「あんたがキャプテン・ホークか」

薄汚れた濃紺のバンダナを巻いたその男は、ゆっくりと振り返り、口許からビールの泡を拭った。

「そいつぁまた、懐かしい名前で呼んでくれるじゃねぇか。キャプテン・ホークに何の用だ?」

日に焼けた赤銅色の肌、無精鬚、漆黒の瞳は凄みのある、鋭い光を放っている。なかなかどうして、とグレイは息を飲んだ。

 

 バファル帝国の皇帝フェル六世が――クローディアの父が、急な病に倒れたと聞いたのは、今から十日ほど前のことだ。たまたまその時ローザリアとの国境近くに居た一行は、慌ててメルビルに向かい、ジャンに話を聞いたところ、何の兆候も無く突然倒れ、医者にも原因が掴めないままに、どんどん衰弱していくという。宮廷顧問を務める神官のソフィアは、呪いの恐れを示唆しているそうだ。

「…呪いを解く方法は無いの?」

クローディアは、複雑な面持ちで、ジャンに尋ねた。会ったことも無い父親だが、それでも、呪い殺されるのを黙って見てはいられないのだろう。それに、もし本当に呪いならば、おそらくマチルダの仕業だろうから。

「そう言うと思って、ソフィア殿から話を聞いておいたよ。確実に、とは言えないが、北のアロン島の神殿にある、ムーンストーンを使えば或いは、ということだ。これが、詳細を記した古文書」

と言って、古びた羊皮紙の本を手渡してくれたのだった。

 恐らくソフィアと言う神官が持っていたものだろう、詳細な解読文が挟んであったお蔭で、一行は段取りをつける手間を省く事が出来た。アロン島のジャングル深くにある「二つの月の神殿」に入るためには、銀の月と生きとし生けるものの守護女神エリス、赤い月と愛の女神アムト、二柱の女神の紋章が必要だと、そこには記されていた。果たしてそんなものが何処に、と、ひとまず北エスタミルのアムト神殿を訪ねたところ、紋章は確かに神殿に保管していたが、数日前、名高い海賊のキャプテン・ホークに譲ってしまったという。キャプテン・ホークといえば、バファル帝国とアロン島の間に位置する珊瑚海では名うての義賊で、グレイもその名は聞いていた。しかし、彼が知る限りでは、ホークは数ヶ月前、海賊同士の抗争に敗れて、海を追われたのではなかったか…ともあれ、ではホークを探すことだと、近隣の町を歩いていたのだった。

 

 事情を話そうと、グレイが口をひらきかけた途端。またしてもあの、澄んだ共鳴音が響き渡った。クローディアのサークレット、アイシャのネックレス、アルベルトの指輪、そしてホークの懐の何かが、眩いばかりの光彩を放つ。

「ホーク、一体何を持っている?」

尋ねられるままに、ホークが取り出したのは、オパールの髪飾りだった。

「こいつぁ、アロン島のジャングルに眠ってた、海賊シルバーの財宝だ…一体何がどうしちまったんだ?!」

どうやらもっと根本的なところから、事情を説明しなければならないようだ。シルバーと言えば伝説の大海賊、デステニィストーンのひとつも手に入れていておかしくない。とんだ偶然もあったものだ、とグレイは苦笑した。

 ひとしきり話を聞いたあとで、ホークは磊落に笑って見せた。

「…面白いじゃねぇか。いいさ、こちとら海を追われて、丘に上がった河童みたいなもんだ。付き合ってやっていいぜ」

そんな具合で、話はあっさり纏まった。

 さて、そうなれば次は、エリスの紋章を探す事だが、これはホークもまだ、行方を掴んではいないという。というのも、アムトと違い、エリスは神殿を建てて大仰に祭り上げられるような神ではないからだ。つまり、誰に話を聞いていいものやら、ということである。

「バファル帝国の迷いの森が、エリスに近しい場所だってのは突き止めたんだが、結局俺も、何度入っても出てきちまって」

「…分ります。迷いの森の道なら、私、分るわ」

すこし強張った声で、しかしきっぱりと、クローディアが言い放った。オウルのことを思い出して、辛いのではないかとも思うが、別の命がかかっていることだ。ホークにはまだ、クローディアの素性までは話したわけではないので、怪訝そうな顔で見返されたが、訳ありと悟ったのだろう、深くは追求されなかった。

 

 そうして一行は、来た道を逆戻りして迷いの森へ踏み込んだ。相変わらず、クローディアの案内は正確そのものだ。しかし、当のクローディアにも、一体どこがエリスに近しい場所なのかは分らない。とりあえず、森の中心だと言う大きな樫の木に辿り着いたところで、日が暮れた。とりあえずその夜は、その場で野宿することになった。オウルの小屋まで行けば、屋根も竈もあるだろうが、クローディアが言い出さないものを、他の誰も口に出来なかった。

 食事を終えて焚き火を囲み、見上げた空の中央に、白銀の光を投げかける満月が見える。もうひとつの赤い月は、銀の月とは正反対の盈ち虚けをするから、今宵は新月だ。

「クローディア」

闇の中から、声がした。落ち着いて気品のある、女の声だ。身構える一同の前に、闇から溶け出すように、一人の女性がたち現れた。月と同じ白銀の髪、銀の瞳、紗のヴェールを被っているが、肌は月光に透き通りそうに白く、整いすぎるほど整った美貌は空恐ろしいほどだ。

「貴女は…そう、貴女が、エリスなのね」

クローディアが何を悟ったか、誰にも分らなかったが、女神エリスは柔らかく微笑み、頷く。

「そうよ、私の可愛いクローディア。貴女は、自分の運命を知ってしまいましたね。それは過酷な道です…そうならないように、ずっと祈っていましたが」

エリスの声が、沈痛な響きを帯びる。しかしクローディアは、さっとかぶりを振ってみせた。

「大丈夫よ、心配しないで。私、今、とても幸せなの」

その言葉に、エリスはまだ何か言おうとしたが、しばしの逡巡の挙句、再び笑みを灯して、クローディアの手に、紋章を刻まれたメダルのようなものを握らせた。

「分りました、クローディア、それが貴女の生き方なのですね。悔いの無いように、お行きなさい。貴女の無事を、いつも祈っています」

母が娘に告げるような、慈愛に満ちた言葉だった。そうしてエリスは踵を返すと、瞬く間に銀毛の狼に姿を変えて、闇の中に消えていった。

 ホークには何が何だか分らなかったようだが、あれは、オウルの小屋の扉の前に居た狼だ。グレイは思わず、クローディアの顔を覗き込んだ。はしばみ色の瞳が、かすかに潤んでいる。

「あの子は…シルベンは、私が子供の頃から、いつも一番近くに居て、私を守ってくれた、大事な友達なの」

グレイは黙って頷き、紋章を握り締めたクローディアの手を、上から掌で包み込んだ。エリスが何を言おうとしたか、多少気にはなるものの、行けと言われた、そのことが、今は何より大切に思われた。

 

 アロン島のジャングルは、道があって無いような有様だったが、海を追われてすぐここを冒険したというホークが、かなりいい案内をしてくれた。お蔭で、二つの月の神殿までは、それほど迷わなかった。

 しかし、ふたつの紋章を嵌め込んで扉を開け、一歩神殿に足を踏み入れると、お約束通りにモンスターの大群が待っている。クローディアの矢とアイシャ、アルベルトの術法で牽制し、接近戦に入る。最近では随分、アルベルトも使えるようになってきた。そしてホーク。この男は、流石に名うての海賊だっただけあって、グレイにも迫る腕前の持ち主だ。身のこなしが大胆で、分厚い片刃を無造作に振るっているようだが、その破壊力は凄まじい。風の攻撃術法も心得ている。グレイには制御出来ない戦力だが、あれだけ強ければ文句は無いか。そんな風に考えた。

 それにしても、何という数の敵だろう。外から見た感じは、それほど大きな建物とも思われなかったのだが、モンスターは倒しても倒しても次々現れる。敗北を考えるような劣勢ではないにせよ、きりが無い。長引けば、自分やホーク、ジャミルはともかく、ほかの三人の疲労も心配だ。

「なあグレイ、ちょっと多すぎやしねぇか、このモンスター」

大柄なモンスターに弾き飛ばされて後退してきたジャミルが、忌々しげに吐き捨てる。他意は無かっただろう。しかし、その言葉がグレイに、ひとつの確信を抱かせた。素早く呪文を唱え、軽く術法のパワーを増幅させる。気合を込めて放った力が、モンスターを…いや、モンスターの幻を四散させた。

 幻の消えた現実の視界には、矢張りそれほど広くも無い屋内の光景が広がり、その真ん中に、黒い肌の妖精が浮かんでいた。それが、幻の紡ぎ手というわけだ。妖精は、即座に新たな幻を紡ごうとした。グレイがそれを散らす。同じ幻術使いだから出来ることだ。

「見ての通りだ。クローディア、ジャミル、アイシャ、アルベルト。今回は自分たちでやってみろ。ホーク、あんたにはカバーをお願いする」

返答の代わりに、皆が動き出した。まずはアルベルトのスターファイア。妖精は飛び退って逃げたが、その先にジャミルが居て、スピアを振り下ろす。その間も、妖精は絶え間なく幻を紡ごうとしていた。モンスターの姿ばかりではない。皆の近しい者の姿や、目晦ましの霧、ここではない街の風景などだ。幻を散らすには集中力が要る。流石のグレイにも、そうそう何度も出来る芸当ではない。

 「タラタラしてんじゃねぇっ!」

最初にそのことに気付いたのは、誰あらん、ホークだった。ほかの四人は、これまでの道中ずっとグレイの指示で動き、彼を信頼しきっているだけに、彼が疲れるとか、失敗するとかいうことを、なかなか想像できない。しかしホークにとってはグレイの力量も、認めはするが過大評価出来る対象ではないのだ。

 ホークの放った風の精霊が、真っ直ぐに妖精の体を貫く。無論術法ですることだから、本当に穴が空いたりはしないが動きが鈍った。

「さあ、これからどうする、考えてみな、坊主!」

ホークの鋭い眼差しは、ジャミルとアルベルトを撫で斬りにした。

「やってやらあ!アル、援護頼む!」

最初にそれに乗ったのはジャミルだった。負けず嫌いの炎が、ぱっと燃え上がる。アルベルトは頷いて、剣を構えなおした。最初は通常の隼斬りで牽制。妖精が逃げたところで、ペースを上げて次々と隼斬りを繰り出す。やがて、細かく翻っては風を斬る刃が、研ぎ澄まされた風の檻を作り上げた。これは、隼斬りより一段階高度な鎌鼬だ。グレイが教えたわけではないから、これも基礎だけ入っていたものだろうか。だとしたら、アルベルトに剣を教えた姉という人は、かなりの力量の剣士だということになる。

「アル、上等だ!」

グレイが感心している間に、ジャミルも動いていた。身軽さを活かして柱づたいに天井近くまで上がり、風の隙間を縫って飛び降りるその際、妖精を一突きにした。頬に浅く血がはじけ、服やスカーフにも細かい傷が出来たが、大したことは無いようだ。

「オッサン、どうだ、やってやったぜ」

片目を瞑って見せる、その悪戯っぽい表情が、それ以上に精悍に見える。アルベルトが歩み寄って、掌を打ち合わせた。相変わらずお坊ちゃん育ちの顔をしているし、性格上の甘さはさっぱり抜けていないが、随分戦えるようになった。

「生意気言いやがって」

応えるホークも、満更ではなさそうに、不敵な笑みを浮かべた。

 しかし、満足していない人間も居る。

「ずるーい。みんなして、あたしとクローディアを除け者にした!あたしだって戦えるのに」

男同士で勝手にやっている間に、ずかずかとアイシャが踏み込む。

「仕方ないだろ、お前にあれは出来ないんだから。悪かったよ、今度はお前も入れてやるからさ」

「そうだよ、今回はさ、ホラ、相手が小さかったから、人数も少ない方が良かったんだ。別にアイシャを邪魔にしたわけじゃないんだよ」

ジャミルとアルベルトが、むくれるアイシャを必死に宥める。横目にそれを見ながら、ホークが豪快に笑った。

 やれやれと安堵の息をついた瞬間、眩暈に襲われて、グレイは思わず膝を折った。破幻術をこうも連発したのは初めてのことで、思ったより疲れたらしい。

「大丈夫?」

ふわりと、柔らかな声。クローディアだ。

「すこし疲れただけだ。心配ない」

かぶりを振り、面を上げる。そうすると、目元に落ちていた不安の影がさっと晴れて、いつもの暖かな笑顔が戻ってくる。

「クローディア!あのさぁ、俺も怪我してるんだけど」

わざとらしく大きな声で、ジャミルが言った。茶化す積りなのだろうが、クローディアには通じない。

「行ってやれ」

軽く促すと、クローディアは、軽やかな足取りでジャミルのところに走っていった。

 さて、神殿の最深部にはやはり祭壇があり、ムーンストーンの腕輪が置かれていた。その輝きの強さから言っても、デステニィストーンであっても良さそうな石だが、今度は何も起きなかった。つまり、今石を持っていない二人、グレイとジャミルは、ムーンストーンには選ばれなかったということだ。だが、これで上手くすれば皇帝の病を治すことが出来る。誰に言われなくても、クローディアの表情は明るかった。

 

 アロン島とメルビルは定期船で結ばれていて、ジャングルさえ出られれば真っ直ぐに戻る事が出来る。近衛の詰め所に行くと、待ちかねていたジャンが、大喜びで一同を城に案内してくれた。

 ほかのメンバーを別室で待たせておいて、グレイとクローディアは、皇帝の寝室に誘われた。グレイを同行させてくれたのは、ジャンの配慮だろう。実際に案内をしてくれた神官ソフィアは、クローディアの素性は知っているらしかったが、何故グレイがそこに居るのかは、分っていないようだった。

 クローディアは、いざ父親に会えるとなってからは、流石に不安や緊張で、晴れやかとは言えない表情をしている。それでも期待もしているのが目に見えているのだが。

「ねえ、グレイ、私…」

沈黙に耐えかねたかのように、恐る恐る口をひらいたクローディアに、グレイは緩やかにかぶりを振って見せた。

「お前が今、一番言いたい事を伝えればいい。難しく考えるな」

それは、逃げだったかもしれない。親を知らない彼にとって、クローディアの今の気持ちは、到底推し量れないものだったから。しかしクローディアは、その応えに満足したのか、さっぱりした笑顔を浮かべた。

inserted by FC2 system