雪が、西都永安府を覆っていた。もともとセリカの中では北の地、パルスに較べて気温も低い。宮殿の瑠璃色の瓦にも、城下の藁葺きの屋根にも、等しく白い色が降り積もっている。そのあまりの量と寒さとに、パルスの中でも比較的温暖なエクバターナで生まれ育ったダリューンは閉口している。エクバターナにも雪は降るが、ほんのお情け程度、積もることすらまず無い。これだけの雪を見たのは初めてだった。

 「情けないな、この程度の寒さで音を上げるとは。雪がそんなに珍しいか」

この地で生まれた梨花にとっては、それが笑いの種になる。何もなければ、闊達な少女なのだ。この二ヶ月、ダリューンはそのことを、つくづくと思った。

 一応の戦端が開かれて一ヶ月とすこしになるが、まだまだ小競り合い程度で、二人の出番はまわってこない。それを逆手にのんびりしているような毎日だ。互いの母国のことや、過去の思い出を話し合う。梨花がダリューンに、さっぱり上達しはしないが、セリカ語を教える。他愛の無い、限りなく貴重な毎日であった。

  

> この日、二人は、庭園の一角の小さな四阿に居た。ここは風通しが悪く日当たりが比較的よいため、冬でもちいさな陽だまりのように暖かい。それに、ここでなら人目をはばからずに好きな話が出来るというので、梨花はしばしばダリューンをここに連れて来た。

「それにしても、パルスの国王陛下とは、幸せな方だな。おぬしと、そのナルサス卿とやらと、諸国が羨む雄と智の人材を、二人ながら二人とも配下にお持ちだとは」

それに対してダリューンは、曖昧にしか応えなかった。果たしてあのアンドラゴラス王に、自分はともかく、ナルサスを御してゆくだけの力があるだろうか。そのことに、甚だしい疑問があったから。

「…異論がありそうだな」

その表情を、梨花は敏感に読み取る。誤魔化しの効くような相手では、そもそもなかった。

「まあ、セリカもパルスも、何某かはそうそう褒められたものでない事情を抱えているということだ」

柔らかな苦笑で、真っ直ぐに見つめ返す。すると少女も、年相応の表情で、同じものを返してくれた。

 瞬間、二人の肌を、同じものが襲った。二人とも、戦場を駆ける戦士である。殺気にはことのほか聡い。咄嗟に四阿を飛び出し、身構えると――幾人かの兵士が飛び出してきて、二人を包囲した。場所が場所だけに、二人とも丸腰の状態だ。相手の数は十人とすこし。武器さえあればどうとでもなる相手だが……

 兵士たちの顔を見回していた梨花が、急に眉を険しくした。

「おぬし、執金吾の……!」

「左様、周黒虎にござる」

執金吾といえば、都の治安を担う部門の総括、重臣中の重臣の一人だ。

「…成る程、禁中は敵だらけということだな」

梨花の横顔に緊張が走り、あっというまにその顔を、少女から戦士、花冠将軍へと変えてゆく。黎(くろ)い瞳は、真っ直ぐに手近な兵士を見据えていた。とにかくまず、武器を奪わなくては話にならない。

 こうと決めたら、ぐずぐずしている二人ではない。向こうが動き出す前に、先手を取って最寄の兵士に掴みかかり、腕を捻って武器を取り上げる。流れに任せて、襲い掛かってくる兵士を斬り伏せる。何か打ち合わせをしたわけではないが、見事に息の合った戦いぶりだ。あっというまに、二人を取り囲んでいた兵士たち全員が雪の中に沈んだ。

 残りは周黒虎一人。そう思って、二人がそちらに向き直るより、一瞬だけ早く。鋭い金属音がして、突如二人の剣が折れ飛び、ついでダリューンがのけぞり、倒れた。

「ダリューン!」

取り乱した叫びとともに、涙が溢れて梨花の頬を伝った。それを拭おうともせず、燃えるような瞳で周黒虎を見返す。

「袖箭を使ったな」

袖箭とは、袖の中に仕込んで使う暗器の一種で、腕に矢を仕込んだ筒を隠し、ばねの力でそれを飛ばす仕組みになっている。周黒虎の表情がそのまま返答になっていたが、彼は口に出しては別のことを言った。

「ほう、勇猛果敢の公主殿下が異郷の騎士と理無い仲との噂は、真でありましたか」

嘲るような響きが、梨花を逆上させる。

「黙れ!貴様の命は、この劉梨花がもらいうけるぞ…必ず、殺してやるからな!必ず!」

 そして、二人が身構えたのとほぼ同時に。雪の崩れる、微かな音がした。

「待、て…貴様の相手は、俺がする。リーファには手を出すな」

「ダリューン…」

呆けたように呟く梨花の頭を、ダリューンはぽんぽんと軽く叩いてやった。

「勝手に殺すな、大事無い。息が詰まっただけだ」

そして振り向く時には、表情は再び戦士のそれになる。周黒虎に、たじろぐ色が見えた。

 しかし、二人の武器は先程の袖箭で破壊されてしまった。まずは、それを何とかすること。周黒虎の注意がダリューンに集まっているのをいいことに、梨花は鋭く周囲に視線を走らせた。           

 あれだ。決断と同時に、走り出す。二人も当然、そのことに気付いた。同時に駆け出す。ダリューンの方が早い。倒れた兵士から奪った戟を、ダリューンに手渡す。振り向き様の一撃で、決着がついた。

 周黒虎の巨体が雪に沈む。純白の中に、不吉にも美しい、鮮血の真紅が広がった。

「…大した腕だ。しかし、覚悟するが良いぞ。貴様らがいくら足掻こうが、最早どうにもならぬ」

「そんなことは関係ない。俺はただ、リーファを守るだけだ」

揺るぎ無いダリューンの答えに鼻白んだ表情を残して、周黒虎が事切れる。その様子を黙って見ていた梨花が、ぽつりと、しかしはっきりと呟いた。

「例えそうであっても、私は最後まで闘い抜いてみせる…花冠将軍として――」

 気が付けば、辺りは相当暗くなっていた。冷気も増しているし、そろそろ中へ入ろうと、ダリューンは梨花に歩み寄った。すると、ふいに梨花が、年相応の明るい表情を作る。

「ダリューン、今日は幾日だ?」

「十四日だったと思うが…」

あまりの変わり身の早さに呆気に取られるダリューンに向けて、梨花はまぶしく微笑んだ。

「来い。いいものを見せてやる」

そう言ってダリューンの手を握るが早いか、梨花は駆け出した。かじかんだ手に素肌のぬくもりが優しい。一瞬振りほどくべきかとも思ったが、それが出来ないまま、手を引かれるままに、ついていった。

 それなりの距離を走っただろう。導かれて辿り着いた場所は、宮殿の櫓のひとつだった。普段はあまり使われていないのか、見張りの兵士も居ない。何が何だかわからないでいると、梨花は、勾欄に軽く手をかけて凭れ掛り、柔らかく微笑んだ。その背後、闇になった筈の空から、淡く光がたちのぼっている。

「ダリューン、見るがいい。元宵の夜……セリカで最も美しい夜だ」

吸い寄せられるように勾欄に歩み寄り、見下ろした西都永安府の街は、色とりどりの淡い光に彩られて、夢のような美しさだった。

「これは……?」

二人の横顔に地上からの光が当たって、戸惑いの消えないダリューンの表情と、梨花の鮮やかな笑顔とを照らし出す。

「犯夜の禁を、知っているな」

「ああ」

犯夜の禁とは、犯罪防止のため深夜の外出を禁止するセリカの法のことだ。

「元宵の三日間だけ、その禁が解かれるのだ。その間、永安府の民は、貴賤を問わずその家の軒に思い思いの灯篭を吊るし、夜を通して祭りに酔いしれる。この時ばかりは、皇帝も庶民も何の関係も無い」

いつしかダリューンは、灯篭ではなく、その光に照らされた梨花の笑顔にこそ魅入っている自分に気付いた。その笑顔が、真っ直ぐこちらに向き直る。

「ダリューン、おぬしがこの都に着いたとき、私が言ったことを、覚えているか?」

「ああ。確か、『この広大な国には、人の世で最も美しいものと、最も醜いものと、両方がある。その一部なりと確かめて、帰国して後、語り草にするとよい』だったか」

「そうだ。そしてこの夜は、間違いなく、その最も美しいもののうちに入るひとつだ」

語り終えた梨花は、しばらく躊躇う様子を見せたが、そのまま柔らかく、ダリューンに体重を預けた。そして、穏やかに満ち足りた笑みを浮かべて、灯篭の光を瞳に映している。ダリューンは一瞬戸惑ったが、どこか無邪気にも見えるその笑顔を壊したくなくて、右腕を梨花の肩にまわし、優しい力を込めて抱き寄せた。

 夜空には寒気に冴えた満天の星、地上には人の幸せを映すかのようなつつましい光の群れ、そこに篭った熱気がゆらゆらと立ち上り、闇の深さと風の冷たさを一瞬忘れさせる。二人の見ている西都永安府の街は、その裡に悲喜こもごものたくさんの思いと人とを抱えながら、今だけはにぎやかに、それでいて穏やかに更ける夜の中で、ゆったりとまどろんでいた。

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