430日・デザイン・コーディネーション〜翔子

 やっぱり、今回は銀色だよねと言ったら、そうですよね、と孝史が返した。デスクの上には、今回のポスター用に書き下ろした3パターンの下書きがあって、色見本も何通りか作ってある。なんだけど、今回のモチーフは、白銀の満月以外に有り得なかった。途中でパターンを作るのが莫迦らしくなってきたのが正直なところだけど、仕事だからまあ仕方ない。

 それで打ち合わせを始めたら、案の定、孝史は即決で、銀色で満月のポスターを手に取った。

 群青の空にくっきりと浮かぶ、銀の月。SIVAの始まりを三日月としたら、今確かに、充実の月が満ちている筈だ。3月の武道館で使う案もあったんだけど、それは飽くまでも、キャリアの中の一里塚として考えたい、というバンド側の意見があって、却下になった。そのデザインのヴァリエーションが、今回日の目を見たわけだ。

 が、ここからが毎回難航するところで、コーディネーターの大河原さんを挟んで、文字のフォントや大きさ、色、配置、更には印刷のクオリティと、気が遠くなる話が続く。前に一度、原画だけ渡すから好きにしたらいいよ、と申し出たこともあるんだけど、それだと絵が活きなくなる恐れがあるから、と孝史に却下された。まあそうなんだけど、毎回ここからの過程は熾烈だ。

 熾烈な理由はもうひとつある。制限時間が厳しいことだ。孝史は、結論も出ないままにダラダラ紛糾するようなやり方は嫌いで、ミーティングは何であれ、開始前に、先に終了時間を設定する。その中で必ず落とし所を見つけなければならないので、場合によっては、ぎりぎりの神経戦が時間一杯続くことになる。スケジュールに狂いが生じなくて、やりやすいと言えばその通りだが、オン・タイムという要求は、往々にしてとてもハードだ。

 ポスター1枚にかけるのは、どんなに長くても2時間。それがいつもの、孝史の時間設定だ。何しろ彼は、舞台監督として演出全般や特殊効果も見なければいけないので、忙しい。確かに、そのどこであれ、ダラダラしている余裕など無いのだろう。

 それでも今回は、デザインが即決だったお蔭で、すべてがスムーズだった。文字に関しても、孝史の頭の中には、とっくにイメージが出来上がっていたらしい。それで、私の用意してきた原画にそれが載ることを確認して、間違いなく印刷出来ると分ったら、それでミーティングは終った。

 ミーティングが終ると、孝史は、崩れるように会議室のパイプ椅子に沈み込んだ。1月にシングル、2月にアルバムをリリースし、何を隠そう、実は今彼らはツアー中だ。たまたま今、中休みで都内に戻っているので、こういう時間が取れたが、明後日にはまた、九州に飛ばなければいけない。

「相当疲れてるわね」

「無理のきかない年になりますから。ツアーの合間に徹夜は無茶だったな」

自嘲気味にそう言う彼は、来月で30歳になる。そのことを言っているんだろう。

「明日は休めるの?」

「流石に、そうしないと後に響きます」

誰しも無尽蔵の若さを持っているわけではない。特に彼は、体力的にも、スケジュール的にも色んな無茶をしてここまでやってきたけど、続かないんだろうなと、見当はつく。

 それでも、基本的にだらしない姿勢を取っているのが嫌な人なので、すぐに姿勢を正した。

「七海、元気にしてますか。俊也は?」

悪魔の上手ギター、我らが裏番長が、ふいに父親の顔になる。

「うん、相変わらず。ななは最近、字を覚えるのが楽しいみたい。俊也はやっと最近、完全におむつが取れた。和葉は、ずーっと踊ってるのよね?」

「のめりこんだら、それしか出来なくなるんですよ、あれは」

孝史が笑う。彼と忍の娘である和葉は、年明けからバレエ教室に通っていて、暇さえあれば家でも踊りまくっているらしい。

 それから、やや間を置いて、孝史は表情を改めると、真っ直ぐに私を見た。

「そういえば、聞いたこと無かったけど、翔子さんは俊二さんとは、面識はあったんですか?」

「無いわ。話は多少聞いてたけど、付き合い始めたが、亡くなる23ヶ月前だったから」

ただ、その人が智之の人生に占めていた、けっこうなウェイトだけを感じていた。嫉妬とか羨望ではなく、単なる事実として、それなりの重みを持って、それはそこに存在していたんだから。

「どうやって考えたんですか?今回の、このアイデア」

「どうって…貴方たちのことを、ずっと見ていただけ。そこにいつも、彼は居た。それだけのことでしょう」

智之にとって、そうであったように――忍にも、孝史にも、総一郎や悠太にも、それぞれの中にそれぞれの重みで、俊二さんという存在の場所がある。インディーズの頃から、付かず離れずの位置にずっと居て、そのことを感じてきた。だから、その重みを絵にしただけだ。

 孝史は、それ以上何も言わなかったけれど、相当疲れて眠そうだった表情を、幾分かは和らげて、立ち上がると軽く会釈をした。

「お疲れ様でした。これで上がりなら、智之を呼びますよ。あいつはもう終ってる筈だから」

そういう彼は、まだこれから、演出や特殊効果のことで、色々とやることがあるんだろう。どうか今日中に、ちゃんと家に帰れますように。

 それはそれとして、確かに仕事は終りで、それならさっさと帰りたかったので、智之の様子を見てきて貰ったら、本当にもう、打ち合わせは終っていたらしい。それで、先に駐車場で待っていた。

「お疲れ様」

助手席のドアを開けて、声を掛けると、彼はイヤホンを外して、ああ、と言った。

「このまま帰っていいか?」

それで、雑談なんかは一切飛ばして本題から入るのが、この人の喋り方だ。そう言いながら、もうシートベルトを締めて、エンジンをかけ始めるし。

「チビさんたちを引き取ってから、夕飯の買い物がしたい。冷蔵庫に碌なものが無いの」

「メシ何にする?」

他愛ない言葉を乗せて、車が走り始める。初夏の陽射しは既に傾き始めていた。

「鰹の美味しい季節よね」

「…俺に作れって?」

流石に昨日の朝、北陸から戻って事務所に泊まり込んでいた人を、そんなにこき使う積りは無い。

「てこね鰹のちらし寿司、なんてどう?せっかく久しぶりに4人で晩御飯なんだし、作るのも4人でやりましょう。それで、明日は1日休みなさい」

残念ながら、うちの子供たちは2人とも、私よりもお父さんの方が好きだ。毎日家に居て仕事をしている母親よりも、留守がちでも、家に居る時は完全にオフの状態である父親の方が、子供たちにとっていい親なのは、仕方ないことだろう。それを私がガタガタ言うのは筋が違う。こういう形の家族なんだから。だからせめて、オフの間は、いい親の顔で居てあげて欲しいものだ。まあ、そんなことは、私が言うまでも無いにしても。

「しゃーねーな、美味いもん食わせてやるか」

ほらもう、とっくに頭の中では、自分で作る手順を整えて居るんだから。それじゃあ私はその横で、酢飯でも扇いでいればいい。子供たちはきっと、お父さんにつきまとって離れない。

 今夜はご馳走だ。

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