怖いほど静かな夜の中で、グレイは独り、考えていた。天空の試練から地上に戻り、シェリルも併せて九人で、アルベルトの故郷であるここ、イスマスまでやって来た。異次元の入り口と思われる場所の目星もついていて、明日はそこへ行くことになっている。そのままサルーインと対決するということも充分考えられるので、本当ならばさっさと休まなければならないのだが、不思議と眠る気はおきなかった。

 緊張感や、恐れではない。ほんの一年前まで、一匹狼の冒険者だった自分が、よくもここまで来たものだと、感慨に浸っていた。人と深く関わること、面倒なことは避けて通ってきた筈なのに、今は、仲間たちに囲まれて、かえってこちらが口煩くしている位だ。すべての発端は、メルビルでクローディアに出会ったこと――間違いなく、自分をここまで連れてきてくれたのは、彼女だった。あの無垢な笑顔に惹かれて、彼女の導く方へと、ただ歩いてきた旅だったようにも思う。人生の不思議を、改めてグレイは思った。

 イスマスの城には、充分な部屋数があるので、アルベルトがかつての私室に戻ったほか、各々勝手に寝台のある個室を占領していた。グレイの部屋は、兵士の宿舎の一室だ。何とはなしに、ベランダへと続く扉を開けて、外へ出る。夜風に乗って、聞きなれた声が聞こえた。

「グレイ」

隣りの部屋のベランダに、クローディアが立って、こちらを見ていた。

「まだ起きていたのか…と言っても、お互い様だが」

苦笑して、早く休んだ方がいいぞなどと、説得力の無いことを言おうとした瞬間。クローディアは、何を思ったか、軽い身のこなしで、ベランダの手すりに上がった。

「受け止めて!」

華奢な体が、ふわりと浮かぶ。確かに大した距離ではないが、ここは塔の、かなり上の階だ。慌てて伸ばした腕の中に、クローディアは、当たり前のようにすんなりと収まった。

 ほっとした反面、無性に腹が立ったり、そんなところが愛しかったり、一瞬で気持ちがぐちゃぐちゃになった挙句、グレイはそのまま、クローディアを抱きしめて離さなかった。エリスの弓を手にした時の、あの嫌に透明な笑顔をふと、思い出したこともある。クローディアは、されるがままに、大人しく凭れかかってきたが、ややあって、ぽそりと口をきいた。

「…ここに、来たかったの。私の、幸せのある場所だから……ううん、それだけじゃない。私が辛い時も、怖い時も、貴方はいつも、こうしてくれたものね。最初に出会った日、サルーインの神官に攫われた時も…オウルとお別れした日も…クリスタルレイクでも、いつも――」

クローディアが何を言おうとしているのか、分らなかった。ただ何か、彼女にとっても自分にとっても、とても大切なことを、言おうとしている。そんな気は、した。

 ふと、胸の辺りに違和感を覚えて、腕を緩め、クローディアの顔を覗き込むと、その額の、アクアマリンのサークレットが目に入った。

「まだ、こんなものを着けていたのか」

苦笑して留め金を外し、サークレットを手すりの上に置く。そして覗き込んだクローディアの瞳は――痛いほど真っ直ぐに、こちらを見つめていた。そのはしばみ色の、深い奥から、湧き出すように涙が滲む。あっというまに潤んでゆく瞳は、しかし、瞬きひとつせずに溢れ出しそうな涙を堪えて、悲しくなるほどの一途さで、グレイを見上げた。

「……グレイ、私を覚えていてね。何があっても、私を忘れないで――」

消え入りそうになりながら、必死に紡がれた言葉を掻き消してしまいたくて、グレイはもう一度、力任せにクローディアを掻き抱いた。じわりと、涙が胸に染みる。

「莫迦なことを言うんじゃない。お前が居てくれたから、俺はここまで来られたんだ。だから頼む、俺の前から消えてしまわないでくれ――」

クローディアは、何も答えずに、ただグレイの背に腕を回して、ぎゅっと力を込めた。その仕草がまるで、自分をここに必死で繋ぎとめようとしているかに思えて、グレイはどうしても、腕をほどけなかった。

 

 その次の朝早く。グレイとクローディアが、集合場所の城門に来ると、既にアルベルトとシェリルが来ていた。このシェリルという女、自らのことは一切語ろうとしないが、デステニィストーンの主であることは確かだし、深く問い詰めもしないままに、こうしてここまで、一緒に来たが、今まで何か、アルベルトと話していたようだった。

「おはよう、グレイ、クローディア。いよいよだね」

気がつけば、育ちの良さそうなアルベルトの顔立ちにも、随分精悍さが出てきている。

「あーっ、一番取られちゃった!」

「昨夜ちゃんと寝たのかよ、徹夜とかいわねえよな」

無駄な緊迫感の一抹も感じさせない、活き活きとした声。アイシャとジャミルが、小走りにやってくるところだった。

「ちょっと出遅れたみたいですね、おはようございます」

ラファエルは、立ち居振舞いこそいつものままだが、深い蒼の瞳には、既に臨戦態勢の鋭さが宿っている。

「なんだよ、気合が入ってるじゃないか。最後までばてるんじゃないよ」

圧倒されるような、自然体の気迫。シフは、全身に力が漲るような感じだ。

「よしよし、誰も逃げちゃいねえな」

この期に及んで冗談口を叩くホークだが、その不敵な表情は、いつもの通りだ。

「では、行こうか…みんな、死ぬんじゃないぞ」

仲間たちの顔を見合わせて、柄にも無く、グレイはそんなことを言った。不安がまだ、残っているのだ。

「おいおい、あんたがそれ言うか?大丈夫かよ、実はびびってたりしないでくれよ」

面食らった様子ながら、ジャミルの軽口調子は、気遣ってくれているようでもある。

「大丈夫、生きて帰りますよ。ここに居るみんな、それぞれ帰る場所がありますからね」

気遣うように柔らかく微笑むラファエルに頷き返しながら、内心で、グレイは待っていた。いつものように、大丈夫よと力づけてくれる、クローディアの笑顔を。だが結局クローディアは、落ち着き払った表情ながら、一言も口をきかなかった。

 

 異次元の入り口と思しきところは、城の東にある洞窟の奥。壁にサルーインの紋章が刻み込まれている。以前アルベルトの父で、今は亡きイスマス公爵ルドルフが発見し、厳重に封印していたものだという。封印は、イスマスを襲ったモンスターの群によってか、破られていた。

「間違いありません、ここです。サルーインは、この奥に居ます。皆さん、覚悟はよろしいですね?」

じっと紋章を見つめながら、シェリルが言った。何故彼女がそんなことを分るのか、こんな状況でなければ問いただしたいと、誰もが思っていたが、結局誰も、それを口にはしなかった。ただ、深く頷くばかり。それを確かめると、シェリルは手にした黄金の杖を、紋章の上に翳した。

 一瞬で、一同を包む風景は激変した。信じられないほど巨大な柱が立ち並ぶ、神殿のような場所。張り詰めた、あまりにも清浄な空気が、肌に刺さるようだ。月並みに、おどろおどろしいダンジョンを想像していただけに、驚きは大きかったが、封印された神の寝所だと思えば、何の不思議も無い。

 「よく、ここまで来たな」

最初に聞くと思っていた声は、予想通りの威圧的な響きで、一同を迎えた。すらりとした黒い姿は、最後のデステニィストーンの主、ローザリアの摂政王太子ナイトハルトだ。サルーインが、自分とデステニィストーンの主たちの間に隔てを置くとすれば、それは最早、無力で無粋なモンスターなどでは有り得ない。アサシンギルドで対峙した、あの赤黒いローブの者と、ナイトハルト、その二者があるだけだろう。

「…ジャミル、アイシャ、ラファエル。手伝って欲しい。ナイトハルト様の目を、覚まさせたいんだ」

最初に動いたのは、アルベルトだった。決然とした表情を浮かべ、一点の迷いも無い眼差しで、じっとナイトハルトを見つめている。ミルザの剣を構えた姿勢にも、揺らぎは感じられない。

「ああ、いいぜ。これで十個目の石だもんな」

軽く黄金の鉾をしごきながら、ジャミルが不敵に微笑んだ。

「そうだよね、アルベルトのお兄さんだから」

ナイトハルトには思うところもあるに違いないが、アイシャは微笑んで見せた。最後にラファエルが、頷いてみせる。

「僕を選んだのは、弾除けですか?分りました、オブシダンソードの衝撃波は任せてください」

 それを見届けると、グレイは徐に、反対側を向いてアイスソードを構えた。

「おいおい、あのガキ共、放っといて大丈夫なのかよ」

呆れたように問い掛けるホークを、珍しく鋭い声で、クローディアが制した。

「ほかにまだ、敵が居るわ!」

言葉と同時に、クローディアは弓を引いた。音楽にも似た音が響き、紡ぎ出された光の矢が、空間の一点を貫いた。そこから浮かび上がるように姿を現したのは、紛れも無い、あの赤いローブだった。

「私はサルーイン様の忠実な僕ミニオン…デステニィストーンの勇者よ、ここから先は通さぬぞ!」

言うなりの、攻撃だった。炎の嵐。まずはホークが表に出て、それを防ぐ。

「あーら、いつぞやのムカつく野郎だね!今度はただじゃ済まさないよ!」

こういう時、シフは本当に嬉しそうに見える。強敵を前にして血を滾らせる、正真正銘の戦士なのだ。そしていつも、言葉より行動が早い。この時も、真っ先に動いて、ミニオンに斬りかかった。以前は皮膚で刃が止まってしまったが、ジルコンの斧の宝玉の刃は、容易くその腕を断ち切った。しかし、瞬時に新しい腕が再生し、闇の術法でシフを打ち払う。第二波の前に、グレイとホークが間に入った。クローディアが、回復に走る。

「お二人さん!そいつは、腕や足を斬ったって無駄だ!狙うなら、本体狙いな!」

傷が完全に癒えるより早く、クローディアの制止を振り切って立ち上がりながら、シフは叫んだ。

「了解だ!」

と、答えばかりは豪快だが、そう言うホークのサーベルも、無為に腕を斬り落としていた。何かもっと、上手い方法がある筈だ。自分の指示なら、この二人でもある程度は聞いてくれる。だから自分が何とかせねば。グレイは必死で考えていた。

 一方、ナイトハルトと対峙している四人は、攻めるどころではなくなっていた。オブシダンソードは、軽く振り下ろすだけでも巨大な衝撃波を生み出す。ラファエルが最前線に立って一応は防いでくれるのだが、楯の守備範囲以上に攻撃範囲が広く、防御手段を持たないほかの三人にしてみれば、回避以外に術が無い。囮役のジャミルは近付けもしない。術法で攻めようにも、その隙も与えてもらえない、といった具合だ。

「ナイトハルト様っ!僕です!アルベルトです!」

叫んでいる方も、ほかに出来ることが無いからといった感じで、無駄は承知のようだ。

「第一どうやったらあの人を正気に戻せるか、それも分ってないよね」

逃げ惑いながら、アイシャが呟いた。

「莫迦、それ言っちゃお終いだろーが!」

横に居たジャミルが軽く小突いて止めたが、逆にアルベルトが頷いた。

「でも、その通りだ。ガラハドさんの時は、死ななきゃ解けなかったんだ。でも、あの方もデステニィストーンの主だから、殺してしまってはサルーインが倒せない…」

「それですよ、デステニィストーン!以前と違うところと言ったら、それしか無いんでしょう?」

流石に負担が重くなったのか、一旦後退してきたラファエルが言った。だが、デステニィストーンをどう使うのだろう。それはそれで、分らない。

 一方のナイトハルトは、こちらが止まったからといって、加減してくれる道理も無く、とめどない攻撃を仕掛けてくる。今は全員が楯の作る結界の中に居るから良いが、ナイトハルトはすぐにも、別の攻撃手段に訴えるだろう。

 「このままじゃ埒があかない!駄目で元々、動いてみる!」

ナイトハルトが動き出すより、アルベルトの決断の方が早かった。ほかの三人の制止も聞かず、楯の結界から駆け出す。

「ええい、あの野郎、理屈も何もなしで無茶苦茶しやがる!」

あっという間に衝撃派で動けなくなったアルベルトを見て、ジャミルが吐き捨てた。苛立ちよりは、情の滲む言葉ではあったが。それを皮切りに、また皆が動き出した。まずはラファエルが、流星剣を衝撃波にぶつけてみた。正面から術法を使ったのでは掻き消される恐れがあるが、これは上手くいった。波が乱れて、威力が弱まる。そこを狙い澄まして、ジャミルとアイシャが術法を使った。そこで威力が相殺される。

「助かった!」

アルベルトは立ち上がり、走った。ダメージを受けていたし、元々それほどスピードのある方ではない。だがこの時は、今しか無いという必死の思いで、信じられないような速さを生み出した。

「ナイトハルト様!」

振り下ろす度に衝撃波を生み出すのは、ミルザの剣の銀の刃も同じだ。至近距離。第二波の攻撃を相殺する。

「目を覚ましてください!貴方もデステニィストーンの聖戦士なら、どうか!二人で一緒に、ディアナ姉さんを迎えに行きましょう!」

伝えたい言葉の、それがすべてだった。幼い頃から憧れ、追いかけて来た男が、よりにもよってサルーインに洗脳されたということは、確かにアルベルトを落胆させはしたが、そんなことは重要ではない。ぶつけるべきは、今、誰が彼を待っているかということだ。ナイトハルトは必ず帰ってくる。何故ならば彼は、帰らなければならない人だからだ。自分と、姉のディアナを含めた、ローザリアのすべての民のために。アルベルトは信じた。

 ナイトハルトの面に、動揺が浮かぶ。効き目があった、とアルベルトは思い、オブシダンソードに銀の刃をぶつけた。これでお互いに衝撃波は使えない。

「ナイトハルト様、帰ってきてください!待っているんです!僕も、姉さんも、国王陛下も、みんなが貴方を待っているんです!」

その瞬間、今までに無い巨大な共鳴音が、辺りに響き渡った。眩い光が、視界を真っ白に染める。十のデステニィストーンが響き合い、ひとつの巨大な調べを奏でた。

 薄れゆく光の中で、アルベルトは見た。自分がこれまで見慣れてきた、強い表情の、ローザリア摂政王太子ナイトハルト。彼の、憧れの根源を。

「…アルベルト」

ゆっくりと、ナイトハルトは口を動かした。やっと我が身に戻ってきた、すべてを確かめるように。

「世話をかけてすまなかった。傷は大事無いか?」

「はい。この程度で音を上げたら、後で姉さんに大目玉ですから」

同じ日々を共有するものだけが持てる、安らかで幸福な笑顔が、一瞬二人の間に交された。

 その一方、ミニオンの相手には手間取っていた。近寄っても攻撃できるのは腕までで、距離を取ると術法の攻撃が激しい。そんな具合だ。

「クローディア」

決断は下された。今までのもので駄目ならば、新しい駒を使うしか無い。正直に言えばグレイは、この日に限れば、クローディアを表に出すのが怖かった。だが、そうばかりも言っていられない。

「シフとホークの間を縫って、奴の顔面を狙ってくれ。その矢なら、刃が立たないということは無い筈だ」

「分ったわ、任せて」

頷くクローディアの表情は、またあの、不安になるような透明さを見せていた。

 とはいっても、シフもホークも、実によく動く。その間を縫うのは、至難の業だ。狙い目は、一瞬も無い。そこを見定める集中力は、並大抵のものではないだろう。そして、すべては刹那の内に推移した。エリスの弓がまた、澄み渡った音を響かせる。フードに覆われて見えない顔面に、光の矢が突き立てられた。流石のミニオンも苦悶のうめきをあげて、うずくまる。

「シフ!ホーク!一旦退避!」

この二人に大人しく言うことを聞かせたかったら、それ以外どうしようもない状況を作ることだ。アイスソードの蒼い刃に溜め込まれた、特大の冷気を認めると、二人はさっさと後退した。

「後は任せたぞ!」

グレイの放つ一撃は、ミニオンの動きを止めるためだ。予想通り、ミニオンは態勢を立て直せず、そのまま一瞬凍てついた。皮一枚のことだが、効果はある。

「ありがとうよ、とどめは貰うぜ!」

叫んだのはホーク、同時にシフも動き出していた。床に近く動いたのがホーク。シフは上から。宝玉と鋼、二種類の刃は、ほぼ同時にミニオンに食い込み、真っ二つに斬り裂いた。

「ようやくくたばったよ、この化け物」

「まあ、ざっとこんなところだな」

本人たちにその意図は無いが、神業のようなコンビネーションだった。実力相応の減らず口に苦笑しながら、グレイは軽く、肩の力を抜いた。

 全員が態勢を立て直したところで、それまで脇で大人しくしていたシェリルが、さっと一同の顔を見渡した。

「揃いましたね、デステニィストーンの勇者たち……サルーインは、この奥です。行きますね」

か細い手が指し示す先には、幾重にも重なるカーテンが、遥かな高みから垂れ下がっていた。

「準備なら出来てるよ。そうですよね?」

最初に頷いたのは、珍しくアルベルトだった。だが、その気持ちは誰しも同じだ。ここで躊躇うくらいなら、最初から来はしなかった。

「では、参りましょう」

表情ひとつ動かさずに、シェリルは踵を返して、滑るように歩き出した。

「あそこへ行けば、貴女の償いは終わるんですね?」

その背中に向けて、アルベルトが更に声をかけた。

「終わりの始まりが、あそこにあるのです」

シェリルは振り向かない。アルベルトが何を考えているか、グレイには分らなかったが、ジャミルとアイシャが寄っていったので、任せることにした。彼の考え出したコンビネーションの、中核を担う三人だが、それ以上に深い信頼で結ばれた、年の近い仲間だから――結局三人で、小声で何か喋って、歩き出した。ラファエル、ホーク、シフ、ナイトハルトがそれに続く。クローディアは、グレイの傍らで、張り詰めた表情で、カーテンの奥を見つめている。

「…行きましょう。あそこへ行かなければ、何も『終わらない』のだから」

「そうだな、そして、何も『始まらない』――そうだな」

クローディアは頷いたが、その横顔には、終始笑みが浮かぶということは無かった。

 

 シェリルが杖を差し出すと、幾重にも重なりあってゆく手を閉ざしていたカーテンが、霧が晴れるように取り払われ、やがてその奥に、カーテンと同じ、淡い光の布地に束縛された、巨大な姿が現れた。闇を思わせる漆黒の髪、虚無を宿した双眸、黒水晶の剣を握るその姿は、昔語りの邪神サルーインにほかならない。

「……長い間、この時を待っていた――よくぞ我が復活の舞台へ来た、忌々しいエロールの子らよ!」

叫びとももに、布が断ち切られ、今や自由の身となった、邪神が顕現した。圧倒的な威圧感が、一同を襲う。まだ何もしていないのに、押し潰されそうだ。

「どうした、何も出来ぬか、か弱きエロールの子!」

地の底から響いてくるような怒号に、思わずアイシャが竦み上がる。ジャミルが傍らで何かはっぱをかけているが、ここまでの存在感を持つものが、この世に存在するとは、流石のグレイにも想像出来ていなかった。それはホークやシフまで同じことのようで、攻め込む意志だけはあるものの、どう動いていいかも分らないまま、ただ身構えて、サルーインを見上げている。

 その瞬間。空気が、鳴り響いた。動くものが生まれたのである。ナイトハルトの、オブシダンソード。衝撃波が凍てついた空気を引き裂き、サルーインにぶつかってゆく。無論そんなもので傷つくわけも無く、あっさり片手で掻き消されたが、ナイトハルトは動きを止めなかった。翻る刃の軌跡は、ごく短い感覚で、三つ連なっている。三段斬りは剣術の中でも高等技術中の高等技術で、グレイやホークにも、実は二段までしか出来ない。

「我が身の恥は、己で雪がねばならんからな」

端正な横顔に、汗が浮いている。虚無の視線に射竦められながら、なおそれを跳ね除けて動くのに、どれほどの力が必要だったかを、それは物語っていた。しかし、流石に世界最強国家を受け継ぐべく生まれてきた、王者の器。彼の行動は、皆に蒙を啓く。

 サルーインが、忌々しげに黒水晶の剣を振り上げ、無造作に振り下ろした。巨大な衝撃が、空間そのものを断ち切る勢いで迫ってくる。それを、ラファエルの楯が受け止めた。その隙に、ホークとシフが、それぞれ踊りかかり、攻撃を仕掛ける。無論壁は、そう簡単には破れなかった。二人とも弾き返される。だが、そこにひとつの、動きが生まれた。

「やるじゃないか。王子様なんて言うから、どんなもんかと思ってたらさ」

冷やかすようなシフの言葉に、ナイトハルトは、にこりともせずに答える。

「私はただ、人よりすこしばかり多くのものを背負っているに過ぎん。何も変わらんよ」

そして、ごく浅い笑みを向ける先には、アルベルトが居る。

「僕だって、ほら、そんなに違わないでしょう?」

微笑むアルベルトの背中を、ジャミルとアイシャが代わる代わる叩いた。

 サルーインの攻撃はやまないが、炎のものはホークが、それ以外はラファエルが、どうにか防いでいる。今のうちにフォーメーションを組んでおこうと、グレイが思案を始めた時だ。シェリルが、進み出てきた。

「サルーインは、ただ攻めるだけでは勝てません。デステニィストーンを使わなければ」

「デステニィストーンを?」

鸚鵡返しにするグレイに、シェリルは頷いて見せた。そこに、前衛で防ぎきれなかった術法が飛んで来る。素早くアイシャが迎撃した。

「早く教えて!いつまでも守っていられないよ」

その左右を、アルベルトとジャミルが固めた。

「前衛!無理すんなよ、ちゃんと撃ち落してやるから!」

景気の良い声に、ホークとラファエルが、どうにか片手で合図を返した。

 守りの布陣を少々手直ししてから、グレイはもう一度、シェリルに向き直った。今は出来ることの無いクローディア、シフ、ナイトハルトも耳を傾ける。シェリルはゆっくりと、口をひらいた。

「神を滅ぼすことは、神の手を以ってしても不可能です。かつてエロールは、破壊神サイヴァとの戦争に勝利しましたが、大地は壊滅し、しかもサイヴァの屍は、サルーインら三柱の邪悪な神々を生み出しました。サルーインを滅ぼそうとしても、同じことが起こるだけです。だからエロールはかつて、銀の聖戦士ミルザに、結界の要となる十の石を与えました。それがデステニィストーンです」

「では、結界を創るにはどうすればいい?」

「最初の力は、ここにあります。あとはサルーインに打撃を与えて、結界に沈む程度に力を殺ぐこと…石を結ぶ糸は、そこにあります」

シェリルはすっと首を動かして、クローディアを見据えた。

「その弓の弦は、エロールの持つ竪琴と同じもの…サルーインの破滅を奏で、結界の創造を紡ぐ音色を、その弓が奏でます。使い方は、分りますか?」

クローディアは、深々と頷いた。

「大丈夫よ」

「ではクローディア、まずは貴女です。そこから先はすべて、奏でられた音が教えてくれるでしょう」

不安の雲が、グレイの胸に過ぎったが、まるでそれを見透かしたかのように、クローディアは静かに微笑みかけてみせた。

「びっくりした?でも、私はこの弓を手にした時から、知っていたの。だから平気よ」

はっとするほど透き通った笑顔で、クローディアはエリスの弓を取り、軽く爪弾いた。輝きの粒子が零れて、辺りに広がる。清浄な音色が尾を引いた。

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