歴戦の勇士であるハーヴィ艦長ならではの、見事な撤退戦だった。客観的に言えば、それだけだ。被害を最低限に抑えて安全圏まで離脱した。言葉にするとそれだけだが、その後に残った現実は、まだまだ過酷だ。

 <ビルキス>の右舷は艦砲射撃を受けており、副砲周りをごっそりと失っている。その他の損傷については現場の修理で格好がつくが、こればかりはドック入りが必要だ。モビルスーツ隊に犠牲者は出なかったが、予想通り<アズラエル>がオーバーホールになったほか、中破が三機ある。無傷の機体はひとつも無い。

 そしてイリアは、極度の疲労で体調を崩し、帰艦してから一度も起き上がれていない。サッシャに言わせると、同調率が思わしくない状態で無理矢理サイコミュを使い続けた結果、脳神経がオーバーヒートに近い状態になっていると言う。治療方法は特に無く、ひたすら安静にして自然回復に任せるのみ。

「…この状態で襲われたら、この艦墜ちるな」

 作業用のジャンプスーツを着込んだトウヤが、珍しく神妙な面持ちをしている。

「そうだな。真っ当な神経の持ち主なら、確実に追撃してくるだろうな」

 同じくジャンプスーツ姿のレオンハートが、情け容赦ない真実を告げると、トウヤは空恐ろし気に肩を聳やかす。

「要するにそれまでに、出来るとこまで修理しとけってね」

「そういうことだ」

 ドアが開いた先はモビルスーツデッキだ。パイロットである彼らも、自分の機体の修理に駆り出されている。休んでいる暇など無い。

「あーら、遅かったわね。待ってたのよ。とりあえずそれ」

 外に出るなり、この場のボスであるフィオに声をかけられる。修理の手伝いと言っても、パイロットである彼らには、溶接が出来るわけでもなければ、ネジを留めていいわけでもない。そういうことは、本職の整備兵がやった方が上手いのだから。任されることと言えば、まずはソフトウェア系の再調整。あとはひたすら雑用だ。

 「それ」とは、油にまみれた大量のボルトやナットだった。雑用の方だ。つまりはこれを、再使用出来るように洗浄しろということ。

「士官さんに頼んじゃって悪いけど、お願いね」

 もちろん、悪いだなどと、欠片ほども思っていないフィオである。何しろ彼は忙しい。F小隊を担当する整備班の中で<ラキシス>のサイコミュやサイコ・フレーム資材を扱っていいのは、彼だけだ。勢い、作業量が多い。その辺りは察するしか無いが、多分、難易度が高く、神経を使う仕事でもあるのだろう。立っている者は上官だろうが何だろうが使い倒したいに違いない。

 加えて彼は、この間の最先任軍曹だ。形式上はともかく、実務上は、生半な士官よりずっと偉いことになっている。

 幸い、ここは宇宙空間で、重力が無い。だから、容器にまとめさえすれば、どんなに大量のネジ類も、指一本で動かせる。この発想がそもそもアースノイドなんだろうと、頭の片隅で考えながら、レオンハートは作業を始めた。

 不幸中の幸いだったのは、F小隊の機体はどれも損傷の程度が軽いことだ。<ラキシス>は元来消耗品扱いである「羽根」が幾つか破損しているのと、薄皮一枚レベルの小傷。<アトロポス>は目立った損傷があるように見えるが、装甲止まりで内部には問題が無い。<クロト>も同じだ。ただこれだけは、機体そのものが大きいだけに、作業に時間がかかったが。

 唯一の問題は、イリアが動けないために、サイコミュの調整が出来ないことだが、これもサッシャが最低限のことはしていったようだ。この辺りのことは、レオンハートにもトウヤにも、察することしか出来ないが。

「順調なようだね」

 コクピット周りやソフトウェアの調整まで終えて、ドリンク片手にやれやれと一息ついていたら、真上からカティアに声をかけられた。

「お蔭様で。そちらの方は?」

「とりあえず、<アズラエル>は捨てることにした。その人員を全部<エスター>各機に振り分けて突貫工事だから、今日中には格好がつくだろう。何かあったら、私は予備の<エスター>で出ればいい。オーバーホールなら二日や三日はかかるからね」

 オーバーホールなのに二日や三日でやらせるのか、と思いはしたが、敢えて返さないレオンハートである。その辺りは、<アズラエル>の整備班が優秀だということにしておこう。或いは、カティアの無茶苦茶には慣れているだろうと。

「整備が終わったのなら、報告書は後でいいから、とりあえず食事を摂って、休みなさい。多分だけど、あと数時間の問題だよ」

 そうだ。本当なら、パイロットが整備など手伝っている場合ではない。有事の際にベストコンディションで出撃出来るようにしておくのも、彼らの重要な任務なのである。

 そして、カティアに言われると、その数時間とやらが、俄然リアルに迫ってくる。

「は。ありがとうございます」

 いいからいいから、と微笑むカティアは、こんな時でも穏やかな、柔らかい空気を纏っている。

「そういえば、さっきラボの方を見てきたけど、イリアが起きていたよ。歩くことくらいは不自由無いそうだから、食事に行くなら誘ってあげたら?」

 思えばレオンハートもトウヤも、帰投してからこちら、イリアとは殆ど接触出来なかったから、碌に会話もしていない。サッシャやカーライル中佐に睨まれてはという思いもあり、そもそもラボには近寄っていなかったが、こういうフォローを忘れない辺り、カティアは流石だと思う。

「そうですね、悪くない」

 あと数時間。その言葉が残した不気味な重みは、確かにレオンハートの胸中に居座っているが、苦にしていても仕方ない。というよりも、せめてその数時間、コンディションを整えることに集中しなければ。そうすることだけが、数時間後に起こる戦闘を有利に導いてくれる。

 とりあえず、イリアの状態確認だ。あと数時間で出撃出来るとは思わないが、何時なら可能なのか。当面不可能なら、F小隊の残り二機をどう運用するか。ドリンクのボトルを握り潰し、ダストシュートに放り込みながら、レオンハートは思考を巡らせ始めていた。

 

 意外なことに、イリアとの面会を申し入れると、サッシャは即答で応じてくれた。

「事前に確認しておきますが、体調はどうなんですか」

「過労ですから…肉体的には回復しています。ただ、神経の方はまだ…」

 そう返す声には、それでも明らかな苛立ちが滲んでいて、決してレオンハートたちに気を許したわけではないと分かる。

「それでは、極力刺激を控えた方が良いのでは? 押しかけてきて何ですが、我々も刺激と言えば刺激でしょう」

「それはそうです」

 どうやらこの問いかけが、サッシャを最も苛立たせるらしい。

「あの子が、貴方がたに会いたいと言っているんです。我慢させておけば、それもストレスになりますから」

 レオンハートとトウヤが、言ってみれば「余計な虫」であることは重々承知しつつ、「娘」の我儘に応えてしまう――そんな「母親」。個人的には好感を持てるかもしれないが、一緒に仕事をしたいわけではない。相変わらず、扱いにくい人だ。

 食事については、パイロット食のボリュームが必要な状況ではないし、基本的に安静にさせているので、ラボで用意しているそうだ。ただし、気晴らしに食堂まで行って、飲み物のドリンクの一杯も飲んでくる程度なら許可する。それが、サッシャから言われたすべてだった。

 イリアはラボの中に個室を与えられている。インタホンを鳴らして来訪を告げると、ロックが解除されて、ドアが開く。

「レオンハート! トウヤ!」

 華やいだ声が、二人を迎えた。それこそ予想谷していなかったので、二人ともに面食らったが、そこにはイリアが立っていて、ぎこちないながらも確かに微笑み、大きな翠の瞳を、二人に向けていた。

「思ったより元気そうじゃねえか」

 レオンハートが驚きで上手くリアクションを作れない一方で、トウヤはいつものように屈託なく笑い、手を伸ばしてイリアの栗色の髪を掻き回している。

「そうなんです、私も何処が悪いのか、自分でも分からなくて。サッシャはまだ早いって言うんですけど」

 イリアはその手を受け入れて、逆にレオンハートを見据える。強い視線。一瞬どきりとしたが、これはこの娘の、いつもの癖だ。

「データを頂いた小説、読んでいるんですけど、これも神経が疲れるからって、一日に読んでいい分量が決まっていて。なかなか進まないんです」

 いつ、こんなに流暢に喋るようになったのだろう。すこし前まで、合成音声のように抑揚の無い喋り方しか出来なかったのに。もちろん今にしても、やはり口調はたどたどしいし、表情も自然とは言い切れないにしても。

 更にレオンハートを驚かせたのは、その後の食堂での出来事だ。

 イリアが、F小隊やフィオ以外の人間に、自分から話しかけていたのだ。相手は、L小隊の002であるシャラ・カディッハ少尉。カティアとイリアというイレギュラー分子を除けば、モビルスーツ隊の紅一点で、二十一歳という年齢は最年少にあたる。要するに、イリアにとって最も年の近い、同性の同僚だ。

「あ、カディッハ少尉!」

 見つけるなり、そうやって声をかけ、手を振った。

「今日は外出許可が下りたんです」

 同じ艦内で外出も何も無いだろうとは思うのだが、とにかくイリアはそう言って、また不器用に笑って見せた。

「そう、良かったね。お腹空いてる? 食事制限はある?」

 パイロット食が山盛りになったトレーを手にしたカディッハ少尉は、朗らかに微笑み返す。小柄でしかも童顔、更に髪型がポニーテールだったりするので、同い年、どうかすればカディッハ少尉の方が幼く見える。

 制限はしていないが、安静にばかりしているからお腹が空かないとイリアが言うと、カディッハ少尉は笑って、カップ入りのアイスクリームを差し出した。

「こういうのなら入るでしょ。栄養つけて、さっさと元気になりなさいよ」

「美味しそうですね。ありがとうございます」

 まるきり普通の、女の子同士の会話だ。絵面だけ見ていれば違和感が無いが、片方がイリアだと思うと違和感がありすぎる。一体いつから、彼女はこんな風に、他愛も無いどうでもいいことを、すらすらと喋れるようになったのだろう。

「お前、カディッハ少尉と仲良かったのか?」

 それ以前の疑問を、トウヤが口にしてくれた。そうだ。任務上の接触は、特に無かったと思うが。

 するとカディッハ少尉は、爽やかに笑って答えてくれた。

「少佐殿からのご依頼で、ここしばらく、時々様子を見に行っていたんです」

 その話は、カティアからは聞いていない。

「ザバッシュ中尉に言えば、『不要です』と仰るだろうからと。年齢の近い女の子と、すこしくらい会話があった方が良いんじゃないかということですよ」

 トウヤが「だってよ」と横から小突いてくる。確かにそうだ。加えて「第一、ウィンター女史の方で願い下げるでしょう」とも言っただろう。

「ウィンター女史が、よく許可したな」

「お嫌そうでしたよ。でも、誰かと話をしている時の方が、各種データが安定しているんだそうです」

 それで、このちょっとした「外出」が許可された理由が分かった。ラボに閉じこもっているより、外の空気を吸って、誰かとコミュニケーションを取った方が、メンタルが安定する。人間なら、ごく当たり前のことだ。

 当たり前の人間であること――最初の頃のイリアには、決定的に欠けていたことだ。

「世話になった、少尉」

 レオンハートが軽く会釈をすると、カディッハ少尉は軽やかな声を上げて笑う。

「バラージュ少佐の依頼なら、何でもこなしますよ。私の恩師ですから」

 初めて聞いたが、カティアが<ビルキス>に赴任する前、一時的にパイロット徽章を返納して士官学校の教官を務めていた時期に、指導を受けたのだという。

「もうすぐ集合時間ですので、これで失礼します。イリア、また後でね」

 まだ話をしていても面白いかとも思ったが、カディッハ少尉の方で会話を切って、かなり大股に食堂を出て行った。肩をいからせているのは癖だろうか。無理にでも自分を大きく見せようとしているのが、よく分かる。パイロットとしても勇敢だ。

「…トースター……」

 ぼそりとレオンハートが発した意味不明の呟きに、イリアとトウヤが反応する。

「貴様、何言ってんだ?」

 しまったと思うが、もう遅い。カディッハ少尉の様子を見ていたら、子供向けSFの名作「いさましいちびのトースター」というタイトルを思い出したのだが、どう説明したら分かって貰えるだろう。

 レオンハートが目を白黒させたところで、期せずしてイリアが助け舟を出してくれた。

「あの、アイスクリームが溶けてしまうので、座っていいですか?」

 そして、レオンハートの許可も得ないまま、最寄りの席に腰掛けると、さも当たり前にカップの蓋を開けて付属のスプーンを取り、アイスクリームをすくって口に運んだ。

「溶け始めてる…」

 続く一言は、少々不満そうだったが、レオンハートとトウヤの二人には、意外性とともに大きな満足感を与えてくれた。

 数か月前は機械のようで、何の感情も読み取れなかった少女が、こんな日常の隅の些細な場所でも、さりげなく自分の意志で動いているのだから。

「俺たちも飯にしようぜ。人が食べるの見てると、腹減る」

 その後は当然ながら、そういう流れになった。


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