「ボレロ」――それは、とても不思議な音楽です。バレエの世界ではジョルジュ・ドンが、フィギュアスケートの世界ではトーヴィル&ディーンが、それぞれ伝説を生み出した音楽。その凄まじさといったらもう、言葉では書けないくらいで――「Fatal」という英語が一番、ふさわしいでしょうか。「運命的」で「致命的」。けれど、すくなくともフィギュアの世界では、二十一世紀に入った辺りから、「普通の」スケーターが、勝負を懸けた一曲としてではなく、案外「普通に」使える音楽になりました。いわば、ボレロ神話の解体が起こったわけです。一方バレエの世界でも、ドンが去り、首藤さんも「ボレロ」を封印し、後藤晴雄さんと水香さんが、新たな「ボレロ・ダンサー」になった。でも、「ボレロ」って、そんなあっさりと、一気に二人のダンサーをデビューさせちゃうようなものだったっけ?もしかして、ここでも「ボレロ神話の解体」が起こっているのでは?と、考え込んでいました。


 「ボレロ」――ジョルジュ・ドンが決定的にした「
Fatal」さ故に、強烈な印象に残る演目。でも、それ故に、この目で観られるものだと、いまいち信じきれなかった。だから、新聞でチケットが残っていると知って、そして何より、間違いなく神話世代のダンサーである、高岸さんが踊ると知って、衝動的にチケットを買い求めました。

 



「ギリシャの踊り」

二人の若者:大嶋正樹、古川和則

パ・ド・ドゥ:吉岡美佳、平野玲

ハサピコ:井脇幸江、木村和夫

ソロ:中島周


 個人的に、あまり面白みのある演目では無かったです。確かに雰囲気は明るくて軽やかで、昨年の五輪で見た、ギリシャのイメージそのものの、大らかに満ちていた。でも、それ以上のものを見つけられなかったんですよね。「それで?その先は?」と、つい尋ねてしまう。ベジャールというと、つい身構えて、深遠な何かを要求してしまうんですね。


 でも、ダンサー一人一人を見ているのは、やっぱり面白かった。無邪気にして無垢な中島さん、幼馴染の腕白坊主二人という風情の、大嶋さんと古川さん、明るく健全なムードの吉岡&平野ペアと、もっと大人の雰囲気を漂わせた、井脇&木村ペア。皆さん、この振付けが「こなれて」いるなぁと感じました。ちゃんと消化して、我が物にして踊ってるなと。


 そして一番驚いたのは、今まで「ドン・キ」は別にして、迫力を感じたことが無かったコール・ド。「ドン・キ」の時でさえ、団結力やパワーを感じたことはあっても、機能美は感じなかったコール・ドが、まあ何とよく揃うこと!実に見事でした。

 



「バクチV」

シャクティ:上野水香  シヴァ:後藤晴雄


 この作品は、Tから通しで観たいと思いました。そうそう、ベジャールはこうこなくっちゃ、といった感じでしょうか。


 ただ気になったのは、後藤さんと水香さんの動きが、微妙にずれること。元々そういう振付けでないのなら、問題ですよね。あと、シャクティはシヴァが発散し、シヴァに戻るエネルギーだということですが、前半、後藤さんに力が感じられなかった。まるでエネルギーをすべて発散し、何も残っていないかのような。


 一方の水香さんは、やはり凄い身体能力。よく動く体、完璧に制御された動き、何ともいえない透明感――でも、ベジャールと聞いて連想する、生々しさや深さが感じられなかった。何と言うか、彼女はやはりベジャールやノイマイヤーではなく、プティかフォーサイスで観たいダンサーです。


 そして、水香さんにそんな思いを抱いた後の、後藤さんのソロは格別でした。確かに、水香さんに比べれば、プロポーションがいいとは言えないし、動きの範囲も狭い。でも、「ベジャールを踊る者、かくあれかし」みたいな深みがあった。生々しく、深遠で、どこかに命の儚さを秘めているようで。それを見つけたとき、「ベジャールを観て良かった」と思えるのです。

 



「ドン・ジョヴァンニ」

ヴァリエーション1:門西雅美、西村真由美、佐伯知香

ヴァリエーション2:小出領子

ヴァリエーション3:高村順子、井脇幸江

ヴァリエーション4:長谷川智佳子

ヴァリエーション5:大島由賀子

ヴァリエーション6:吉岡美佳

シルフィード:吉川留衣


 なんかこれは…懐かしかったですね。私、中学・高校と六年間女子校で育ったんですが、その雰囲気と、凄くよく似ていて。賑しくて、猥雑で、かまびすしい、ごちゃごちゃの世界。本当はドン・ジョヴァンニの存在なんてどうでもよくて、何かわけのわからないものを中心に据えて、わいわいやるのが楽しい。その大騒ぎが、一番大切。そんな、あの懐かしい時代の雰囲気に、とてもよく似ていました。


 ダンサーとして目に付いたのは、やはり井脇&高村ペアと、吉岡さん。凛としてクールな井脇さんの周りを、バタバタしながら動き回る高村さんの動きは、それこそ本当に、あの頃の一こまのようで、甘酸っぱい気持ちが溢れそうになりました。そして吉岡さん。伸びやかで、艶やかで、本当に美しい。細かい動きのひとつひとつにまで、目を奪われます。いつか吉岡さんの主演で、古典全幕を観たいなと思いました。

 



「ボレロ」

高岸直樹

 
「ボレロ」――この、極度にシンプルなバレエには、シンプルさ故に、踊り手の生き様が投影されるような気がします。ダンサーが、与えられた「天命」、自ら選び取った「天命」を踊る儀式。例えば首藤さんのそれは、「若さは差し出すもの」というご本人の言葉に、とても忠実だった。ギエムは正確無比で、彼女自身の「自分で『理が通る』と思ったものしか認めない」的な役の解釈にぴったり。ドンのボレロは、若い頃の映像では「選ばれた者」であることを、どこか楽しんでいるよう。死を間近に控えた頃のものは、まるで終わりを予感し、自らの終焉を描き出すようでもありました。いずれにしても、その両方が、間違いなくドンの人生だった。では、高岸さんは?殆ど過剰と言える期待を寄せて観ましたが――裏切られたものは何も無かった!


 最初に感じたのは、「火の鳥」の時と同じ、無垢な印象でした。いつも高岸さんを包んでいる陽性のオーラが、ぐっと透明になって、凄みを増していく、あの感じ。そしてその無垢なるものは、どこか高いところへ飛んでいこうとしているようにも見えました。でも、その足は地について動くことなく、飛び去りたい魂もまた、自分が飛んでいけないことを知っている。前半の印象は、そんな感じ。


 それが劇的に変わったのは、中盤、膝を折って、両足でテーブルを踏みしめた瞬間。「ドン」という大きな音が出た瞬間、鳥肌がたちました。「かかってこい」とでも言うかのような、言い知れない凄み。ダンサー高岸直樹の、覚悟のようなもの。そこからが圧巻でした。「リズム」のダンサーたちのエネルギーが、次々と中央に集まっていく。「メロディ」の無垢さは、そのエネルギーを容れるための、器だったからなのでしょうか。曲の盛り上がりと一緒に、エネルギーが満ち、最後に大きく爆発する――息を飲んでいるうちに、すべてが終わり、気がつけば涙が出てきて、私は立ち上がっていました。


 「ボレロ」――その舞台の上に、リズムのダンサーが居た事を、初めて意識しました。ドンもギエムも、プリセツカヤや首藤さんも、みんなこの舞台の上では、ただ独りに見えた。でも、これが高岸さんの「ボレロ」なんですね。東京バレエ団の「大将」(井脇さん談)の生き様。みんなのエネルギーを集めて、高みへと運ぶ「儀式」。そういう「ボレロ」なんですね。そして期待通り、高岸さんはまだ、「ボレロ神話」を生きていた。それを目の当たりに出来て、嬉しい、というより光栄です。心から。

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