忘却は人生を楽にする、という――それならば、楽になんかなりたくない、と思った。

 忘れるからこそ生きてゆけるなら、いっそ生きていたくなんかなかった。

 守りたいものはひとつだけ。

 神様どうか、取り上げないで下さい。

 私から、

 彼を。

 

 

 

 

 随分奇妙な光景だ、と、葬儀屋の社員は思った。亡くなったのは19歳の少年で、交通事故だったという。仕事柄、そのような痛ましい現場にも何度かは立ち会ってきたが、この少年の家族たちは、そのいずれの時とも、大きく違った振る舞いをした。

 その年頃の少年の親、というにはやや年配の両親と、姉らしき20代半ばの女性――そのほかに、駆けつけた親族らしき顔も見当たらない。そして両親は、取り乱して泣き崩れるでなく、息子の亡骸に取りすがるでもなく、淡々と手続きだけを済ませると、もうその顔を見ることもなく、足早に斎場を後にした。後には姉が残った。

 訳ありの親子なのだな、ということは、両親の態度を見れば一目瞭然だった。

 ドヤドヤと人が入ってきたのは、それからだ。姉の依頼でもあったので、人を入れはしたものの、通夜は明日で葬儀は明後日だ。式の前後でも最中でもない時に、親族以外の人間がこうも大勢で入ってくることは、滅多と無い。

 集まってきたのは少年の友人たちと見えて、やはり20歳前後の若者ばかりだった。亡くなった少年は金褐色の髪を肩の下まで伸ばしていたが、それに似つかわしい、派手な風体の少年も居たし、高校の制服らしいものを着た少女も居た。

 彼らは、棺を取り囲み、口々に何かを言っては、素直に涙を流し――こう言っては何だが、早々に立ち去った両親よりは、ずっと故人を悼んでいるようにも見えた。

 「敦司の奴は?」

「連絡はしたし、返事もしたんだけど…」

「畜生、あのヤロウ、こんな大事な時に、無駄な意地張りやがって…」

そんな会話が聞こえてきた時、これ以上立ち入ってはいけないような気がして、社員はそっと座を外した。

 他の仕事を終えて、様子を見に戻ってきたのは、それからたっぷり1時間以上も後のことだ。その途中で、少年の姉から、お騒がせしましたという挨拶を受けていたので、もうその部屋には誰も居ないものだと思っていた。

 が、彼は、戻った場所で見た光景に、息を呑むことになる。

 一瞬、何かが「出た」のではないか、と思った。そんなことを一々気にするようではこの商売はやっていられないから、彼はそのテのことは信じないし、実際、見たことも無い。それなのに信じたのは、その光景が纏っていた空気が、一種この世離れして、凄艶だったからだ。

 棺の傍らには、まだ人影があった。ひっそりとかぼそくて、淡い影を纏ったその少女は、10代後半くらいだろうか。泣くでもない、取りすがるでもない。ただ慈しむように、母親が幼子をあやすように、少女は少年に寄り添い、時折その細い手を伸ばしては、亡骸を撫でていた。

 それだけの光景だ。だが、ただそれだけの光景が、まるでこの世から切り離されたように、濃密な空気を漂わせていた。一歩近寄れば、闖入者までも異界に連れ去ってしまう、と言わんばかりに。そして、その怖さ故に、誰も寄せ付けない、とも言いたげだった。

 真っ直ぐな長い黒髪の向こうで、少女の面は穏やかだった。笑みさえ浮かんだ慈母の表情には、涙の澱みひとつ無い。何の隔ても、遠慮もなく、恐らくは生前と同じように、彼女は彼に寄り添っていて、もしも放っておいたなら、そのままその足で、ふわりと現世から切り離されて、少年を追いかけて逝ってしまうのではないか――あまりにもその場に馴染んだ少女の姿には、そんな危うい儚さも漂っていた。

 結局、彼が後から知ったのは、少女がそのまま、その場所で夜を明かした、ということだった。

 

 

 気がついたら、私と俊二は、遠いところに隔てられていた。お通夜が始まり、お葬式が始まってしまったら、私は「他人」で、側に居ていいのは、ご両親と、お姉さんのみつきさん、そのほか、数えるくらいの親戚の人たちだけだ。私や音楽仲間たちは、どんなに彼のことが好きだといっても、すこし離れた、顔の見えない場所から、お経を聞いているほかはない。

 17歳の私には、それがどんなお葬式なのか、判断する方法は無かった。何しろ出たことが無かったんだから。ただ、きっと随分、簡素だったんだろうな、という見当はつく。お義理の花輪もほとんど無いし、誰も弔辞を読まなかったし、親戚は少ないし――参列者の大半だった、彼の仲間たちは、ご両親から嫌われている、という理由で、お通夜の前の晩を除けば、お棺に近寄らせて貰えなかったし。

 それでも、来るな、と言われなかったことだけは、幸運なのかな、とも思う。最初は本当に、近寄るな、と怒鳴られたし、ライヴハウスやインディーズ・レーベルの関係の人たちは、お花を断られたらしいから。

 不良息子の、悪い仲間――ご両親から見れば、私たちは所詮、そんな存在なのだった。

 バンド仲間の1人だった、敦司君が来たのは、お葬式の日になってからだ。こういうことがあった、という連絡は、即日いっていたんだけど、彼はその前、俊二と諍いを起こしていたので、色々思うところがあったんだと思う。ただ、部外者である私の目から見ても分ったけれど、彼は敦司君のことを、とても信頼していたし、敦司君もそれは同じだったと思う。ただ、それだけに遠慮が無くて、若いからぶつかり方も下手で、よく喧嘩になる相性だった。

 私が、敦司君、と声をかけると、彼は、泣き腫らした真っ赤な目をして、振り向いた。

「来てくれてありがとう。俊二も会いたがってると思う」

私がそう言うと、敦司君は、大きくかぶりを振って、また涙を零した。何か言いたそうだったけれど――結局何も言えず、お焼香の時にちらっと彼の顔を見られたくらいで、隔てられた距離はとても遠くて――

 気がついたら、霊柩車は彼を乗せて何処かへ行ってしまい、参列者の大半が――ほとんど全部、彼の音楽仲間たちが――取り残されて、呆然としていた。

 ほんの3日前まで、元気に生きて歩いていた人間が、こんなにあっさりと死んでしまって、私たちは説明も無くその亡骸を突きつけられ、あっというまに取り上げられて、もう会うことは無い。そんな現実。

 受け入れたくない、と叫ぶことなら出来たかもしれない。実際、そう叫んだ子も居たみたいだ。だけど、動かぬ証拠は見せられてしまったし、現実問題、私たちにはその状況に対して、何をする力も無い。

 だから、現実は受け入れなければいけないんだ、と思う。そこまでは、辿り着けた。

 だけど、受け入れるって、一体どうやって。そこのところで、誰もが立ち止まる。その、大きすぎる戸惑いが、お葬式が終ったばかりの、がらんとした斎場の空気と交差する。

 途方に暮れる、という言葉が、相応しいのかもしれない。

 気が抜けたような空気に纏わりつかれて、私たちは、何も言えずに立ち尽くしていた。

 7月の空は変に明るくて、暑くて、まるで何事も無かったかのように青い。空を見上げて、ああ今日も晴れたななんて思う、それだけのことで、ぐったりと疲れてしまう。ふっと息を吸い込むと、刺すように肺が痛んだ。歩き出そうとした足は、呪われてるんじゃないかと思うくらい、重苦しかった。そして、その重い手足を動かすことは、当然のように重労働で――大変すぎて、何をする気にもなれない。

 彼は死に、私たちは生き残り、だけど、どうやってこれからを生きればいいのか、見当もつかない。

 

 

 椎名俊二が生まれたのは、1979年11月9日、東京・三鷹の、猫の額ほどの一戸建てだった。戸籍の上では長男なのに、漢数字の二を貰ってしまったのは、両親がその結婚のごく初期に、男の子を死産していたからだ。両親はその子に、誠一、という名をつけていた。俊二の20年弱の生涯には、その兄が、影のように付きまとった。

 生きて生まれなかった子供の後、10年近くも、両親は子供に恵まれなかった。やっと生まれたのが姉のみつきで、最後に待望の男の子として俊二が生まれた時には、両親は40に近かった。その生い立ちからして、過大な期待を背負わされる子だった。

 椎名俊二の人となりを知る者が、二言目には言う台詞が「不器用」というものだ。生真面目や誠実と一対になるその言葉もまた、幼い頃からの彼について回った。

 嘘をつくのが下手で、回りの空気を読んで小器用に立ち回ることが出来ず、口下手で、手を抜くのも下手で、自然、何事にも正面からぶつかって、死力を尽くすような生き方になった。それは決して効率良くもなく、悪くしたら要領のいい回りの人間に利用されることさえあった。そういう性分は、赤羽の工場に勤めていた印刷工の父に似ていたとも言えるのだが、言葉が足りない親子はまた、よくぶつかり合った。

 親が子に求めたのは、自分には無い、明るい雄々しさだったようだ。父もまた、その性分から、日の当たらない人生を余儀なくされた。だが現実には、息子は父の性格を、良くも悪くも受け継いでおり、そのことが、よく父を苛立たせていた。

 父が子に期待したのは、例えば近所のガキ大将のような活発な子供だったが、小柄で細かった息子には、無理な話だった。大体、上手いことを言って人を寄せるだけの要領は無かったし、日々の遊びの中で、良い意味で周りを出し抜くような小器用さは望むべくもない。足は決して遅くなくても、間違いなく、俊二は鈍の部類に入る子供だった。

 そんなことでどうする、と無理なはっぱをかける父と、それでなくても思うようにいかないばかりの人生に苛立っていた息子と。自分と同じ苦労はさせたくない、自分のように育って欲しくない、という愛情は、くるりと裏返せば同族嫌悪になり、路地裏の一戸建てには、荒っぽい怒鳴り声の響く日が多かった。

 その言葉を、僅か10歳の子供に使ってもいいのなら、俊二は既にその年には、随分と鬱屈した子供だった。

 その鬱屈した子供が、一体何故、「それ」に巡り合ってしまったのか、今となっては知る術は無い。ただ、彼が最初に、駅近くのCD屋を訪ねたのは、この頃だったという。

 店の主である篠塚は、息せき切って駆け込んで来た、少年というにも幼い子供の上気した顔を、よく覚えているという。

「あの…今、かかってるの…」

目一杯口下手で、しかも人見知りする気もあった子供が、必死になって言おうとしたのは、それだけのことだ。

「ああ、これな、好きか?」

篠塚の問いかけに、俊二は力一杯頷いた。恐れずに、真っ直ぐ前を見て、子供だからという理由だけではなく、澄み切った瞳をキラキラさせて。

 駆け込んだ店が店だったのかもしれない。篠塚豊は、若い頃はとあるヘヴィメタルバンドで鳴らしたドラマーで、肩の故障で引退を余儀なくされ、家業の楽器屋を継いだという、曰くつきの人物だった。そして、それだけに、音楽を聴いて目を輝かせている子供を、決して放ってはおけなかった。

「ほれ。聴いてくか」

ぽん、と渡された試聴用のイヤホンを、俊二はとても珍しいもののように見つめていたという。そして、使い方を教えて貰うと、殆ど微動だにしないで、そのCD――DEAD ENDの「ZERO」を、一通り聴いていったという。

 目の前の小学生にとって、1枚3000円のCDアルバムが大きな買い物なのは、篠塚にも見当がついた。だが、すべてを聞き終えて、外したイヤホンを手に持った俊二は、いっそいじらしいほどの思い詰めた表情で、何かを考えている風だったという。

「とっといてやろうか」

篠塚がそう言ったのは、確かにその子供が、あまりにいじらしく見えたから、でもある。それとは別に、彼はDEAD ENDがとても好きだったし、後付で言ってもいいならば、俊二の幼い瞳の奥に、同じ音楽莫迦の色を見て取ったから――これは、後から幾らでも言えるような感傷であって、今更あてにはならないが。

 ともかく俊二は、彼の、その言葉を聞くなり、弾かれたように顔を上げて、真っ直ぐに、今日会ったばかりの他人の顔を見上げると、勢い良く頭を下げた。

「…ありがとうございます!」

「いつでもいいから。小遣い貯めて、また来い、な」

顔を上げた子供は一目散に駆け去り、本当に小遣いやら、ひっくり返した貯金箱の中味やらを握り締めて戻ってきたのは、翌月の頭のことだった。

 それが、人の知る「始まり」の記憶だ。その出来事を皮切りに、俊二は時折、その店に顔を出し、床のモップかけだとか、ちょっとした手伝いをしては、篠塚に勧められるままに、色々な音楽を――主に、店主が好きなHR/HMというジャンルを――聴かせて貰うようになった。

 

 

 始まりは、中学校に入ってしばらく経った、梅雨時の午後だった。その日私は、授業中に吐き気をもよおして、先生の許可を取って保健室に行ったのだけど、結局我慢できなくて、途中でトイレに駆け込んで、お昼に食べたものをすべて戻してしまった。ところが、そうしたら急に楽になってしまって、今更保健室に行くのも莫迦みたいだな、と思い、ちょっとだけ回り道をして、授業が終る頃に教室に戻ろうとした。

 廊下をぐるっと回って、図書室の前を通りかかった時だった。カーペットの敷かれたその部屋は、入り口で上履きを脱いで、スリッパで入ることになっていた。それで、ふと見た下駄箱に一足だけ、大きな上履きがあったのが見えた。

 誰だろう、と思ったのは本当に単なる好奇心で、もうちょっと言うなら、クラスの図書委員だったから、なんだけど。それ以上のことは何も考えずにドアを開けた。

 奥の書架のところに、制服姿の人影が見えた。詰襟が隠れるくらいの長い髪、細いシルエットは、成長期の男の子らしい不安定さだった。

「あの、」

振り向いた白い顔、痩せぎすの細い顎と、一瞬はっとしてしまうくらい黒い瞳。私は息を呑んだ。

「何してるんですか」

12歳の子供だ。語彙なんて全然ない。それと、知らない人に突然会ってしまって緊張したのとで、そんな間の抜けたことしか言えなかった。

「見れば分るだろ。書架の整理だよ」

彼はそう、変声期の終わりがけのハスキーな声で言い、またくるりと私に背を向けた。

 その時ふっと、私はあることに思い至った。図書委員の仕事には、昼休みと放課後の貸し出し手続きと、書架の整理と新刊書の受け入れがあるのだけど、当番制ではない後ろのふたつは、積極的にやろうという生徒の数が少なくて、どうしても滞りがちだった。それを、いつの間にか、誰かがやっていてくれることがあったのだけれど、それはどうやらこの人だな、と。

 私はそのまま、スリッパを引きずって奥の書架まで歩いていくと、彼の隣に立って、一緒に整理を始めた。

「いつも、ありがとうございます」

彼はすこし驚いたような顔をして、私を見た。

「教室に、帰らなくていいのか?」

「保健室の帰りなんです。だから、チャイムが鳴るまでは大丈夫」

確かに、世の中の大抵の子供は、授業の途中で保健室なんかに行ったら、最低でもその授業が終るまでは、教室に帰りたくなんかないものだ。だけどその時、私はそれ以上に、彼という存在に興味を持った。だから居残った。

 しばらく、2人とも黙って作業を続けて、ブックトラックがひとつ空になったところで、私はもう1度彼を見上げた。彼はまだ、片付けたばかりの本の背に手を当てて、目線もそこに向けたままだった。

「椎名先輩、ですよね」

その問いかけに、彼はもう1度、驚きの色を浮かべる。どこかぎょっとしたような瞳が、私を見た。

「…何で知ってる」

3年生の図書委員に、1回も顔を見たことが無い人が居るので…何となく」

私がそう言うと、彼は、ばつの悪そうな様子で、ブックトラックに手をかけると、それを隅へ押しやって、書架から本を1冊抜き出した。

「何読むんですか?」

どうしてだろう。私は問いかけ続けた。

「三島由紀夫。『豊穣の海』の1冊目」

「難しくないですか」

「そうかもな」

「好きなんですか」

「まあな」

素っ気無いやり取りはそれで終った。というのは、私もやっぱり本好きだったので、読書の楽しみを邪魔されるのは嫌なものだと、よく分っていたからだ。

 やがてチャイムが鳴り、教室へ戻るために、廊下に出ようとした時だった。

「具合は、もういいのか?」

思い立ったように、彼は私を呼び止めた。

「はい?」

「保健室の帰りだったんだろ」

「行ってないんですよ、実は。途中ですっかり良くなっちゃって」

照れ笑いをした私に、彼は、浅く浅く、微笑みかけた。

 その淡い笑顔が、私をちょっとだけ力づけた。

「先輩は、よくここに来るんですか?」

「時々…放課後からの日もあるし」

「また、来ますね」

そう言って廊下に出た後で、妙に息が弾んでいるのに気がついた。

 それが――私たちの「始まり」だった。

つぎへ

inserted by FC2 system