文字通り手にクッションを持って踊ります。最初に男性、続いて女性。説明が無いと「???」なシーンですが、これは客をもてなす儀式的なものがバックボーンにあるんだそうです。

 ロミオとジュリエットの対面――最初は、子犬がじゃれ合っているような踊り。この版にはロザラインが登場せず、ロミオは最初から「ちょっと可愛いな」と思ったジュリエットにちょっかいをかけます。家の中で育ったジュリエットは、最初は当然人見知りもしますし、驚きもする。そんな2人がすこしずつ距離を縮めていく様子が、とても愛らしくて初々しい。それから、私がいつも言うことですが、2人が見詰め合った時の空気の濃さ――これも秀逸でした。ジュリエットが恋に落ちたのは、多分この瞬間、ロミオの仮面を外した瞬間だと思うんですよね。

その直後、真っ直ぐなリフトの頂点での、ニーナの表現が素晴らしい。まだ恋という言葉さえ知らないかもしれない少女が、触れ合った瞬間に、その感情の最も深いところまで行ってしまった、その衝撃と、驚きと、それ故の変貌が――すべて、余すところ無く、一瞬の表情に表れていた。

 一方、ロミオが恋に落ちたのは、ジュリエットの手を離した瞬間だと思います。たった今まで触れていたものが、こんなにも手放し難いものだと気づいたのは、ティボルトが現れて、一旦別れざるを得なくなった、その時だったと。この時の、見捨てられた子犬のようなアンドレイも、とても可愛かった。

 続くのは、バルコニーではなくて庭園のシーン。黒いマントを被ったロミオが走ってくるところは、原作にも書いてあるので、様々な版で共通しています。そういえばこのシーンだけは、03年のバレエフェスでフィーリン&アレクサンドロワの演技を観ましたが、やはり前幕で観ると印象がまるで違いますね。じっくりと振付を観ていると、何処か噛み合っていないようにも思えるんですよ。お互いが、お互いの思いの丈で手一杯になっている感じがあって。それがゆっくりと融けあって、次第にひとつになっていくシーンは、詩情豊かで美しいものでした。

 印象深かったのは、先ほど書いたリフトと同じものが繰り返された時のニーナの表情。今度は打って変わって穏やかな笑顔で「そう、この人だわ」とでも言うように、ロミオの頬を撫でます。母性愛にも慈愛にも通じる深い愛情、でも、さっき知ったばかりの感情。

 もうひとつは、アンドレイの腕の表情。彼の何が1番好きかというと、迷った挙句にこれなのですが、このシーンも実に雄弁でした。それから、その腕から始まる、この場面の最も美しいシーン――ラスト。「白鳥の湖」の、湖の場面のラストにすこし似ていますね。跪いて両手を広げたロミオに、ジュリエットが駆け寄り、ふわりと腕を広げて寄り添うという。そして2人が抱き合ったまま幕が下りますが、「一幅の絵画のよう」とは正しくこの状況だ、としみじみしてしまいました。全幕通しても、ここが最高だったと思う。

 それから、街中でポーッとしているロミオをマキューシオとベンヴォーリオがからかったり、乳母がジュリエットの手紙を持ってきたりというお約束のシーンがあって、ごく慎ましやかな結婚式の場面もあります。この時、教会のテーブルの上に花と髑髏が置いてあって、これはもう考えるまでもなく「若さ」と「死」という、この物語の核心部分を露骨に表現しているものなんですが、ロミオは最初、骸骨を手にとってしげしげと眺め、後付でいいなら何かを予感したかのように、うそ寒い表情を浮かべて、髑髏を離してしまいます。

 でも「死」は訪れる――次のシーンは、マキューシオとティボルトの死。この版では、ティボルトは良家の子息というより粗暴でやくざな雰囲気を持つ悪党で、マキューシオを殺す時も、彼がロミオに制止されている時に、真後ろから刺します。岩田マキューシオの断末魔は、周囲に気づかせまいという気づかいも、自分でも死という現実を見たくないという恐怖も綯い交ぜになって、鬼気迫る雰囲気。それを見つめるロミオは、やはり、信じたくないという現実逃避の思いがあって、心配し、それを打ち消して安堵し、マキューシオが死んでしまった瞬間になって、初めて現実の重さに気づき、慟哭する。状況から言って、血潮も相当浴びている筈です。

 そんな状態から入るからこそ、ティボルトとの剣戟は壮絶。観ている方がはらはらするくらい「本気」に見えました。本当にフルーレが刺さるんじゃないか、刺さったら死んでしまうんじゃないか、と。

 そして、怒りに任せてティボルトを刺し殺し、その返り血に濡れた瞬間――ロミオは自分が何色になってしまったかを、痛いほど知るわけですね。我に返って、罪の意識に苛まれ、絶望する。この版では、ここでジュリエットは現れません。ヴェローナの太守も出てこない。代わりにティボルトの葬列が進みます。なので、筋をよく知らないと、これでロミオが追放になった、というのは分らないですね。

 続いては、ジュリエットの寝室のシーン。ここのパ・ド・ドゥは、2人の間の濃やかな語らいをそのまま身体に落としたような動きが印象的。シンクロとかユニゾンという片仮名外来語よりも「相和す」という古風な日本語を使いたい感じですね。リフトがとても美しかった。

 そして、ロミオが去った後、ジュリエットの両親がパリスを連れて来て…という一連の流れ。意に染まぬ結婚を強いられる恐怖と嫌悪、それに対する両親の激しい怒り、死を覚悟した時の凄絶な表情、仮死に陥る覚悟と不安と…つらつら並べてみましたが、ニーナの芝居の上手さをまざまざと見せ付けられた格好ですね。この一連の流れも、どの版でも、どのバレリーナもやるでしょうが、この版はシンプルなだけに、バレリーナが1人ですべてを表現せねばならず(例えばヌレエフ版なら、ティボルトとマキューシオが化けて出ますから、それだけでも怖いんですが)、誤魔化しが利かないですからね。

 墓所からラストへ向かう一連のシーンで素晴らしかったのは、やはり2人の慟哭の表情でしょう。アンドレイの「泣き」は「白鳥」や「ジゼル」でも観たけれど、あんなもんじゃなかった。叫び声が聞こえてこないのが不思議だったし、ジュリエットの身体を真っ直ぐに掲げる高いリフトは、何もせず、背中しか見えないのに、その背中だけで、血の色に染まるような、深い深い悲しみが見て取れた。一方ニーナのそれは、痛ましい、可哀想、という言葉が自然と出てくる、貰い泣きもの。

 ただ――これもどの「ロミ・ジュリ」でも思うことなんですが、2人のシーンがあまりにも美しく完結しているがために、その後モンタギュー卿とキャピュレット卿が出てきて和解するシーンが、思いっきり蛇足に思えます。 

 この版の最大の特徴は、ある意味、性的な臭いが殆どしないことだと思う。それは、振付や作品自体の雰囲気が持つ古雅さからも、ダンサーの持ち味からも出ていると思いますが、とても清らかな印象のバレエです。ドラマチックさよりも詩情を、大仰であるよりは丁寧さを。古臭くて退屈、という人も居るかもしれないけれど、こんな「ロミ・ジュリ」もあっていいなと思えましたし、ニーナとアンドレイには、この演目が何よりも似合う、と思いました。

 正直、ニーナは今回のツアーが最後になっても仕方ないと覚悟していますし、アンドレイもいつまで踊ってくれることやらと、最近不安に思います(髪の毛なんか思いっきり灰色になっちゃってるし)。ただ、そんな時期に差しかかった時に、これまで観てきたものとはかなり方向性の異なる演目を、とても充実した状態で見せてくれたのは、とても嬉しいことで、ファン冥利に尽きるというものです。

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