両脚は、前後にも左右にも軽く開くこと。腰の位置を安定させる。真っ直ぐではなく、やや前傾姿勢。膝も肘も、すこしだけ曲げる。グリップはフレームのなるべく高い位置を。最初に利き手でホールドし、その上に反対側の手を被せる。力のバランスは、利き手三に対して反対が七だ。安全装置を外し、照準を定めて、トリガーを引く。旧西暦の頃には火薬の燃焼による反動でマズルジャンプという現象が起こったそうだから、それを最小限にする工夫も必要だったが、現在では無反動式が主流なので、その心配は無い。ただ、着弾を確認して、次の行動に移る。拳銃を撃つとは、そのくらいの動作だ。当てようと思わなければ、決して難しいことではない。

 が、案外当たるものだと、レオンハートは呆れた。目の前では、イリア・ゼクロスが不思議そうに手元を見つめている。

 カティアからは「君も頑張るねぇ」と言われ、サッシャからは無言で睨みつけられているが、相変わらずイリアに対しては、軍人としての基礎知識一通りを、合間を見て仕込んでいる。今日は拳銃の扱い方だ。彼女がそんなことをする状況は想定し難いし、そもそも最初は携行もしていなかったので、どうかとも思った。イリン・クァディシンの法律でも、未成年による拳銃の携行や所持は許されていない。

 正直、レオンハートも迷いはした。軍人に必要なことを、ざっとでもいいから、一通り教えたい気持ちはある。その一方で、決して使うことが無いであろう要素が、その中には幾つもある。例えば彼女は指揮官の立場になることは無いだろうから、戦術眼は必要無い。そこはばっさりと切り捨てた。その一方で拳銃に対して同じことが出来なかったのは、一平卒でも扱えるこんなものを、仮にも士官待遇の彼女が使えないのでは、示しがつかないと思ったからだ。

 突き詰めて考えると、深い意味は無い。トウヤに言わせれば「要するに趣味」であり「お前はアホ」で終わることなのだが――

 結局、ゼロから徹底的に鍛えたいと思っては「それは無駄だ」と自分を制止してはプランを立て直し、何でこんなことをやっているのかと重い溜息をついては、また項目を削る。

 そんな中でも救いなのは、イリアが万事において飲み込みが早いという一点だろう。ランドムーバ―の時も、モビルスーツの手動操作を教えた時もそうだったが、とにかく勘が良い。一通りの説明を受けると、そう深く考えるわけでもないのに、既に要点を掴んでいて、文字を書くくらいの自然さで、その要点を体に落とし込める。

 お蔭様で、「そんなことも知らないのか」以外の理由では、苛々せずに済んできた。今回もそうだ。

「命中を確認したら、さっさとしまえ」

 それでも、口をつくのはそんな無味乾燥な言葉でしかないのだけれど。

「次は連射だ。いちいち音に驚くな」

「驚クナ。驚クナ」

 何処となく愛嬌のある合成音でレオンハートの言葉を真似ながら、イリアのペットロボット――名前はハロと言うらしい――が跳ねていく。職場に玩具を持ち込むなと何度か叱ったのだが、後からサッシャがやってきて、イリアの脳波データを突きつけられ、あれが一緒に居た方が安定しているからと押し切られた。それからずっと、あのペットロボットはイリアの後ろをついて歩くし、あろうことか<ラキシス>のコクピットにまで入り込む。フィオはあれを「慣れると案外可愛いもんよ」と余裕だったが、レオンハートにしてみれば、正直不快だ。神聖な職場だなどと言うわけではないが、それにしても、私物の玩具――しかも音が出て煩い――を持ち込むなど言語道断だ。我ながら、よく我慢していると思う。

「イリア!」

 次の準備が遅いと声をかけて、ふと気付く。いつの間にか自分は彼女をファーストネームで呼んでいる。「中尉待遇」なだけで正式な階級が存在しないのだから、そうとしか呼びようが無いとはいえ、最初の頃は酷く違和感を覚えていた筈だ。一体何時から、こんな風に何も考えずに呼びかけていただろうか。思い出せない。

 恐らくそれは、イリア・ゼクロスという存在が、それだけレオンハートにとって、身近に馴染んだということなのだろう。細かいことに苛立ちながらも、そこにイレギュラーな彼女が居るのが当たり前で、常識では測れないことをするのが当たり前。

 そして、こんな風に足元を玩具が転げまわっていて、ふと気が付けば、大きな翠色の瞳が、こちらを見ている――

「何だ」

「発射音を聞いて、驚かないコツは、何かあるんでしょうか」

「慣れろ」

「はいっ!」

 いつも、ではない。だが、それでも時折心なしか、イリアの声に感情らしきものを感じられるようになった。例えば今。きついことを言われて突き放された筈なのに、妙に嬉しそうに感じられるリアクションをすることがある。もちろん、世間一般のレベルからすれば、信じられないような淡さではあるのだけれど。今でもやはり、AIの相手をしている気分が抜けないことも多いが、それでも。

 とにかくイリアは、もう一度拳銃を構え直して照準を定め、指示された回数、きっちり引き金を引いてみせた。確かに、射撃音がする度に腰が引けている感はある。だが、何度か撃っているうちに、それすら計算に入れて照準を合わせるようになった。

 その気持ちを素直に表現すれば「あほらしい」だろう。自分のような凡人が、必死に鍛錬してこなす内容を、野に咲く花を摘むように、無造作に、柔らかい動作でものにしていく。これがニュータイプでなければ、恐らく天才と言うのではないか。

 ただ、恐らくは通常の天才が特定の分野のみに秀でるのに対して、イリア・ゼクロスは何をやらせてもこの、抜群の勘の良さを発揮する。座学の時もそうだし、もしかしたら機械を修理させたり、料理などさせても似たようなことになるのではないか。

 本音を言えば、レオンハートは今でも、ニュータイプなどという得体が知れないものは、存在していて欲しくないと思っている。散々イリアの特殊な能力をこの目で見て、恩恵を受けた身でありながらだ。

 その、得体の知れないものが、いつの間にか身に馴染んでいるという、違和感。それでいながら、業務は順調に推移しているという、微妙な爽快感。その二律背反の中に、ずっと居る。

「艦が港に入るぞ!」

 そろそろ射撃訓練も切り上げ時か、と思った頃に、後ろの方から歓声が上がった。<ビルキス>は母港であるコロニー<アビガイル>に戻る。艦の総点検なども行うので、一週間ほどは作戦行動の予定も無い。乗員は交代で休暇を取れる。久しぶりに家に帰って、家族に会えるという者も多いだろう。

 だが、歓声が上がる理由はそれだけではない。アンカーを下ろす瞬間を、皆が心待ちにしているのだ。

 アンカーと言っても宇宙戦艦のそれだから、強力な電磁石を使うのだが、ハーヴィ艦長の操艦がいかに神業か、手が空いた状態で観察出来る、希少なツールだ。

 たかがセミオートの定型作業と言うことは簡単だ。しかし、幾つかの艦を渡り歩いた者ならば、ハーヴィ艦長のそれが、明確に他の艦のそれと異なっていると分かる筈だ。接舷の瞬間も、まるで宇宙空間を進む時と変わらない。何の振動も無く、殆ど音もたてない。

 だから、何時がその瞬間なのか、見守れるものなら胸躍らせて見つめたい。そして今回も、その呆れるばかりの静けさを堪能する。

 どうやらイリアもその一人のようで、例のペットロボットを胸に抱えて、そわそわと視線を泳がせている。そういうことに興味があるのかと、レオンハートはすこし意外に思ったが、その気持ちは分からないではない。

「行ってこい」

 それを聞いた瞬間、確かにイリアは微笑んだ。見慣れている人間でなければ分からないほどの、淡い変化ではあっても、確かに。

 それはレオンハートが見分けられるようになったのだろうか。それともイリアが笑うようになったのだろうか。ふと考えて、どうでもいいという結論に達する。そのどちらであれ、結論は変わらないのだから。

「ザバッシュ」

 そうしてイリアが去った後に、ラガード大尉から声をかけられる。

「貴官は、休暇中はどうする」

「生憎と、官舎に戻っても独りでありますので…手続きごとを済ませたら、後は艦に戻る予定でおります」

 趣味は読書だから何処に居ても出来るし、官舎に戻っても<ビルキス>の私室と同程度のものしか置いていない。だから、郵便物をチェックして、銀行や役所関係ですべきことがあれば済ませる。それでレオンハートの休暇はお終いだ。後は戻ってきて、イリアに特別授業でもしてやろうと思っている。

「そうか。少佐殿が一週間、留守にされるのでな。出来れば俺のフォローを頼みたい」

「喜んで」

 通常であれば、飛行科長のイリアがそれほど長期間に渡って艦を空けるなど有り得ない。だが、ああ見えて彼女は育児中の身だ。本人曰く、一度はパイロット徽章を自主返納しているという。それを敢えて前線に戻す際に見返りとして要求したのが、休暇は最大限に取らせて貰うし、そのために必要な人材も揃えさせて貰う、ということだ。

 必要な人材の最たる人が、このラガード大尉だろう。真っ当至極なベテランパイロットであり、中間管理職向けの事務スキルも高い。何よりも、カティアにとって任官以来の付き合いがある人物で、信頼関係が篤く、彼女の事情を理解してくれる。ついでに言えば独身でワーカホリック気味、放っておいても艦に住み込んでいるので、頼めば二つ返事で科長代行を引き受けてくれる。

「隊長!」

 そこへ、他でもないカティアがやってくる。隊長と言うのはラガードのことだ。彼はカティアが新任士官だった頃の小隊長だったそうだ。ラガードは時々「隊長はお前だろうが」と指摘するのだが、カティアはその度に「いえいえ、貴方も中隊長ですから」と笑って逃げる。

「降りられそうか」

 今回は、ラガード大尉はそこは流した。

「そこの部分に命懸けてますから、母としては」

 カティアの笑みはいつものように柔らかいが、この時はまた、一段と温かに見える。パイロットをしている時は、夫や子供が居る、という状況が想像しにくいが、こういう表情を見ると、やはりそうなのかなと思えてくる。

「だったら、ここで油を売っていないで、もうすこし片付けて行け」

 対するラガード大尉は、さながらその柔らかさを受け止める壁のようだ。元々、上背は無いが肩幅が広く、いかつい体格の人だ。ふと思いついた、その「壁」という言葉が、面白いほど似つかわしく思えてくる。

「承知致しました、隊長殿」

 敬礼して去ろうとするカティアに、ラガード大尉はメモリーチップを渡す。

「リタに見せてやれ」

「ありがとうございます。喜びますよ」

 何だろうと思う側から、ラガード大尉は好奇心を満たしてくれる。

「昔の…旧西暦時代の、野生動物を扱ったドキュメンタリーフィルムだ。俺の趣味だが、バラージュの娘が好きらしくてな」

 それでレオンハートは納得する。地球というものが、人類社会の辺境に成り果てて以来、この手の地球懐古趣味は珍しくない。他にも、かつて存在したものも含めて、地球上の絶景を記録したものや、文化財の類、歴史的建造物を映したもの。ジャンルは色々あるが、いずれもごく一般的な趣味として認知されている。

「貴官は、地球出身だったな」

「は」

「珍しくもない、か」

「ものによります。ユーラシアの西から出たことがありませんから」

「いずれにせよ、羨ましい話だ」

 ラガード大尉はそう言って、矢鱈とよく似合うジャーヘッドをわざとらしく掻き毟り、そこで話を切り替える。

「カトリオンの奴はどうすると言っている」

「アレは、とりあえずレーザー通信施設でしょう。実家のコロニーの連絡を入れるそうですから」

「律儀な奴だな」

「それもありますが、恋人が居るのだそうです」

「地元にか」

「ハイスクール時代からだそうですから、立派なものですよ」

 ひょう、とラガード大尉が口笛を吹く。

 こうやって戦艦勤務を続けていると感覚が麻痺しそうになるが、本来、コロニー間の移動はそう簡単なことではない。同じコロニー群内であれば旅行感覚での移動も有り得るが、宙域をまたぐとなると、非常に複雑な航路計算を要求されるのだ。だから、民間人が好き勝手に移動するのは、不可能ではないが途轍もなくハードルが高い。

 トウヤとその恋人とやらは、士官学校入学以来、一体何回会えているのだろう。それでも学生の間は年に一回は帰省が許されるが、そこから先のことは知らない。休みが取れることと、帰省出来ることはまた別だ。だから、立派だという言葉に偽りはないし、それはトウヤにも、恋人だという見知らぬ女性にもかかる。

「アルフリーズも役に立たんからな。あれもレーザー通信施設に入り浸りだろう」

 吸殻を小山にしながら画面にかじりつく様子が目に浮かび、レオンハートはふっと笑いたくなる。上官に対して失礼にはあたるから、何とか堪えはしたが。

 アルフリーズ大尉はモビルスーツ隊の男性では唯一の既婚者で、噂によると二年前、兵役で同じ艦に乗っていた女性兵士を口説いたのだという。アルフリーズ大尉が何歳だか正確なところは分からないが、恐らくカティアとどっちこっちになるのだろう。どう計算しても、奥方とは十歳以上年齢が離れている。野次馬根性程度に、一体どんな女性かは気になるが、それを知る日は恐らく一生来ないだろうし、正直に言えばどうでもいい。

「それでは、なるべく早く戻って参ります」

 レオンハートはと言えば、私生活というものが限り無くゼロになって、一体何年になるだろう。木とか石の類ではないから、まったく無彩色な生活を送ったわけでも無い、と言いたいところだが、よく考えたら限りなくゼロに近かった。何かが起こる度に、面倒臭いと感じて、放り出してしまう。士官学校に入るまでは、奨学金を取ること。士官学校では、なるべく良い成績を取って優秀な候補生になること。任官以後は、能う限り最高レベルで、与えられた命令をこなすこと。

 この世に誰一人、頼る者が居なくなった瞬間から、生きていくこと、食べていくことが至上命題になった。確かに人恋しい気持ちはあるし、勢いで繋いだ関係は多少あった。が、どうしても続かない。早い話が、優先順位が低い。トウヤに言わせれば「甲斐性無しってことだろ」となる。まったく、反論のしようも無い。

 要らないことをくだくだと考えているうちに、<ビルキス>はいつの間にか<アビガイル>に入港し、アンカーを下ろしたようだった。


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