虚空を旋回し、滑らかに滑る小さな光を、モニターの中央に捉えている。流星、と言いたいところだが、それはモビルスーツのバックファイアだ。ただの点にしか見えなかったものが急速に接近し、鮮やかなスカイブルーの機体がその姿を現す。言うまでもなく、それは<ラキシス>で、自然に速度を緩めると、そのまま着艦シークエンスに入る。いつも出入りする下部の特殊デッキではなく、他のモビルスーツと同じカタパルトデッキの方だ。ガイドビーコンの案内に沿って機体を近づけ、そのまま吸い込まれるように減速して、着艦する。

 モビルスーツについてある程度の知識がある人間なら、その機動が、それでも常よりは滑らかさを欠いていることに気付くだろう。通常なら、イリアは<ラキシス>の操縦一切を、指一本動かさず、脳波だけで行う。だが今回は、すべて手動だ。サイコミュ経由で脳波コントロールをする時は、何の澱みも無く動く機体も、手で動かす場合は、そう素直に言うことを聞いてはくれない。

 レオンハートは<ラキシス>を管理・監督する立場だから、鋭い目ですべてを見守り、眉ひとつ動かさないが、その傍らでは、カティアがほう、と溜息をついた。

「よく出来るようになったじゃないか」

「実戦が出来るとは思いませんが、何かの時に自力で帰還出来る程度には仕込みました」

 淡々と答えるレオンハートは、相変わらず手元のモニターから目を離さない。<ラキシス>の飛行データが次々と上がってくるのを睨んでいる。

「戻ってきたら、ちゃんと褒めてあげなさい。せっかく教えたんだから、詰めまできちんとやるように」

 そのぶっきらぼうな背中を、カティアが軽く叩く。

「そうそう。手動じゃモビルスーツを歩かせることも出来なかったあの娘を、ここまで育てたのはアンタなんだからさ。愛弟子って奴でしょ?」

 近くで別のモニターを見ていたフィオが、手を止めてころころと笑う。

「育てたも何も…」

 レオンハートは口ごもり、流石に手を止める。上官と再先任軍曹に話しかけられて、無視しつづけるような非礼は無い。

「俺は通り一遍のことを教えただけです。彼女の筋が良いんですよ…教えていて、嫌になるくらいね」

 最初から最後まで、丸ごと事実だけで出来た台詞だ。何をどう教えたから、短期間でこれだけの操縦技術を身に付けた、というものではない。単にイリアが、呆れるほど勘が鋭く、飲み込みが早いだけだ。確かに最初の頃は、カティアにフォローを入れて貰ったこともあった。だが、そこから先は、適当な課題を与えて機体を触らせておけば、イリアが一人で、勝手に上達していった。

レオンハートは、口下手とまでは言わなくても、そう大して喋ることが得意ではない。だから、説明が舌足らずになったり、不親切だったと、言った後で思うことが多々あったが、そんなときでもイリアは、ざっくりとその言葉の本質を掴んで、適切に行動に落とし込んでいった。記憶力も、空間把握能力も高い。本来は経験を積み重ねてしか得られない筈の第六感的な何かを、既に持っている。

ニュータイプでなかったら、天才と言うのだろう。

地球から宇宙に上げられて、まずは三百六十度開けた空間に慣れなければいけなかった自分とは、随分な違いだ。すこし疲れを覚えると、そんな風に僻みっぽく思うレオンハートが居たのも事実である。

とはいえ、教えた以上のことを学んでくれたのは、有り難くも、嬉しくもある。<ラキシス>のコクピット前まで出向いたのは、それが礼儀だと思っているからだが、かけたい言葉があったのも事実だ。

「ご苦労だった。もう大丈夫だな」

 はい、という、いつもの素直な返事が聞けるのだと思った。だがイリアは、パイロットスーツのヘルメットを外すと、翠色の大きな瞳をひたとレオンハートの双眸に据えて、覗き込むように見つめる。

「…どうした」

 これも、いつもの調子と言えばそうなのだが、何度やられても面食らう。戸惑いがちに問い返すレオンハートに、イリアはこう返した。

「大丈夫って、何がでしょう」

「モビルスーツの手動操縦だ。俺たちと同等とは言わんが、お前はそれで実戦をするわけじゃない。予備だと思えば、それだけ出来れば十分だ」

「…合格ですか」

 ややしつこいほどに食いつかれるが、合格という言葉に、イリアはこだわる。

「ああ、合格だ。報告書を提出したら、今日はもう休んでいいぞ」

「ありがとうございます!」

 ここでやっと、イリアは不器用な笑みを浮かべ、大袈裟に頭を下げた。

 そんな二人を、カティアとフィオがキャットウォークの上から見ている。

「曹長、いいのかな?」

 問いかけるカティアは、表情こそいつもと同じ艶やかで淡い笑みだが、声の響きは案外シリアスだ。

「今、水を差すのは、ちょっとかわいそうだから…言ってあげて、どうなるってもんでもないしねぇ」

 対するフィオも、いつもの笑顔とは違う、少々苦い顔をしている。

「最近、サイコミュの同調率が良くないのは、ウィンター女史が誰より分かってる。まずはあっちから対策を出して貰わないと。アタシはあくまでメカニックだから、その部分をゼロから改善したりは出来ないわ」

「そうだねぇ…だけど、時間が無い」

 いつしか、カティアの面からも笑みが消えている。

 <ビルキス>は現在、補給のためにコロニーに停泊中で、半舷休息になっている。トウヤはその時間を使って外出中だ。しかしここは、艦の最終目的地ではない。補給を終えたら別の宙域へ向かい、味方の艦隊と合流して戦闘に参加するよう、命令を受けている。

「確かに不安定なのよ。なんだけど、揺らぎの幅が半端なの。機体の制御には、ぎりぎり問題無いくらいで…だから、実戦投入は可能なの、今のところは」

 手元の端末を睨んだまま、フィオが眉根を寄せる。カティアはそのデータの閲覧権限を持たないので、具体的な数字は言えないのだが。

「だけど、あとすこし下振れしたら…アウトってわけか」

 とはいえ、数字など無くてもフィオが言いたいことは分かる。アウトになったらその瞬間に、<ラキシス>の起動は不安定化し、戦力にはならなくなるわけだ。手動であれだけ出来れば、自力で母艦に戻るくらいは可能かもしれないが――ビームが飛び交う戦場でのことだ。保証は無い。

「あとはあの子の頑張りと、ザバッシュ中尉のフォロー次第ってトコ?」

「そうだね。何だかんだと言いながら、ザバッシュ君はよくあの子の面倒を見ていると思うよ」

 思うことは様々にあるが、命じられたことしか出来ないのが軍人というもので、幾ら自由闊達に見えても、カティアもフィオもその枠の中で生きている。そんな状況の中で、せめて微笑ましい話題と言えば、<ラキシス>のコクピット前に居る二人のことしか無い。

「良いお兄ちゃんよね、本当に」

 もう一度微笑んだフィオの視線の先では、殆ど最敬礼に近い角度で頭を下げられたレオンハートが、心底居心地悪そうに、イリアの上半身を起こさせていた。

 

 その瞬間、頭の中で一気に色々なものが交錯した。カタパルトへと続く出口をモニター中央に据えて、スロットルレバーを手前に二、フットペダルを踏み込む。いや、そうじゃない、脳裏にイメージを描いて、「行け」とただ一言――

 がくん、という大きな衝撃。リニア・シートから放り出されかけた上半身を辛うじてシートベルトが受け止め、パイロットスーツごしなのに、擦れた皮膚が痛みを訴える。

 何が起こったのだろう。イリアは慌て、且つ呆然として<ラキシス>の機体状況を確認しようとしたが、それよりも先に、ヘルメットの中怒号が響いた。

「何をやっている?!」

 レオンハートだ。何をしてしまったのだろう。

「こんな時に、手動でする必要は無い。サイコミュに任せろ」

 そこで初めてイリアは、<ラキシス>がハンガーを出た後、発進位置に就く前に転んでいるのを把握した。転んだ――こんな無様なことは、実際の機体では初めてだ。せいぜいごく初心者の頃、シミュレーター経由でしかしでかしたことが無いし、手動操縦を覚え始めた頃はもっと慎重だったから、こんな風に派手な失敗はしていない。

 瞬間的に、疑問と恐怖と動揺が綯い交ぜになった状態で沸き起こり、心臓を締め上げる。嫌だ、こんな状態で出撃したくない。怖い。きっとまた、何かをしでかしてしまう――

「落ち着いて、イリア」

 混乱したまま溢れかけた感情を、聞き慣れた声が押しとどめる。サッシャだ。

「集中しなさい。機体を起こして。あとは、ずっとやってきたようにすればいいのよ。貴女も<ラキシス>も、よく覚えているでしょう?」

 あやすような、柔らかい声。ただそれだけで、早鐘を打っていた心臓が、元に戻ってゆく。

「そうだ。まずは手動操縦の回路を切れ。それでお前はもう間違えない。そうしたら、後はお前がやってきたようにやればいい」

 今度はレオンハート。きっぱりとして厳しい声だが、つんのめったまま丸まっていた背筋がぴんと伸びる。そうすると視界が開けて、クリアになる。

「んで、今回の厄落ちただろ。肩の力抜け」

 それからトウヤ。今度は本当に、肩と背中に入っていた余計な力が抜けてくれる。操縦桿を握ったまま強張っていた指が、ほどけた。

「すみませんでした。大丈夫です」

 レオンハートに言われた通り、手動操作の回線は一度、オフにする。これで、もしもまた手足が勝手に動いたとしても、今度は機体は反応しない。だからあとは、頭の中に正確なイメージを描くことだけ心がければいい。子供の頃から、ずっとそうしてきたように。

 転倒による機体の損傷は、流石に無し。ブリッジの先頭管制官に、発進可能な旨を報告する。

「ちょっと手間取ったな。だが幸い、進路はクリアだよ」

 下部デッキで何があったか知らないグェン大尉は、その穏やかな表情を想像できる、ごく落ち着いた声で、そう言ってくれた。

「ありがとうございます。F003、行きます!」

 その言葉とともに、<ラキシス>のスカイブルーの機体が<ビルキス>を飛び出す。外に出れば、<クロト>と<アトロポス>も待っていて、F小隊は本隊に先行し、索敵を行って情報をフィードバックする――そうやって、いつもの手順で戦闘が始まった、筈だった。


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