結局、<ビルキス>の修理には一か月近くの時間を要した。あまりに時間がかかり過ぎたので、支障なく航行できるようになった段階で港から出されて、次の目的地――母港であるアビガイル・コロニー――への途上で細部を直させられた。人使いが荒いんだから、と苦笑したのはカティアで、副長のナイマン中佐が「まあまあ」と言って曖昧に笑った。皆、日頃それを意識することはあまり無いが、軍事国家であるイリン・クァディシンには、実は言論の自由が無い。あらぬ発言が有罪だったりするので、上層部に対する批判めいたことは言わないが吉なのだ。

 休暇のようで休暇でなく、仕事があったりなかったりした一か月の間、カティアはしばしばシャラに言いつけてイリアを外に出していた。レオンハートはそれを、自分が口を出すことではない、と言って、妙な居心地の悪さとともに座視していた。

その一方で、イリアに頼まれて、自分のデータベースの中から何本か、小説をコピーしてやった。「たったひとつの冴えたやりかた」「銀色の恋人」「闇の左手」「ハローサマー、グッドバイ」「天の光はすべて星」「あなたの人生の物語」。セレクトは適当だ。ただイリアは、自由時間に食い入るようにそれらを読み耽っていたから、どうやら読書の喜びとやらを教えることは出来たらしい。本の虫としては、それは本望だった。

唯一不思議なのは、イリアの、いわば「私生活」の部分に何人かが深々と入り込んでいることについて、サッシャからのクレームが一切無かったことだ。彼女の性格上、任務だのデータ取りだのに関係ないことは、一切シャットアウトしてくるのではないか、と思っていたのだが。

 流石にレオンハートから「どうして」と尋ねはしないが、カティアが言うには、このところずっと、イリアのバイタルやサイコミュの同調率が高い数値で安定しているから、だそうだ。彼女のことだから、何かにかこつけて、堂々とサッシャに確認したのだろう。どう贔屓目に見ても、サッシャはカティアのことが嫌いだと思うのだが、意に介するカティアではない。

「…しかし、少々平和惚け気味だな」

 苦い声を出したのはラガードだ。この一か月間、ラガードとレオンハートの二人だけは、せっせと内勤を続けていた。

 それ以外の面子は、こまめに休んだり、まとまった休暇を取ったり、色々な形で軍務を離れて、久々の自由を謳歌した。残っていた二人にしても、調整のために多少はモビルスーツを触ったりしたが、それまでの嵐のような実戦続きの日々に比べると、唖然とするようなぬるま湯の中に浸っていた。

 ラガードの言う「平和惚け」という感覚は、レオンハートにもよく分かる。この一か月は、彼が士官学校を卒業してからの四年間で、最も平穏で暇な時間だったように思うから。

「なーに、どうせアビガイルまで遠いんだ。それまでに実戦の機会の一回くらいあるだろうよ」

 不穏なことを言ったのはアルフリーズで、若い愛妻と久々の蜜月を過ごしてきたのだが、戻ってくるともう、今までと変わりない剣呑な雰囲気を漂わせている。

「ありがたくないっすね、それ」

 トウヤは口ではそう言うが、本音のところでは、そろそろ実戦がしたいと思っているに違いない。根っからのパイロット気質で、じっとしているのは嫌いなのだ。

 そこにふと、華やかな空気が加わるのは、イリアとシャラが戻ってきたからだ。小一時間前に、シュミレーターに入ると言って、同じ場所を通り過ぎて行った。

「どうだった」

 半ばは反射、半ばは儀礼で問いかけると、二人は顔を見合わせて、女同士に特有の、すこし悪戯っぽくて秘密めいた笑みを交わす。昔、姉がよく、家に遊びに来た友達と、そんなことをしていたなと、レオンハートは思い出す。

「<エスター>も、もうそこそこ使えるんですよ」

 そう言ったのはシャラだ。そんなことないです、とかぶりを振りかけるイリアを、シャラが制する。

「何だったら、小隊長殿が見てあげてください」

 そう言われると、俄かに抵抗を止めて姿勢を正すのは、イリアがずっと課題を課されてきた子だからなのか。それとも単に、性格が生真面目なのか。その性格を作ったのは生い立ちなのか。とめどもなく考えが流れるが、立ち上がると同時にそれを断ち切る。

「そうだな、悪くない。イリア、もう一戦いけるか」

「いいね、俺、相手するぜ」

「誰が貴様を呼んだ」

 退屈していたトウヤがそこに乗っかり、いつものようにレオンハートから邪険に扱われる。同期二人と少女で構成されたF小隊は、すこし気を緩めると、すぐにこのノリになってしまう。組織ではなく、私人が三人寄っているだけ。カティアに言わせれば「仲が良くて結構じゃないか」だが、ラガードには現に今も、「真面目にやれ」と言わんばかりの、厳しい視線を向けられている。

「午後からでいいですか。これから一度ラボに戻って、サイコミュのチェックがありますので」

「了解した。1300に現地集合でいいな」

「はい、宜しくお願いします」

 表情はまだ、硬くてぎこちない。だが、それでも、多分笑ったんだろうな、と思える程度には、表情が動く。この一か月で、それが随分分かりやすくなった。

 イリアが立ち去った後には、シャラだけが残る。

「カディッハ少尉」

 声をかけると、頭の後ろの短いポニーテールがぴょんと跳ねる。多少驚いたらしかった。

「何でしょう?」

 微妙に笑みが強張るのは、どうせ自分が仏頂面をしているから、叱られるとでも思ったのだろう。イリアやトウヤと一緒だと、うっかり忘れかけてしまうが、これが普通の反応なのだ。

「イリアの面倒を、よく見てくれているな。助かる」

「…あ、そうですか。こんなので良ければ、時間が許す限りはやらせて頂きますが」

「それは、ラガード大尉に確認するんだな」

 恐らくは、レオンハートより厳しい判断が下されるに違いない。振り返らなくても、その表情が厳しいのは分かっている。

「カディッハ、貴官はこっちだろう」

 ドスの利いた声で呼ばれると、またぴょんとポニーテールが動いた。

 モビルスーツ隊の平パイロットの中では紅一点で、一番年下。小柄で童顔なところも含めて、どうしても外柄からはマスコット的に見られることが多いシャラだが、それをラガードの部下にしたのは、恐らく教官だったというカティアの「親心」だろう。ラガードは相手が誰でも平等に扱い、厳しく鍛えてくれる。それはかつて彼の部下だったカティアが誰よりもよく知っているに違いない。傍でレオンハートが見ていてもよく分かる。シャラは幼い見た目も、その年頃の女性らしい賑やかな雰囲気も裏切る、優秀な軍人でありパイロットだ。

 そう思ったのが「予感」だとしたら、それはあまりにも悪趣味過ぎる――

 

 戦時下なのだから、何時何処で戦闘になっても、何ら不思議なことは無い。結局<ビルキス>も、アビガイル・コロニーまで静かに帰ることは出来なかった。そもそもアビガイルがあるL1宙域は、イリン・クァディシンとトリウィア共和国のせめぎ合う場所なのだから、この宇宙で一番、危険な場所とも言える。

 索敵班が敵影を見つけたのが、アビガイルに帰投する予定日の前日だった。それだけなら、やり過ごすという手段もあったし、実際ハーヴィ艦長はその方向で考えていたらしい。だが、相手にも気付かれてしまったから、結局「偶発戦闘」というものが起きた。

 第一種戦闘配備に続いて、敵機――アムネリス級駆逐艦二隻とランメルモール級巡洋艦一隻、モビルスーツが各艦二個小隊ずつ、計十八機――の配置がブリッジから転送されてきて、出撃命令が下る。

 レオンハートはその時、イリアが心なしか軽やかな動きをしているのを目に留めた。

「調子が良さそうだな」

「ヨサソウダ」

 イリアの足元で、ハロが跳ねる。あの玩具はコクピットの中にまで持ち込まれるらしい。叱りつけたいが、パイロットがコクピットの中に私物を持ち込むのはよくあることで、男性兵士ならヌードのグラビアが貼られていることも珍しくない。それが良いなら何故これは駄目なのか、論理的な説明が出来ないから、結局、禁じられないまま今日に至っている。

「サイコミュの同調率が、このところずっと完璧なんです。なかなか無いんですよ、サッシャが手放しで褒めてくれるって」

 そういえば、今までならこういう時、しつこくデッキに居座っていたサッシャ・ウィンターの姿も、今日は無い。特別に調整する必要も無いということなのか。

「戦果を期待する」

 レオンハートはそう言って、<クロト>のコクピットハッチを閉めた。

 

 こちらを見つけたトリウィア軍が見て見ぬふりをしてくれなかったのは、恐らく、単艦で行動している莫迦だと思われたからだろう。まさかそれが特務艦、しかもこのご時世には存在しない、強襲揚陸艦だとは思わなかったに違いない。それなら、艦の数でもモビルスーツの数でも勝る自分たちが、当たり前に勝てる筈。そう判断したのだろう。やや軽率ではあるが、レオンハートはその判断を責められない。

「私は今日は、大人しくしているから」

 最初に、カティアがそう言った。断じて信用出来ないと誰もが思ったが、流石にオーバーホール直後の機体を焼け付かせるわけにもいかないのだろう。

「L小隊は<ビルキス>の防御を。Cが中央でVが右翼、Fが左翼。Rはそのやや後方に居て、援護する」

 本来、そのR小隊の役割は、F小隊が担うべきものだろう。だが、指示された左翼方向には、駆逐艦が二隻居る。<クロト>の火力と防御力が必要という判断だ。それと恐らく「羽根」もあてにされている。F小隊は、<ビルキス>着任後、既に二隻の艦艇を無力化するのに加担した。通常のモビルスーツ小隊にはあり得ない戦果だ。大昔には、次々と戦艦のブリッジを潰して回ったモビルスーツも多かったようだが、この兵器が実用化されて二百年近く経った今となっては、対策など十分に施されているのだから。

 ゆえに、別に撃沈を期待されているわけでも無かろう。まずは戦線を支えて、C小隊が中央を突破するのを待てばいい。与えられた持ち場をきちんと全うすれば、次の指示はカティアがしてくれる筈だから。

 何も考えずに、その場で死力を尽くせばいい――前線の兵としては、かなり恵まれた状況だ。

「でも、出来れば沈めたい…よな?」

「調子に乗るな」

 トウヤのその台詞は、九割までは軽口だが、一割程度は本気が入っていると見たので、ぴしゃりと叱りつけた。トウヤも真っ当な頭の軍人だから、たかがモビルスーツの数機で戦艦が沈められるなどと、本気で考えているわけではない。だが、前回も、前々回も出来たのなら、今回もあわよくば、くらいのことは考える。それで突っ走ったら死ぬだけの有害な莫迦だが、冷静に行動出来るなら、パイロットには似つかわしい強気と評価出来るだろう。

「でも、出来れば距離を詰めた方が安全ですよね?」

 トウヤのことはいい。問題はイリアが、こんなことを言い始めたことだ。

「<ラキシス>と<アトロポス>はな。だが<クロト>には無理だ」

 だから、余計なことを考えずに、今は降りかかる火の粉を払え。レオンハートはそう言いたかった。経験の浅いイリアがこの場で妙な色気を出せば、それは勇み足になり、結果的に何らかの被害を蒙るだろう。最悪、撃墜でも別に驚かない。

「突っ込める時がありそうなら、それは少佐殿と俺が判断する。お前はそれを信じて待てばいい」

「はい」

 それでも、指示すれば素直に従うのが、この少女の良いところ、と言えるだろうか。

「無駄口叩いてる間に、来なすったぜ!」

 <アトロポス>の拡散メガ粒子砲が火を噴いて、正面から来た敵機――お決まりの<フラスキータ>二機に<メルセデス>一機の小隊――を散開させる。

「イリア、<メルセデス>!」

 爆雷、ミサイル、レールガンと次々に照準を合わせながら、レオンハートは叫んだ。それとほぼ同時に「羽根」が舞い上がるのは、聴覚よりも一瞬早く、イリアの感覚がレオンハートの思惟を捉えるから。そして、その思考がダイレクトに機体に伝わって動くからだ。

 予備の二枚は両肩のハンガーに残したまま、六枚が立体的に動いて、<メルセデス>を追い詰める。小隊の中で<メルセデス>の果たす役割は、やや引いた位置からの<フラスキータ>の援護だ。それを封じるだけで、<クロト>と<アトロポス>はかなり動きやすくなる。

 次いで<アトロポス>が前に出る。トマホークで片方の<フラスキータ>に襲い掛かる。<フラスキータ>のビームサーベルがそれを受け止めるが、ビーム自体の出力も、機体そのものの出力も重量も<アトロポス>が上だ。パイロットに桁外れの技量でもあれば、多少は話が違うかもしれないが、通常の場合、応戦は非常に困難だ。

 自然の成り行きで、残る一機は<クロト>に向かってくる。正直、単機での対モビルスーツ戦はしたくないのが本音だが、そうも言っていられまい。やりようも、無いわけではない。

 距離が詰まる前にビームライフルの火箭が飛んでくるが、こんなものはすべてIフィールドで相殺出来るから、無いも同然だ。ジェネレーターの位置だけ気を付けていればいい。それよりも警戒すべきなのは、サーベルの方だ。

 牽制の砲撃は加えつつ、間合いはぎりぎりまで詰める。危険ではあるが、その方が「当たる」からだ。こんな博打のような真似は好きじゃない、と言いつつ、状況に強いられているうちに、ある程度慣れてしまった。

 敵機の動きに合わせて、機体前方に突き出しているメガ粒子砲の位置を調整する。気持ちは砲身で敵機を貫くくらいでいい。相手がサーベルを引き抜いて、まさに<クロト>に斬りかかろうとしたその瞬間、メガ粒子砲のトリガーを引き、同時に急速後退、距離は短く。これは敵機の爆散に巻き込まれないためだ。

 爆発の閃光が全天周モニターを白く染め、後ろ向きのGで一瞬息が詰まる。他人がこんなことをするのを見たら、決して評価はしないだろう。モビルアーマーの使い方としては邪道な上に、リスクを取り過ぎている――モビルスーツと一対一の戦闘が不可避になる配置をしている方が問題と言えば、それまでだが。


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