F計画のスタッフ陣、というよりサッシャ個人とは再三に渡って険悪な空気を醸し出すレオンハートだが、無論のこと、計画そのものに対しては貢献している積りだ。

 そのひとつが、イリアと<ラキシス>の「羽根」の有効活用である。通常、肩のハンガーに装備している八枚は、バッテリーの容量を考慮するなら、すべて同時に稼働させることは避けるべきだ。その一方で、例えば複数の敵機を相手にする状況や、Iフィールドを展開する場合を想定すると、同時に使える枚数は多い方が良い。

 そこでレオンハートが提案したのが、<ラキシス>ではなく<クロト>に手を加えることだ。<クロト>には、主に<アトロポス>が使用することを想定した武器コンテナが内蔵されている。<アトロポス>には様々な外付けの兵装が存在しているが、パイロットであるトウヤが機敏な動きを好むため、普段は本体のハードポイントではなく、このコンテナに固定している。ロングレンジのビームライフルや、シールド一体型のビームトマホークなどだ。だが、それでも少々収納力に余裕があったことと、両方をフルに活用する状況が想定しにくいことから、コンテナを少々、改造することにした。

 <アトロポス>の兵装は一点収納出来れば良いものとし、代わりに呼びの「羽根」を固定するためのハードポイントを増設し、更にここでも充電を可能にする。こうしておけば、最初に持っている八枚をフルに活用しても、活動限界のリスクを低減出来る。

 バラージュ少佐も言ってたけど、アンタ本当に人使いが荒いわねぇ、とは、ほかでもないロウリン曹長の弁だ。そうは言いながら、とても楽しそうに作業をするのはお約束通りと言うべきだが。

「積むモノが『羽根』じゃなかったら断ってたんだから。調子に乗るんじゃないわよ」

 キャットウォークの上から作業の様子を見ていたレオンハートの後頭部を、通りがかりのロウリン曹長が叩いていった。

「了解しております。謝意は現物で表したいと思いますが、ビールでよろしいですか?」

 その背中に、苦笑交じりに話しかけると、ロウリン曹長は振り向きざまにウィンクをして見せる。

「部下たちにはね。あたしにはバーボンでお願いするわ。フォアローゼズなんていいわね」

 レオンハートはそれに、軽く崩した敬礼で応じる。堅物の彼には珍しい対応なのだが、ロウリン曹長相手には、このくらいが良いような気がするのだ。

 曹長が言った通り、<クロト>の改造は容易なものではない。「羽根」だからと言われたのは、それが自力で動けるものだからだ。それならば、コンテナ内のスペースを整理した上で、充電用のユニットとハードポイントを付けておけば済む。ハッチを開ければ、あとはイリアの指示で「羽根」は飛び立つ。トマホークやライフルの場合は、最低限コンテナの外まで射出出来るだけの設備が必要になるから、更に手間を喰うことになるのだ。

 ともあれ、次の実戦の前に当面の問題が改善出来そうで、レオンハートは一安心している。或いは、またサッシャから難色を示されるのかとも思ったが、シュミレーション上は十五分まで稼働可能だから実戦でのデータも欲しい、是非やってくれと言われた。

 当のイリアはと言えば、至極素直にレオンハートの言うことを聞いて、ロウリン曹長の作業に付き合い、羽根の稼働を確認している。根本的に「やれ」と言われたことには脊髄反射で完全服従してしまうようだ。口ごたえされるよりは良い、と言うのも最早飽きた。

「ザバッシュ君、イリアはまだテスト中か?」

 キャットウォークの更に上から声がするので、見上げると、カティアが下りてくるところだった。

「はい。呼んできましょうか」

「その必要は無いよ。重要だが、今言う必要も、私から伝える必要も無い」

 お馴染みの悪戯っぽい笑みを浮かべるカティアの右手には、タブレット型の携帯端末がある。

「これを。後で見せておやり。まあ、正直ここから先の方が、細々と厄介だけどね」

 画面に表示された内容を見て、レオンハートは納得した。確かに重要だが、今すぐ伝えても無意味な内容だ。

 そこに表示されていたのは、今月分からイリア・ゼクロスに給与を支払うという決定通知だった。聞いて呆れる話なのか、奇妙な納得感がある話なのかは微妙なところだが、イリア・ゼクロスには、これまで一銭の給与も支払われていなかったのである。

 最初にそのことに気付いたのは、無論と言うべきか、カティアだった。レオンハートはそんなところまで頓着しなかった。思い立ったように、副長のナイマン中佐にイリアの待遇について確認し、現状を知ると、流石にそれはまずい、と言い出したのだ。

 未成年の上に、激務でただ働き。碌でもない、としか言いようが無い。これにはレオンハートとトウヤも義憤を禁じ得ず、素直にカティアに礼を言った。が、問題はここからだった。

 更に呆れたことには、イリア・ゼクロスには社会保障のIDが付与されていなかったのである。通常は、出生を届け出た瞬間に付与されるものだから、最初から無かったわけではあるまい。これが無いと、医療保険が使えないし、義務教育が受けられない。銀行口座も開設出来なければ、携帯電話の契約すら出来ないのである。要するに、真っ当な市民生活は送れないと考えていい。ただし、納税の義務も、恐らく発生しない。それを持っていないということは、いずれかの時点で、それまでの経歴とともに抹消されたとしか考えられない。

 彼女がいつからこんな生活をしているのか知らないが、どれだけ社会から切り離されて生きてきたかが分かるというものだ。

 自分があの年齢だった頃には、とレオンハートは思い返す。食うためなら何でもしてやろうと心に決めて、勉強机にかじりついていた。そのまま卒業すれば、養護施設を出ると同時に兵役だった。それでも、とりあえず二年は食べていける。が、その先に進学するあても無く、就職するめどが立つわけでもない。頼る先も無いのであれば、大学か士官学校の奨学金を獲得するしか道は無い。十七歳なりにそんなことを考えていた。結果的に士官学校の特待生になり、その道がここまで続いている。

 事実上の一択とはいえ、一応の選択肢があって、自力で掴んだという自負もある。

 イリアには、何も無い。その代わりに、生きている限り、「F計画」と国家が生を保証してくれる。

 それが幸せなことだとは思えないが、悪いことだ、と言い切る度胸は、レオンハートには無い。生きていくこと、食べていくことは簡単ではないと、身に染みて分かっているから。

 ともかく、社会保障IDの件は、イリア・ゼクロスの存在の不気味さを、改めて教えてくれた。こうして毎日顔を合わせているから無頓着で居られるが、そもそも<ビルキス>自体が極秘の特殊任務に従事している。そのど真ん中に居る彼女は、存在自体が恐らく、国家機密なのだ。いっそ市民登録が残っていたことの方が驚きなのかもしれない。

 とにかく、社会保障IDが無い人間に給与を支払うのは、そもそも不可能だったので、ナイマン副長はかなり面倒な手続きを、色々と踏んでくれたようである。戦艦の副長という仕事は、激務なのは言うまでもないが、管轄する業務の幅もとにかく広い。だから、こういった総務系の仕事をお願いすることにもなる。その多忙な人が、更に大幅に手間を取ってくれたのは、ナイマン副長自身が、そもそも世話好きでお節介焼きな気質の人だったからに他ならない。そうでなければ恐らくは「現状で不都合が無ければ不必要だ」と却下されていたことだろう。

 ともかく、諸手続きが終わって、中尉相当の給与の支払いが決定した。と言っても銀行口座の開設がまだなので、それについては今度、何処かのコロニーに寄港した時に、カティアが面倒を見てやると言っていた。

 イリア本人は、そもそも金銭というものが何なのか、漠然としか理解していない節がある。それを貰って何をするのか、何も考えていないようだし、知識が無さ過ぎて考えられない面もあるだろう。カティアはそのことについても「まあ、楽しみに待ちなさい」と言って、お馴染みの悪戯っぽい笑みを浮かべていたが。

 そんな風に他ごとを考えていたレオンハートの足元に、バスケットボール大の丸いものが転がってきた。

「ハロ! ハロ!」

 その丸いものは、やや甲高い、素っ頓狂とも愛嬌があるとも言える合成音を出して、視線の高さまで軽やかに飛び上がる。球形のペットロボットはイリアの、恐らく唯一の私物だ。子供の頃、サッシャから与えられた知育玩具で、それ以来ずっと、飽きもせずに連れて歩いているのだという。

 レオンハートに言わせれば「職場に玩具を持ち込むな」だが、これが側に居る方が脳波が安定していると言われると、存在自体を無視しているしかない。

「レオンハート! 元気カ?」

 そして、誰が教えたのか、ハロという名のこのペットロボットは、彼をファーストネームで呼び捨てにするのである。だからここは職場だと、最早言う気にもならない。

「ハロ、戻りなさい。そっちは駄目よ」

 キャットウォークの下から、今度はイリアの声がする。目を向ければ、<ラキシス>のコクピットを出て、こちらへ向かってくるところだ。調整が一段落したのだろう。

「ごめんなさい」

そう言いながらキャットウォークに上がってくるイリアに、ペットロボットを投げ返す。

「こういうものは固定しておけ」

「…ありがとうございます」

 ペットロボットを受け取ったイリアは、数秒リアクションに困ったようだった。もう一度謝るか、礼を言うか、選びあぐねたのだろうか。その間は、白い面が揺らいで見えた。

 レオンハートはそこで、視線を<ラキシス>に向ける。

「調整はもういいのか」

「はい。収容と展開のシークエンスは構築したので、あとは明日、運用テストで実際に動かすだけです」

 ペットロボットを抱くイリアの表情は、何処となくだが柔らかく、言葉の響きは得意げにも聞こえる。それが、彼女なりの精神安定剤を持っているからなのか、与えられた課題を上手くこなした後だからなのか、それは定かではない。

「『羽根』の入れ替えは三秒で出来るようにしておけ。その間、<クロト>は動けないからな。的になるのはご免だ」

「はい、頑張ります」

「それから、先日少佐殿から説明があった、給与支払いの件だ。許可が下りたそうだから、改めて少佐殿と副長殿にお礼を申し上げておけ」

「…わかりました」

 これに関しては、やはりきょとんと翠色の瞳をみひらいて、不可解そうにする。やはり、分かりにくいだけで、ちゃんと感情はあるし、表現もする。最近ようやく、それが分かるようになった。

「レプリカントじゃなかったわけだ」

 立ち去り際に、レオンハートは呟いた。レプリカントというのは、彼の好きなSF小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」に出てくる人造人間のことだ。レオンハートにはこうやって、身の回りの人間や物事を、半ば無意識のうちに、愛読書の内容に例える癖がある。

 だが、肩の力を抜いていられるのはそこまでだ。モビルスーツデッキを出た瞬間に、気持ちが切り替わる。副長や飛行科長には及ばないが、小隊長も暇ではない。イリアも言った通り、明日にはまた、小隊として運用テストをしなければいけないから、事前の準備もあるし、日々の訓練計画を立てたり、書類仕事も途絶えることは無い。

 何よりも、恐らく近々、大規模な戦闘がある。というよりも、既に戦線が拡大しているところへ<ビルキス>が投入される可能性が高そうだ、とカティアが言っていた。正確な情報ではないが、確かに航路はそちらの宙域へ向いているし、そろそろまた、F小隊を実戦で動かしたデータが欲しい頃なのではないかと、レオンハート自身も思う。それなら、先日のような偶発的なものではなくて、もっと組織だった、規模の大きい戦場で運用してみることも必要だろう。いつまでも安全圏でチマチマと運用していても、本当に重要なデータは手に入らない筈だ。

 そういう予測が立つからこそ、ロウリン曹長ら整備班に無理をお願いした次第だ。それで食べている以上、最善を尽くさねばなるまい。何より死んでは洒落にならない。それが職業であるレオンハートも、それが存在意義であるイリアも、その点に関しては同じの筈だ。

 

 イリン・クァディシンとトリウィア共和国――宇宙を二分する両雄だが、武力衝突が起きる場所は、実は決まっている。L1と呼ばれる宙域がそうだ。

 スペースコロニーというものは、宇宙の何処にでも浮かべておけば良いという類のものではない。地球と月の重力及び遠心力が均衡を保てる場所、所謂ラグランジュ・ポイントでなければ、一定の位置を保てない。

そのラグランジュ・ポイントにはL1からL5の五つの地点があり、この中で両雄の勢力が並び立っているのが、唯一L1なのだ。L2、L5と月はトリウィアの、L3とL4はイリン・クァディシンの完全な勢力下にある。そしてL1はまた、もし制圧出来たならば、トリウィアが首都を置く月に対して、橋頭堡になり得る。

だからこそ、トリウィアはL1を死守したいし、イリン・クァディシンはL1が欲しい。<ビルキス>の母港であるアビガイル・コロニーもL1にあるので、基本的に<ビルキス>はこの宙域を航行している。最前線扱いされている方面――つまり、今の進路の先にある方面――には、まだ行ったことが無かった。

とはいえ、<ビルキス>は戦艦なのだから、いつまでもそこから遠ざかっていられるわけでもない。どれだけ極秘扱いで、横紙破りな存在であったとしても、彼らは紛れも無く「戦力」だ。だから、その翌日、ブリーフィングルームに呼び出されて作戦の説明を受けた時にも、特に誰も驚かなかった。寧ろモビルスーツ隊の何人かは、「いよいよか」と言いたげな顔をしていた。トウヤもその一人だ。レオンハートには、どんな種類の感慨も無いが。

 ともかく<ビルキス>は、いったん最前線の宙域へ赴き、艦隊に合流して、予定されている大規模な攻勢に参加せよ、ということだ。

 ここ半年余り、両軍の睨み合いの最中に存在しているのは、廃棄された古いコロニーだ。イリン・クァディシンとしては、その辺りを占拠して、前線基地を築きたいところだし、トリウィアとしては無論、断固阻止したいわけだ。

 そんなことはいい。何処を守って攻めるかは、遥か上の方で判断されることだ。レオンハートたちパイロットの仕事は、つべこべ言わずに与えられた戦場を駆け抜けるだけのことである。



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