多分これは、私が過去に観てきた中で、最も「勿体無い」公演だと思います、残念ながら。まず、私の体調が悪すぎ。不運にして、前の晩泊まった友人宅の枕が絶望的な勢いで合わなくて、睡眠時間は笑っちゃうくらい短かった。集中力が湧かないわけですよ。加えて泣けたのが席番の悪さで、傾斜無し五列目のサイドって何処…(涙)それでなくても足元なんて観えないのに、お約束通り斜め前には背の高い方がいらっしゃり、その頭で舞台センターが完全に隠れる格好…私のすぐ後ろからは傾斜があったので、無理に首を捻って最低限の視界を確保し、後ろの方にこれ以上ご迷惑をおかけしないよう、その姿勢をキープ…すると滅茶苦茶疲れて、集中力は更に減退。トドメとして、サイドのその位置はスピーカーのドまん前で、割れたような音が過剰に五月蝿く聞こえたのでした、とさ。

 

     「タランテラ」メラニー・ユレル&マルク・モロー

良くも悪くも、可もなく不可も無く…かな。明るくて楽しい演目だし、幕開けには相応しいもの。でも何となく、「オペラ座でこれを観なくても」と思えることも事実。そして、若くて駆け出しのモローにはこれが似合ってもいいけど、長いキャリアを持つユレルには、もっと相応しいものがあったんじゃないか…と思ってみたり、まあ色々、欲を言えばキリが無いですね。うーん、でもユレルって、パンフの写真を観ても明らかな通り「明るく楽しく軽やかに」てな見てくれじゃないもので…

 

     「アベルはかつて…」グレゴリー・ドミニャック&ステファン・ビュリヨン

長身でがっしり体型の二人によるコンテンポラリー。殆どの動きがシンクロまたはミラーで、説明を受けなくても、これは双子の相克の物語なんだな、と。「カインとアベル」は旧約にありがちな、不条理で残酷で悲しい物語なんですが、その感じ(飽くまで私にとって、ですが)はよく出ていたなと思います。どちらがカインでアベルかは、終りの直前までどうでもいい。何かの巡り合わせで起きてしまった悲劇。そういう振付に見えました。

で、余談っちゃ余談なんですが、けっこう大変な振付ですねぇ…いや、リフトもあったしダイビングキャッチもどきもあったし、二人とも大きいのに(苦笑) でもこれ、小柄な二人がやったら笑っちゃうだろうな。

 

     「ドニゼッティ・パ・ド・ドゥ」ドロテ・ジルベール&マチュー・ガニオ

振付的には何の新しいものでもなく、従来からある古典の作品で代用出来ないものか?とか言っちゃうことも出来る。でも、そんな小煩いこと言わなくても、今の二人にはよく似合うものでした。既製品よりはずっと。時節の花もあるけど、二人が出てきてジュデでぽーとんと舞い上がった瞬間、場が明るくなりましたもん。

 ジルベールは、三年前から綺麗に描かれた延長線の上に立っていました。お姫様、ではないかもしれないですね。気品や優しさよりは強さが勝る感じ。勝気で明るくて、キュートでコケティッシュ。キトリやカルメン、ジュリエットなんかも、今なら似合うでしょうか。

 そしてマチューは…アダージョはもっと精進出来ると思います。ただ、ヴァリエーションは圧巻でしたね。イジメに突入してんじゃないかという勢いのアントルシャも、難なく美しい。男性とは思えないほど軽やかで、柔らかで、本当に飛び立ってしまうんじゃないかと思いました。

 

     「オネーギン」モニク・ルディエール&マニュエル・ルグリ

きちんとしたオケの演奏だったら、泣けていた、と思います。或いは、全幕きちんとした過程を経てきたならば。

 それにしてもルディエールは美しい。前のガラの時にも驚きましたが、彼女は私の母と同い年ですからね〜…気品があって、抑制の効いた、大人の貴婦人。立っているだけで、既にタチアナそのもの。ルグリはルグリで、恋に取り乱す貴公子の役はお手の物。個人的には、「オネーギン」はここに至るまでの流れが美味しいんだよ、とも思いますが、それでも見事だった。

 私は、オネーギンという男は、金輪際自分以外の人間のことなんて慮ったことは無いと思う。この場面だってそう。自分だけが大事。自分しか見えない。そういう男です。だから、タチアナを一方的に愛することは出来ても、意思の疎通とか、ましてや彼女を幸せにするなんて、土台無理だと思える。それでも、この場面を「オネーギンという男の悲劇」としても見せられるのは、ルグリの芝居の上手さだと思うんですよね。こんな男でも哀れになる。それほど美しいオネーギンです。

 でも、その上に君臨するのが、更に美しい、ルディエールのタチアナ。彼女は、これまでいつでもそうであったように「音楽に寄り添う佳人」でした。指先まで綺麗に音楽に溶ける。その音楽が、物語を奏でる。この場面のリフトって、舞い上がりそうで、舞い上がらないんですよ。ルディエールは、その瞬間に、下向きに感情を叩きつける。それは人妻タチアナの抑制であり、相反する感情であり、結局この期に至っても二人は合和すことは無いということ――に思えましたね。

 いずれにしても、彼女のタチアナを見られた人は幸せだと思う。フェリも居なくなる今後のステージ上に、これほどのタチアナが存在するでしょうか…?

 

     「ビフォア・ナイトフォール」
第一パ・ド・ドゥ:メラニー・ユレル&マチアス・エイマン

第二パ・ド・ドゥ:エレオノーラ・アバニャート&ステファン・ビュリヨン
第三パ・ド・ドゥ:ドロテ・ジルベール&オドリック・ベザール
三組のカップル:マチルド・フルステー、ローラ・エケ、シャルリーヌ・ジザンダネ、アクセル・イーボ、グレゴリー・ドミニャック、マルク・モロー

 シリアスで容赦の無い踊り…という印象ですかね。主に私のコンディションのせいで、かなりダレました。踊っていた皆様には本当に申し訳ないけれど。印象的だったのは、エレの綺麗な肩から腕のライン。この中ではやはり、彼女の存在感が抜きん出ていました。ただ、せっかく彼女ほどのダンサーに来て貰ったのなら、もうひとつ何か〜…と叫びたい気もする。

 

     「牧神の午後」バンジャマン・ペッシュ

実は今回、個人的に一番お気に入りだったのが、これ。そういう私は間違いなく、天下一品の変わり者。でも、これだけは誰も反対しないと思う。今回、参加したダンサーの中で、年齢的にもっとも充実したラインに居るのは彼、ですよね?

踊り以前に肉体そのものが、充実の極みでした。筋繊維のひとすじひとすじを凝視しても美しい。そして、そこから生み出される動き――緊張と弛緩、抑制と爆発、強靭さと柔軟さ――色んな要素がここしかない、というバランスで調和して出来る、絶品の芸でした。

というか、テーマがテーマなので、振付そのものはお世辞にも美的ではなく、ましてやお上品なんかでは絶対になく、このくらいの精度で踊ってくれないと、席を蹴りたい勢いで、私の趣味では無かったですから。

ルグリの意見もあったでしょうが、パンフを読む限り、彼はこの作品に、かなり思い入れがあるようですね。こういうものを敢えて選んで、この完成度で披露出来る彼は、たぶんダンサーとして、とても聡明で幅の広い人なんでしょう。オペラ座の次の来日は、NBSの招聘としては10年ということですが、一度彼の、きちんとした演技も観てみたいなぁ、と思います。「椿姫」とか「アルルの女」とか。

 

     「ジュエルズ」より“ダイヤモンド”ローラ・エケ&オドリック・ベザール

時間の流れを思い知った気がします。前回のガラで、フォローに困っちゃったカドリーユだった、あのベザールが、堂々たるスジェとして、過不足の無い踊りを披露していたんですから。そして「パリ・オペラ座バレエと街歩き」でお馴染みのエケは、楚々としてエレガントな「いかにもフランスっぽい」ダンサーでした。二人とも、流石に貫禄は無いけど、洗練の極みを目指すという意味で、私がオペラ座に期待するものを、ちゃんと見せてくれました。

 

     「ドリーブ組曲」ミリアム・ウルド=ブラーム&マチアス・エイマン

でも、今回最も驚いたのは、ミリアムの成長ぶりでしょう。演目との相性もあるかもしれないけど、今ならジルベールよりもエレよりも、彼女をエトワールに推薦したい、という勢いで輝いてましたよ。

同時に思った。この振付、この衣装は、オリジナルであるルテステュよりも、彼女に似合う、と。ミリアムは純正のお姫様です。妙な妖艶さ、過剰な強さはおくびにも出さない。品よく可憐で愛らしく、例えて言うなら砂糖菓子のような踊りですが、無駄なか弱さもまた、持っていないんですよ。彼女のオーロラはきっと素敵だし、ジルベールとは別の意味で、ジュリエットもきっと素敵です。

エイマンは…個人的な印象としてはミリアムにだいぶ持っていかれましたが、溌剌とした若々しい踊りで、やっぱり見ごたえがありましたよ。

 


     「さすらう若者の歌」ローラン・イレール&マニュエル・ルグリ

何かこう…3年前よりも悲痛なものを感じてしまいました。それは多分、イレールが既にダンサーとしてのキャリアを閉じてしまっているから。もちろん、衰えを感じたとかミスがあったとかいう意味はまったく無く、やっぱり二人は「この演目はこうあるべし」という規範を地で行く、素晴らしいダンサーでした。それでも、何故かね…感じてしまったんですよ。叶うなら永遠に手放したくない、とも思えるものを、イレールが手放してしまったこと。「その瞬間」を、ルグリが探っていること。

ことここに至って、「これはファイナルだったんだなぁ」ということを、しみじみと感じました。

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