眠れないのは、情報過多だからに違いない。最悪なことに、今居るここは宇宙空間で、寝具は寝袋状であるから、寝返りすら打てない。レオンハートは重い溜息を吐き出して、寝袋のジッパーを下ろすと、上半身を起こした。

 与えられている休息時間は、あと三時間ほどだ。その間に、しっかり休んで英気を養っておくのも、軍人の大切な仕事である。いざという時のために、コンディションは整えておかなければいけない。

 なのに、もう二時間以上も、無駄な時間を費やしてしまった。身体の芯には重いものが居座っていて、恐らくそれは疲労なのだろう。頭の中にも同じものがある。それなのに、神経だけが高ぶって、どうしても睡魔が訪れてくれない。

 観念して、ベッドサイドのライトを灯し、床に固定したケースから、私物の本を取り出す。紙媒体の本だ。A.D.の末期頃から、天然資源の枯渇に伴って、どうしようもなく廃れたメディアだと聞いている。時代がU.C.になり、人類の多くが宇宙で生活するようになれば、当然パルプもそれまで以上の貴重品になるわけだから、読書は基本的に電子媒体で行われるようになった。そんな時代がかれこれ三百年続いた後だから、紙媒体の本など、一般人の感覚からすれば、骨董品か化石の類だ。

とはいえ、今でも一部に熱心な愛好家が存在し、ごく少数は生産されているし、マーケットも存在する。レオンハートはその「愛好家」の一人で、年に数冊程度、小金をつぎ込んでいる。「惑星ソラリス」「幼年期の終わり」「天の光はすべて星」「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」……蔵書はA.D.1970年代辺りに流行したSF小説の名作だ。数百年後の今となっては荒唐無稽な内容も多いし、数えてみたらもう百年も前の出来事として設定されていた、などという、苦笑するしか無い作品もある。

そして何より、あと何年、何百年経っても、こんな未来は来る筈が無いことが、生々しく理解出来る。人類が外宇宙へ出て行くことは無いし、地球外生命体に出会ったりもしないだろう。そんなことをしなくても、地球から木星までという、宇宙全体から見れば芥子粒よりも小さな世界で、十分に生きていける。生存に関係無い領域に手を出すような活力は、今の人類には望むべくも無い。そんなことより、数百キロ先のコロニーとの間に発生した、何らかの利害関係の方が重くて、その程度しか視界が利かない。それが今の人類だと思う。

何しろ人類は、ここ百年近く、そう大した技術革新をしていない。U.C.00年代の後半から0100年代前半にかけて、ミノフスキー粒子が発見され、モビルスーツが驚異的な進歩を遂げた後、まるでポテンシャルを使い果たしたとでも言うように、ぱたりと何も造れなくなったのである。あってせいぜいマイナーチェンジのレベルで、例えばノーマルスーツの使い勝手が良くなったとか、その程度のものでしか無い。

小手先の改善は重要だ。そんなことは分かる。だが、敢えて言うなら、人類に何らかの「希望」を抱かせるような技術、そうでなければ、それを用いて時代や世界を一部でも改変出来るような力。人類は、そういう類のものを生み出す力を失っている。

だからレオンハートは、「F計画」のあらましを知った時、失笑したものだ。とうとう過去の栄光に縋りたくなったのか、と。

 

U.C.0287――人類が宇宙に進出して、既に三世紀以上が過ぎている。そして、人類最大の事業たる宇宙移民を成し遂げた「地球連邦政府」が崩壊してからも、既に一世紀近い。そもそも、連邦政府の機能不全傾向は、U.C.0079の一年戦争が終わった辺りから、ゆっくりと始まっていた。それでもU.C.00年代のうちは何とか人類最大の権力機関という体裁を保っていたが、U.C.0100年代に入るとその影響力は下降線の一途を辿り、U.C.0100年代半ばには有名無実のものに成り果てた。その終焉は、殆ど「自然消滅」とでも言うべき静かなものであった。

 人類の総人口は、宇宙移民を開始した頃とほぼ変わらぬ、百億。大きく違っているのは、今はそのすべてが、宇宙に住んでいるということだ。

 連邦政府が瓦解した頃、宇宙はいわば「戦国時代」の状態にあり、大小様々なコロニー国家たちは、各々の勢力拡大を目指して、積極的にコロニーを増設し、地球からの移民を受け入れた。権力を失い、環境汚染からの回復も途上であった地球は、既に人類にとって辺境と成り果てており、残された人々は、フロンティアとしての宇宙を目指した。

 歴史が証明する通り、フロンティアを持つ文明は活性化し続ける。それは、U.C.0100年代後半から200年代前半の人類にも共通した。連邦政府が完全に消滅したU.C.0180年代、人類の総人口は八十億であった。一年戦争で半減したその数字は、その後緩やかに上昇を続けてはいたものの、百年近く経っても元の数字を回復することは無かったのだが、この第二期移民時代になると急速に上昇速度を増し、U.C.0220までの半世紀足らずで、一気に百億の大台を回復した。加速する宇宙開発と、増え続ける人口。コロニー勢力間の小競り合いは続いたが、一世紀半に渡って断続的に続いた大規模な戦争はなりを潜め、人類は久しぶりに、大雑把な意味での平和を謳歌し、発展と思えるものを享受していた。

 しかし、U.C.0200年代も半ばに差し掛かると、人類はふと、気付く。コロニーの数は増えたが、もう数十年も、大した技術革新は行われていない。人口増加も頭打ちとなり、これ以上のコロニーも必要無くなった。そこはかとない停滞の空気が、人類を覆い始めていた。

 その時、今更のように注目を集めたものがある。地球だ。

 連邦政府の存在と権力を失い、人類社会の辺境に成り果てた地球には、その頃、ユーラシア西部のコミュニティを中心に、一億人程度が居住していた。既に何の資源も持たない土地ではあったが、それでもコロニーや月面都市と異なり、数世紀おきに丸ごと造り直す必要は無い。それ故に、資料や文化財の様なものを保存する役割は負っていた。そして、想定外に人口が激減した結果、破壊し尽くされた感があった自然環境も、急速に回復を見せていた。

 空も、大地も、天候や季節の巡りさえも、すべて人工物に囲まれたスペースノイドたちは、不思議な郷愁に駆られる。要するに、前に進めなくなった者たちが過去を美化し、持たぬものに憧れた結果なのだが、この期に及んで人類は、再び地球に目を向けた。

 憧れたからと言って、今更帰れない、遠い故郷。それに対する思いは、自然と強く、ある意味では過激な、一種の病理として人類社会にはびこった。

 だが、その程度のことでは、人類を分厚く覆った鬱屈の空気が晴れる筈もない。この頃から、コロニー勢力間の抗争も活発化する。前に向かわないエネルギーは、後ろでなければ横に向かうものだ。人類は再び、戦国時代を迎えた。

 とはいえそれも、かつてU.C.00年代後半から100年代半ばまでに起こっていた、総力戦レベルの大規模戦闘ではない。コロニー本体に傷をつけることは絶対的タブーとされ、民間人には関係ないところで、軍人だけが戦争をする。それはそれで、ある意味では正しいのかもしれない。だが、それ故に、大衆から戦争は遠くなり、戦争を終わらせる意思もまた、遠くなった。

戦争を織り込んだ経済が回り、予定調和の範囲内で国家予算や市民生活を圧迫する。同じく、予定調和の範囲内で、雇用と内需を生み出し、各家庭に戦争の産物が還元される。ますます終われなくなる。終われないという、その事実に倦んでくる。切迫した事情は無くてもだ。

何より、かつての戦争が、それでも異常な速さでの技術革新を促したのに対して、今度の戦争は何ももたらさない。そのこともまた、人々を倦ませた。

 そこに、地球を懐古し崇拝する思いが、奇妙な形で絡み合う。

 陣営を分ける理由は、本当はイデオロギーではない。もっとシンプルで単純な利害であることが大半だろう。が、それでは一般大衆への訴求力に欠ける。そこで、時の為政者たちは、地球を持ち出した。

 自然環境に悪影響を及ぼさない範囲であれば、限定的に地球への帰還をしても良いのではないか。いや寧ろ、積極的に地球環境に関与して、回復を促進させるべきではないか?

 地球は神聖不可侵の聖地であり、人類が触れていい場所ではない。帰還など論外であるし、現在地球上に居る人間さえ、宇宙に上がるべきではないのか?

 少々の違いはあっても、主張は概ねこの二つに大別された。地球上に住む一億人を完全に無視して。その独り善がりな過激さは、まさしく熱病と言えた。

 後から見れば愚かしく思えてしまうそのような状況も、一種の「地球熱」に浮かされた人々にとって、案外大真面目に受け入れられてしまった。コロニー国家の規模も、戦闘の規模も、何もかも小さくせせこましい、そんな状況に飽き飽きしていた大衆は、関係無い筈の地球を題材に、奇妙な熱心さで語り合い、あまつさえ、そのことを理由に争い、同盟を結び、併合することもあった。

 相変わらず、人類は何も生み出せなかった。けれども、異常な熱に駆られた人類は、争いと、国家の規模だけは大きくしていった。そして、それらに血眼になる中で、再び地球はどうでもいいものと化していった。

 そこまでなら、地球にとって幸いであっただろう。すべてが、地球上の一億人には関係無いことであったから。

 しかし、破局は訪れた。

 U.C.0275、春のことだ。一発のウィルス兵器が、ユーラシア西部のコミュニティに打ち込まれたらしい。らしいと言うのは、後から検証した結果、そうとしか考えられないのであって、目撃証言は無い。何故ならば、そのウィルスは猛威を振るい、コミュニティをほぼ壊滅させてしまったからである。

 結局のところ地球とは関係ない宇宙の人々も、その惨状に気付くのが遅れた。はたと気づいて状況を確認した頃には、地球上には千人単位が生き残っているに過ぎなかった。

 慌てた宇宙の人々は、その千人あまりを救出した――そして、地球上における人類の営みは途絶えたのである。

 U.C.0278現在も、地球上には人類は存在しない。

 

 あれでもない、これでもないと思った末に手に取ったのは「夏への扉」。少年時代からの愛読書であり、地球から持ってきた、数少ない荷物のひとつだ。その時の持ち物は殆ど処分してしまって、今残っているのはこれと、そのほか数冊程度。宇宙に来られなかった父が文書管理の仕事をしていた関係もあり、レオンハートは子供の頃から紙媒体に親しんでいて、本が好きだった。

 「夏への扉」はタイムワープを扱った作品で、多分にご都合主義な展開が見られるものの、子供心には胸躍る物語だったし、大人になっても気晴らしの役には立つ。古典の名作と言われるだけあって、陳腐だが爽快なのだ。何より、読んでいて安心感があり、読後感が良い。こんな夜にはぴったりの一冊と言えるだろう。

 表紙には劣化を防ぐための透明なカバーをかけているが、ページを捲れば、滑らかな紙の感触が心地良い。ようやくすこし、落ち着いた。

 地球、ユーラシアにあった郷里の家には、この時代では考えられない量の紙媒体が溜め込まれていた。父の仕事の関係ではなく、純然たる、父の趣味として。

レオンハートの父は、地球上に幾つもあった、歴史的文書の保管施設に勤める管理官だった。そして、紙媒体をとても愛していた人だったのだと思う。一体いつから溜め込み始めたのはよく分からないが、父の書斎の壁のうち、実に三枚までが、天上まで届く本棚で埋め尽くされていた。本当なら、父の好きだったA.D.時代の小説で一杯にしたかったのだろうが、流石にそこまでは手が届かずに、僅かながら出版されていた新刊もあったようだし、児童書の類も何冊かはあった。

書斎の扉を開けると、古い紙の匂いがした。窓はあった筈なのだが、本棚で塞がれてしまっていたから、視覚に優しいオレンジ色のライトが部屋を照らしていた。まだ子供だったレオンハートには、読めない本の方が多かったが、ただ広げて、見ているだけで飽きなかった。

十二歳の誕生日に、そろそろこれが読めるだろうからと父が譲ってくれた本。それが「夏への扉」だった。

「あの事件」があり、父も母も姉も居なくなってしまったのは、それから僅か二ヶ月後のことだ。たったの数日で、レオンハートは家族を喪った。

どうして自分だけが感染しなかったのか、理由は知らない。いや、恐らく理由など無いのだろう。天然痘をベースに改造された、ワクチンも無く、今更誰も免疫など持っていないようなウィルスだったと聞いているから。

独り残ったレオンハートは、子供の力で無理矢理庭を掘り返して、どうにか両親と姉を埋葬した。街中に殆ど生存者は居なかったから、方々の家を漁って食料を調達し、どうにか一か月ほど命を繋いだ。

そして、救助と称する者が宇宙から来た時、多少の身の回りのものと一緒に、父の書斎から数冊のSF小説を持ってきた。

救助の船はイリン・クァディシンの所属で、だから彼は、イリンに所属するとあるコロニーの児童養護施設に入れられた。

問答無用なほどの天涯孤独だ。

親兄弟が無いだけなら、施設の子供の大半はそうだ。しかし、レオンハートだけが、本物の四季と、本物の1Gを知っていた。「日が昇る」「空は蒼い」「潮が満ち引きする」それらを見たことがあるのも、レオンハートだけだった。

あの子は、地球から来たんだってさ――好奇であれ、憐憫であれ、噂はついて回り、人は色眼鏡でレオンハートを見た。

微妙にふわふわとした、偽物の1G。匂いのしない、乾いた空気。長さの変わらない昼と夜。完璧に予報通りの天候。地球とは似ているようで、恐ろしいほど異質な世界。それなのにここで、死ぬまで生きていかなければいけない。

何冊かの紙の本は、それからの過酷な日々をやり過ごす上での、数少ない相棒だった。或いは、さも「スペースノイドと何ら変わりない」ふりをしていく中で、自分のルーツを示す唯一の物証とも言えた。

――下らないことを、考えすぎている。レオンハートはもう一度苦笑し、やや重たい頭を左右に振ってみる。眠れない時に余計なことを考えるから、どんどん眠れなくなってゆく。陥りがちな穴だ。下らない。せっかく取り出した小説なのだから、すこしだけあちらの世界にトリップして、連綿と続く意味の無い思索を断ち切ればいい。それだけで、眠りに落ちることが出来るだろうに。

頭では、分かっている。それなのに、とめどなく色々な考えが浮かんで、途切れない。F計画、この艦、イリア・ゼクロスと<ラキシス>、サイコミュとニュータイプ――信じられないが、信じざるを得ないすべてのもの。今日からの、レオンハートの現実。宇宙に来た時と、同じパターンだ。

 

模擬戦を終えて艦に帰投し、整備兵に機体を受け渡して、報告書を上げた後だ。カティアからは、お疲れ様、本来の業務に戻ってくれと言われたが、まずは小隊長として、小隊員たちの様子を見ておこうと、下部デッキに赴いた。

トウヤはどうやら彼よりも先に後始末一式を終えて、そこには居なかった。問題はやはり、イリア・ゼクロスで、ほかでもなく彼女のせいで、F計画のスタッフたちは大騒ぎをしていた。

帰投し、コクピットから出たところで、激しい頭痛を起こして、倒れたというのだ。

「だから、やめて下さいと申し上げたのに……!」

 神経質な声で言ったのは、サッシャ・ウィンターと呼ばれていたスタッフだ。年齢は四十歳前後、インド系と思しき浅黒い肌色で、縮れた黒髪をひっつめにした、化粧気の無い女性である。

「あの子は、確かにサイコミュを高いレベルで使いこなします。でも、無制限ではありません。中尉には、そのことを念頭に置いて行動して頂きたいのです」

 まるでレオンハートが何かしたとでも言いたいような剣幕で、サッシャはまくしたてた。この女は何を言っているのだろう。敢えて何も言わなかったが、レオンハートの感想はといえば、その程度だ。確かに、見せて欲しいと要求はした。だが、イリア・ゼクロスを動かす許可を下したのは、F計画の責任者たるカーライル中佐ではないか。文句があるなら、そちらに言え。

 責任が無いとは言わない。書類上はレオンハートが、イリア・ゼクロスの直属の上官なのだから。だが、恐らく自分に大した権限は与えられず、最大限の干渉が、カーライル中佐サイドから入るのだろうなという、有り難くない予感だけがある。いや、予感ではなくて、これは確信だ。軍隊という組織は、どこの国家でも決して風通しが良いわけではないのだろうが、特にイリン・クァディシンというコロニー連合は、全体がそういう体質をしている。F計画にしてもトップダウンなのだし、そのトップから直接来たと思われるカーライル中佐の権限は、階級以上に大きなものがあるのだろう。


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