場所柄には酷く不似合いな、華やいだ風が流れていく。私服姿のイリアとシャラが、連れ立って外に出て行った後だ。

「今日は、煩いことを言わないんだね」

 鮮やかなタイピングで書類を片付けながら、カティアがその紅唇に悪戯っぽい笑みを刷く。

「…休暇の取得は、当然の権利ですから」

 言われたレオンハートは、憮然として答える。こちらも書類整理の最中だ。

「ま、いいんじゃね? カディッハはともかく、イリアは、たまには十七歳らしいことをすればさ」

 これまた書類と格闘しながら、トウヤがカティアに替わって返す。

「休暇中に何をしていようと、各人の勝手だ。任務に支障がない限り、俺の感知するところじゃない」

 殊更不機嫌に作った声でレオンハートは言い、これまたわざとらしく大きな音を立ててキーボードを叩く。

「そういう君は、権利を行使する予定が無いようだけれど」

「必要ありません」

「一応、私は君の上官で、労務管理も仕事のうちなんだけどね」

 レオンハートが全身で目一杯「黙れ」という言葉を発しているのに、カティアは退いてくれない。そんなもの、言われなくても察しているに決まっているのに。

「することが無いなんて言ってないで、たまには休んで、外出してきたらどうかな。明日あたり」

 労務管理と言われると、返す言葉が無いのも事実だ。戦艦勤務になると、どうしてもオフが取り辛くなり、勤怠が滅茶苦茶になるのは仕方ない。だが、何処かで帳尻が合うようにはすべきだ――客観的にはそう思う。

現に今、アルフリーズ大尉は溜まりに溜まった休暇をまとめて取得して、この近くのコロニーにあるという自宅に戻ってしまった。その際「アドリーアナ」と連呼していたとか、いないとか。要するにそれが、彼が愛してやまない若妻の名前なのだが、アドリアーナ・アルフリーズとは、少々響きがくどくは無いか。それとも別姓なのか。せっかくの集中力が乱れてしまったせいか、要らない連想が次々と湧き上がって、うっかり止まらなくなる。

「ほら、その辺が、疲れてるって言うんだよ」

 カティアはそう言って華やかに笑う。そういう彼女は、上官の常として、レオンハートより忙しい筈だ。しかし今回は、休暇は母港の<アビガイル>に戻った時にまとめて取得して自宅に戻るからと、精励恪勤を続けている。それでも、涼やかな美貌に翳りは見られず、動きも仕事ぶりも軽快だ。

「要するに、休んでまですることが無い、と」

 図星を突かれた。その通りだ。読書くらいしか趣味が無いせいで、時間通りに上がれる生活をしていれば、それ以上やりたいことなど無いのである。会いたい相手も、連絡を取る先も、別にありはしない。

「気にせんでください、少佐殿。士官学校時代からこんな奴ですから」

 もう、何も考えずに目の前の仕事を片付けよう。そう思っているところを、トウヤに更に茶化される。

「悪かったな、貴様ほど甲斐性が無くて」

 と、つい可愛げのないことを言ってしまったが、この点に関して言うと、レオンハートはトウヤに敬意を惜しむつもりは無い。士官学校時代からもう六年、年に一度帰省出来るかどうかの生活をしているのだ。それでもハイスクール時代からの恋人と切れていないのは、トウヤも彼女も「出来た人間」だからなのだろう。

「おー、悪かったね。ちゅうわけで、俺、明後日から休暇」

 そしてトウヤは、ごく素直に、満面の笑みを浮かべる。その恋人は、民間航空会社でCAをしているそうだ。トウヤに言わせれば、向こうも居場所が定まらない仕事だから、お互いの事情が汲めるということらしい。それで今、仕事でこの近くのコロニーに来ているから、都合をつけて、落ち合う予定なのだそうだ。

「貴様の分まで働いておいてやる」

 そんな可愛げの無い台詞が、レオンハートが言ってやれるすべてなのだが、トウヤはまるで「幸福のお裾分けだよ」とでも言いたげに、妙に丁寧な仕草でレオンハートの頭に手を伸ばし、褐色の髪を引っ掻き回す。

「そろそろ切れよ、これ」

「ああ、その時は半休にしておく」

 それでも、一日休むとは言えないレオンハートである。

 こんなことをしていると、大抵「何やっとるか、黙って仕事をせい」と言って扉を開けるのはラガードなのだが、そのラガードは今日、破格に珍しく休みを取って外出している。何をしているかは謎で、カティア曰く、多分どこかで無駄な時間を使っているのだろう、ということだ。休むのが下手という点では、考えるまでもなく、ラガードが<ビルキス>で一番だろう。

 そのラガードが不在なところへ顔を出したのは、意外にもハーヴィ艦長だった。半白の髪を丁寧に撫で付け、折り目正しい紳士然とした人だ。とても、先日のあの無茶苦茶な艦隊戦を指揮した人とは思えない――最もカティアに言わせれば、見た目が無茶苦茶なだけで、本人には理路整然とした勝利までの筋道が立っているのだそうだが。

「ああ、そのままで構わない」

 立ち上がり、敬礼しようとする部下たちを片手で制する。これほど大きな戦艦の艦長ともなれば、激務でもあるし、仮に何も無くても、そう簡単に艦を離れられない。休みどころか私生活などあって無いような有様になってしまう。ハーヴィ艦長の私生活については、誰もよく知らないが。

「貴官ら、今日も仕事か。副長が気にしていたぞ」

 副長のナイマン中佐はCPO室長という職務も兼ねている。要するに艦内の人事・総務部長のような役割だ。それでなくても気遣いの細やかな人ではあるのだが、立場上どうしても、誰が休んで働いているか、気になって仕方ないらしい。

「私はいつも休ませて頂いておりますので、お気になさらず。お茶でも淹れましょうか」

 カティアがそう言ってデスクの引き出しを開ける。彼女はここに、私物の茶葉だのコーヒーだのを色々とストックしているのだ。

「頂こう」

 ハーヴィ艦長は短く答えて、空いている椅子に腰掛ける。どうやら艦を離れられないだけで、今は時間が空いているようだ。

 カティアは別に何も言わなかったが、いつものことなので、レオンハートとトウヤが立ち上がり、それぞれお湯を沸かしたりカップを用意したりする。現在、<ビルキス>は宇宙港のドックに停泊している状態なので、館内には疑似重力が発生している。お蔭で、密閉型のパック容器を使わなくてもドリンクが飲めるのはありがたい――とレオンハートが思うのは、恐らく彼が地球育ちだからなのだが。

「今日はラガード大尉がオフです。明後日からはカトリオン中尉が。ザバッシュ君は…どうするの?」

「今週中には」

 この流れになると断れないので、適当に答えておいた。やることが無いだけで、休みたくないわけではない、というのが微妙なところだ。

 ハーヴィ艦長は、そうか、とだけ答えて、カティアが淹れた紅茶のカップに口をつける。使い捨てのプラスチックカップだが、所作が綺麗で姿勢が正しいので何となく様になる。旧西暦時代の英国紳士とは、多分このような人種だったのだろうと、レオンハートはぼんやり思う。

「ああ、それから今日は、カディッハ少尉がイリア嬢を連れて外出しましたよ」

 自分もカップに口をつけてから、カティアがそう言って微笑む。白い指先でカップについた口紅を拭う仕草が美人然としているが、それでも何処にも色気を感じないのは、恐らくレオンハートがこの人の懐に入ってしまっているからだ。至近距離で見ると、美しさより強さばかりが目に付く人だ。

「カーライル中佐は何も言ってきません。ウィンター女史だけが、すこし嫌な顔をしましたが、問題無いでしょう。彼女にもすこし、外の空気を吸わせないと。真面目な子ですから、無意識に張り詰めているでしょう」

「そうだな、少佐に任す」

 ハーヴィ艦長の言葉は、いちいち簡潔で素っ気ない。ブリッジのメンバーに言わせると、戦況がどうなっていても、基本的にこの調子であるらしい。だが、短いだけで不足があった試しが無いので、この人はこれでいいのだと、皆が口を揃える。

 十日ほど前まで、嵐のような追撃戦を繰り広げていたとは思えない、穏やかに緩んだ空気が、部屋を満たしている。

 

 <ビルキス>がどうにか敵艦を無力化し、安全圏まで離脱した後のことだ。帰投したモビルスーツ隊の各機は、いずれも激闘の有様を物語るように、何処かしらの損傷を抱えていた。

 中でもイリアの<ラキシス>は、八枚の「羽根」をすべて失って戻ってきた。本体に目立った傷は無いものの、「両翼」が無くなっている姿はそれなりに衝撃的ではあった。これまでも、整備の都合で外されている姿を何度も見ている筈なのに。

「壊すなって言ったでしょうが、本当に、アンタはもう」

 それを見て、フィオが底抜けに明るく高笑った。

「で、ウィンター女史は何て?」

「サイコミュの同調率が戻ったから、もういいいみたい。『羽根』はまた作れるからって」

「高いんだけどね、あれ」

 フィオは肩を竦めた。<ラキシス>は装甲もフレームも何もかも、特殊なナノサイズのチップを埋め込んだ「サイコ・フレーム」素材で造られている。製造出来るのは<アビガイル>のプラントのみで、無論だが破格のコストがかかるのだ。

「まあいいわ、予備はちゃんとあるし、本体は無事だし、アンタも元気そうだしね」

 イリアにはそもそも、金銭感覚というものが無い。というか、金銭を使ったこと自体が無い。だから、コストの話をされてもいまひとつピンとこないのだが、良くないことなのは流石に分かる。不器用に作ったばつの悪そうな表情を見て、フィオはぽんぽんとイリアの頭を撫でてくれた。

「どっちにしても、モビルスーツも全部傷んでるし、何より<ビルキス>が重傷だから、小一か月はこのドックから動けない。アンタはその間に、ちょっとは仕事以外のことをなさい」

 フィオが言うまでもなく、<ビルキス>はこれ以上の航海が危険なほどダメージを負っていたし、<アズラエル>のオーバーホールにも手がついていない。更にカティアが予備の<エスター>まで同様のコンディションに使い潰してくれた。無傷のモビルスーツは一機も無い。これらを修理して再び無傷の状態にしなければいけない。整備中隊と砲雷科、機関科辺りはは大忙しだが、イリアたちパイロットには出来ることが殆ど無くなる。

 それで、アルフリーズを筆頭に、休暇を取得する者が相次ぐわけだ。

 といってイリアには、やりたいことがあるわけではないから、ラボで大人しくしていようか、と思ったところ、フィオにそんなことを言われた。カティアとシャラにもだ。

「カディッハは、買い物にでも行く?」

 レオンハートとトウヤが一応整備中隊の手伝いをしていて、食事時間がずれた時のことだ。仕方がないから一人で食堂に行ったら、カティアとシャラが二人で食事をしていて、そこに合流することになった。

「そうですねぇ、最近外に出てなかったし、一日くらいはぱーっと行ってきたいですね」

「一日と言わず二、三日休めばいいけど、一日はイリアを連れて行ってくれないかな」

「あ、それいいですねぇ」

 イリアが何のことだかわからないでいるうちに、目の前の二人が勝手に話を纏めてしまった。

「念のために聞くけど、イリア、君、私服は持ってる?」

 部屋着用のコットンシャツとかジーンズは、辛うじて数枚持っている。あまり使わないから綺麗なものだ。

「ほらね、この子はこの有様だから、何着か選んであげるといい。幸いと言うべきか、給料は貰う一方で一銭も使っていないようだから、予算は心配しなくて大丈夫」

「それ楽しそうですね!」

 二人は何だかとても楽しそうに話を進めていったが、イリアには徹頭徹尾何のことだか分からなかった。

 分からないままシャラに日付を指定され、サッシャに相談して外出許可を取ろうとしたら、案の定渋い顔をされた。

「…駄目ということはないけど、行かなければいけないの?」

「カティアからの指示だから。シャラと居るのは楽しいし」

 サッシャは酷く困ったように眉を寄せて、まあいいわと言ってくれた。サッシャがどうしてそんな表情をするのか、イリアには見当もつかない。



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