行こう!と決めたのは、夏に実家に帰ったとき、春に録画しておいたニーナのバレエコンサートの映像を見直したからです。ニーナさんも本当に綺麗だったんですが、何故かパートナーを務めていたアンドレイ・ウヴァーロフに目が行き、その完璧な貴公子ぶりに惚れ込んで、そういえばボリショイが秋に日本に来るんだっけ、と広告を見直したら、何とニーナさんとウヴァーロフのカップルが観られる!勘違いで日にちを取り違えてしまい、慌ててチケットを変更させていただいたので(NBSのスタッフの方、申し訳ありませんでした)、当日会場に行くまでが不安で不安で…ちゃんと変更出来てるかしら?とか、チケットの当日清算って、引換券も番号も無くて大丈夫なのかしら、とか、果ては無事に東京文化会館まで着けるのかしら?とか…あと、突然今日になってキャストの誰かが体調を崩してたりしないかな、なんていうのまで。

 結局すべてが取り越し苦労で、到着が開場十分前。プログラムを買って席についたのが開演三十分前。中々、お利巧さんな時間じゃありませんか。その時既に、オーケストラの方々が音合わせなんかを始めていて、「あ、この旋律は聴いたことがあるような…」などと、テンションを上げていくのにぴったりな環境。席の場所も危惧していたほど遠く無く、いい席だったと思います。

 この日のキャストは、以下の通り。

オーロラ姫;ニーナ・アナニアシヴィリ デジレ王子;アンドレイ・ウヴァーロフ

リラの精;マリア・アラシュ カラボス;ゲンナジー・ヤーニン

フロリナ王女;マリアンナ・ルィシュキナ 青い鳥;ドミトリー・ベロゴロフツェフ

第一幕、オーロラ姫の誕生祝いの席ですが、まあ何と豪華絢爛!リラの精と同じライラック色のチュチュを着た女性たちの群舞、それと男性群舞もありましたが、本当に、一分の乱れも無い。当たり前といえば当たり前のことなんですが、踊りが揺るがないし、ずれないし、全体で描く幾何学模様もこの上なく綺麗。計算し尽くされた、隙の無い豪華さです。群舞の横には王や王妃や貴族がいて、時には不要になった小道具をさっと片付けたりしますが、それでさえ何だか様になって美しい。部分でも、全体でも、どこをとっても必ず絵になる。そうか、これが天下のボリショイであったかと、早くも納得してしまいました。精霊たちの踊りも素敵でした。きびきびとはっきりした「勇気」、スローテンポでふわっとした「寛容」、弾けるような快活さの「無邪気」など。リラの精は、これは後でオーロラとの対比でもっとはっきりしてくるんですが、柔らかくて優しい雰囲気を終始纏っていました。精霊なので、軽く演じているのはもちろんのこと。プロローグの女性群舞の足音は、ほとんど聞こえてきませんでした。カラボスとその眷属たちの動きは、派手で大袈裟だけど、おどろおどろしさ満載。体を屈めて蠢く黒い影と、それに囲まれて杖を突き、派手な身振りで銅色のマントを翻すカラボス。それまでの軽やかで幸せな雰囲気が音を立てて崩れる様、そしてリラの精をはじめ精霊たちが柔らかさを回復してゆく様が、本当に鮮やかでした。

一幕一場の見所は、何と言ってもローズ・アダージョ。桜色のチュチュを着てニーナさんが現れた瞬間、舞台がぱっと明るくなったようでした。輝くばかりの存在感とは、あのこと。はじけるような明るさを振りまき、楽しげで、生命力に溢れて、今を完全燃焼するオーロラは、両親に結婚を勧められても「そんな先のことなんて…」と笑い飛ばしてしまいます。無邪気な少女のオーロラは、どの求婚者にも楽しそうに接するけれど、あくまで友達としてであって、恋愛感情なんて知りもしない。フットワークが軽く、回転が信じられないほど速く、溌剌として、快活さが溢れ出さんばかりで、愛らしい。四人の求婚者は、世界の四方を表すのだそうですが、この四人を従えて中心に立ち、順番にお辞儀をされたり、し返したりするオーロラは、まさしく世界の中心、大粒のダイヤモンドのような輝きを放って、そこに立っていました。それが頂点に達するのが、一回目のバランスを経て、ローズ・アダージョ。ニーナさんのトゥの、揺るがないこと!テクニックの正確さ、強靭さに目を見張るばかりです。会場の熱気も凄まじかった。鳥肌が立ちました。そして、その熱気の渦の真ん中で輝く至高の宝石が、つまりオーロラ姫なのです。

もうひとつ、この幕で目を見張ったのが、オーロラが眠りにつくという悲劇の表現。オーロラが倒れ伏した瞬間、もうこの城も眠ってしまったんじゃないか、ここは蝋人形館かというくらい、誰もが動かなかった。その中で、老婆に化けたカラボスだけが、長いマントを引きずって、舞台中央奥の階段を半ばまで上ってゆく。そして、振り向き、正体を現した瞬間、凍りついたような時間が我に返り、恐慌を始める。そして、その恐慌をリラの精が鎮め、今度こそ本当の眠りに入ってゆく……素晴らしい演出だったと思います。ちょっとあざといかなとも思いますが、こういう豪華絢爛なものには、あざといくらいが似合いますから。

二幕一場は、デジレ王子の登場が本当に待ち遠しくって!私、七割ウヴァーロフ目当てで観に行きましたから。そして、思わずグリゴローヴィチにお礼を言いたくなるくらい、派手な登場シーン!ずば抜けた跳躍の高さ、体のキレ、正確な回転で、いきなり度肝を抜いてくれました。そこで今度は、足音も楽しげな農民の踊り。そうか、足音って必要なこともあるんだなと、初心者な感心をしてみました。ところでこの時、デジレ王子は貴族の女性を一人、エスコートしてました。役名は「公爵夫人」になっていましたが、私はこれ、勝手に王子の母親だと思っています。バレエになっていない後編のことも考えるとね…

その後、舞台はウヴァーロフ一人になります。踊りもシンプルで、アラベスクとかアチチュードを組み合わせた感じだったですが、流石の存在感。空間の使い方も上手いんでしょうね。大道具ひとつ置いていない、背景を除けば素舞台なのに、空虚さが何処にも無い。ウヴァーロフのポジションもいちいちとても綺麗でした。背が高い人ですし、脚はちょっと長すぎるくらいなのでは、と思えるほどですから、脚だけで一メートルはあるでしょう。バレエダンサー的に優美なラインよりは大分太いですが、あの長身と強靭な跳躍を支えるのには必要な筋肉。でも、アチチュードですっと伸ばすと、うっとりするほどラインが綺麗に見えるんですよね。流石は王子です。

正直な話、この舞台では、デジレ王子が最も表情の変化が激しいように思われました。前段落の「何かがあるような…」という振り付けから、リラの精の見せるオーロラの幻に近付いていけないもどかしさ、そして、いざ近づけるとなった時のテンションの上がり方。この時はひたすらリフトを上げていましたが、これはまだオーロラが彼にとって、生身の人間ではない証拠ですね。ただ崇拝するべき美しいもの。だから、普通に向き合っては踊らない。自分より高い位置にしか置けない。そんな印象を受けました。

それから、カラボスの支配する茨の城ですが、私はここ、本音を言うと、デジレ王子に戦って欲しいんですよね。わがままを言えば、本当にここだけ、一味足りなかった。だって、一幕であれだけ凄まじい存在感を誇ったカラボスが、あまりにもあっさり片付いてしまうんですもの。

個人的に、何だか微笑ましかったのが、オーロラが目覚めてからの、ほんの数秒。デジレ王子はこの時、さっと隅へ退くんですよ。そうですよね、百年の眠りから目覚めて最初に見たのが、見知らぬ男の顔だった、なんて、ショックですもん。その後、王や王妃に挨拶するオーロラ姫を見守る背中が「あの、すみません、私、そっちへ行ってもいいですか?いえ、無理にとは言いませんけど…」とでも言っているかのようで、妙に可愛かった。そしてデジレ王子の存在に気付くオーロラ。ここが、あの有名な「貴方でしたの?王子様。ずいぶんお待ちいたしましたのよ」ですね。二人の間に、ふわっと何か、柔らかいものが生まれた感じでした。

三場は、ディヴェルティスマンの宝石箱!宝石の踊りから入って、童話の主人公オン・ステージ。コケティッシュでキュートな白い猫と、粋だけどどこか抜けていて、白い猫に散々に引っ掻かれる長靴を履いた猫。それより更にドタバタしている狼と、軽い足取りで逃げる赤頭巾ちゃん。フロリナ王女と青い鳥は、見所満載のパ・ド・ドゥを軽やかに。シンデレラは何故か今更王子にガラスの靴を履かせてもらっていましたが、まあ深いことは考えずに。


 
オーロラ姫とデジレ王子のグラン・パ・ド・ドゥ。恋を知り、花嫁の恥じらいで可愛らしく踊るオーロラ姫と、眼差しで暖かくそれを包み込むデジレ王子の姿は、見ていて溜め息が出ました。ウヴァーロフは、相変わらずその高すぎる身長と長すぎる脚を一生懸命カバーしながらピルエットを回していましたが、回転が速い!支えられなくてもニーナさん一人で回ってるんじゃないか?などと疑ってみたり。でも、ウヴァーロフは女性を綺麗に見せるのが本当に上手。身長差があるのでリフトが綺麗ですし、いたれりつくせりのサポートはもちろん、ただお辞儀をするだけでも、女性を引き立てるのです。もちろん彼にもかなりの存在感がありますし、決してニーナさんに消されはしないのだけど、彼の醸し出す甘くて優しい雰囲気も、エレガンスも、静かな存在感も、すべてはニーナさんの、あの輝きに溢れた華やかさのために存在しているのです。ニーナさんがダイヤモンドだとしたら、彼がまず先に舞台にあがって、とても綺麗な色をした布をふわっと広げる。そうして、優雅に一礼するんです。「どうぞおいで下さい、お姫様」。そうして、本当にお姫様を綺麗に見せてくれるんです。


ソロとなれば一人で舞台を支配しなくてはいけませんが、本当は彼は、ただ立っているだけで舞台を支配できる人でもあります。とても静かですけれど。ウヴァーロフの跳躍は、高さも相当なものですが、何よりも、その頂点で重力から切り離されている時間がとても長い。だから、ひとつひとつの技、ポーズが本当に綺麗に見られます。空中にあるもうひとつの舞台へ上がっていくような…跳躍という、最も躍動感ある動作においてさえ、これ見よがしの派手さは無い。落ち着き払った、完璧で端整な美とエレガンスがあるだけなのです。ニーナさんのソロは、素人目に映える派手なテクニックは何もありませんが、手の振り、ステップの一歩一歩がキラキラ光を放ちます。ただ無邪気さに任せて勢い良く踊るだけではない、大人の女性の優雅さと、失われない愛らしさの両立。ウヴァーロフの跳躍に比べて本当に小さな動きですが、このソロも大好きです。

それから最後のコーダ。ここでも最初にウヴァーロフが登場して綺麗な跳躍を見せてくれますが、この時の回転は、ソロの回転とは質が違う。その気になれば幾らでも空間を切り裂き、思うが侭に操れるその長い脚は、音ひとつ立てずに、ただ美しさだけを描く。これは、ビデオで観た「ドン・キ」のバジルの踊りを対比させると一層際立ちます。そこからが、ある意味では王子様の本領発揮。オーロラを、本当に上手に「踊らせて」いました。ウヴァーロフのデジレ王子は、本当に大人で、分別があって、優しい。愛しているから走っていって抱きしめる、という王子様が当節流行のようですが、彼の王子は、いつでも暖かく見守って、導いていくような、本当に優しい、大人の王子様だと思うのです。オーロラの輝かしい愛らしさは、このバレエ全編において変わる事は無いんですが、それを支えているニーナさんの技術は、ウヴァーロフよりも更に強靭で正確そのもの。狂いも、揺らぎも無いのはウヴァーロフやリラの精なども同じなんですが、何と言うか、それこそ本当に、腕の一振りが光を放つのは、彼女だけなんですよねぇ…

そこから再び童話の主人公たちの短い踊りを経て、グランド・フィナーレへ繋がるシーンは、本当に楽しそうで、可愛らしい。踊れるものなら私も踊りたいくらい。そして、いつまでも終わりそうにない。最高潮のままに幕を下ろすのも、なかなか心憎いですよね。余韻がずーっと残る感じで。

この日のカーテンコールは四回。最初のカーテンコールで驚いた事がひとつあるんですが、ウヴァーロフが、調度真ん中に立つ感じで、右手にニーナさん、左手にはフロリナ王女という、まさしく両手に花状態だったんですが(舞踏会では、右手に長靴を履いた猫、左手に狼という凄い状況もありましたが)、フロリナ王女が、青い鳥にエスコートされるよりずっと綺麗なんですよ!何故か。何をしているわけでもないのに。雰囲気とか、あとは、何処まで下がってどう立つか…それだけのことだと思うんでけれど。本当に、あの王子様は只者ではないです。

というわけで、感動の余韻どころか、感動そのまま持ち帰ってきた感じで今これを書いています。ストーリー重視、幻想的でシンプルなジゼルも好きですが、踊りとして見た場合「何故、これがここに?」などと首を傾げることは多々あっても、こんな絢爛豪華も素敵です。とりもなおさず、その中央に、大輪の花、大きな輝きであるニーナさんと、それを誰よりも美しく見せられる、ノーブルで優しさに溢れたウヴァーロフの王子が居るならば。

ところでこの日の帰り、何人もの小さな女の子たちが、お母さんに連れられて、踊りながら帰っていくのを見ました。やっぱりじっとして居られないんですね。本当に可愛かった。そして、電車の中で聞いた、こんな会話。「今日のニーナは、何だか随分小さく見えたけど…」「背景の問題よ。あの王子、身長二メートルもあるんだって!」…そんなにありませんってば(笑)。私の目算では190195の間……大差無いですね。どっちにせよ日本人にとっては非常識な数字です(爆)。そして「ローズ・アダージョって、ニーナみたいにテクニックも華もある、トップダンサーだけが踊るわけじゃないじゃない。何も持っていない人って、どうやってあれを踊るの?」ごもっとも!ニーナさんの完璧なローズ・アダージョの輝きを見た後では、そうも言いたくなります。

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