はしばみ色の瞳が、笑わなくなった。北エスタミルから船に乗ったが、何がおかしいと言って、食事の時以外は部屋に篭ったきりだし、食も細った。港では、海に出られるのを随分喜んでいたのだが。船酔いだろうなと思いつつ、グレイは、その状況を、随分物足りなく感じている。

 カクラム砂漠の地下で大地母神ニーサから啓示を受けた四人は、銀の聖戦士ミルザの後継者たちが住まう地騎士団領に向かっていた。ミルザ所縁の土地でなら、何か情報が手に入るかもしれないと思ったのと、グレイの知り合いが騎士をしているからだ。

 しかし、いざ騎士団領に辿り着き、グレイの旧友ラファエルを訪ねてみると、ラファエルの直接の主ハインリヒは、ラファエルは今、事件に巻き込まれて投獄されているという。厄介事は、ひとつ始まると連鎖的に起こるものらしかった。

 騎士団領は、三つの主要な都市に城を置き、各城主の話し合いで治められている。一番北が、騎士団の剣と呼ばれる勇猛な騎士テオドールの城ミルザブール。中ほどにあるのが、女魔道士フラーマの城バイゼルハイム。そして南に、ラファエルが仕える、騎士団の楯ハインリヒのオイゲンシュタット。

 ラファエルは、少年の頃からハインリヒの従卒を務め、騎士に昇格した今は、その後継者候補として側近くに仕えている。そのラファエルが、一週間ほど前、夜中に何者かに襲われ、全身に大怪我をした姿で発見された。そしてその晩、ラファエルの恋人だったテオドールの娘コンスタンツも姿を消した。一命を取り留めたラファエルの証言から、二人で居たところをモンスターに闇討ちされ、コンスタンツが攫われたことが判明した。確かにラファエルの倒れていた周囲には、大量のモンスターの屍もあり、証言を裏付けていたのだが、愛娘を守りきれなかった男へのテオドールの怒りは大きく、背中に傷があったことを理由に、投獄されてしまったのだ。騎士団では、敵前逃亡は死刑になる。何とも乱暴な理屈だが、ラファエルを排除したがっている騎士が多く、なかなかテオドールを諌めるのに上手くいかないのだ、とハインリヒは歎息した。

「また何かやらかしたのですか?融通の利かない性格だ、先輩の騎士たちに睨まれていたのではありませんか」

尋ねるグレイに、ハインリヒは頷いた。

「いかにも。あれは、西の山脈に巣食うモンスターの討伐を主張しておりましてな。今のところ大規模な侵攻があったわけでもないのに、放って置けと、事なかれ主義の者たちが煙たがっておったのですよ」

「何だそりゃ。それでも騎士団かよ」

グレイが止めるのも聞かず、ジャミルが呆れたように大声を上げる。ハインリヒはそれを否定しなかった。

「潔癖な者ほど嫌われ、冷遇される、嫌な時代になりました」

 「ねえ、じゃあさ、攫われちゃった女の人を助けたら、グレイの友達も助かるんじゃないの?助けてあげようよ」

こともなげなアイシャの言葉に、グレイは頷いた。

「で、その女性を攫ったのは、やはり山脈のモンスターなのでしょうか」

「十中八九、そうでしょう」

ジャミルとアイシャは、既にその気である。グレイにしても、旧知の相手をそんなわけの分らない理由で死なせるのは寝覚めが悪いというものだ。

「では、そこを探ってみます。ラファエルの事は、どうぞお任せください」

「それは、何とお礼を申して良いやら…」

ハインリヒもまた、どうにか愛弟子を救いたいらしい。グレイの申し出に、喜んで山脈の地図を譲ってくれた。

 が、どうも何かが足りないような…考え込んでみて、グレイは、クローディアが今まで、終始無言だったことに思い至った。

 

 その晩遅く、一同は今度はミルザブールの城下に居た。城の地下牢に居るという、ラファエルを救出するためだ。万が一、自分たちの留守に死刑にされてはたまらないし、ほかならぬ恋人のことだから、ラファエル自身も動きたいだろう。忍び込むとか、鍵を開けるといった作業は、ジャミルの本職。大勢で行って見破られてもと、独りで城に入り込み、決められた時間に、きっちり約束の場所に現れた。案外、腕のいい泥棒だったのかもしれない。

「…グレイ。貴方が、何故ここに?」

事情を聞かせている暇が無かったのか、ラファエルは、窶れの目立つ顔に驚きの色を浮かべている。

「事情はハインリヒ殿から聞いた。西の山脈に、行くのだろう」

「ありがとう、流石に話がわかる。確かに、このままでは余りにも情けないし、コンスタンツに申し訳ないからね」

深い蒼の瞳が、鋭く輝いた。しかし、体の方は、傷の手当てが充分でないらしく、動き方がおかしい。あちらこちらを庇っているのが、見て分る。

「クローディア、すまないが、治療してやってくれないか。このままでは足手纏いだ」

旧友に対してけっこう情け容赦ない口をききながら、グレイはぽんとクローディアの肩を叩いた。クローディアは、一瞬目を丸くしたが、素直に頷いて、水の術法で傷の回復を始めた。本当に、様子がおかしいクローディアである。

 

 その晩のうちに、五人はミルザブールを出て西の山脈に向かった。ラファエルの話では、記録にも素性が伝わらない古い神殿の廃墟に、モンスターが溜まっているのだと言う。事件については、それ以上何を語ることも無かった。以前ここへの冒険に来た時は、まだ騎士見習だったが、相変わらず潔癖な性格だ。一分の隙も無く端正な横顔が、そんな気性を滲ませている。

「コンスタンツさん、無事だといいね。早く行ってあげないとね」

そんなラファエルを引き立たせようとしたのだろうか、アイシャが明るい調子で声をかけた。年齢を話していないので、十三、四の子供だと思っているせいもあるだろう、ラファエルはやっと、にっこり微笑って頷いた。

「ありがとう、お嬢さん。でも大丈夫。モンスターは、彼女を人質に何かを考えているようだから、危害は加えないでしょう。それに彼女は強いから」

「愛してるんだ」

そういう話題になると、流石に十六歳の女の子、興味津々である。ジャミルが、わざとらしく大きな音を立てて口笛を吹いた。頷くラファエルに、今度はクローディアが問い掛ける。

「だったら尚更心配ではないの?」

ラファエルは、それにはちょっと困った顔をして見せたが、静かな調子で返す。

「それもありますが、信頼の方が大きいんですよ。それに、心配しても仕方ない、今は自分のすべきことをするだけです」

クローディアとアイシャが、不思議そうに顔を見合わせて首を傾げる。

「まあまあ、そういう話はさ、実際経験してみねぇと、分んないことだろ?」

「じゃあジャミルは分るのね?」

冷やかしたところをアイシャに切り返されて、今度はジャミルが口ごもる。ジャミル自身は、出会いのきっかけになったハーレム事件の時、幼馴染だという娘を助けに行くところだったが、多分彼女と何かあるのだろう。横目で他愛の無い遣り取りを見ながら、グレイはふと最後に、クローディアに目線を走らせて、すぐ戻した。

 ラファエルに案内されて辿り着いた神殿の廃墟は、成る程、いかにも古びて半分崩れかけた、何か出てきそうな場所である。

「明りを点けますから」

ラファエルが先頭に立って入っていくのは、火の術法が使えるから明りを灯す役割もあるのだが、顔つきほど落ち着いていない証拠だろう。

 小さな明りに、無数のモンスターが浮かび上がる。しかし、薄暗くて狙いが定まり辛いので、クローディアの弓もアイシャの術法も使いにくい。

「じっとしていて下さい!」

ラファエルが、鋭く叫んだ。佩剣の鞘を払い、片手を添えて真っ直ぐに翳した。澄み切った刃に、淡く光が宿る。剣が振り下ろされると同時に、その光が雨になって降り注いだ。薄闇の中から、無数の呻き声が聞こえて、モンスターの気配が一気に減る。すさまじい無差別攻撃に、誰もが声を失った。

「すげ〜…今の、どうやるんだ?」

「得手不得手とか、体質がありますから、出来るかどうかわかりませんけれど、『剣気』を練るんですよ」

さらりと答えるラファエルだが、ジャミルに理解出来る筈も無い。

「流星剣か、よく体得したな…だが、傷は癒えても体までは本調子ではない、無茶はするな」

グレイの、いつものように冷ややかな声に、ラファエルは、見抜かれたか、というような笑みを浮かべて、額の汗を拭った。

 入り口の掃除も出来たし、それではと改めて中に踏み入った瞬間、まだ息のあったモンスターが襲い掛かってきた。今度は動きも鈍いし、反応さえ的確ならどうにかなる。グレイ、ジャミル、ラファエルの三人で順に片付けていった。クローディアとアイシャは、暗いところで矢鱈と飛び道具を使えないので大人しくしていた。と、その足元から、倒れていたゴブリンが起き上がる。咄嗟のことだった。アイシャが、ジェフティメスから貰った大地の剣を引き抜き、ゴブリンに向ける。ただ突き出しただけで、普通なら大したダメージにならないような一撃だ。しかし、その切先が触れた瞬間に、ゴブリンは砂の塊と化し、崩れ落ちてしまった。

「…よく分らないけど、この剣、凄いよ!」

まだよく事態を飲み込めないアイシャが、驚いた声をあげる。言われてみれば、確かに丈夫な拵えでもないし、鋭い刃を持っているわけでもない。しかし、流石は神の武具、このような力があるとは思わなかった。

「そういえば、剣の扱いを教えてやる約束だったな。今の一撃は、反応は悪くなかったが、勢いが無かった。あれだと、モンスターによっては皮膚で滑ってしまうからな。どの敵にも今のが効くとは限らない。今度はもっと突き出してみろ」

この武器は、下手に扱うと危険極まりない。そう思ったら、前言を思い出した。そんないい加減な反応をするグレイに、アイシャは満面の笑みで頷いた。

 

 神殿の最深部は、仄明りに照らされていた。その中央に、灰色の鱗の上から鎧を纏ったリザードマンが剣を構え、無数の取り巻きモンスターを従えている。あれがどうやら、ここのボスらしかった。

「ジャミルとアイシャは雑魚の片付け!離れないでやれ。クローディアは後ろから援護。ラファエルはクローディアを頼む。ボスは俺がやる」

手早く指示を出すと、グレイは剣を抜いて、真っ先にボスに斬りかかった。リザードマンの大きさは、人間よりすこし大きい程度だ。複数でかかると、却ってお互いの動きの邪魔になる。それを分っているからか、ほかの誰も文句は言わなかった。

 リザードマンは思いのほか強く、予想したより苦戦を強いられたが、背後はラファエルが上手く仕切ってくれているらしい。ジャミルとアイシャも、なんだかんだ言って戦力になる。問題は、ここのところずっとぼうっとしているクローディアだが、この状況なら大人しく支援に徹しているだろう…そんなことを、思った瞬間。横合いから、誰かが仕留め損ねたモンスターが襲い掛かってきた。咄嗟に火幻術で撃退したが、そのぶん一瞬集中力が途切れ、リザードマンにつけ込まれた。鋭い一撃に態勢を崩し、次の一撃は受け止めるのが精一杯、無理な姿勢をしているので、跳ね返すこともままならない。それどころか、リザードマンは、その長い首をこちらに近づけ、牙を剥いているではないか。そうだ、人間は腕と脚しか使えないが、リザードマンには牙があり尾があるのだ。このままではやられる。

「クローディア、頼む!」

咄嗟の叫び、そしてあやまたず、リザードマンの口を、矢が貫いた。力の抜けた屍を払いのけ、立ち上がる。

「助かった、クローディア…」

礼を言おうとして見たクローディアの顔は、まったくらしくないほど、弱々しい表情に染まっていた。

「間に合って、良かった――」

それだけ言うのがやっとのようだった。言い終える側から泣き出してしまう。

「何かあったのか?」

「知らねえよ、そんなこと」

女に泣かれるのは、その場に居る全員が苦手だ――と言っても、ラファエルはもう更に奥へ走っていってしまったが。グレイとジャミルは、それから数分後、ラファエルがコンスタンツを連れて戻ってくるまで、その場で途方に暮れていたのだった。

 

 ミルザブールに帰ってからも、ごたごたはしばらく治まらなかった。なにしろグレイたちは、罪人を脱獄させて連れて行ってしまったのだ。幾ら事件を解決させた功績があると言っても、無罪放免して良いものか、騎士団内でももめたらしかった。しかし、結局はハインリヒとテオドールの強いとりなしがあり、罪は不問に付すことにされた。

 「あれで良かったのだ、私も頭に血が上っていた…ひょっとしたら、あの翌朝にもラファエルを斬っていたかもしれん……取り返しのつかない過ちを犯すところだったよ。真に騎士であることを志すなら、命を粗末にせず、かといって可愛がりすぎもせず、重荷を背負って己の所業に責任を取り続ける…それを、忘れるところだった」

数日後、グレイやラファエルを呼んで話をしたテオドールは、確かに勇猛果敢な騎士という印象に違わない、がっしりした体格をしてはいたが、あれほど乱暴な判決を下す人間というには、違和感を拭えなかった。しかし、ここで敢えて蒸し返すこともあるまいと、グレイはそれを無視することにした。

「それでだ。私の娘が、ラファエルと、その重荷を分かち合いたいと言っているのだが、それを許そうと思う」

その次の言葉が、ラファエルと、テオドールの傍らに居たコンスタンツの表情を変えた。

「テオドール様!」

「お父様!」

普段はきりりと端正な顔を崩し、蒼い目を丸くするラファエル。コンスタンツは、優しい顔立ちを、もう涙で濡らしていた。

「…二度は言わんぞ」

一方のテオドールは、愛娘を呉れてやるのだ、機嫌の良い筈も無い。苦虫を噛み潰したような顔をして、そのまま席を蹴ってしまった。

「おえでとう、ラファエル、コンスタンツさん、良かったね」

アイシャの素直な祝辞を皮切りに、ジャミルが冷やかし始める。

「いやホントに良かったよな、お二人さん。俺たちも苦労した甲斐があったってもんさ」

「お前の潔癖も、たまには良い方向へ働くな」

グレイの言葉は、相変わらず文面は優しいものではない。しかし、響きは随分和らいだものになった。

「おめでとう、二人とも、本当に良かった…何だか羨ましいわね」

最後にクローディアが、すこし戸惑ったような調子で言った。

「…グレイ、ジャミル、アイシャ、クローディア。これは貴方たちのお蔭です。ご恩は必ず、近い将来にお返しします」

泣き止むことが出来ないコンスタンツを宥めながら、ラファエルが頭を下げる。たまには良いことをした、という気持ちが、グレイの中に残った。

 

 その後、四人はハインリヒとテオドールにデステニィストーンのことを尋ねたが、捗々しい返答は得られず、一週間後、ラファエルとコンスタンツの結婚式にだけ顔を出して、騎士団領を去ることになった。申し分ない美男美女の組み合わせだったせいもあり、幾分やっかみを買った気もしないではないが、ラファエルもコンスタンツも幸せそうだった。コンスタンツは、お淑やかという言葉がよく似合う女性で、時期が時期だけに随分忙しかった筈だが、グレイたちにも細やかな心遣いを見せてくれた。よくクローディアと話をしていたようだが、何を話したかは、グレイは知らない。

 そんな具合に、ごたごたと色々あった騎士団領滞在が終わり、一行は、今度はバファル帝国の港町ブルエーレに向かう船に乗り込んだ。

「あっちへこっちへと、忙しいよな、全く」

「でも、色んなものが見られて楽しいよ!」

ジャミルとアイシャが、甲板の向こう側で、いつものようにじゃれている。グレイは、遠くにそんな遣り取りを聞きながら、ぼんやりと海を眺めていた。

 やがて、二人の声が遠ざかり、消えてゆく。船室に入ったようだ。

「…グレイ」

ややあって、代わりにクローディアの声が、彼を呼んだ。振り返るとクローディアは、俯き加減に視線を逸らして、口ごもるようにしている。

「何か用か」

もうすこし、優しい言葉をかけてやれば良かったかもしれない。言ってから、グレイは軽く後悔した。クローディアは、騎士団領に来る辺りから、ずっとこうなのだ。出会った頃のように、真っ直ぐにものを見ることをしなくなっている。体調が悪いか、気にかかることがあるのか、何かあるに違いないのだ。

 クローディアは、まだしばらく迷っていた様子だったが、面を上げて、久し振りに、グレイの目を見た。

「……あの、ね…グレイ、私、貴方のことが好きなの」

一瞬、何を言われたか分らなかった。らしくもなく、二の句が継げずに目を丸くして、クローディアを見返す。

「側に居られたら嬉しいなって思うこともあるのに、本当は今だって、すごく怖くて逃げ出したいくらいなの……それで私、どうしていいか分らなくて、コンスタンツなら、年も近いし、知ってるかなと思って…そうしたら、コンスタンツは、『それは恋ですよ』って教えてくれて……ねえグレイ、私、貴方に恋していていいかしら?」

そういえばクローディアは、つい数ヶ月前まで、育ての親の魔女以外、人間には接触しないで育ったのだ。それはいかにも彼女らしい、無垢で、必死で、可愛らしい言葉だった。しかし、どう答えて良いものか……グレイは、殆ど生まれて初めて途方に暮れて、泣き出しそうな様子のクローディアを見つめていた。

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