石畳の回廊に佇んで、ダリューンは無聊の身をかこっていた。朱塗りの柱に囲まれた庭園では、今を盛りに菊花が咲き乱れている。秋の昼下がりの陽光を受けて、淡く黄金を孕む花々は、華麗さよりもどこか寂しい。それは恐らく、見るものの内心のせいだろうけれど。

 ダリューンはここで、人を待っている。人――星涼公主、もしくは彼女のもたらす情報を。公主は今、会議の最中だ。その内容は、決して明るいものではない。セリカの国情は、容易ならざる状態にある。というのも、猜疑心の塊である今上の皇帝と、英明の君主で鳴らしながら、退位後の今になって寵妃の産んだ子を次代の天子にと望み、晩節を汚した先帝・太上皇との対立が表面化し、戦になりそうな気配なのだ。会議はそのための、皇帝側勢力の会合である。そしてその議題の中には、ダリューンを戦力として招くかどうかも含まれていた。外交使節という職務上、他国の政争に関わるのは望ましいことではない。しかし、一人だけなら、というセリカ側の藁をもすがる気持ちと、一人ならいざとなればどうとでもなる、セリカに恩を打って損はないというパルス側の打算が、ダリューンをここに連れてきた。

 「待たせたな」

涼やかな声とともに、公主が現れる。その姿に、ダリューンは一瞬、見とれた。青藍色の戎装に月色の被風、同色の布で結い上げた髪を包み、耳元や髪に、銀と瑠璃の飾りがちいさく揺れる。これで甲冑さえ纏えば、完璧な軍装になる。その凛々しい装いが、この少女にはたまらなく似合った。

 しかし、公主の表情は明るくない。

「すまぬ、ダリューン、やはりおぬしの力を借りることになってしまった」

清冽な気性の持ち主だ、部外者の彼に迷惑を掛けることがよほどこたえるのだろう。それを癒してやりたくて、柔らかく微笑む。

「気に病むことは無い。これもパルスの外交のうち、それに、ほかならぬ貴女のためだ」

「…ありがとう」

闇色の瞳が、涙に濡れて揺れた。

 しかし、公主はそれを振り払い、何処か決然とした表情をつくって、ダリューンの面を見上げた。

「ダリューン、我儘ついでに、もうひとつだけ、頼みごとをしていいか?」

彼女に頼まれれば、ダリューンに否やは無い。そう答えると、輝くように、公主は微笑った。

「名前を、覚えて欲しい」

唐突で意外な問いかけではあったが、言われてみれば、ダリューンは彼女の名前を知らない。見返すと、公主は、はにかむような、年相応の表情をしていた。これも、今にして考えればだが、十七歳の少女だ。それにしては、随分大人びた顔ばかり見てきていなかったか。

「私には、母がいないし、父上は……皇帝陛下は、大勢居る娘の中の一人と、私を顧みても下さらぬ。それで、皆は私のことは公主殿下とか花冠将軍とか呼ぶだろう?誰も、私を名前で呼んではくれぬ。この先も、多分な。私はきっと、武人としてセリカに身命を捧げるだろうから――おぬしと同じ道を、進むだろうから。だから、せめておぬしにだけは――」

その言葉には、ダリューンの知る由も無い、もうひとつの大切な意味合いがあった。セリカの女性は、基本的に人に名前を教えない。知っているとすれば、親兄弟と、あとは夫くらいのものだ。

もちろんそんなことは知らないにせよ、ただ表情の切実さを読み取って、ダリューンは頷いた。

「わかった。それで、なんという名前だ?」

「梨花」

梨花――リーファ。セリカ風の優しい響きを、胸に反芻する。

「春に咲く、花の名だ。白くて美しい――そのうち見せてやる」

笑顔の後ろに、菊花の反射光が眩しい。その光が、かえってその表情の寂しさを浮き立たせた。

「泣きたいのなら、泣いてもいいぞ。誰も見てはおらぬ」

その言葉を聞いたとき、梨花は、年よりも寧ろ幼いくらいに、透明に微笑った。

「優しいな、おぬしは――ありがとう。でも今はいい。今は、笑っていたいのだ」

それだけ言うと、踵を返して、菊の花園に足を踏み入れた。」

 金蕊の海の中に立つ、細くて青い姿がある。凛としていながらも寂しく儚いその色を、守ってやらなければ。そう思う視界の中で、菊の色が徐々にぼやけ始める。黄金を孕んだ白の中で、僅かに混じった黄と赤が浮き上がり、花の中に消え入りそうな青色をひきたたせるような、隠してしまうような、不思議な感覚に浸りながら、ダリューンはじっと、昼下がりの花園を見つめていた。

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