528日・無理なスケジュール調整〜みつき

 「駄目だってば。絶対に無理。営業日だもん、その日」

「そこを何とかお願いします!この日だけは絶対、みつきさんにやって欲しいの」

「あんたの絶対は、もう何回でも聞いたってば」

「そこをなんとか〜」

「甘えるんじゃないの」

押し問答が続いていたが、その間も作業は続いていた。早い話が、3週間に一度の、髪のメンテ。ヘアマニキュアは褪色が早いので、いい色をキープしたければ、まめなかけ直しが必要になる。もちろん、褪せていく色の変化を楽しむ方法もあるんだけど、それはこの際、関係無い話だ。SIVAのギタリスト中原忍のトレードマークは、艶やかな深紅の髪で、まさかツアー中に、それを変えてしまうわけにはいかない。

 が、問題はそれではなくて、この子のお決まりの我儘だ。

「だから、本当を言ったら、私はいつだって、みつきさんにヘアメイクしてほしいんですよ」

「それ、あたしの仕事じゃないもん」

メジャーデビューから5年この方、一体何回、このやり取りを繰り返してきたことだろう。都内だからとか、たまたま店が休みだからとか、色んな理由で何回か行ってしまったあたしも、大概お人好しだと思うけど、そこを狙ってくるこの子は、また格別に甘え上手なんだから。

 全体のスタイルを整えられ、新しい色を纏った長い髪を、丁寧にトリートメントしながら、しみじみ思ってしまった。すっかり、この色で定着しちゃったなぁ、と。

 その昔、初めて会った時、確かこの子は中学生だった。髪の毛はやっぱり長かったけど、確か三つ編みのお下げにしていて、野暮ったい紺色のブレザーがよく似合う、時代錯誤な感じが可愛い子だった。当時から顔立ちは良かったけど、まさかこんなに綺麗になるなんて思ってもみなかったし、あの細くて真っ直ぐですこし栗色がかった髪の毛を、こんな色にする日が来るなんて、微塵も想像できなかった。

 ていうか、あの小さかった子が、今では日本を代表するロックミュージシャンの1人で、ギターの女神様で、おまけに来年小学校に上がる女の子のお母さんなんだから。時間というものの怖さに、もう呆れるしかない。

 それともうひとつ呆れるとしたら、あたし自身の変わらなさだろうか。一応、自分の店だけは持ったけど(あとそれに伴う借金もして、まだ完済してないけど)、相変わらず気楽な独り身で、店と言っても従業員はバイトだけだから大して責任も無いし、自由気儘に暮らし続けている。

 10年前――あたしは、とある大手美容室チェーンに勤める駆け出しの美容師で、実力の足りなさを、まあこんなもんと心得つつ、勉強を重ねていた。因みにその頃、あたしには、莫迦で可愛い弟が居て、そいつもやはり実力が足りなくて、その現実に正面切って戦いを挑んでは、傷だらけになっていた。そしてとうとう、望んだだけのものを得るより先に、不慮の事故で死んでしまった。

 可哀想な奴、とも思う。両親は未だに、頑なにあの子の存在を認めようとしない。莫迦な不良息子が、当然の末路を辿ったんだ、と。それはそれでひとつの解釈であり、寂しいけれど、そういう相性だったとしか言いようが無い。仮にあの子が生きていて、ある程度成功していても、それは変わらないだろう。あ、孫の顔でも見せれば別だったかな。

 可哀想な奴だった。でも、不幸ではなかったと、信じたい。そのために魂燃やし尽くせるくらいの情熱の対象を持っていて、それに忠実に、素晴らしく太く生きた。そこに大切な仲間が居て、無条件に見守ってくれた恋人も居て――凄い宝物を、たくさん持っていた子でもあった。

 まあ、その隅っこに、あたしとか、忍とかも居たわけだけど。

 で、その忍が、弟の代役をやるという。で、あたしにヘアメイクをしに来いと言う。店閉めて。

「ねえ、みつきさん。俊兄に会いにいこうよ。絶対そのへんに現れるから」

そして、そんな殺し文句を言う。今更そんなことでは泣けないくらいの時間が、10年の間に降り積もり、それはすっかり穏やかなギャグと化しているんだけど、やっぱり凄い必殺台詞だ。

「そうねー…化けて出たら、驚くでしょうね。自分だけが若いんだもん」

「そうそう。光ちゃんには、新しい彼氏できてるしねぇ」

「絶対焦るよね。自分だけ10年間上達してないし」

「幽霊って腕あがらないのかな?もう夜寝なくてもいいから、ノンストップで10年間弾きつづけてそうなんだけど」

「あはは、それ絶対、心霊現象になっちゃう。いい、いい、そういう怪談」

ネタにしてごめんね、俊二。だけどこれは一方的に、全面的に、あんたが悪い。早々に居なくなっちゃうからだ。いや、居てもやるけど、反論くらいは認めてあげたんだから。

 10年――変わったものと、変わらないものが交差する。そこに行ってみるのは、確かに、楽しいことには違いない。そこにあの子が居るかどうかは、また別の問題だとしても。

 そのまま認めるのも癪なので、毛先まで艶やかに仕上がった深紅の髪を、思いっきり逆撫でてやった。スタイリングも何もしていないさらさらの髪が、一瞬、炎のように舞い上がって、同じく一瞬で崩れ落ちる。鮮やかな幻を見たようだ。

「分った、行ってあげる。ギャラはずみなさいよ」

一瞬の幻は、多分、77日のステージでも、目が眩むような輝きを見せてくれる筈だ。

「絶対、そう言ってくれると思ってた」

そう言った忍の、凶暴なくらい素直な笑みに、目が眩みそうになった。

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