75日・ゲネプロ〜孝史

 場所は都内の空き倉庫だ。組み上がったセットを見ていると、色々と気になることが出てくるのは、いつものことだ。配色、ライトの加減、明暗のコントラスト、モニターの具合。抱いているイメージを的確に伝えるのは難しいことで、出来上がりに齟齬があるのはやむをえないし、甘さが出る場合もある。イメージが現実に追いついて居ない場合、その逆、技術的な可能と不可能。いちいち駄目を出していたら、時計はあっさり日付変更線を越えた。もう搬出して武道館に向かわないと間に合いません、というので、本番当日の入りを思い切り早く設定して、最終チェックを入れることになった。ただでさえ、午後から夕方にかけての公演で、会場入りが朝になるというのに、一体俺は何時に起きればいいんだ。いや、3時だろうが4時だろうが必要とあれば起きるが。

 というわけで、出演バンドのメンバーはこれで解散。俺だけが、搬出の間に最終の打ち合わせをするので、残ることになった。

「朝までには終りそう?」

解散の挨拶が終るなり、忍に尋ねられた。

「終らせる。それ以上ダラダラやっても時間の無駄だ」

「じゃ、早起きして待ってるから。胃が動いたら、朝ご飯だけ一緒に食べよう?」

それだと今夜の睡眠時間が2時間とか3時間になってしまって、それは彼女には辛いことの筈だ。それを、こんな風に柔らかい笑顔で言われると、ついどんな我儘でも聞き入れてしまいたくなる。

「動かすよ」

「孝。そんなとこで無理しなくていいから」

「いいから、もう帰れ」

そう言ったのは、これ以上甘ったるいことを言わないため、じゃない。休める時間を、無駄にして欲しくなかったからだ。

「うん、それじゃ、お先に失礼します」

流石に彼女もそこで食い下がることはなくて、おやすみ、と言ったら花のように微笑んで、踵を返した。

 それで、さあ居残りだと思ったら、もう1人、残っている人間が居るのに気がついた。

「お疲れ様です」

D.M.C.SIN、あるいは桐山敦司。薫にも智之にも近しい人間としては、どっちで呼んでいいか分らなくなるが、とにかく対バン相手のバンマスが。

「貴方も最終チェックですか?」

「こういうの、人任せに出来ないタチでさ。打ち合わせを聞いておこうかと思って」

確かに、この人はずっと、演出関係の打ち合わせにも顔を出していたし、印刷物やデザイン物の原稿もすべて、回してチェックを入れて貰っている。出てくる駄目は決して多くはなかったが、バンドの絶対的リーダーとして、音楽のほぼすべてを担い、事務所の社長とレーベルのオーナーを兼ねているのだから、俺以上に激務の筈だ。それでよく、こうも隅々まで神経を行き渡らせていると思う。

「薫が言ってた。腕のいい演出屋が居るから、ドンと任せてくれって。本当だな、情報量は少ないのに、凄く効果的だ。ライティングも、モニターも…演出で飯が食えるんじゃないか?」

「さあ…俺が考えているのは、音楽回りのことだけですし、人様の音楽に触ってみたのは今回が最初だから、よくわからないな。この場所から離れる予定も、当分の間ありませんしね」

何となく、お互いの考えていることは分る気がする。

「俺よりこだわりの強い奴を見つけた。そう思ってるだろ」

そのもの、ずばりだ。

「貴方もね」

そう言ったら、彼は、天使と悪魔が綯い交ぜになったような、魅力的な笑みを浮かべた。

 「で、問題は何処」

そして、子供のような単刀直入さで、ど真ん中に突っ込んでくる。

「一番大きいのは、スクリーンの色ですね。照明とスモークの関係で、もうすこし調整しないと綺麗に色が出ない。あとは、特効周りの微調整と、ライトの最終確認、音響の最終確認…当日は5時入りってところでしょう」

「分った、じゃあ、俺もその時間に来る」

「人任せに出来ない、ですか?」

「それと、ほんの興味」

「興味って、何がですか?」

「俺より細かいところにこだわる奴、智之が一目置いてる男、薫が評価してる仕事人、俊二の後任、忍の旦那。俺からしたら、気になる奴ばっかりだ」

他人が言ったなら、恐らく、五月蝿いと思っただろう。だが、この人が言うと妙に素直な響きになる。そして、敢えて言うなら俺も、彼に対して同じような興味を持っていた。

「俺より隅々までこだわる人で、智之が一目置いている相手、薫さんの親友、俊二さんが誰よりも敬意を持っていた敵手。ついでに言うと、河村あすかさんのパートナー、ですよね」

最後のひとつは余計だが、この間ぶっちゃけ話を聞かされたので、まあいいだろうと判断した。

「最後のそれは、一体何なんだよ」

案の定、年齢よりも大幅に子供っぽい、軽く不貞腐れたような顔で、返される。

「ファンだったんですよ、ガキの頃。それだけのことです」

それは本当のことだ。年より大幅に生意気な少年だったので、色気を振りまくタイプの女性よりも、怖いくらい綺麗で近寄り難い感じが好きだった。

「それはそれで、選んだ相手が忍なんだ」

が、プライヴェートに突っ込んだのが薮蛇で、同じようなささやかな無礼が返ってくる。

「薫にさ、忍は結婚したって聞かされた時、どこのどいつだよって思った、正直。今より頭ひとつ小さい背丈の頃から知ってるからさ。って言っても途中で消えた人間だから、こんなこと言えた義理でもないんだけどな」

これもやはり、他人が言ったら瞬間的に殺意を覚える類の台詞かもしれなかった。まあそれは、俺の永遠の病だとしても、だ。

「良かったら今度、うちにいらしてください。彼女も喜ぶと思う。娘の顔もお見せしたいですし」

「ああ、いいな、それ」

すると彼は、やはり年齢の分らなくなる透明な笑顔で、頷いた。

 そして、一気に表情を引き締めると、真っ直ぐに前を向く。

「準備出来たみたいだ」

搬出される機材の手前で、舞台監督が手招きしている。夜が明けるまで、また仕事、だ。

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