どうも妙なことになった、とグレイは首を捻った。

 メルビルでの事件の後、ジャンの依頼もあって、クローディアとバファル帝国を離れた。最初に着いたのは、世界一の都市とも言われる、クジャラートの首都エスタミル。海で南北に隔てられたこの町は、南に貧しさと汚さをすべて押し付けたせいか、北は目を見張るような繁栄ぶりを見せている。この町で、二人は第二の事件に巻き込まれたのだ。

 発端は、クローディアの指輪をすり盗ろうとした青年との出会い。ジャミルと名乗ったその青年は、クジャラートの首長アフマドのハーレムに連れ去られた幼馴染を連れ戻しに行く途中だと言っていた。クローディアがせがむので助けてやったところ、ジャミルはうっかりアフマドを殴ってしまい、ほとぼりが冷めるまでエスタミルを離れることになった。つまり同行者が一人増えたのである。そしてその直後、空になったハーレムから出て行こうとしたところで、第三の同行者に呼び止められる。風変わりな民族衣装、鮮やかな赤毛を複雑な形に結い上げて、碧の瞳をした小柄な少女だった。クジャラートの北に広がるローザリア王国の、更に北に、ガレサステップという広大な草原地帯がある。その少女は、ガレサステップの遊牧民タラール族の特徴を、完璧に備えた外見をしていた。曰く、人買いに攫われてここまで来たが、一人では戻れないというのだ。どうせ目的地も無い旅だから、と、アイシャというその少女を、ガレサステップまで送っていくことになったのだ。

 どうも、クローディアの言うことを聞いていると、次から次へと人助けをすることになるような気がする。やれやれと、グレイは軽く溜め息をついた。

 クローディアは、確かに世間の常識は何も知らない娘だが、しばらく一緒に旅をしてみると、案外頭の良い娘であることも分った。事態の本質を掴むことに長けているし、雰囲気に惑わされることも無い。世の中の仕組みさえ分れば、一人でも充分自分の面倒を見きれる娘だ。加えて体力があり、丸一日歩くことになっても音を上げないし、弓が使えて、モンスターと遭遇した場合の戦力にもなる。グレイには使えない、癒しや毒消しの術法も心得ている。

 だがまあ、それはジャミルとアイシャにも言えることだろう。ジャミルは、流石に貧民街で生まれ育っただけあって、自己防衛本能に長け、身のこなしが素早い。アイシャは土の術法が使えるのと、やはり遊牧民として移動生活していただけあって、体力も申し分ない。

 団体行動が基本的に嫌いで、女子供の嫌いな一匹狼気質のグレイが、女と子供ともう一人を連れて、まがりなりにもローザリア北部まで辿り着けたのは、誰一人足手纏いになるような人材が居なかったからだろう。でなければ放り出している。

 先頭を行くアイシャは、二三歩遅れてついて行くクローディアに、しきりに話し掛けている。十六歳という年齢より天真爛漫で幼い少女にとって、クローディアは優しいお姉さんなのだろう。また、クローディアが迷いの森の外を知らなかったように、アイシャもガレサステップの外を知らない。そういう意味で、通じるものがあるのだろう。

 「アーイシャ。おまえ、本当にガキだな〜」

単調な道中に飽きてきたのか、ジャミルがアイシャにちょっかいを出す。

「子供じゃないよ!もう十六歳なんだから!」

「嘘だろ?俺の見立てじゃ、せいぜい十四…」

「莫迦にした!」

そう言う自分も、小柄なせいか二十歳という年齢よりは幼く見えるジャミルだが、アイシャは更に低い。くってかかっても軽くあしらわれてしまい、頬を膨らましている。

 やれやれ、とグレイは溜め息をついた。これまでの冒険では、利害関係の一致で道中をともにした冒険者たちとこんな遣り取りはしなかった。双方仕事と割り切って、必要な会話だけをしながら歩みを進めた。唯一例外だったのが、クローディアと出会う直前まで一緒だったミリアムとガラハド。あの二人も、時々おきゃんなミリアムが堅物のガラハドをからかって遊んでいた。グレイ自身は専ら遠巻きにそれを見ていたが、今思えば、あれも、これも、それなりに楽しいものだ。仕事に情は交えない主義だったんだがな、と、グレイは内心で肩を竦めた。だが、不思議とそれは、自分自身の堕落だとは思えなかった。

 ざわ、っと左右の丈の高い草が震えた。何も言わなくても、クローディアとジャミルが身構え、アイシャを後ろに庇う。アイシャはその手に、術法のパワーを溜め始めた。

 拳ほども大きさがある蜂のモンスター、ガドフライが飛び出した。

「クローディア!アイシャ!」

指示を出されるまでも無い。クローディアの矢と、アイシャの使う土の基本的な攻撃術法とが、あやまたずにモンスターを射ち落としてゆく。見事な動きだ。だが、まだ草の中には何かが居る。

「ジャミル、手伝え!」

勘に従って振り下ろした刃は、見事にオーガの腕を刎ねた。

「すっげぇ、何で分るんだ?」

おどけた表情で減らず口を叩きながらも、ジャミルの眼光が鋭くなってゆく。表情次第では、愛敬よりも精悍さが目立つ顔だ。そして、コソ泥稼業で食い繋いで来ただけあって、身のこなしは本当に素早く、軽い。後続のゴブリンたちを、次々スピアで薙いでゆく。それほど力のある一撃ではないが、急所の見極めが適切なので、きちんととどめを刺せている。グレイはと言えば、力といい、速さといい、申し分ない動きぶりだ。

 合計して二十余匹。道に転がったモンスターの屍を数えて、グレイは眉を顰めた。こんな数が、すぐ近くに村もある街道沿いに出没するのかと。ここ一年余り、世界中どこでも、モンスターの数が増えてきている。

「グレイ?」

心配そうな顔で、クローディアがこちらを覗き込んでいる。出逢ったその日からずっとそうだが、真っ直ぐに人の心に入ってくる眼差しだ。

「怪我は無い?」

「ああ、大丈夫だ」

頷いておいて、自分でも驚いた。今、確かにグレイは、微笑んでいた。自分はこんなに、自然に笑える人間だっただろうか。

「そう、じゃあいいの」

心の中に入ってはくるが、決して深入りしすぎず、長居しない。それが、グレイを不快がらせない要因だろう。だが、その無垢な笑顔を見ているだけで、心の中の靄が払われてゆくようだ。敢えてすべてを語り、不安がらせることもあるまいと、グレイは剣を納め、再び歩き始めた。

 

 丘を越えると、眼下に緑の大海原が広がった。大陸を端から端まで貫く街道ニューロードを北上し始めて一週間、ようやくガレサステップに辿り着いたのだ。

「絶景だな、こりゃ…」

あれこれと減らず口を叩くのが好きなジャミルが、この時ばかりは言葉を失う。クローディアも、はしばみ色の瞳をただただ丸くして、風にうねる草の波を見つめていた。そしてアイシャはといえば、歓声を上げて走り出している。

「村の方角は分るのか?」

「山の形を見ればわかるの!あと三日くらいで着くわ!」

ついさっきまでその辺りをちょろちょろしていたものが、ずっと遠くから声を飛ばしてくる。

「アイシャ!走りすぎるんじゃねえよ、モンスターでにも遭ったら困るだろ!」

ジャミルがアイシャを追いかけて行くが、草に足を取られてすぐに転んだ。

「ちっくしょう、あいつ、こんな足場の悪いところをどうやって走り回ってんだよ」

ばつの悪い表情で起き上がり、もう一度走り出そうとするジャミルを、クローディアが制止した。

「仕方ないわ、あの子は生まれてからずっと、ここで育ってきたのだから。足元をしっかりとって、まずは歩いて慣れなければね。アイシャ、すぐに行くから、待っていて頂戴」

この世の常識は何も知らない娘なのに、時々母親のような顔をする。ジャミルは天邪鬼な方で、グレイの言うことにはよく逆らうのだが、クローディアに言われると何でも素直に聞く。促されるままに歩きながら、グレイはこの娘の持つ、不思議な力を思った。

 草の向こうに遊牧民のテントが見え隠れし始めたのは、アイシャの言葉に違わず、三日目の正午頃だった。しかし、いざ近付いてみると、グレイは何か、不自然なものを感じずには居られなかった。人が生活しているのに、煙の一筋も立たず、声も、家畜の臭いもしない。まるで誰も住んでいないようだ。

 ふと傍らを見ると、クローディアが、不安そうな表情で自分を見上げていた。

「何かが、おかしいわ。そう思わない?」

「ああ、そのようだ。用心していろ。だが、心配しなくていい。何があっても、どうにかしてやるから」

これは、実にらしくない台詞だった。起こってしまったことはどうしようもなく、現実は残酷なものだと、グレイは熟知していたし、それに異を唱えたがる人間は好きではなかった。たった今それを、覆してやると言ったのだ。それも、ごくさりげなく、当たり前のように。しかし言われた方は、そんなことを知る由も無く、信頼を込めた瞳で微笑んでいた。

 集落の中に入ってみると、予想していた最悪の状況が、一行を待ち構えていた。誰も居ないのだ。数日前まで誰かがそこで生活の営みをしていた、そんな気配すら無い。集落は、死んだように静かだった。

 悲鳴をあげて、アイシャが走り出す。口走っているのはタラール族の言葉のようで、ほかの三人にはまったく聞いた事の無い響きである。しかし、内容は推して知るべし、だ。

「…どうなっちまったんだ、こりゃあ…」

流石にいつもの軽い調子では居られなくなって、ジャミルが苦い言葉を吐く。誰もが同じ気持ちを抱えていたが、ただならぬ様子のアイシャを見てやらなければいけないし、村の様子もすこし、調べた方が良いだろう。グレイはそう判断した。

「クローディア、ジャミル、アイシャを頼む。俺はすこし、この辺りを調べてみる」

二人は、神妙な面持ちで頷いて、足早にアイシャを追いかけていった。

 さて、調べてみて、グレイは奇妙なことに気がついた。人が居ないばかりでなく、遊牧民の命である家畜までもが綺麗さっぱり消え去っているし、主な家財道具はテントの中には残されていなかった。竈や残された僅かな家具の上には、まだ埃が積もっては居ない。この村の住人たちは、何らかの理由でテントを捨て、家畜を連れ家財を持って、どこかへ移動して行ったのだ。遊牧民としては当然のことのようにも思えるが、それならテントを残していくのは不自然だ。遊牧民といえども、無制限にどこにでも行くわけではない。ちゃんと季節ごとに牧草地を決めて、草原を破壊しないように動いている。第一、その時にはテントは畳んで持っていく筈だ。これだって、彼らの大切な財産なのだから。

 そのほかにも幾つかのテントや井戸の辺りを調べながら、集落の中央の広場に向かう。広場の真ん中で、座り込んで泣いているアイシャを、クローディアが抱え込むようにして頭を撫でている。ジャミルは、何をしていいか分からない、といった風情で、きまり悪げに佇んでいる。

「グレイ、どうだった、何かわかったのかよ」

居心地が悪かっただけに、ジャミルは素早くグレイに問い掛けた。

「この村の人間は、一週間から十日ほど前に、家財道具を持って、家畜ごとここを捨てたようだ。争いがあったにしては片付きすぎているし、家畜がまったく居ないのもおかしい。主だった道具だけが無くなっているしな」

「カヤキス!」

グレイが話し終わるか否かのうちに、アイシャが顔を上げ、鋭く叫んだ。しかし、ほかの三人が言葉を理解できていないのに思い至ったのか、すぐに言葉を切って、何というべきか、しばらく考え込む。その面には、あまりにも鮮やかな怒りと憎しみが浮かんでいた。

「……黒い悪魔よ。ローザリアの黒い悪魔に脅されたんだわ…それで皆、村を捨てて……」

「黒い悪魔というのは、ローザリアの黒太子ナイトハルトのことか?」

問い掛けるグレイに、アイシャは、掴みかからんばかりの勢いでまくしたてた。

「そうよ、あの男は、ずっとこのガレサステップを、ローザリアの支配下に置きたいって狙っていたのよ!」

ローザリア王国は、大陸の中ほどを支配する国で、ここ数代、領土拡大に意欲的な軍事国家でもある。現在の国王カール三世は数年前から病臥しているが、その息子である王太子ナイトハルトの下、むしろ国王が健在だった頃以上の繁栄を見せている。そのナイトハルトは、常に黒衣を纏い、戦場にあっては漆黒の甲冑を身につけることから、黒太子とも呼ばれている。確かにグレイの耳にも、ローザリアが、どこの国にも属さないガレサステップ以北への侵攻を準備しているという情報は入っていた。それだけでこの異常事態を片付けることは出来ないだろうが、何かの参考にはなるかもしれない。

「村の人たちが何処へ行ったか、心当たりは無いのか?」

「…カクラム砂漠」

ぽつりとアイシャが呟いた、その言葉がグレイを驚愕させた。カクラム砂漠は、このステップの北に広がる世界唯一の広大な砂漠で、流砂が渦巻き、モンスターさえ生息しない、まさしく死の砂漠である。

「何故、そんな所へ」

「分らないわ。でも、砂の流れに身を任せれば、大地母神ニーサの聖地へ行けるんだって。古い、言い伝えなの」

タラール族は、かつて古き神々の戦いを生き延びた、この世界の先住民族であるとも言う。何か、グレイたちの知らないことを語り伝えているのかもしれない。

「…何だかよくわかんねぇけど、じゃあその砂漠とやらに行こうぜ。ほかに行くアテも無いし、こうなったら最後まで付き合ってやらねえとな」

どうするべきかと考え込んだグレイの横で、信じられないような軽さで、ジャミルが言った。その表情は、気負いこそ無いが、力に満ちたものでもある。

「いいのか?カクラム砂漠へ行くというのは、死にに行くのと大差無いぞ」

グレイにしても、こうなったら行くしかないか、という思いはある。しかし、自分とアイシャはともかく、クローディアとジャミルを、行き先の危険さも知らずに連れて行くわけにはいかない。これだけはどうしても話しておかなければと、脅しの意味も込めた。ジャミルは、内容というより、グレイの眼差しの厳しさに一瞬怯んだ様子を見せたが、相変わらず軽い調子で返す。

「…だけど、何かあるような気がするんだよな。上手く言えねえけど」

そしてグレイは、クローディアの面を覗う。クローディアは、いつもの柔らかな笑顔で頷いた。

「行きましょう。大丈夫よ、きっと道は拓けるわ」

余りにも楽観的な言葉にも、聞こえる。けれど、クローディアが言うと、何故か信じられる気がしてしまう。彼女が言う言葉には、何か不思議な力があるようだった。

「…分った。今日はこの村で休んで、明日の朝、カクラム砂漠に向かおう…だがみんな、覚えておいてくれ。あそこは、モンスターでさえ住めない場所だ。決心が揺らぐようなら、行かなくても誰も責めない。一晩よく考えてくれ」

そんなことを言い渡しながら、グレイは内心、首を傾げずにはいられなかった。この村まではともかく、カクラム砂漠へだなどと、完全に仕事の範囲を超えている。自分はこんなにお人好しだったろうか…いや。違うのだ。何かあるような気がする。ジャミルの言葉そのままの気持ちが、確かに、グレイの中にもあったのだ。

 

 一行がカクラム砂漠に着いたのは、それから四日後のことだった。段々と草の丈が短くなり、足元の草が疎らになり、砂に変わっていった。そして気がつけば、一面の砂の海である。砂が、音も無く流れているのが分った。

「砂の流れに身を任せる…ってことは、つまり、この流れに乗っかって行けってことだよなぁ」

現物を目の当たりにして、流石にたじろいだ様子のジャミルである。

「嫌なら来なくて構わんぞ」

冷ややかに言い放つグレイに、ジャミルはむきになって掴みかかった。

「ば、莫迦野郎、ここまで来て退けるかよ!なめんじぇねぇ!」

「勢いだけで行動すると後悔することもある、と言っているんだ」

「じゃあんたは何なんだよ」

無遠慮で正直なジャミルの言葉は、グレイの心まで届いて、強く響いた。確かに、問われれば答えにくい。

「…借り物の言葉ばかりで済まんが、俺も何かが、砂漠の底にあるような気がしてな。それに俺は、クローディアの護衛だ。クローディア、お前は行くんだろう?」

ジャミルには、小手先の誤魔化しは通じない。感情的で、本能に頼っているようなところはあるが、洞察力に優れていて、嘘はすぐに見抜く。

「そうね、私も…砂漠の底に、行ってみたいの」

だが、誤魔化せないと言えばクローディアに勝る相手は居ないだろう。吸い込まれるように奥の深いはしばみ色の瞳は、心の底まで見つめているようにも思える。どうも、この顔ぶれで旅を続けるためには、きちんと本音で我を通し、語れる力が必要になりそうだ。それはグレイにとって、なかなか難しいことなのだが、誤魔化したなと言われて追及されるよりはずっといい。

 グレイの答えを聞いて、ジャミルはにやりと、満足そうに笑った。

「おっし、じゃ、行こうぜ…つっても、砂に流されて沈むだけか。息が続かなかったらお気の毒様、だけど、運を天に任せようぜ」

死ぬかもしれないというのに、相変わらず能天気な口ぶりだ。台詞ほどふざけてはいないのは、明るいながらも強さのある眼光が物語ってはいるが。そうしてジャミルは、アイシャの頭をぽんと叩いた。

「行くこうぜ、アイシャ」

この四日間、アイシャはずっと、今までの快活さが嘘のように、張り詰めた表情をしていた。それがふっと和らぎ、碧の瞳が輝いた。

「うん!」

 あまりばらばらになると、流されている途中ではぐれてしまう恐れもある。四人は顔を見合わせると、一気に砂の流れに身を投じた。

 流砂の勢いは予想を遥かに上回り、あっというまに四人を呑み込んでしまった。視界が塞がり、息が詰まる。あと一歩で意識まで闇に落ちる、その刹那に、突然地面に投げ出された。

 グレイは急いで、ほかの三人を探した。幸い、誰もはぐれてはいない。ジャミルは口から砂を吐きながら、一緒に帽子やスカーフの中も掃除している。クローディアは、むせ返るアイシャを気遣っていた。

「どうやら全員無事のようだな」

しかし、安心するのはまだ早い。ここは一体何処なのだろう。見回してみたが、グレイにも見当はつかなかった。砂は、どこにも見当たらない。足元は短い草の生える土で、上は闇。しかし、ここはほんのりと明るい。周囲は岩に囲まれているが、人が行き来出来そうな穴がひとつ、開いている。

 「声が聞こえる!」

真っ先に走り出したのは、アイシャだった。

「おい、ちょっと待てよ!一人じゃ危ねえだろ!」

ジャミルがそれを追いかけるので、グレイもクローディアを促し、慌ててついて行った。

 穴の向こうは、大理石で造られた端整な街だった。この街も、やはり明るい。しかし、その建物の様式は、これまでグレイが見て来たどんな国のものとも違っていた。道行く人々の中には、タラール族のものと、そうでない者が混じっている。ひょろりと背が高く、青白い肌に白髪の者が多い。

「…まさか、地底人の街へ辿り着いたというのか……本当に存在したとはな」

呆然とするグレイを、事態を飲み込めないらしいジャミルがつついた。

「どういうことだよ?」

「伝説の古き神々の戦いの前から、この世界には幾つかの人種が存在したという。タラール族もそうではないかと言われているし、大陸の北のアロン島に住むリザードマンもそうだが…地底人の存在だけは、誰も確認出来ていなかったんだ」

「じゃあ、タラール族の人たちは、仲間を頼ってここに来たのね」

グレイとジャミルがまだ動き出せないでいるうちに、クローディアだけが、さらりと言って歩き出した。アイシャはとうに、何処かへ駆けて行ってしまっている。

「アイシャを探さなければいけないわ」

確かに、この街の様子を見れば、クローディアの言っている線で間違いなさそうだ。何ものにも惑わされない、というのはこういうもののことだろう。グレイはこの時、改めてクローディアの力を知ったように思った。

 ところが、いざ歩き出してみると、街の人々は、明らかに異質な三人を避け、足早に路地や建物に隠れてしまう。外界とは一切の交渉を持っていない地底人と、閉鎖的と言われ、逃げてきたかもしれないタラール族にすれば当然だが、彼らは警戒されていたのだ。

 困ったことになったと思った時である。

「クローディア!ジャミル!グレイ!こっち!」

路地の向こうから、アイシャの声がした。数日前までのように、明るく快活な響きを取り戻している。

 導かれるままに進んで行くと、ひときわ大きな建物に招き入れられた。

「お祖父ちゃん、この人たちが、あたしを連れてきてくれたの」

アイシャの駆けて行く先には、背の高い地底人と、タラール族の老人が居た。

「これは、孫がお世話になりましたな。儂はタラール族の長のニザム。これは地底人の長で、ジェフティメスと申します」

ニザムの方から名乗ってきたので、常識的な挨拶が取り交わされる。しかし、ニザムには明らかに無理があり、ジェフティメスに至っては、一度も口をひらかず、三人の方を見もしなかった。アイシャの推察した事情が、遠からず当たっているのだろう。

「ご心配なく、我々は、明日の朝にもここを発ちますので。このことに関しても他言はしません。その点を信じていただけるとありがたいのですが」

グレイとしては、ほかに言うべきことも思い当たらず、自分たちが、ここでは余所者に過ぎないことを思い知らされた。

  

 「くっそー、何か嫌な感じだよなぁ。大歓迎してくれ!とは言わねえけど、もうちょっともてなし方があるだろ!」

居心地の悪い食事の後、あてがわれた寝室で、ジャミルがぶつぶつ文句を言い始めた。

「仕方無いだろう、彼らにしてみれば、地上の人間は皆、得体の知れない余所者で、いつかローザリアのように敵になるかもしれないんだからな」

対するグレイは、慣れたものである。ここまでのことは極端にしても、古い土地柄の地域への冒険では、何度も余所者扱いをされてきた。

「ちぇっ、あんたはいつもそうだよな。どーんと構えて、落ち着きやがって」

愚痴を封じられたジャミルは、仕方なく床のマットに寝転がって、天井を見上げながら呟いた。

「まあ、何にせよ、無事にここまで来られて良かったな…アイシャの奴も家族に会えたし。明日から、ちょっと寂しくなるけどよ」

それを聞いて、グレイはしみじみと、ジャミルの性根の優しさを思った。自分はそこまでに至らない。厄介事がひとつ片付いた、そんな程度の気持ちしか無いのだ。

 

 扉を叩く音に目を覚ましたのは、夜半過ぎだった。起き上がって問い掛けると、クローディアの声が答える。

「アイシャの様子がおかしいの。突然起き上がって、ふらふら歩いていってしまって、声をかけても聞こえていないみたい」

アイシャの身柄は、同族の者たちに返したのだ。今更こっちが面倒を見てやる義理は無い。そんな風にも思ったが、クローディアの頼みでもあるし、ジャミルも聞いていた。グレイは扉を開けて、クローディアに案内を請うた。

 アイシャは、夢遊病のような足取りで、家を抜け出し、表の道に出たところだった。ジャミルも声をかけてみるが、やはり反応しない。そのまま真っ直ぐ集落の中央の建物へ向かうアイシャを、仕方なく追いかけた。

 中央の建物は、この集落で最も大きく端整な造りで、奥には祭壇がある。タラール族と地底人が主神と崇める、大地母神ニーサの神殿のようだった。アイシャはその祭壇の前まで歩いていって、初めて声を出した。

「あたしを呼んだのは、貴女?」

しかし、神殿の中には人影どころか、生物の気配も無い。

不審に思った三人が駆け寄った瞬間、光が溢れて、視界を染め抜いた。

『待っていましたよ、私の愛しい子供たち』

グレイは親を知らないが、母というものがあるならば、それはこのような声、口調で話してくれただろうか。そんな、深くて暖かい言葉だった。

『愛しい子たち、サルーインの復活が迫っています。デステニイストーンを集めて、再びサルーインを封じなければ、世界は滅びてしまうでしょう。どうかお願いです、私の子供たちよ。世界を救ってください。貴方たちで無理ならば、誰かを探しても良い。今動き出さなければ、手遅れになってしまいます』

優しげな声は、次第に悲痛な響きを帯び始めた。

「貴女は、大地母神ニーサなのね」

呆気に取られた一同の中で、そう尋ねたクローディアだけが、平静を保っていたのだろう。声は、懇願の色を潜めて、微笑むように答えた。

『そうです、私の娘よ。どうか世界を救ってください』

声が途切れ、光が消えると、先程までと何ら変わりない神殿が再び現れた。アイシャが、祭壇の前にぺたんと座り込んでいる。

「おいアイシャ、正気か?大丈夫か?」

慌てて肩をゆさぶるジャミルに、アイシャはどこか間の抜けた声を上げた。

「びっくりしたぁ!だって、いきなり呼ぶんだもん。ニーサ様だなんて、思わなかったわ」

「…お前、けっこう大物だな」

ジャミルは呆れて笑い飛ばそうとしたが、アイシャの手の中のものを見つけると、再び表情を引き締めた。

「グレイ、これ見ろよ」

アイシャの手の中には、大粒のトパーズを中央に抱く、シンプルなネックレスがあった。その輝きは、今までグレイが冒険者として見て来た、どんな財宝よりも素晴らしいものだ。

「デステニイストーン、か?これが?」

その思いは、半ば確信に近いものがあった。輝きの奥から、何かしら言い知れない力を放つ、そんな宝石は初めて見た。

「あんたは、あれ、信じるんだな」

ジャミルが、驚いたように目を丸くしている。

「目の前の、現実だからな」

サルーインの復活が迫っているのなら、最近各地で起こっているモンスターの大量発生にも説明がつく。その上にあれを見てしまったら、否定する理由は無い。

それを聞くと、ジャミルは表情を引き締めた。彼らクジャル人の特徴でもあるが、こういう時は、はっとするような精悍さが見える。

「で、どうするんだ、これから先」

「お前は、行く気のようだな」

深く、頷き返された。

「黙って滅ぼされるのは嫌だからな。それに、一介のコソ泥が、英雄になれるチャンスだぜ」

黒曜石の瞳が、キラキラと輝く。ジャミルはエスタミルの日陰者だ。その気持ちは、充分に理解出来た。

「俺も行く。英雄になる積りは無いが、歴史の証人には興味があるからな」

「私も行くわ」

ふわりと柔らかい調子で、クローディアが申し出る。表情は相変わらず穏やかで、優しい笑顔のままだ。

「オウルが幸せを探しなさいといった世界を、守らなければいけないわ」

そして最後に、アイシャが大声を上げた。

「あたしもだよ!ニーサ様に呼ばれたのは、あたしだもん」

碧の瞳が、明るく輝いている。

「かーっ!世界の運命を決めようって割には、普通だなお前ら!!」

ジャミルが、大袈裟にわめいて見せたが、クローディアとアイシャに笑われただけ。不貞腐れてそっぽを向いた瞬間、その顔が強張った。三人が何事かと振り返ると、神殿の入り口に、二ザムとジェフティメスが立っていた。

「お祖父ちゃん…」

流石に言い出しにくそうにしているアイシャに、ニザムは柔らかく微笑みかけた。

「行くがいい、アイシャ。ニーサ様が、お前を選んだのだ。間違いあるまいよ。すべてが終わったら、またここへ帰っておいで」

「うん。村のみんなにも、よろしくね」

それでもすこし寂しそうに、アイシャは頷いた。そこに、ジェフティメスが進み出て、ひとふりの剣を差し出した。薄く細く、刃渡りもそれほど長くないそれは、小柄なアイシャの手にもぴったり納まる。

「ニーサの戦士よ、我ら一族に伝わる、母ニーサの宝、大地の剣です。どうぞお持ちください」

最初とは打って変わって、慇懃な態度である。

「でも、あたし剣は使えないの」

戸惑ってつき返そうとするアイシャだが、ジェフティメスは受け取らない。仕方なく、グレイが助け舟を出してやった。

「貰っておけ、アイシャ。使い方は追々教えてやる。それに、術法だけでは片付かない事態にも、遭遇するかもしれん。出来ることは増やしておいた方がいい」

「わかった、じゃあ、明日から教えてね!」

それを聞くと、アイシャはぱっと表情を明るくして、すんなり剣を受け取った。

 こうしてグレイは、素性を明かせないとある女性の護衛から、世界の運命を左右する立場になってしまったのだ。
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