928日・企画書〜敦司

 「…薫、お前さあ。同窓会に武道館押さえる莫迦が、何処に居るんだよ」

企画書を見せられて、最初に出た台詞は、それだった。大体お前ら、武道館使ったこと無いだろう、という台詞も実はあったんだが、流石にそれを口にするのは、失礼というものだ。

 が、薫はもちろん、そんなことでは顔色ひとつ変えない。

「同窓会だって分ってくれてありがとう。それで、可ですか?不可ですか?D.M.C.のツアーは5月に終るよね?」

アルバムリリースから続く、そのスケジュールはまだ極秘事項の筈だ。どういう情報網を持っているんだ、この女は、相変わらず。

「この話、Mプロさんでは、どういう扱いになってる」

問いかけたのは、もちろん逃げるためで、薫もお見通しだろう。

Flat FieldさんのOK待ち。調整はついてて、武道館は仮押さえ。これが駄目ならSIVAのワンマンになります」

「おお、武道館やるのか。おめでとう」

「初回は3月ね。でも、そういう話をしてるんじゃないのよ。出来ますか?出来ませんか?やりたいですか?やりたくないですか?」

スケジュール的に言うと、来年6月から7月の、その部分はまだ空白だ。5月までのツアーのアンコール公演をやるとしても、その位置ではないだろう。やろうと思えば飛び込める。

 問題は、やりたいか――正直、分らなかった。自分で言うのも何だが、D.M.C.は俺の独裁政権なので、俺がやると言えば、よほど無体なことで無い限りは、通ってしまう。だが、これは流石に、あまりに色々、引っかかるものがありすぎる。

 第一に、俺と恭平はともかく、黎と月人には、この話は関係無い。それに、SIVAの客層はどうだか知らないが、D.M.C.の客にも関係ない話だろう。第一この二つのバンド、客層が殆ど被っていないのは、薫がきっと、一番良く知っている。

「小難しいことを聞いてるんじゃなくて。あっちゃん自身は、同窓会に出たいの?出たくないの?」

仕事場で、しかもこっちのオフィスに乗り込んできて、ちゃん付けは無いだろうと思ったが、確かにこれは、「Flat Fieldの桐山敦司」と「MUSE Promotionの中原薫」の話ではなくて、「敦司」と「薫」の話になってしまっている。

 出たいか――と言われると、出たい、という言葉が、喉まで出かかる。十代の日々をともに駆け抜けた、かけがえない仲間たちとの場所。帰りたいとか、追体験とかいう問題ではなくて、帰れないことを踏まえた上で、再会を祝したい。今の実力で、手合わせを願いたい。そういう意味では、間違いなく、それは同窓会だ。

 唯一、引っかかっているのは、そこに完全なオリジナルメンバーが、もう揃えないこと。RACHESISの要であり、リーダーであった俊二は、もうこの世に居ない。その事実は、俺にとって、今でもかなりの重さを持っている。

 けれども薫は、当然そんなことには触れもしないで、そこで話を切り上げた。

「一週間待ちます。確認事項はありませんか?それじゃ、一週間後には、最終決定をしておいてください」

まあ、確かに、Flat Fieldの代表者は俺だと言っても、実務担当のスタッフに了解も得たいし、恭平たちにも話をしないといけないし、ここで即決出来る質問では、そもそも無かった。

 そして薫は、帰り際、出口の扉の前で、妙にふてぶてしい笑みを浮かべた。

「あっちゃん。意地は張りどころを間違えると痛いのよ」

それは必殺の一撃だった。それを間違えた時、何がどうなったかは、RACHESISの歴史が物語っている。俺と俊二の、一生の大失敗だった。

「というわけで、いい同窓会にしましょう。じゃあね!」

まだ返事をしたわけでもないのに、本心はすっかり見抜かれているらしい。鮮やかに言い放って、昔から変わらない早足で、薫は帰っていった。

 「いいんじゃない」

恭平のリアクションは、明快そのものだった。2人の間には、薫が置いていった企画書がある。0977日、日本武道館――俊二の10年目の命日の、追悼ライヴ。Devil May CareSIVAの対バン形式で、最後にオリジナルメンバーでRACHESISの楽曲も再演するという――何をどう考えても同窓会だ。

「客観的に見て、悪い企画じゃないと思うよ。うちとSIVAは、今日本では数少ない、まあ若手で、真面目にロックをやって武道館まで上り詰めたバンドなんだからさ。それで、せっかくルーツも同じなんだから、一度くらい共演してもバチは当たらないよ」

いつもの穏やかなポーカーフェイスで言う、その目の奥には、ちらちらと不穏な色も見え隠れする。こいつはこいつで、油断ならない。

 案の定、恭平はそこで言葉を切るようなことはしなかった。にっこり笑って先を続ける。

「ていう感じで外堀は埋めてあげたから、さっさと降参すれば」

こいつのことを「怒っているのを見たことが無い」だの「誰よりも温厚」だの言う輩が居るが、一言言っておきたい。だからといって安全だとは限らない、と。

「相談してる段階で、それは逃げてると思うよ。やりたくないなら即答で断ってるでしょ。大体俺、敦司にものを相談されたのって、初めてのような気がする。10年以上一緒にやってきて、今更だけど」

口調も表情もテンションもすべて穏やかなだけに、逃げ場の無い攻撃だった。

「…これも、逃げてるのは分ってて訊くけど」

我ながら、往生際が悪いと思う。でも、どうしても頷く気にはなれない。最終的にどうするかは、もうとっくに理解しているのに。

「お前はさ、拘りは無いわけ」

とはいえそれは、俺自身にとっても、気になる点ではあった。こいつもまた、RACHESISには最初から最後まで居たメンバーなのだから。

「無くはないけど、単純にさ、智之や和馬と手合わせしたいなっていう。それだけの話。RACHESISの楽曲も今でも好きだから、演奏出来るなら、したいし」

それだけのことを、淡々と素直に受け入れられるのは、この男が強いからだ。中学生の時から俺についてきて、不平も不安も愚痴の類も、すくなくとも俺には、一度たりとも零したことが無い。主体性が無いとか、金魚の糞だとか、言いたい奴には言わせればいいと思う。それだけ強く信頼されている、という思いが、いつでも俺を支えてくれる。

「ぶつぶつ言いたいなら、もうちょっとくらい聞くけど、あんまり時間を無駄にしない方がいいよ。これ以上言ってると、俺じゃなくて黎が怒るでしょ」

ベースの黎は、その日はオフで、オフィスにも顔を出していない。が、メンバーの中では最年長でキャリアも長く、物事を知っている人間なので、いつも俺に五月蝿いことを言うのは、本来は恭平ではなくて、黎の仕事だ。

 それでもとうとう気が晴れることは無いままに、だらだら数日が過ぎていった。明日が回答期限、という日になって、往生際悪くすべてを保留していたら、薫から電話がかかってきた。

「唐突に訊くけど、今日暇?」

「…なわけねーだろ」

しかし、言い出したら聞き入れる気など毛頭無く、すべてを自分のペースで押し進める気で居るからタチが悪い。今日は1日、デスクワークの日だから――暇ではないが、時間の遣り繰りは、出来ないことも無い。

「そーだよねぇ、あっちゃんはただのミュージシャンじゃなくて、社長だもんね。忙しいよねぇ」

「お前さ。それ、完全にリアクション分って言ってるだろ」

「当然でしょ。こういう時にあっちゃんがどういう反応するかなんて、とっくにお見通し。遣り繰り効くんなら、昼から2時間頂戴。車回すから、ちょっと顔貸してよ」

そうして薫は、いつものことながら重戦車の勢いで、俺の儚い抵抗を粉砕し、自分のペースにすべてを巻き込み始めた。一緒に仕事をしていた時は、これほど有能なスタッフも居ないと思ったし、随分助けになったものだが――久しぶりにぶっちゃけられると、ムカつくなと。そうやって鼻で笑ったら、電話の向こうの声は、更に追い討ちをかけてきた。

1時に迎えを行かせるから、トンズラは無しね。分ってる?!」

「…分った。分ってるよ」

「返事は1回で十分!」

そうして電話は一方的に切られた。まだこんな調子で仕事してんのかあいつは。智之の奴は、よくこんなのと10年以上も一緒にやってるよ、なあ――と、相槌を求めてしまう。

 振り返る、その背中、ステージの上手側――かつてそこには、最強の敵が佇んでいた。俺のことなんか眼中に無いって顔をして、怖いくらい澄み切った目で高みだけを見据えて、翔びたいと本気で願っていた。そのために、血塗れになるのも厭わない莫迦だった。

 向かい合うことも並び立つことも出来ずに、背中合わせに立ったままで、どれだけの道のりを往ったんだろう。その危うすぎるバランスを、矯正することも出来ないままに。ただ突っ走り、意地を張り合い、斬り結んで――それでもお前とは永遠に一緒だと、思っていたのは俺の甘えだったんだろうか。

「俊二」

空っぽのオフィスに、独白が散る。あの日、離してしまった手とは、結局二度と巡り会うことは無かった。それから10年。もうとっくに、「あの日まで」よりも「あの日から」の方が長い。

「大莫迦野郎」

結局のところ、そうとしか言いようが無かった。

 薫が寄越した迎えの車は、1時だと言ったのに20分以上も前に到着し、それはまあ予想済みの事態だ。大体あいつがせっかちなので、周囲はそれに合わせて動くことになる。誰か歯止めをかけてやれ。

 「お忙しいところを申し訳ないです。Mプロの笹岡です」

車を運転していたのは、二十代半ばと思しき女の子だった。現場マネージャーか何かだろう。

Flat Fieldの桐山です、どうも」

肩書きが複数あって名前が二つあると、今でも時々、どっちで名乗ればいいのか混乱する。が、今日のところは例の用件絡みだろうから「桐山敦司」でいい筈だ。

「すみません、うちの中原がご無理を申し上げたみたいで」

「気にしてないですよ。あいつの無茶苦茶は、中学生の時からずっとですから」

そう言うと、笹岡嬢はてへ、と苦し紛れの笑い方をした。

 連れて行かれた先は、都内のスタジオだった。記憶に間違いがなければ、ここはSIVAの所属先である、Moonchild Recordの持ち物だ。連中は夏前までツアーを回っていた筈だが、今ここでやっていることというと…新曲のプリプロだろう。

 「待ってました。笹岡ちゃん、もうちょっと早く何とかならなかったかなぁ」

ドアを開けて室内に入るよりも多分早く、薫は喋り始めていた。これだけ早回しにことを起こしても、不思議と事態を破綻させないのが、昔から凄いところだと思っているが、これは要求のしすぎだろう。

「これでも15分早く出た。で、口先の予定よりは早く到着してるだろうが」

もちろんそんなことには慣れているんだろう、笹岡嬢は、俺がフォローするまでもなく、しゃあしゃあとしたものだ。

「悪いな、こいつが勝手に暴走してて」

そして智之が、淡々と何事でもないかのように、俺を迎えてくれた。

 さっと、室内を見渡す。やはりこれは、新曲のプリプロだ。それも、試行錯誤段階ではなくて、それなりに形がまとまっている状態での。

「手の内を晒していただけるそうで…お手並み拝見しましょうか」

ざっと機材をチェックし、音の定位を測って、立ち位置を計算する。無駄話をしに来たんじゃない。見せてくれるというならば、さっさと見せて貰おうじゃないか。

 薫が後ろに下がる。智之は、メンバーたちに小声で何か指示を出していた。

 SIVAの音源は、薫が回してくれるお蔭で、インディーズのものからすべて聴いている。が、生を聴くのは初めてだ。何が出るか――と、些か意地悪な期待も込めて、神経を研ぎ澄ました、その時だった。

 最初に迸ったのは、ギターの旋律だった。イントロからここまで豪華に来るかという、重厚なツイン・リードのハモり。続いて、小気味の良いドラム・フィルに導かれて、エモーショナルなヴォーカルが入ってくる。すべてを下支えているのは、職人技のベースだが、縁の下の力持ちと言うよりは、燻し銀の輝き。ミディアム・テンポから入った曲はAメロを経てサビに行くところで一気にスピードアップし、それまで見事に融けていたツイン・ギターが二つに分かれる。自らも歌うようなオブリガードと、単体で聴いたら耳障り極まりないだろう、奔放なノイズ。けれども合わせて聴いていると、ここにはこれしか無い、と思わせられる。Aメロ、サビの繰り返しに続いて短いベース・ソロからギター・ソロへ続き、最後は大サビ――シンプルな構成で、ジャパ・メタ好きが聴いたら涙を流して喜びそうな、間違いの無い名曲だった。

曲そのものに新しさは無いが、アレンジには幾つも目を見張るような工夫があり、マンネリとも無縁。そして何よりも、心の扉を直に叩いて開かせるような、感動的としか言いようが無い何かがある。そんな言葉は安直過ぎて大嫌いだが、この世には確かに、そうとしか言い得ないものが存在している。この楽曲がそうだ。自らの感情を基点に、人の心を巻き込んで大きく舞い上がる力。それを、感動と呼ぶことは間違いが無い。

尺は5分弱。ものの見事な智之節だ。俊二はこれよりはすこし、メロディアスさに流れるし、俺はこういうヘヴィメタルの素養はほぼ無い。

「お見事だな。新曲だろう?」

「今度のシングルのA面だ」

智之が、面白くも無さそうに応える。

「で、これを俺に聴かせたかったって?」

真っ直ぐに見つめた双眸には、だからどうしたと言いたそうな、何でもない表情が浮かんでいる。この極端なまでの落ち着きというか、決して何事も大事にしたがらない、嘘のような平常心が、確かに智之らしい。

 が――落ち着き払った智之が、真っ直ぐにこちらを見返す。淡々と静かなままで、誰よりも揺るがないその瞳。強くなった。羨ましいくらいに。

「黒幕はお前だろ。言いたいことは背中で語るってか。相変わらずだな」

そうだ、俺には分る。薫の癖も、智之の癖も。十代のあの日を一緒に駆け抜けた仲間たちの、あの日から変わっていない部分は。薫のすることは、いつももっと直球で、まだるっこしさが無い。智之のやり方は、基本的には正攻法だが、決してストレートに流れすぎない。こういう風に。

 だからどうした、という感じで、智之が頷いた。

「ヘヴィメタルなんか大嫌いだ」

これも、10年前のあの日々に、何度も言ったような気がする。その響きさえ、今は愛おしい。

 「薫」

振り返ると、もう既に何か喋りたそうな顔をして、薫が待っていた。

「契約書、今日中に届けさせるから。だから、暴走してないで、落ち着いて走れよ」

いつもなら、もうすこし食い下がってくるところだろうが、暴走していたのは事実だから。薫は、すこし照れたような顔をして、頷いた。

「分った。それじゃ、具体的なあれこれを始める前に、あんたたちも、いいアルバムを創りなさいよ。文句無しに充実した状態で、武道館に来て」

聞いているうちに、思わず笑えてくる。これが人にものを頼む態度なのか、と。だから、返してやる台詞は、ひとつしかない。

「見縊るな。お前らになんか、絶対に負けない」

狎れ合いでなく、仲良しごっこでもなく――こういう緊張感の中にこそ、俺たちの関係はあった。だから信じあえた。繋がっていた。もう一度始めるとしても、それを変える必要は無い。

「テメエも変わってねえよ」

智之が、そう言って微笑った。

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