ジャンが、行方不明になった。

 迷いの森でオウルを埋葬した後、四人はその足でメルビルに向かった。クローディアに、皇女としての人生を選ぶ意志は無かったが、ジャンに会って、確認したいことがあったのだ。しかし、呼び出しに応じたのはジャンの上司、国務大臣ネビルで、ジャンはローザリアとの国境に近いローバーン公爵の内偵をしていて、消息を絶ったというのだ。

 ローバーン公爵は、皇帝フェル六世の妹マチルダで、夫コルネリオは海軍提督の地位にある。マチルダは、皇女――つまりクローディアの居ない今となっては第一位の皇位継承権を有しており、権力欲の強い女性であるとも言われる。定石通りにいけば、皇后を暗殺し、赤ん坊だったクローディアに魔手を伸ばしたのも、マチルダかもしれない。

 クローディアが、ジャンを助けたい、と言った時、ネビルは何か、含むところがありそうな顔をしたが、何も言わずに、ローバーン郊外の家に住むモニカという女を訪ねろ、と教えてくれた。その際の合言葉も。

「申し訳ないが、ジャンを喪うわけにはいかんのです。あれは、モニカとともに、ローバーン情勢の専門家ですからな。よろしくお願いします」

しかし、この男もどうやらクローディアの素性を知っているらしく、頼みごとをするにはぎこちない態度だった。

 

 「…そう、ネビル閣下から。分った、城への秘密通路を教えてあげる」

ローバーン郊外の小屋を訪ね、合言葉を教えると、モニカは急に、愛想の良かった顔を引き締めた。

「ねえグレイ、貴方とは訓練生時代以来なのに、久し振りの再会がこれだものね。どうかしてるのよ、あの莫迦は。救出したら『二度は許さない』って言っておいてね」

地図と鍵を手渡しながら、モニカは肩を竦めた。グレイにとってモニカとジャンは、少年時代、ほんの一時期バファル帝国軍に所属していた頃の、古い知り合いだ。あの頃、モニカはまだ、負けん気が強いばかりの少女だったが、随分強くなり、賢く立ち回っているらしいなと、グレイは思った。しかし、可愛らしさはちゃんと残っている。

「…貴女、ジャンが好きなのね」

やや下がって話を聞いていたクローディアが、ふっと呟いた言葉に、グレイは妙に納得してしまった。モニカが苦笑して頷く。

「放っておけない…ってやつ」

「必ず助けるわ。待っていてね」

クローディアは、モニカと視線を合わせると、いつの間にか輝きを取り戻した瞳で、優しく微笑んでみせた。

 

 ローバーン城下の廃屋に隠された抜け道を通り、地下牢へ至るのは、それほど難しい道ではなかった。先に行って様子を窺ってきたジャミルが、足音を潜めて戻ってくる。

「牢の前には、番兵は居なかったぜ。じめじめした嫌な場所に、檻が二つある感じだな。どっちにも人が入ってた」

その片方がジャンだという保証は無いが、まずは行ってみないことには。グレイの視線を受けると、クローディアとアイシャが頷いた。

 通路を抜けた先にあったのは、過不足無くジャミルが報告してくれた通りの、薄暗く湿った部屋だった。グレイはひとまず、左側の鉄格子に近寄ってみる。

「…グレイか」

声がした。薄暗がりの中にも、バファル近衛兵の緑色の制服が浮かび上がる。間違い無い、ジャンだ。

「この道はモニカから聞いてきた。ジャミル、鍵を開けてくれ」

ネビルのことはともかく、モニカのことは最初に伝えておくべきだろうと、グレイは判断した。クローディアと出逢う前なら、「話は後だ」で流してしまっていただろうが。まだほんの二ヶ月ほどだが、クローディアの存在は、確実に彼の中で大きくなりつつあった。

 ジャミルが手際よく鍵を開け、ジャンを外へ出すと、隣りの牢から声がした。

「どなたかいらっしゃるのですね。お願いです、僕も外へ出してください」

まだ少年のものだ。しかし、訳あって牢に入れられているものを、闇雲に出してしまって良いものか。グレイが悩んでいると、アイシャがそちらへ歩いていった。その瞬間、澄んだ高い音がして、アイシャの首のトパーズと、牢の中の何かが光った。光の中に、声の主が浮かび上がる。金髪碧眼、ローザリア人らしいが、少々小柄で、品の良い、しかし一抹あどけなさの残る顔立ちをしている。光は、彼の手元から発せられていた。

「ジャミル、鍵を開けてあげて。話を聞きたいわ」

グレイより先に、クローディアが判断した。しかし、グレイにも、何となく事情の見当はつく。デステニィストーンが、仲間を見つけて共鳴したのだ。

 外へ出された少年は、丁寧に頭を下げて礼を述べた。

「ありがとうございます、助かりました。僕はアルベルト。ローザリアのイスマス城主ルドルフの息子です」

「イスマスだと?!」

グレイとジャンが、異口同音にうめいた。それでも声は抑えているが、動揺は隠せない。ここローバーンは、バファル帝国におけるローザリア国境の防衛拠点だが、対するローザリア側の防衛拠点がイスマスだ。ここローバーンの主を皇帝の妹マチルダが務めるように、イスマス城主にも一級の貴族があてられる。今のイスマス公爵ルドルフも、病床の国王カール三世の盟友で、娘は摂政王太子ナイトハルトの婚約者だった筈だ。それが何故、ここに込められているのか。

 問われるままに、アルベルトは事情を語った。今から数日前、イスマスは突然のモンスターの大群の強襲により陥落したという。アルベルトは姉のディアナを守って落ち延びる途中、事故に遭って姉とはぐれ、方向もよく分らないままに、うっかりローバーンの方角に逃げてきて、スパイ容疑で拘束されたのだという。

「大変な目に遭ったのね。でも、大丈夫よ、私たちと一緒に逃げましょう」

思い出したことで、無念の思いまで蘇ったのか、青い大きな瞳を涙ぐませるアルベルトに、クローディアが優しく声をかける。

「ねえ、でもその前に、さっき光ったのを見せて」

言いながら、アイシャはもう、アルベルトの左手を引っ張っていた。その中指に、燦然と輝くダイヤモンドの指輪がある。

「これ、どうしたの?」

「それは、城を落ちる時に、父から預けられたものです。我が家の家宝だと。それが何か?」

「デステニィストーンだよ!」

目を丸くするアルベルトに、グレイは、アイシャを黙らせて、説明を始めた。カクラム砂漠の地下で何が起こったかを。アルベルトは、丸くしたままの目に、やがて静かな光を宿し始めた。

「…僕はこれから、クリスタルシティへ行かなければなりませんが、その後でよろしければ、是非ご一緒させて下さい。僕も、この世界を守りたい!」

正直なところ、グレイはすこし、この少年の態度に面食らってしまった。牢にまでぶち込まれたくせに、初対面の人間にぺらぺらと素性を喋るし、デステニィストーンの共鳴を聞いたとはいえ、すぐに人の言うことを信じるし、世渡りに必要な、基本的な警戒感が無い。育ちが良すぎるせいだろうが、同じ子供でも、アイシャと違って、足手纏いになるかもしれない人材だ。かといって、デステニィストーンを持った人間だから、断るわけにもいかない。サルーインと戦うためには、まずは銀の聖戦士ミルザのように、十のデステニィストーンを集める事が必要だろうから。

「では、ここを出たらクリスタルシティへ行くぞ。アルベルト…と言ったな、君は、ナイトハルト黒太子に会うのが目的か」

その名を聞いた瞬間、アイシャが面を強張らせたが、横にいたジャミルが慌てて抑えたので、アルベルトは気付かなかったらしい。素直に頷く。

「はい。とにかく殿下に、僕の無事をお伝えしたいです。ひょっとしたら、姉も行っているかもしれませんし」

どうやら新手の厄介ごとを抱え込んでしまったようだが、それも仕方ないと、グレイは諦めた。

 いつまでも地下牢の中でじっとしているわけにもいかないので、ジャンとアルベルトを交えた六人は、そそくさとその場を後にし、抜け道を経由して廃屋まで戻ったところで、ようやく一息ついた。今度は、ジャンに尋ねる番だ。クローディアは、すこし躊躇ったようだが、アルベルトに、すこし込み入った話になるかもしれないことを断り、真っ直ぐにジャンを見据えた。

「ジャン、貴女は、私の素性を知っていたのね?」

それを聞いたジャンは、流石にかなり驚いたようだった。

「オウルに聞いたの。ちゃんと全部知っているわ」

「…そうか。ああ、知っていたよ。貴女と最初に会ったあの日、私は、ネビル国務大臣の命で、貴女を探しに森の中に入ったんだ」

「…皇帝陛下は……お父様は、私の事を知っているの?」

「迷いの森で、魔女が育てている、とだけ。ただ陛下は、貴女を手元に置きたいとは、お考えでないようだ」

それを聞いて、クローディアは、細い眉を顰めた。

「どうして?」

「その方が貴女にとって幸せだと、考えておられるのだよ。あの方は、穏やかで気の優しい、あまり政治家向きでない方だし、何よりローバーン公のこともある。みすみす手元に置いて、危険に晒したく無いんだろう」

ローバーン公といえば、皇后を暗殺し、生まれて間もないクローディアの命も狙った、叔母のマチルダだ。

「公の陰謀については、陛下もずっと心を痛めておられる。二十二年前に何があったかも、凡そのところはご存知だ。しかし、どうやっているのか、未だに証拠のひとつも挙がらなくてね…それで、私やモニカがこうして働いているわけだ」

すべてを聞いて、クローディアは、柔らかな笑みを浮かべて、深く頷いた。

「ジャン、お父様に、お伝えして。私は今、とても幸せですって。オウルが言っていた、人間としての幸せを、見つけましたって」

滲むような笑顔が、グレイの目に染みた。するとクローディアは、その笑顔をこちらに向ける。

「…グレイ、貴様ッ!!お前に限ってそういうことは無いだろうと踏んでいたのに、裏切ったな!」

ちょっと待てと言う暇も無い。逆上したジャンに詰め寄られて、襟首を掴まれた。立場上、ジャンにしてみれば怒らざるを得まい。しかし、怒られたところでどうしようもない話だ。

「だったら最初に、契約書にそう書いておけ。それとだ、モニカから伝言を預かっていたんだが、後で自分で聞きに行くことだな」

手を振り解くと、ジャンは不可解そうに首を傾げた。

「モニカが、伝言?あのじゃじゃ馬が、何か言っていたのか?」

「だから自分で聞きに行けと言っただろう」

ジャンは、不可解そうに首を傾げたが、一応頷いた。そして、ふと思い出したように、表情を和らげる。

「グレイ、お前、変わったな。目つきが優しくなったよ」

その言葉は、とても意外なものだった。確かに、自分で自分を、随分変わったと思う。人の本音を聞いて不愉快でなくなったし、たまには本音も喋るようになった。利害でなしに、人と一緒に行動するようになった。それは確かに、この旅の同行者たちの影響なのだろうが、優しさなどという言葉は、頭の中に無かった。その、一瞬呆けたところに、クローディアが微笑みかける。

「そうよ、この人は、優しい人よ」

透き通った言葉が、すっと心に染み込んだ。

 と、そこへジャミルとアイシャが詰め寄ってくる。

「何だよ、そういうことだったのかよ!何時からだ?!隠してやがったな、水臭えぞ!」

「大声をあげて言うことでも無いだろう」

逃げようとしたが、今度はアイシャが立ちはだかる。

「いつまで隠してる積りだったの〜。ずるーい、あたしも興味あるのに!」

それを見て、ジャンはしばらく苦笑していたが、流石に見かねて助け舟を出してくれた。

「それ位にして、そろそろ町を出た方がいい。俺は一度モニカの所へ寄るが、お前たちは、その足でブルエーレから船に乗れ。それじゃあな」

ジャンが動き出したので、ジャミルとアイシャもしぶしぶ引き下がり、顔を見合わせると、出口の方へ歩いていった。それまで何が何やら分らずに目を白黒させていたアルベルトが、慌ててついて行く。ゆっくりとした足取りでそれを追いかけながら、グレイはふと、尋ねてみたくなって、クローディアの方を見た。するとクローディアは、問われるより早く、真っ直ぐに灰色の瞳を覗き込んだ。

「側に、居てくれるんでしょう?それでいいのよ」

笑顔の美しさが、心に焼きつく。そうだったなと、グレイは頷いて、足取りを早めた。

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