大魔王バーンとの最後の戦いの日、つまり勇者ダイが地上から姿を消してから一年目に当たる日、勇者ダイの仲間たちは、多くはアバンとフローラの結婚式以来半年振りで、ダイの剣の下に集まった。パプニカ王国主催の式典に出席するためである――と言っても、本当にただそこに居ただけで、これが地上を救った面々だなどという鬱陶しい紹介さえなく、だからこそ安心して皆が集まったのだが。 

 式典の後、内輪のささやかな宴の席で、ポップはほっと一息ついていた。半年前同様、今回も彼が皆を呼び集める労をとったのだが、さしたる厄介事も持ち上がらず、こうして無事に一日が終わろうとしている。明日何人かをルーラで送っていかなければいけないが、そんなものは大したことは無い。

 満足そうに部屋を見回した視線が、隅の方で黙ってワイングラスを傾けているヒュンケルの姿を捕える。今回は前もって日程を知らせておいた。半年前のあの一件の効果があったらしく、必ず行くという返事を貰って戻ってきた。そして式典当日、ヒュンケルとラーハルトはきちんとパプニカにやって来て、ちゃんと宴にまで出ているのだから、大した進歩だ。まぁ、見た目の性格は一向に変わっていないのだが。

 さて、そのヒュンケルから付かず離れずの微妙な位置から、エイミがじっと視線を送っている。それ以上のことは何もしない様だが、遠目にもそれとわかる一途な眼差しだ。一方マァムは、部屋の反対側でアバン、フローラと談笑している。こんな時でもなければ見られない、それなりにきちんとしたドレス姿は、レオナが面白がってしつらえたものだ。レオナの普段着ているものがそうであるように、活動の妨げになるようなデザインはされていない。本人も気持ちよく着ているようで、とても綺麗だ。一瞬、ヒュンケルの視線が部屋の向こうへ飛ぶ。何を見ているかは言わずもがなだ。事情を知らなければ何も分らないだろうが、ポップにしてみれば不穏そのもの。エイミが気付いていないのがせめてもの救いといったところだろう。

「ポップさん」

横合いからかけられた声に、思わず飛び上がりそうになった。慌てて取り繕って、声の主、メルルの方を向く。

「これ、美味しいですよ。ポップさん、さっきから何も食べてらっしゃらないでしょう?」

小皿に取り分けてくれた料理は、見た目といい、栄養といい、立派な品揃えだ。しかも重たいものが何も無く、するする胃袋に収まるような工夫までなされている。行き届いた心遣いに感謝しながら、ポップは皿を受け取った。どうせ何も起こらないさ、という気分が無きにしも非ず、何も起こらないといいけど、という逃げの気分も少々。しかし、彼が一人で考え込んでいても何も片付かないのもまた事実。ここはとりあえず宴を楽しむことにしよう、と居直ることにした。

 

 そんな風にして宴はつつがなく終わり、夜も更けて皆が眠りについた頃。突然の大きな振動が、気持ちの良い眠りを覚ました。流石に歴戦の顔ぶれだけあって、皆が即座に起き上がり、素早く身じまいをして廊下に出る。ただの地震、という可能性が最も高いのだが、あれだけの戦いを繰り広げると、何かと勘ぐりたい気持ちが芽生えてしまうのだ。

 すこし置いて、また大きな揺れが来た。首都から見て北東の方角から、何か地鳴りのようなものが聞こえる。

「北東ってもしかして、バルジ島の方角じゃありませんか?」

最初に気付いたのはアバンだった。それを聞いた瞬間、誰もが青くなる。バルジ島には、今はもうバルジの塔はない。代わりにあるのは、一年前の戦いで投下された大魔王バーンの兵器ピラァ・オブ・バーン。その頂上部分には、悪夢の超爆弾、黒の核晶(コア)が埋め込まれている。現在、世界の六ヶ所に点在し、一発でも火が点けば、国のひとつも滅ぼしかねない代物である。製造者の直接の命令でなければ爆発しないものだと言われてはいるが、放置しておいては不安だし、何かあってからでは遅い。戦いの後、アバンを中心に研究が進められ、分解なり無害化するなりの手段を探しているが、解決策はまだ見つかっていない。一応、応急処置としてアバンの破邪の秘法で強化したマホカトールをかけてあるが、それがどこまで効果があるか、実際に黒の核晶の被害を見ただけに、誰もが安心出来ないで居る。そして今また、その不安を呼び覚まされたわけだ。

 「だったらじっとしてなんか居られないぜ!先生、おれ、ひとっ飛びしてくる!」

最初に動き出したのはポップだった。我に返るが速いか、窓際へ駆け寄って、窓を撥ね開ける。

「待って、私も行くわ。魔法でどうにか出来ないこともあるかもしれないし」

と、ここでマァムが出てくるのは最早いつものことで、ある意味お約束とも言える。

「ちょっと待ちなさい。ヒュンケル、貴方もついて行ってあげてください」

切れんばかりに張り詰めた空気を、アバンの軽い調子のひとことが和らげる。深い青色の視線は、一見したところ表情を揺るがせもしない、彼の一番弟子に注がれていた。

「先生、何でですか?!ヒュンケルは傷が完治していないのに!」

ポップについで走り出しかけていたマァムが、踵を返してアバンに詰め寄る。アバンは一瞬、おや、という表情をしたが、やんわりとそれを制して言った。

「何も戦えと言っているわけじゃありませんよ。ポップが忙しい時に、もう一人、頭を使う役が要ることもあるかなと思ったんです。それとこの際、ルーラかヒャド、片方でも出来る人間は、なるべく多くここに待機しているべきですしね。もしこの異常がピラァによるものなら、ほかの柱にも何か起こっていないとも限りません」

そしてアバンはもう一度、ヒュンケルの方に向き直った。

「ちょっとお説教がましいかもしれませんが、言わせて下さいね。ヒュンケル、私が貴方を行かせるのは、貴方がこの中で、多分一番しっかり『アバンの書』を読んでくれているから。それと、『今』だからですよ。分りますね。貴方なら、ポップやマァムが迷った時に、一番必要な言葉をかけてあげることが出来ます。それが今、貴方がすべきことですよ」

それは、ヒュンケルの性格上、適任だとも、難しいとも言える内容だった。確かに、この中で唯一アバンの書を暗記するまで読み込んだのはヒュンケルだ。恐らく、子供の頃濁った心で聞き漏らしたことがありはしないかと、必死になって師の言葉を追ったに違いない。そしてヒュンケルは、確かに幾つも、ダイやポップに的確な助言を与えてきた。彼なりに、仲間を、弟弟子たちを想う気持ちは深いものがある。そのことは誰も疑わないが、同時に皆が、その性格の微妙な屈折も知っている。長兄役はともかく、父親代理が務まるのか。そのことを、一瞬誰もが思ったが、確かにアバンの言う通り、任せてみたい気もするのだ。ただ、「今」という言葉の意味を理解し得たのは、多分ポップとヒュンケルだけだろう。誰も、二人の間に半年前起こった、あの事件のことは知らないのだから。

 「…わかりました、先生。ポップ、マァム、いいな」

ヒュンケルは、一瞬考える様子を見せたが、ごく素直に頷いた。彼がアバンを「先生」と呼ぶのは、気持ちが真っ直ぐになっている証拠だ。マァムはまだすこし異存がありそうだったが、本人とアバンが言うのでは逆らえない。

「おれは構わないぜ。何かあったら守ってやるさ。一度くらい、それもいいもんだ」

ポップはごく明るい調子でそれを受けた。両手を伸ばして、マァムとヒュンケルの手を取る。

「それじゃ、行って来る!」

ルーラの閃光が夜空に消えるのを見届けて、アバンは窓を閉めた。

「ピラァに何事も無いといいけれど」

傍らで、フローラが心配そうに呟く。

「大丈夫ですよ。このパプニカにあるうちでも、ベルナの森のピラァに異変は無いようですから、すべてのピラァが一気に、ということは無いでしょう。だったらあの子たちが何とかしてくれますよ」

「あなたの自慢の使徒たちですものね」

アバンの声を聞くと、フローラの表情はすこし和らぐ。これは、もう二十年近く、出会った頃からずっとそうだ。

「そうですね。ポップには、すこし大変なことになるかもしれませんけど」

それを聞いて、フローラは首を傾げた。

「ポップに?彼が一番しっかりしているように見えたけれど」

「うーん…それはまぁ、終わってみないとわかりませんが。とりあえず、上着くらい着てきませんか。まだしばらく待つことになりそうですし、風邪でもひいたら大変ですから」

そこまででやんわりと会話を終わらせて、アバンはフローラの肩に手をかけ、部屋の方へ足を向けた。へえ、という好奇の視線が何本か交錯して、アバンは慌ててその手を離す。結婚しているのに今更何を、という感じだが、アバンだから仕方ないとも言える。アバンは苦笑して、心の中で愛弟子たちに頑張りなさいよと呼びかけつつ、とりあえず一旦その場から姿を消すことにした。

 

 バルジ島に着いたポップたちは、ひとまず島の中央のピラァまで走った。島が以前の姿を保っていれば、ルーラでいきなり中央まで来られたのだが、今ポップの記憶にある姿を留めているのは、海岸近くのほんの僅かな部分だけだ。三人連れてトベルーラというのもしんどいし、結局走ることになる。

 走りながら、ポップはアバンの言葉の意味を考えていた。あのメンバーからして、自分とマァムが動くのは一番自然なことだ。でなければラーハルトかヒム。それが実力的に一番確かな人選だから。ではアバンは何故、戦力にならないと分りきっているヒュンケルを来させたのか。しかも、何か危険があれば、どうせヒュンケルは真っ先にそこへ飛び込むに違いない。なのに何故――きっとアバンも、自分と同じ事を考えているのだろう、とポップは思う。ヒュンケルの自己不信の根は限りなく深いにせよ、せめて彼を取り囲む様々な形の愛情と、それに向き合う方法だけは知っていて欲しい。どんなに不器用でも構わないから。それにきっとアバンは、ヒュンケルに教えたいのだ。彼が何を語れるか。何を知り、どう伝えることが出来るのか。直接武器を持たなくても出来ること。大人になっている一番弟子に、あれこれ五月蝿いことは言いたくないから、状況を作って自ら学び取って欲しいと願っているのだろう。それを受け止めるための最低限の下地は、半年前のあの日に出来ている筈だ。この先に何があるかわからないが、状況によっては見物だなと、ポップは思う。

 しかし今のポップがそれ以上に気になるのは、マァムの様子だった。ヒュンケルの体のことを心配しているのは相変わらずなのだが、数日前に再会してから、どうも何か様子がおかしいのだ。実はポップはここ三ヶ月ほど、マァムと顔を合わせていない。最初の半年はメルルと三人でダイを探す旅を続けていて、半年前、アバンの結婚式の後もそのまま世界を回る積りだったのだが、祖母ナバラが体調を崩したため、メルルがテランに帰った。重病というわけではないが、年齢的なこともあって、疲れが溜まって一ヶ月ほど寝付いてしまったのだという。その時、ポップとマァムも何となく二人きりで旅を続ける気がしなくて、一度それぞれの故郷に戻った。ポップはその後、二週間ほどして再び旅に出たのだが、マァムが何をしていたかは、パプニカで再会するまで知らなかった。マァムもポップよりすこし遅れて旅に出たらしいのだが、何処へ行ったとか、何をしたとか、話したがらないのだ。その後も、何故かアバンやフローラ、クロコダインやチウとばかり話していて、自分やレオナのところには寄り付かない。おかしいなとは数日来思っているのだが、レオナに相談したら「思うところあるみたいだから、そっとしておきましょう。まだお説教する状況じゃないし」とあっさり片付けられてしまった。確かにそうかもしれないが、好きな女の子の様子がおかしい、というのは、どうにも居心地の悪い状況だった。

 ヒュンケルはこのことに気付いているのだろうか、とふと思ったところで、ピラァの足元に辿り着いた。大理石のように真っ白で傷一つ無い塔は、相変わらず圧倒されるような巨大さだ。

「ひとまず黒の核晶の様子を見てこよう。マァムはここで待っていてくれ。すぐ戻る」

ヒュンケルは一見いつも通り、涼しげな顔で場を仕切り始めた。確かに今は目の前のことに集中しないと、一大事になるかもしれないのだ。ポップは頷き、もう一度ヒュンケルの手を取って、トベルーラでピラァの頂上まで飛び上がった。

 黒の核晶は、相変わらずの姿でそこにあった。唯一違いがあると言えば、光の魔法陣に押さえ込まれて鳴動を止めていること。

「お前の意見を聞きたい。どうする」

ヒュンケルが自分に話を振ったのは、魔法の専門家の言葉を聞きたかったからか、それとも多少は気を使ってくれたのだろうか。どちらとも図りがたいが、まずは返事だ。

「とりあえず何とも無さそうだけど、一応凍らせとくか」

「頼む」

短い受け答えだけで、ポップは手早くヒャドを使ってピラァを凍らせた。彼の魔法力を以ってすれば、ほんの一瞬で済む。

「核晶自体に異変は見られないようだが…ピラァの回りを調べるか?」

辺りを注意深く見回して、ヒュンケルがまた問い掛ける。どうやら一応、仕切り過ぎないように気を使ってはいるようだ。

「ああ、そうだな…なあ、ヒュンケル。あんた気付いてるか?」

折角だからと、尋ねてみると、ヒュンケルは「脈アリ」の表情で頷く。

「マァムのことか。確かにすこし、不安定だな」

二人でこういう会話が出来るとは、ある意味で夢のような話だが、話題が話題なだけに、喜んでもいられない。

「あいつが何か言ってくれないことにゃ、どうしようもないんだけどな。あんたも分ってるならそれでいい。何かあったら、ちゃんと受け止めてやれるもんな」

頷くヒュンケルに右手を差し出し、もう一度トベルーラで下まで下りる。待っていたマァムは、何だからしくないほどほっとした表情をしていた。

 

つぎへ

inserted by FC2 system