ボリショイ・バレエの精髄――その言葉が、真に迫って聞こえてきました。これを踊れるダンサーは、本当に幸せでしょう。心の底からそう思います。最高の踊り甲斐。最高の演じ甲斐。理不尽なまでに高度な技術と演技力、莫大な運動量の要求――ダンサーにとっての天国と地獄が、渾然一体になって現れるんじゃないでしょうか。もし、私がバレエダンサーに生まれ変わることがあれば、ボリショイに入って、コール・ド・バレエでいいからこの舞台に立ちたい。最初に観て、そう思いました。

 

キャスト

スパルタクス:イレク・ムハメドフ  フリーギア:リュドミラ・セメニャカ

エギナ:マリア・ビィーロワ  クラッスス:アレクサンドル・ヴェトロフ

 

 スパルタクス――それは、信念を掲げて闘った男の物語。その周囲に、愛や欲、運命の理不尽が絡みついて、決してお伽話になりえない、凄絶で美しい世界を創り上げています。しかもこのバレエは、そのすべてを踊りで語る。どこを取っても圧巻です。

 スパルタクス。主人公に選ばれたこの男は、多分、最初から圧倒的な心身の強さを備えていたわけではないと思います。ただ、人間として当然の誇りを持っていた。基本はそれだけだと思うんです。そしてそれを、最後まで譲らずに貫き通した。そうやって闘う中で、彼は英雄になり、最後にその死を以って、聖なるものに昇華してゆくわけですが、彼は決して「打倒ローマ」とか、大層なことは叫びませんでした。

ただ、人間として当然の自由を。尊厳を。極論を言えば、ローマが最初の敗北でそれを許してしまえば、彼はその先、何もしなかったと思います。悪の帝国の言うことなど聞けるか、と叫ぶ手合いでは無いんですね。そもそも彼が望んだ向こうに居たのは、愛妻フリーギアだったわけですから。

ムハメドフは、本当にスパルタクスそのもの。泥臭くも雄々しく、英雄的。最初から英雄だったわけではありません。第一・第二のモノローグでは、苦悩が勝る。でも、その奥には、最初から確かに、「誇り」があった。それを奮い立たせて、彼は立ち上がったんでしょう。

それにしてもムハメドフの、何と言う集中力。そして、圧倒的な力感。脱走やアッピア街道の場面での跳躍は、私が今までに観てきたどんなバレエのパよりも躍動感に溢れ、力強かった。それと、これは振付けの問題かもしれませんが、剣を持って戦う緊迫感が、すごく上手く出ますね。実際問題、殺陣をしているわけではないのに。

もうひとつ、ムハメドフは、元々そんなに「バレエダンサー的に綺麗な」ラインの持ち主では無いと思うんです。でも、彼はその体に、意味を与えることが出来る。フリーギアをリフトした時の、揺ぎ無い姿勢。槍衾にされた断末魔。スパルタクスの誇り、英雄に選ばれた男の美しい魂が、太い線から滲み出てくるようでした。

 フリーギア。それほど強烈な個性を放つ役ではありません。でも、ひたすら清楚で優しい。飾りの無い衣装に包まれた細い体、その描き出すしなやかな線だけが、彼女の纏う美なのです。アダージョの場面は、女性の脚線美を描き出すことを主目的に振付けられたとか。飾りけが無い、シンプルな表現と、そこから生まれる豊かな情感こそが、フリーギアの個性でしょう。王女様の華やかさでもなく、白鳥の妖艶さでもない。生身の女性としての美だけが、彼女の魅力です。

というわけで、彼女の見せ場はやはりアダージョ。それと勿論、最後のピエタ。実は彼女、この物語を「観ていた」だけなんですよね。スパルタクスと一緒に剣を取ったわけじゃないし、実際問題としてエギナやクラッススと何かあったわけじゃないし。ただ見つめて、すべてを受け入れていた。

受け入れ難い現実を、それでもひしと抱きしめて生きてゆくことは、歴史上、数多くの女性に課せられた試練だったことと思います。その試練を真正面から掻き抱いたところに、フリーギアという当たり前の女性の強さがあって、その強さと優しさが、あの場面を作っているんじゃないでしょうか。多分彼女は、普通の女性の限りなく美しい姿なのです。ちょっと「大和撫子」的な、耐え忍ぶ美徳を持った役かもしれませんね。

セメニャカを観るのは初めてでしたが、この役、エギナに食われることが多いんですよね?でも彼女は、ヒロインとして踊りきりましたね。最初の場面こそ、若干叙情性に欠けるかとも思いましたが、そこから先のたおやかさ、儚げに見えても手折れない芯の強さは素晴らしかった。それと、ピエタの部分でスパルタクスの亡骸に楯を置き、両腕を掲げる、そのラインの強さ、神々しさといったら!この役は、やはり淑やかなだけでなく、強さも必要ですね。その点、彼女は申し分なかったと思います。

 エギナ。スパルタクスやフリーギアより、更に生々しいところで生きている女性です。その立場は、権力者の愛妾。外見は華やかですが、智謀と美貌だけを武器に、戦ってのし上がっていかなければいけません。だから彼女には、フリーギアのような健気さや、素直な美しさは無い。すべての振る舞いが自覚的で、妖艶で、悪辣。踊りの中にも、男性的で直線的な動きと、妖艶で柔らかい動き、両方が織り交ぜられています。

ビィーロワは、最初は「ああ、エギナはこうだよね」という、及第点きっちりの演技でした。もっとも、この演目で及第点って言えることが、既にかなり凄いとは思いますが。

でも、一番見ごたえがあったのは、敗北して戻ってきたクラッススをたきつける、一連のシーン。あの時、彼女は、クラッススの見ていないところで、ひどく冷ややかな笑みを浮かべるんです。きっと彼女にとってクラッススとは「武器」なんでしょうね。自分がのし上がるための道具。だから、内心では彼を見下している。そうなんだと、気付いて、月並みですが感動しました。

 クラッスス。愚かな凡人であり、冷酷な権力者であり、悪女に誑かされる道化。様々な人間の弱さと愚かさを内包した人物ですが、どうしても情け無いとは思えない。様々な欲や剥き出しの感情が渦巻く中では、彼のような存在も必要ですし、当然なのです。踊りの見せ場は、最初の凱旋場面でしょうか。ローマ兵の行進は、グリゴローヴィチの真骨頂とも言える、勇壮な男性舞踊。でも、ひょっとしたらクラッススの持つ、虚栄の象徴なのかもしれません。あの豪華な場面の中央に君臨していた男から、この後一枚ずつ、無意識に鎧っていた化けの皮が剥がれて、生身の弱い人間が現れてくるのだと思っても、中々味があります。

 この役は、女に操られ、人間の格で奴隷に負けて…という、かなり情けない設定ではありますが、ヴェトロフの演技には、それに留まらない、強い自我を感じました。最初のソテの連続で、もうそんな感じがしたかな。エギナの言いなりになる単純さも見せつつ、残酷で傲慢で歪んだエゴを持つ、一流の悪役。ヴェトロフのクラッススは、そういう役だと思います。

 それにしても、ロシアは偉大!ロシアの芸術は、バレエでも音楽でも、いわゆる芸術スポーツというものでも、いつも必ず、奥底に骨太な強さを秘めています。それは、過酷な北の地で生き抜く強さであり、過酷なものに耐えたが故の、喜びの大きさであると思うのですが(これも月並みだ)、そういう意味で、このバレエに敵うものは無いんじゃないかと思います。ぜひ、これからも、ボリショイで大切に踊り継いでいって欲しいものです。

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