何とも言い難いバレエです。良い意味で、他人の葬式に似ている。それは生きている間に、避けられないで何度もしなければいけないこと。いつか自分もそれを迎える儀式。さもなければ卒業式。そうでなければ入学式。大声で歌い上げられる生命の賛歌ではない。ただ、晴れがましくて幸福で、混沌としている。そこにあるものがすべてではないけれど、雑多極まりない。尊厳と冗談が、隣りあわせで立っている。そういうバレエでした。

 

「イッツ・ア・ビューティフル・デイ」

カンパニー全員  フレディ:ジュリアン・ファヴロー

 舞台が開くと、そこにあるのは、真っ白な布を被って横たわったダンサーたち。ゆっくりと起き上がり、顔を上げる彼らは、実に優秀な「群像」でした。全員でひとつのことをしているわけじゃない。全員が同じことをしていても、背後に別々の理由を持つ別人格。顔の無い群集には決してなれないダンサーたち。

 この音楽に「目覚め」をあわせるのはあまりにもベタだけど、目覚めとまどろみの間を行き来する彼らの動きは、それなりに魅力的でした、何故か。そして、何でただ挙げただけの手がこんなに意味深いかなと、しみじみ思いました。

 

「タイム/レット・ミー・リヴ」

カンパニー全員

 全員が持った白い布は、この後終演まで何度も登場します。布団のような、ライナスの毛布のような、丸めて持てば赤ん坊を抱いているようにも思えるし、手渡していくと何か別の、もっと仕方ないものにも思える。ぱっと解き放つと思いがこもる。そういうベタだけど美しい小道具です。そして、冒頭から続く朝の光のように清々しい踊りの中でも、ファヴローとロスの存在感は光っていました。

 

「ブライトン・ロック」

ダリア・イワノワ、エリザベット・ロス、ティエリー・デバル、ジル・ロマン、カテリーナ・シャルキナ、オクタヴィオ・デ・ラ・ローサ、ルイザ・ディアス=ゴンザレス

 そしてここで、ジル・ロマン登場。一人だけ黒い衣装を纏った彼は、圧倒的な存在感で舞台を締めていました。奥の椅子に座って、決して派手に動いたりはしないのに。あと、黒い長髪のかつらを被ったファヴローが、妙に可愛かった。全体を通して、彼の「フレディぶり」は微笑ましかったし、笑顔はいつも眩しかったです。

 

「ヘヴン・フォー・エヴリワン」

アレッサンドロ・スキアッタレッラ、ジル・ロマン  天使:エクトール・ナヴァロ

 「ブライトン・ロック」をぶった切って始まるのが、このパート。天使のナヴァロは、天使の羽というより昆虫の翅に近いものを持っていて、その様子はどこか滑稽。笑い飛ばす感じではなくて、クスリと微笑む感じかな。

 

「ボーン・トゥ・ラヴ・ユー」

エリザベット・ロス、ダフニ・モイアッシ

 このパートは、ロスの独壇場。メイクや衣装、髪型のせいも大いにあるかもしれないけど、このステージにおける彼女は、どこか、自堕落な娼婦に似た、決して美しくない雰囲気があるんですよ。男にだらしなくて、酒ばかり飲んでいて、下手したらクスリもやっていて、昨夜も男に騙された、貢がされた、的な。人生はボロボロでどん底。でも、そんなものでは陰りもしない生命力で、「でも、人生って素敵よ」と言ってしまえるような、途方も無い陽性のオーラを感じるんですね。

 崇高な愛だけじゃなく、その辺に幾らでも転がっている、お金に換算出来る安っぽいものまで含めて「それでも私は愛するために生まれた」という、とんでもないエネルギーを感じさせる踊りでした。

 

モーツァルト「コシ・ファン・トゥッテ」

ジル・ロマン、カテリーナ・シャルキナ、オクタヴィオ・デ・ラ・ローサ、ルイザ・ディアス=ゴンザレス

 一転して、古雅で穏やかなモーツァルトの曲に乗せたパート。モーツァルト音楽のパートは、他に比べて音楽があまり印象に残らないので、ちょっと眠かったです(苦笑)

 

「カインド・オブ・マジック」

 キャスト表には曲名がありませんが、このパートは確かに存在していました。順番が正しくこの位置だったかも、若干記憶が怪しいのですが「タモス」の周辺だったことは間違いない。軽やかで弾けるような踊り。

 

モーツァルト「エジプト王タモス」への前奏曲

 ジル・ロマンはどこかへ行ってしまいました。これは既に化け物の領域だ。神とか悪魔と言ってしまうと偏りが出るから、ここは化け物ということにしておこう。そうしよう。

 登場の瞬間から思ってはいたのですが、ソロになると心底、思い知る。身体のキレ、力感、存在感、説得力――40代後半の肉体が、何故ここまで引き締まって、強く、意味深く在れるのか。男性舞踊手としては、とっくに踊るのをやめていてもおかしくない、どこから下り坂に入ったかも忘れるくらいの年齢である肉体が。

 そんなことがあるはずは無いんだけど、この人は一万回やれば一万回、本当にこの、神技のような踊りを披露出来るんじゃあるまいか。彼は舞踊の神とベジャールに半分ずつ魂を売り渡して、何か人間以上の存在になってしまったんじゃないだろうか。つい、そんな莫迦なことを真面目に考えてしまいました。

 

「ゲット・ダウン・メイク・ラブ」

カテリーナ・シャルキナ、ジル・ロマン、ダリア・イワノワ、ティエリー・デバル、ジュリアン・ファヴロー

 このパートからは、紅いピンヒールにモード系の鮮やかなドレスを纏ったイワノワが登場し、スタイリッシュな踊りを見せてくれました。一方、ロマンとのデュエットで度々登場するシャルキナは、もっと繊細で儚げな存在感。彼女の役は、以前はクリスティーヌ・ブランが踊っていたんでしょうかね。

 

モーツァルト「交響曲第21番」

ダリア・イワノワ、ティエリー・デバル、アレッサンドロ・ルキアッタレッラ、ヴィルジニー・ノペ

 イワノワを中心に、スローな踊り。多分一番眠かったところです。

 

「シーサイド・ランデヴー」

カトリーヌ・ズアナバール

 シリアスめのシーンが続いたところで、いきなり場所は真夏のビーチに移り、水着姿の女性たちがポップな踊りを始めます。このシーンは、あらゆる意味でスアナバールに相応しい。テーマも音楽も彼女の褐色の肌によく似合うし、黒人ならではの強靭な身体能力が、さらっとハマる、彼女も素敵なダンサーですね。

 

「テイク・マイ・ブレス・アウェイ」

カテリーナ・シャルキナ、ジル・ロマン

 シャルキナとロマンのシリアスなデュエット。「シーサイドランデヴー」が俗っぽくて明るいシーンだったので、そのコントラストが印象的です。

 

モーツァルト「フリーメーソンのための葬送曲」

ジル・ロマン

 突如としてステージが暗くなり、3枚のレントゲン写真が降りてきて、ロマンのソロ。これは以前、世界バレエフェスティバルで観たことがありましたが、その時よりももっと、ギリギリ生と死の狭間、天国と地獄の間を感じた。一言で鬼気迫ると言うのは簡単なんだけど、残酷で容赦の無い、恐ろしい世界。

 

Radio Ga Ga

ドメニコ・ルヴレ

 決して強烈な印象は無いけど、あって良かったパート。「葬送曲」があまりに怖かったので。

「ウィンターテイルズ」

オクタヴィオ・デ・ラ・ローサ、アレッサンドロ・ルキアッタレッラ、ヴィルジニー・ノペ

 舞台の下手隅に四角い箱があって、そこに次々と男性ダンサーが入っていく。その凄く狭い空間で踊り続ける彼らの動きは、目から鱗もので面白かったです。その間、箱の外でちゃんとメインの踊りも続いているんですけどね。

 

「ミリオネア・ワルツ」

那須野圭右、ジュリアーノ・カルドーネ、ヨハン・クラプソン、ニール・ジャンセン、ヴァランタン・ルヴァラン

 キッチュで軽妙な踊りですが、ごめんなさい、私はこれ、十市さんならこう踊ったかな、どうだったかなって、一生懸命考えながら観てしまった…だって、十市さんに似合いそうなんですもん、どう見ても。もちろん、この目で観たものに不足があったわけではないんですけどね。

 

「ラブ・オブ・マイ・ライフ」〜「ブライトン・ロック」〜「ボヘミアン・ラプソディ」

ジル・ロマン、カテリーナ・シャルキナ、オクタヴィオ・デ・ラ・ローサ、ルイザ・ディアス=ゴンザレス

 フィナーレに向かうこの辺りからは、一気に混沌の世界に駆け抜けていく。陽性のエネルギーを振りまきながら、どこかで涙を流しながら…それでも祭りは続く、という風情のパートです。一斉に翻される白い布。様々な文様を描かれた布と、そこから顔を出すダンサーたち。全員が舞台の中央に集まって叫ぶ「イエス」の一言。枕の中から放り出される無数の白い羽。ロマンにマイクを突きつけられるファヴロー。そして笑顔で歌うファヴロー。全部が、それなりにベタです。分り易い儀式。でも、多分神聖なもの。とても肯定的なもの。ここが一番、「卒業式」くさかったかもしれない。

 そして最後に、「ボヘミアン・ラプソディ」のオペラ風パートを、ロマンがソロで踊る。混沌を纏めあげる、その説得力が素晴らしい。

 

「ブレイク・フリー」

ジョルジュ・ドン(映像)

 白いスクリーンに映し出される、ジョルジュ・ドン――ブレイク・フリーしてしまったダンサーの姿。イッセイミヤケの衣装を着ているドン。鬼女の能面を手に、血を流すドン。泣き笑いのメイクで、「ニジンスキー・神の道化」を踊るドン。

 いつも思っていましたが、彼は決して、衆に優れた容貌のダンサーではないんですよ。均整の取れた美しい肉体も、人目を惹く端整な顔立ちの持ち主でもない。でも、この世じゃないところを映しているんじゃないか、と思えてしまうくらい、澄み切った綺麗な目の持ち主。そして、そのまま四散して光になってしまうんじゃないか、というくらい、美しい笑顔を浮かべる。自己憐憫も怒りも苦しみも無い、透き通った純度100%の哀しみの表情を持っている。

 その二つが合わさった泣き笑いは――既に神々しいのです。

 

「ショー・マスト・ゴー・オン」

カンパニー全員

 そして、最後――ステージ中央に立つジル・ロマンのところに――かつてベジャールが立った場所に、順番にダンサーたちが駆けて来る。それを、兄のように、父親のように迎え入れて、多分「お疲れ様」なんてことを言いながら、背中や肩を叩いたり、ハグを交わしたりするロマン。全員が集合したところで、彼らはゆっくりと、一列に並んで前に向かって歩いてきます。この時、心の底から思いました。この音楽に振り付けは必要無い。曲があまりに素晴らしいから。それ以上に付け加える必要は無い。ただ、ステージを通してダンサーたちが、曲の重みに耐えうるだけのものを生きてきたなら、すべてはOK

一度曲が終り、そしてもう一度の繰り返し。ヴィクトリーランに似た動作、そして、天に向かって掲げられる手。それを観ているだけで、胸を突かれて、涙が出てきた。誰だ、こんなにシンプルで効果的であざとくて、振付とも呼べないようなものを考えた奴は。

でも、出て来いと言っても、彼はもう、そこには居ないんですね。

ある意味ではそのことを思い知った。そして、The Show must goes on…この舞台に載ったものも、そうでないものも、すべては続いてゆく。ジョルジュ・ドンが居なくなった時も、フレディ・マーキュリーが居なくなった時も、そして今、モーリス・ベジャールが居ない世界でも。きっといつか、ジル・ロマンが居なくなる時も。過剰に感傷的になって、そんなことを思いました。客をそうさせてしまう演出に対して、是非はあろうかと思います。満場のスタンディング・オベーションは、決して舞台の質だけに捧げられたものではないと思う。私自身も「ヤラレタ」とは思うし。

でもそれはとっても美しいことでもあるよね、とは思うのですね。

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