承服出来ないことは、幾つもある。だが、仕事だ。そう思って、やり過ごしてきた。その結果として、それなりの成果を上げたと思っているし、適当に目を瞑っていれば、基本的に恵まれた立場に居ると思う。特に、周囲の人間には。

 だが――どんなに見ないふりをしても、見えてしまうものというのが、ある。

「イリア!」

 軍隊では聞くことが無い筈の、甲高い声。何をどう聞いても、子供のそれだ。

 無重力空間にふわりと広がる、長い黒髪。パイロットスーツの上からでも分かるほど、細くて真っ直ぐな身体。何をどう見ても、子供なのだ。イリア・ゼクロスは、未成年だが、子供とも言い切れない年齢にはなっている。だが、目の前のこの少女は、思春期前ではないだろうか。

 これも、F計画――そう言われて、飲み込めるだろうか。レオンハートには自信が無い。

 

 イリン・クァディシンの総旗艦たる、空母<エロディアード>とのランデヴー指示が下ったのは、僅かに三日前のことだ。早い話が、<ビルキス>の行動はそれだけ隠密性が高く、決まっていることがあったとしても、公表が遅い。

 用件は、F計画関連なのは間違いない。誰もがそう思ったが、正式な通達は無かった。前日の終わりごろになって、ようやくレオンハートたちF小隊や、サイコミュ調整担当のフィオに、明日の一○○○時に<エロディアード>へ行けという命令が出た。そのことも、無論、行った先でのことも、すべては守秘義務が課せられるという釘刺しつきで。

「それは、飛行科長にも、でありましょうか」

 命令を下したカーライル中佐が何と答えるか、百パーセント分かり切っていたのだが、それでも言ってしまった。言いながら、莫迦なことをしていると分かっていても。

「飛行科長は、本計画の要員ではない」

 冷えた剃刀ですっぱりと切るような、手痛い返しだった。

 喋りたいわけではないし、カティアの方から訊いてくることなど有り得ない。現実的に考えて、そんな状況は考え辛い。ただ、信頼する上官に対して秘密を持てと言われた。そのことには、抵抗を感じるし、不快でもある。

 カーライル中佐、サッシャ以下数名のF計画スタッフ、フィオ、F小隊。そんな面子で<エロディアード>に向かう途中、ふと見ると、イリアは心なしか柔らかな表情をして、落ち着きの無い様子でランチの進行方向を見ていた。

 <エロディアード>に誰か居るのか。行ったことがあるのか。流石にそんな質問をする気にはなれない。明らかに守秘義務に抵触するだろうし、すぐ近くにカーライル中佐も居る。そのせいなのか、何なのか、その場に居合わせる全員が、面白いほど無口な道中だった。

 到着後、F小隊だけが、他の面子とは別の場所に通された。そして、「あの少女」が入ってきたのだ。

 リィリン・ポー。この<エロディアード>に所属する、もう一人のニュータイプ。

 こんな子供に、何をさせている。

 この子が、モビルスーツを動かすのか。この子が、人を殺すというのか。それが大人のすることか。一瞬にして様々な言葉が湧き上がり、胸の中で渦巻いて、危うく迸りそうだった、その瞬間。

 レオンハートはもうひとつのことに気付いて、目を見張る。

「リィリン、久し振り。元気そうね」

 イリアが、笑っていた。常日頃接している自分たちだから分かる、というレベルの淡さではない。一般的なレベルからすれば控えめかもしれないが、それでも、確かに、万人に分かる確かな「微笑み」。手を伸ばして、リィリンと呼ばれた少女を迎え入れ、その黒髪を撫でる。

「会えて嬉しいわ」

 この子は、こんな表情をするのかと――思わず、見入ってしまった。

 

 イリアがリィリンと会うのは、およそ一年ぶりだ。その前は、数えたわけではないけれど、五年くらいは一緒に過ごしたのではないかと思う。ただ、イリアは研究所の一角で寝起きしていたが、リィリンは時々そこに通ってきて、何日か過ごしてはどこかへ戻って行ったから、ずっと一緒に暮らしていたわけではない。

 リィリンは、イリアにとって、生活の中に居る唯一の子供だった。

 あの年頃の平均的な体格がどんなものか、イリアに知る由も無いけれど、リィリンのことはずっと「小さな子」だと思っていた。最初に会った時は確か、頭一つ分以上に身長差があったし、それはなかなか縮まることが無かったからだ。

 そしてリィリンは、イリアに会う度に、こうして飛んできては、満面の笑顔で抱きついてきた。研究所に居た頃、リィリンがそこに何をしに来ていたのかは、実は知らない。恐らく何らかのデータを取りにきたのだろうし、シュミレーターに入っていたのは知っている。だが、例えばそれでイリアと対戦するとかいったことは無かった。

 ただ、リィリンが来る日は何故か、イリアが参加する実験も、減らされているか、どうかすれば無くて、ずっと二人で、何でも無く過ごすことが多かった。

 別に、実験は嫌いだったことは無い。物心ついた時からずっとそういう生活だったから、好きも嫌いも無いと言った方が正しいかもしれない。だが、時にはそうやって、リィリンと二人で過ごせることで、目先が変わったし、身体も休まった。何よりも、真っ直ぐに全身で甘えてくるリィリンは文句なしに可愛くて、二人で過ごす時間が好きだった。

 だが、一年ほど前のある日、突然指示を受けて、イリアは研究所を出され、別のところを経て<ビルキス>に連れてこられた。今から思えば、あれは<ラキシス>がロールアウトしたタイミングだったのだろう。最初に連れて行かれた場所では、ひたすら<ラキシス>の起動実験を繰り返し、サイコミュの同調率をチェックしていたから。

 実験の切れ目が無くなった毎日は、それなりにハードだったが「今度はこんな生活か」としか思わなかった。それがイリアの人生だったから。

 ただ、時折リィリンのことを思い出すと、ふっと胸が痛んだ。

 寂しがっているだろうな、と思った。この、身体の中を乾いた風が吹き抜けていくような感覚を「寂しい」というのだろうなと、漠然と思った。

 そして、今日。理由は無いが、行く先にきっとリィリンが居ると感じた。だから、ここへ来るのはとても楽しみだった。

 来てみれば、確かにそこにはリィリンが居て、一年前と変わらない様子で、身体ごと飛び込んできた。すこし、大きくなったような気もする。だが、こうやって甘えてくるところは同じだ。会えて嬉しいわと口にしながら、嬉しいとはこういうものだと、噛み締めていた。

 

 イリアとリィリンが、傍目には無為な時間を過ごしている頃、レオンハートとトウヤは、カーライル中佐とともに、F計画の上層部だと思われる人々の前に引き出されていた。相手は名乗らない。階級章を見ることは出来るだろうが、薄暗い部屋で目を凝らすまでもない。どうせ知ったところで何にもならないのだ。

 三人と「彼ら」の間にはモニターがあり、F小隊各機のカメラが記録していた戦闘記録が次々と映し出されている。

「『羽根』の稼働時間を、ここまで引き延ばしてみせたか」

 その中の一人が、呟くように言った。通常であれば「恐縮です」とか「まだ課題があります」とか言うべきなのかもしれないが、今のレオンハートは、到底そんな気になれない。

「細く、長く、だな。破壊力には欠ける」

 別の一人がそう続けてくれたお蔭で、何を言う必要も無さそうだ。

「やはり、イリア・ゼクロス自身を強化しなければ、これ以上は難しいようです」

 冷ややかな声で、カーライル中佐が応じる。強化、という言葉が、ただでさえささくれ立ったレオンハートの心を逆撫でる。その言葉は、確かに人間に対しても使えるだろうが、カーライル中佐がイリアに対して使うと、部品でも追加するように聞こえて仕方ない。

「或いは、同様の機体を複数用意するか…」

 そんな芸当が出来るなら、やってみればいい。鉄壁の無表情を装いながら、レオンハートは腹の奥でそんな風に呟いた。だが、その一瞬後になって気付く。それならば、次はあの、リィリンという子供だろう。背筋が、ぞわりと嫌な寒気に襲われる。

「ザバッシュ中尉」

 まるで、その反応を読んでいたかのように、カーライル中佐から水を向けられる。

「現場の指揮官として、貴官の意見は?」

「…安定して運用出来ない。それに尽きるかと」

 こんなところで嘘をついても仕方ない。不興を買うなら、それでもいい。傍らでトウヤがぎょっとしているのが分かったが、上手く取り繕う自信が無かったから、思ったままを言ってしまった。

「確かに、イリア・ゼクロスと<ラキシス>の能力は驚異的です。ですが、私見を述べさせて頂けば、寧ろそれは攻撃力より『センサー』としての性能の問題かと」

 カーライル中佐から許可を得て、先日の戦闘での画像を呼び出す。

「この時、イリア・ゼクロスは乱戦のど真ん中を突っ切る、安全なルートを提示して見せました。刻々と変化し続ける戦場で、そのようなことは、誰にも、どんな機械にも出来ない。目視確認出来ない標的をロックオンすることもあります」

 ほう、というような声が、お歴々の間から小さく漏れる。

「攻撃力に関して言えば、『羽根』は確かに有効ですが、稼働限界時間の問題や、イリア・ゼクロス本人のメンタル面の問題もありますので、先程申し上げた通り、安定した運用には程遠い。管理の手間を考えれば、唯一無二とまでは言えません。もっと他のもので代用した方が、ローコストで運用も簡単でしょう。ただ、『センサー』として使うなら、あれより優れたものは、この世界には無い。そのように考えます」

 トウヤは目を剥いているようだが、そんなものは無視して、一気に言ってしまった。とはいえ、これにしたところで、本音のすべてではない。最後の部分は言わなかった。「だから、機密とコストの塊のようなモビルスーツなど下ろしてしまえ、艦に乗せておけば大丈夫だろう」とは。

「なるほど、噂に違わぬ有能な原理原則主義者だ」

 冷ややかにそう言ったのは、居並んでいたうちの誰だろう。もとより区別などつかないが。

「ザバッシュ中尉、F計画は貴官の目に見えている範囲がすべてではない。貴官は見えている範囲にだけ注力していれば良いのだ。それ以上のことは考えるな」

 お前は駒だ、歯車だと言われることは、軍人なら当たり前の日常だ。何千回、何万回言われたところで、確かにそうだとしか思えない、筈だった。

 それなのに、妙にざらついた感覚が心に残る。自分が何の中に組み込まれているのか。組み込まれたまま何処へ行くのか。軍人なら、湧いてはいけないそんな疑問が、ふつふつと湧きあがっては弾けて消える。

 何が疑問で、何が不快でも、もう自分はここでしか生きていけないのだと――レオンハートには分かり過ぎている。だから、そのために不必要なものは、いつでもすぐに切り捨てられる。それなのに、切り捨てた側から、疑問が湧いて尽きないのだ。F計画に携わって以来、規模の差はあれ、何度かそのようなことはあった。そして今回のこれが、最大規模だ。

 無限と思えるほど湧き上がるものを、切り捨て、振り払い、それでも足元にわだかまるのを蹴散らして――レオンハートは<エロディアード>の一角にあるシュミレータールームに辿り着いた。

「両名とも、よく見ろ」

 カーライル中佐に促されて、大型のモニターに目を向ける。そこに映し出されたのは<ラキシス>そしてもう一機、白いモビルスーツ。

「リィリン・ポーの<ルクリーシャ>だ」

 そう呼ばれた白い機体は、どちらかと言えば鋭角的なデザインが多いイリン・クァディシンのモビルスーツの中ではよく目立つ、丸みを帯びた流麗なラインで構成されている。最も目を引くのは、今日びは酷く珍しいモノアイセンサーで、純白の機体の中でそこだけが、不気味なほど紅い。頭部に一本角状のアンテナがあり、両肩には大型のウィング・バインダーが着いていて、やや装飾的という印象を受ける。格闘戦には邪魔、と言いたくなったところで、レオンハートは気が付いてしまう。あの少女が操るなら、そんなことをする筈が無い。

 時を同じくして、<ルクリーシャ>のウィング・バインダーが展開され、その裏側から「羽根」に似た、だが「羽根」よりは小型の物体が複数射出される。それらの間で、何条もの細い閃光が乱反射し、一撃が<ラキシス>を見舞った。何発かは「羽根」が張ったIフィールド・バリアで防いだようだが、反応が追い付かなかった分がある。

 幾らパイロットの優れた動体視力でも、光の速さまでは視認出来る筈も無い。一体何が起こった。呆然とするレオンハートとトウヤの前で、<ルクリーシャ>と<ラキシス>は更にビームのやり取りを続ける。「羽根」が<ルクリーシャ>の射出した物体を狙うが、標的も同じ速さで動くから、なかなか攻撃出来ない。そうこうするうちに、また乱反射した光が、今度は「羽根」を撃ち落とす。「羽根」も負けじと<ルクリーシャ>本体を狙うが、どうやらウィング・バインダーの装甲がかなり強化されているらしく、「羽根」の一撃では貫通出来ない。

 結局、レオンハートもトウヤも、その三分ほどのシュミレーション戦闘の間、正確に何が起こっているかなど理解も出来なかった。ただ、コンピューターゲームのような光景を、唖然として見つめていた。

 終了指示が下り、画面が<ルクリーシャ>のみの拡大に切り替わる。そこでやっとレオンハートは、ウィング・バインダーの下にあったものが二種類だと気付いた。ひとつは、三角錐の形をした物体で、銃口と噴射口を備えているから、砲塔だろう。もうひとつは、移動するのだから噴射口があるには違いないが、視認出来ない。花弁のように展開された八枚の反射板があるからだ。これで納得出来た。砲塔が発したビームを、あの反射板で乱反射させているのだ。だから、攻撃は通常の「羽根」以上に不規則で読み難い――いや、先読みなど殆ど不可能なレベルの不規則さになる。

「リフレクター・ビット方式と言う。効果は見ての通りだ。課題は、貴官らが言うところの『羽根』――フィン・ファンネル方式よりも、持続時間が更に短いこと」

 それでは、実戦では殆ど使えない。殆ど反射で、レオンハートはそう思った。戦場に於いて重要なのは「はまれば効果的」などではなく、どんな悪条件でも、必ず一定の成果を上げることだ。その数字は、決してそれほど高くなくて良い。ただ、安定して運用できさえすれば、あとはそれを使う人間がカバーする。

 そういう意味では、リフレクター・ビットとやらも、とてもF計画らしい兵器だと思える。イリン・クァディシンの上層部は、「ニュータイプ」を使って何がしたいのだろう。

 だが、ふと見たカーライル中佐の横顔は、この日の朝からまったく同じ、何らの感情も伺い知れない、機械を通り越して無機質なものだった。そこから何も読み取れない。真っ当な神経の軍人なら――カーライル中佐ほどのキャリアを積める人間なら、分かり切ったことの筈だ。それが何故、罷り通る。

 そうして再び画面を見上げると、<ルクリーシャ>のモノアイセンサーと、目が合った。機械を相手にナンセンスではあるが、つい、そう感じた。

 白く優美な曲線の中に、煌々と光る紅い一つ目。その目からセンサーでも受信しているのか、リフレクターの反射板にも、その色が反射している。まるで花だ、とレオンハートは思った。リフレクターという小花を従えて、絶対零度の真空に咲き誇る不気味な妖花。その、本来無意味な筈の喩えに、我ながら慄然とした。


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