涙腺が壊れてるんじゃないな、と気がついたのは、涙が止まらなくなって何日めのことだろう。文字どおり泣き暮らしながらも、そんなことに気がつくだけ、落ち着きが戻ってきたのは。壊れたのは、涙腺じゃなくて頭の方だ。動かなくなってしまったはずの理性は、いつのまにかちょっとは回復していて、そんな結論を導き出した。

 だけど、それでも、壊れてしまった頭は、ばかみたいに繰り返した。

「俊兄がいなくなった」

「もう会えない」

「大好きだったのに」

そんなような言葉だけが、頭の中をぐるぐる回って止まらなくて、その言葉たちがいちいち、私に涙を流させた。逆に言ったら、たぶん、それがなかったら、もっと早く泣きやむことができたんじゃないかと思う。

 だけど実際には、私の頭は完璧に壊れてしまって、悲しい言葉が止まらなかった。

 後から思えばそれは、暖かく平和すぎた少女時代の終わりを告げる、春の嵐のようなものだったかもしれない。そうじゃなかったら、子供だった私が生まれ変わるための、儀式みたいなもの。ほんとに後からだから、何だって言えてしまうけれど。でもそう思いたい。

 あの夏、私は大好きだった「お兄ちゃん」を亡くし、代わりに自分の生きる道を見つけてしまった。

 

 私、中原忍と音楽との付き合いは、生まれる前にさかのぼるだろう。それが何かはわからないけれど、母親のおなかの中で、外の音に耳をかたむけ始めたころ、何かが聞こえてきたはずだ。父がかけていたクラシックのレコードか、母が弾いていたピアノか、それとも2人で、何かの演奏会に行ったりしたかもしれない。ともかく、そのどれかが、私の初めて聴いた音楽で、この世界に出てきた後も、音楽に触れない日はなかった。

 音大で指揮や作曲を教えている父と、家でピアノを教えている母。俗に言う「音楽一家」というものに、私は生まれた。

 そして私の1番古い記憶は、母のひざに乗って、ピアノの鍵盤をたたいているところから始まる。2歳か3歳か、もうちょっと上だったのか…ともかく、楽譜も何も読めやしないころ。ただ、たたけば音が出るのが楽しかったんだろう。あまりにも自然ななりゆきで、私はひらがなより先に音符の読み書きを覚え、母親からピアノを習うようになった。

 平和でのんきな子供だった。音楽を生業にする両親は、一応、子供たちに音楽を強制しない、という方針をたてていたらしい。だから、私は好きでピアノを弾きつづけたけど、2歳年上の姉、薫が、一向に上達しないままピアノを放り出した時も、それはそれで良しとされた。その一方で私は、そこそこ練習すれば何でも弾けるようになったので、毎日楽しくピアノを弾いてすごした。そのほかにも、母についてまわって台所で料理を手伝ったり、ちょっとしたお裁縫を習ったり、まるで絵に描いたような、幸福な幼い日をすごしたと思う。

 ただ、そういう、ほんとに小さいころの思い出の中には、父や母にくらべて、姉が出てくる回数がすくない。2歳ちがいの姉妹なら、一緒に遊ぶことも多かっただろうに…と思うのだけれど、どうやらそのころ、私はピアノやまな板や糸切りばさみとばかり仲良しで、あんまり姉のことを気にかけていなかったらしい。

 状況が一変するのは――というより、私の人生が最初にひっくり返ったのは、忘れもしない、10歳の時だった。外から帰ってきた私の耳に入ったのは、これまで聴いたこともない音楽。それはとても速くて激しくて色鮮やかで、とにかく私のポヤポヤした生活をぶち壊すには、十分すぎるインパクトがあった。

 それは姉の部屋から流れてきていた。

 引き寄せられるように、私は姉の部屋の前に行き、そうっとドアを引いて、中を覗いた。中では姉が、真剣の二文字をはっきり書いたような、これ以上はないっていう真顔で、CDプレイヤーの前に正座して、流れてくる音に聴き入っていた。ちょっと声をかけていい感じではなかった。

 なんだけど、私もその音楽が気になって仕方なくて、ドアから首だけつっこんで、つい聴き入ってしまった。

 そして、20分か30分か、そのくらい後だと思うんだけど、音楽がすべて終わって、姉が深々と溜息をついてから――やっと私は、言うことができた。

「お姉ちゃん、それなあに?」

 姉は、まさか私がそんなところにいたなんて、ちっとも気づいていなかったらしくて、すごく驚いた表情をして、まじまじと私を見た。それから、にやりと笑うと、私を手招きした。

 誘われるままに中に入った私の目に、黒い背景にグロテスクな人の姿が浮かぶ、10歳の子供には怖い感じのCDジャケットが飛びこんできた。その絵にひるみかけた私に、姉が言った。

「忍、あんたXって知ってる?」

かぶりを振った私に、姉は得意顔で語って聞かせてくれた。今聴いていたCDは、Xというロックバンドの新しいアルバムだということ。Xがとても人気のあるすごいバンドだということ。

 今しがた耳にしたばかりの音楽はまだ、あっけに取られた私の中で、鳴り響いていた。怖いなと思うところもあったけれど、すごく綺麗なところもあった。良い意味と悪い意味、両方で背筋がゾクゾクする感じ――不穏なものへの恐れと、感動した心の震えと。10歳だった私にはまだ、その時感じたすべてを言葉にすることはできなかったけれど、とにかくそれは私にとって、今までに感じたことがないほど、多彩で、複雑で、そのくせ1番奥の、1番シンプルな感情に直撃するという、謎の音楽だった。

 その謎に、私ははまり込んだ。そしてこの日、この音楽を間にはさんで、姉と私は手を取りあった。誰よりも身近なところに、同じものを愛している仲間がいるのは、とても楽しいことだから。いじましい話、CDや音楽雑誌を割り勘できるのも大きかった。今となっては笑ってしまうけど、姉はあのあと、自分でXのファンクラブに入っておいて、私にはきっぱり「1軒の家に同じ会報が2部届いても仕方ない」と言い放った。そして私がLUNA SEAのファンクラブに入らされるのは、もうちょっとあとの話だ。

 それはともかくとして、最初の衝撃からたいして時間もあかない92年の初頭、姉と私は、両親からお年玉のかわりと言ってチケット代をせしめて、東京ドームへXのライヴを観に行った。今でもどうしてあのチケットが取れてしまったのかよくわからない。そして両親は、それが何だかよくわかりもしないのに、はいはい、という感じで気安くチケット代を出してくれた。音楽を聴きに行く、というのなら、ジャンルがどうあれ、差別はしない両親だ。

 こうして、予備知識ゼロの小学生2人は、水道橋の駅に降り立った。

 我ながらあきれてしまうのは、その時自分が、それがどんなに危険地帯なのかを、まったく理解していなかった、ということ。それも、ライヴが終わって家に帰るまでの間、ずっと。

 電車を降りたらそこには、黒い服を着たり、赤い髪を立てたり、コスプレをしたり特攻服を着たりした、気合の入ったお兄さんやお姉さんがたくさんいて、異常なくらいテンションの高い空気が、ドーム周辺を包んでいた…はずだ。あとあとの経験から逆算すると。なのに私は、あとちょっとでXの音楽が聴ける、という一心で、嬉しくて嬉しくて、そんなことには何も気づかず、さっさと自分たちが並ぶべき列を探しだして、ちょこん、とそこに立っていた。そして、ヘッドバンキングという言葉も知らなかったくせに、姉と2人見よう見まねで、はしゃいで暴れて大さわぎして、誰に対して何を気にすることもなく、そのライヴを楽しんだのだった。

 そしてライヴが終わり、規制退場にしたがって、小学生としてはかなり遅めの時間に外に出た2人は、ほてった頬を寒風にさらしながら、おなかの底から大笑いした。手も足も痛かったし、声はかすれて、歩くのもやっとなくらい、疲れていたんだけど――テンションはとっくに振りきれていて、幸福感と高揚感しか、そこにはなかった。

「お姉ちゃん、また来よう、ね?」

そうして顔を見合わせたとき、私は姉にそう言った。

「うん、絶対来よう」

姉はそう言ってうなずき、私たちは手をつないで帰った。最寄の駅まで車でむかえに来てくれた父は、そんなに楽しかったかい、それは良かったね、と言って、穏やかにほほえんだ。

 

 こうして私と姉のライヴ遍歴が始まる。といっても、1年に2本か3本くらいだったから、いわゆるバンギャル、という生活ではない。ふしぎと2人とも、メンバー個人に入れあげたり、XならXだけを崇拝して、そこを中心に生活を回そうとはしなかった。

 Xの次に姉が発見してきたのは、今度デビューするという大型新人バンド、LUNA SEA。2人はこのバンドにもはまりこみ、姉は私をファンクラブに入れた。何よりもありがたいことに、LUNA SEAは公演の本数が多かったので、彼らのライヴは年中行事になった。それプラス、例えばZI:KILLだったり、Xメンバーのソロライヴだったり。姉はBUCK-TICKやThe Yellow Monkey、ZIGGYにCRAZEに…そのほか色んなバンドのライヴに首をつっこんでいたけれど、私はそこまで手を広げはしなかった。

 姉は、邦楽で現役で、ライヴが面白いバンドが好きだ、という。これは今でもそうだ。で、私は、これも今でもそうなんだけど、どこの誰でもいいから、自分がきれいで、格好いいと思えるバンドが好き。これは感覚的なものだから、何がどうかっこいいのか説明しろ、と言われると、すごく困るんだけど。

 ひとつだけ確かなのは、その生活が始まる頃から、私の人生はすごく忙しくなった、ということだ。ギターを習いたい、と言い出して、最初にクラシックギターの教室に連れて行かれたのもこのころだし、両親に勧められるままに、中学受験の勉強を始めたのも、思えば同じ時期だった。

 思えばほんとうにヘンな姉妹だと思う。同じ中高一貫の女子校を受けないか、と言われた姉の返事は、女の子しかいないところなんてイヤ、でおしまい。両親もそれ以上、しいて勧めようとはしなかったので、姉は地元の公立中学に進んだ。私はその様子も見ていたんだけど、深く考えもせず、なんとなくそれがいいような気がして、受験勉強を始めた。余談になるけど、人生で1番勉強にはげんだのは、きっとあの時期だったと思う。

 ちなみにギターを始めたのは、もちろん、そのころ大好きだったいくつかのバンドに憧れて、という理由だったんだけど、これまた面白いことに、特定の誰かのようになりたかったわけではなかった。あえて言うなら、ギターを始めたのと同時期にデビューしたLUNA SEAが、何となくはげみだったくらい。ただ、ギターを持っている姿が1番、ロックミュージシャンぽくてかっこいい。そんな思いで選んだ楽器だった。そして、いざ始めると、ピアノのおけいこがそうだったように、基礎基礎また基礎の反復練習を、面倒くさがりもせずに、生真面目にこなした。私にとって、音楽とは、そうやって身につけるものだったから。

 先生には内緒でエレキギターに手を出すのは、クラシックギターを始めて1年くらいたったあとのことだ。同じ6弦なのに、ずいぶん勝手がちがう楽器だな、とは思ったけど、真面目に基礎をやっていたおかげで、応用するのはそんなに難しいことではなかった。

 たしか、そのころじゃなかったか、と思うんだけど――中学生になっていた姉が、学校の友達を、家につれてきた。

 実家には、防音の地下室があった。ふた部屋の片方を、母がピアノを教えるのに使っていて、もう片方は物置になっていたんだけど、まず私が、そこでエレキギターを弾くようになった。何しろ音の大きい楽器だから、防音なうえに地下室、という場所はありがたかった。で、それを見ていた姉が、友達と文化祭でバンドをやるから、練習に使わせろ、と言ってきたんだったと思う。

 最初はびっくりした。というのも、姉はちいさいころにピアノで挫折して以来、けっこう深刻に楽器アレルギーで、それが何であれ、絶対に自分から楽器に触ろうとはしなかった。冗談みたいな話だけど、音楽の時間にたてぶえを吹かされるのが、どうしようもないくらい、いやだったらしい。だから、その姉が一体何をやるのか、歌でも歌うのか、と思ったら、姉はただの裏方で、バンドをやるのはみんな、同じクラスの男の子たち、という話だった。

 その日、私が、ギターのおけいこを終えて家に帰ってきたら、玄関に見なれない大きな運動靴が、何足も脱ぎ捨ててあった。あれ、と思いながら、楽器を置きに地下室へ行くと、奥の部屋からエレキギターの音が聴こえた。

 聴いたことのない音だ、と思った。曲は、すっかり聴きなれていた、Xの「紅」。なんだけど、CDで聴いていた音よりも、透明で鋭い、と思った。もちろん、あんなにうまくはなくて、指が動きたりない、という感じもしたけれど。でも、きれいな音だな、と思った。

 扉を開けた瞬間、その「音」は、最大音量になって私をつつみ、私は目を丸くして――そこに立っていた、その人を見つめた。

 急に背がのびたせいで、寸たらずになってしまった感じの詰襟が、細くてアンバランスな腕と脚を包んでいた。やせぎすに見えたのも、その年らしいバランスの悪さのせいだ。だからよけいにあごが細く見えた、白い横顔――目線はまっすぐに、手にしたギターの6本の弦をにらんでいた。

 「ごめん忍、勝手に使ってた。おかえり」

曲の切れ間になったところで、姉がそう言い、一緒にいた男の子たちが、いっせいに私を見た。

「これ、うちの妹で、忍。クラシックだけど、ギター習ってるの。けっこう上手いよ」

姉は適当にそんなことを言い、男の子たちは同じように適当なあいづちを打ち、でも、さっきの人だけが、私を見た。

「透明で、きれいな音…Xじゃないみたい」

一瞬はっとしてしまうような、濃い黒の瞳だった。それで、びっくりしたり、どぎまぎしたりしながら、とっさに私はそんなことを言った。するとその人は、苦いほほ笑みを口元にきざんで、ため息まじりに言った。

「綺麗、なんてもんじゃないよ」

変声期どまんなかの、かすれた声だった。

 それが、俊兄――椎名俊二との出会いだった。

 

 なんだけど、その出会いは、そこからあとの何につながったわけでもない。というのは、彼らはちょくちょくうちに顔を出してはいたみたいなんだけど、なにしろ受験生だった私が忙しくて、いつも、ああ来てるなくらいですませていたからだ。

 だから続きは、どうにか目指していた中学に受かってからになる。ちょうどそのころ、彼らもどこかのバンドコンテストに出るとかで、またまめに練習をするようになっていた。そうすると自然と、我が家にくる機会がふえる。

 それで、何回目かに地下室を占領された日のことだ。面白そうだから練習を見ていてもいい、と訊くと、彼らも姉も、気軽にいいよ、と言ってくれたので、私は部屋のすみに腰かけた。

 DEAD ENDにX、LOUDNESS、AION…まったく身の丈にあっていない曲ばかり弾いていたから、演奏はさんざんなものだった。唯一、俊兄を除いては。

 俊兄だけが、要求されたコードのすべてを、的確に押さえられる指を持っていた。1年前よりひとまわり大きくなった手があざやかに弦の上で踊ると、強烈に澄んだ音が鳴り響く。あの日、私を包んだ「音」――でも、彼はもうそこに留まってはいず、更に進化した「音」。コピーなのに、それはYOUでもHIDEでもPATAでもなく、高崎晃でもなければIZUMIともちがう。ようするに彼は、譜面に指定されたとおりの音を奏でながら、ちゃんと自分の色をつけていたのだった。

 コピーするのに四苦八苦する仲間たちの間で、1人だけ、つきぬけすぎていた。

 休憩時間になると、私は、いても立ってもいられなくて、思わず俊兄ににじり寄ってしまった。

「さっきの音、どうやって出したんですか?エフェクトはかけてないでしょ?どうしたらあんなに光る音になるんだろう…」

確かに彼の音は、曲によって、フレーズによってさまざまに彩りを変えながらも、基本はいつも、光り輝くような音だった。

 けれども俊兄は、最初のあの日とおなじように、軽いため息のあとでこう言った。

「形をなぞってるだけだよ、まだ」

自嘲の色が濃い、重苦しい言葉に聞こえた。もうすでに、今できていることだけで、仲間たちははるか遠くに置き去りにしている。なのに、それでもまだ全然、足りないみたいだった。

「でも、素直にコピーするだけじゃ、あの音にはならないでしょ?何がちがうんだろう…あ、ヴィブラートのかけ方が、微妙に違う…?」

もちろん、秘密はそこだけにあったわけではないんだけど、確かに俊兄には、そういう手くせもあったのだった。自分で言うのも何だけど、子供のころから音楽づけの生活だっただけあって、年の割にはいい耳をしていたと思う。

 俊兄は、私のそのセリフを聞いて、切れ長の目を軽くみひらいた。

「たったあれだけで、よく分るな」

「だって、Xのギターはぜんぶ、頭に入ってるから、何がちがうかわかるし」

続いたひとことで、俊兄は笑いだした。鋭い線で描かれた白い顔が、ふと幼く見えた。

「薫。お前さ、どういう家に住んでるんだよ」

振り返った俊兄にそんなことを言われて、今度は姉が苦笑する。

「その家のお世話になりまくってる奴に、偉そうに言われたかないわね!で、それはただ単に、そのように育っちゃってるだけだから、まあ気にしないで」

「それ」呼ばわりされてきょとんとする私に、俊兄がもう1度、向き直る。

「名前は?」

まっ黒な瞳が、私を見た。にらんでいたわけでもないのに、その視線はとても強くて、一瞬、背筋に電流みたいなものが走った。

「…忍」

「じゃあ忍、何か弾いてみろよ」

そう言って俊兄は、持っていたギターを差し出した。

 何、と言われても、とっさに何も思い浮かばない。まさか、エレキギターで「禁じられた遊び」でもあるまいし、今さっき、この同じ楽器を使って、とても素人の少年とは思えない音を出した人が、目の前にいる。こんなに気まずいことはない。それは素直に表情に出たらしくて、俊兄の、やや表情に乏しい面に、彼なりの柔らかさが浮かんだ。

「何でもいいよ。お前の好きなもの」

 好きなもの、と言われると、今度は数えきれなくなる。だけど、ギター1本で始められて、それなりにサマになるものといったら、決して多くはない。

 軽く息を整えてから、私はギターを抱えて、近くにあった椅子に座った。クラシックギターのくせもあったし、当時まだ背がのびきっていなくて小柄だったので、立って弾くことが、実はできなかった。

 選んだのは、Xの「紅」だった。それは実は、俊兄たちが直前に弾いていた曲でもあったんだけど、同時に、ギターの弾き方を覚えた私が、1番最初にコピーしたロックでもあった。

 その曲は、短いオーケストラの前奏を除けば、とてもシンプルな哀愁のアルペジオから始まる。いきなりそのアルペジオから入ればいい。大切なのは、音の粒をきちんと出すことと、粒の大きさに微妙な差をつけること。全体はきれいに流すこと、でも、流しすぎてはだめ。細かい音を大切に弾くこと――ざっとそんなことを考えながら、弦に触れた。

 本当のことを言うと、途中でだれかが、もういいよ、と止めてくれるのを、私は待っていた。クラシックをやっていたせいで、自分が未熟者だ、ということがよくわかっていたし、私が弾いたその「紅」は、市販のスコアブックに書いてあったツイン・ギターの譜面を、適当に書きかえてギター1本で弾けるようにしてしまった、でたらめな代物だったから。それなのに、5分以上もの間、結局誰も何も言わなかったので、私は結局、最後まで演奏をすることになった。

 曲が終わり、おずおずと顔を上げた私と、俊兄の視線が合う。

「…上手いじゃないか」

半ば呆れたような声で、俊兄が言った。

「ていうか、俊二の音と、ちょっと似てるよね。立て続けに聴いて、初めて思った」

一方、私の音を聴き慣れている姉は、別のことにびっくりしたみたいだった。

「でも、まだあんなにきれいに光る音は出せないよ。さっきのは、もっとすごかった…音の粒がぜんぶ、光ってた気がする。ひとつだけの色じゃなくて、パートによってちがったし」

突然、姉以外に聞かせたことのなかったエレキギターを、ほぼ知らないお兄さんたち相手に披露させられ、急に持ち上げられて、私はうんと、戸惑っていた。そして思わず、すがってしまったのは、ついさっき、地下室に入った私を包みこんでくれた「音」の記憶だった。

 あれより上手いギターなら、お金を払って、ライヴ会場で聴いたことがある。だけど、あんなふうに澄んだ光を宿していた音を、ほかに聴いたことはなかった。

 まっすぐに見返した、その視線の先で、俊兄は切れ長の目を軽くみひらいていた。やがてその目が、薄く細められる。淡い笑顔。

「そういう風に褒められるのは、初めてだな。ありがとう」

決して、喜怒哀楽をストレートに顔に出す人ではなかった。だけど、それだけに、時々浮かべるその笑顔が、すごく印象的な人でもあった。その時の、その表情がまさしくそうだ。見ているこっちの気持ちがきれいになってしまいそうな、無邪気な笑み。でもそれは、子供の顔じゃない。それにしては彼は、影を知りすぎていた。

 多分、それだからこそ、光り輝くものを目ざしていたんじゃないか、あんな音を奏でたんじゃないか、と思う。そして、そんなハートがそのまま、作意のない笑顔に透けたんじゃないか、と。

 その光に、私は惹かれた。姉が、私たちの音を似ている、と言ったのは、もちろん私が、その光に共鳴するだけのものを、もう持っていたからなんだけど、きっとあの時、無意識に、俊兄の音を吸収していたから、もあるんだと思う。

 ともかく、それをきっかけに、私は俊兄や姉たちの仲間に入れてもらい、やがてはクラシックをやめて、ロックギターに専念するようになる。そうして、すこしずつ腕を上げていく私を、俊兄はすぐ近くで、見ていてくれた。人に教えるなんてことは、てんで苦手な人だったのに、なぜか私には優しくて、口下手なりのアドバイスをしてくれたり、聴き役になってくれたりした。

 私は、「俊兄」の一番弟子――そんなことを言い出したのは、いつごろのことだろう。もう思い出せない。でも、その時にはもう、ちゃんとわかっていた。自分の音が、俊兄の影響を受けて育っていくこと、そして2人が、似たような光を奏でたいと願っていることを。

 うんと後で、大人になってから思ったんだけど、もしかしたら私たちは、あそこで恋に落ちていてもよかったのかもしれない。そのくらい、音に向かう感性は似ていた。俊兄の影響を受けたから似たんじゃなくて、下地があったから影響された、という話。年のわりに「影」を知りすぎていて、だから光を渇望した俊兄と、光しか知らない私が、同じものを夢見ていたのは、ちょっと皮肉な気もするけれど。

 そして、こんなことを言うくらいだから、もちろん私と俊兄の関係は、それこそ兄貴分と妹分、でしかなかった。というのは、あの時すでに、俊兄には好きな人がいたから。


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