憂鬱な任務を終え、更に憂鬱になって<ビルキス>に戻ると、カティアが出迎えてくれた。

「お疲れ様。飲むかい?」

 何事も無かったかのようにコーヒーを差し出し、イリアには休息を指示したが、レオンハートとトウヤの二人には、一瞬ぎょっとするような量の事務仕事を振ってくれた。

「じゃ、宜しく」

 それだけで、<エロディアード>でのことは一切訊いてこなかった。無論、守秘義務のことなど百も承知してくれているのだろうが。

「…助かるな」

 それが、レオンハートの偽らざる実感であり、傍らに立つトウヤも深々と頷いてくれた。

 正直言って、二人ともに、重苦しい感情を抱いて<ビルキス>に戻ってきた。暇にしていると、どうしてもそれらを反芻して、袋小路に迷い込むに違いない。

 事務仕事が好きで好きでしょうがないというわけではない。トウヤに関して言えば、明確に「嫌い」だ。だが、これだけの量のデスクワークがあれば、一心不乱に取り組める。その間は何も考えなくて済むし、これだけの量をこなす時間が過ぎれば、<ビルキス>でもまた、次にすべきことが出来るだろう。それで――どうにか元の生活に戻れるに違いない。

「んで、終わった頃に実戦がある。それなら文句無えな」

 トウヤが言ったその台詞に、殆ど意味など無かった。ただ、何も考えずに身体を動かしていたい。パイロットとしての本分を全うしたい。それだけのことだった。

 故に、それから僅か一週間で、トウヤはこの一言を、些か後悔することになる。

 

 確かに、それからきっかり一週間で、実戦の機会が訪れた。F小隊は通例通り先行して索敵を行い、本体との合流を待って戦闘を開始。それで何も問題ない筈だった。

 通常の敵であれば。

 後から考えれば、その日は何やら、出撃する時からイリアが神経質だった。「羽根」が警戒して、指示に構わず微かに動いたり、彼女自身が発艦シークエンスを間違えかけたり。場合が場合なのでレオンハートは厳しくは叱らなかったが、何か嫌な予感だけがしていた。

 そして、やはり最初に気付くのは彼、というよりも<クロト>のセンサーだ。

 一路に接近してくる敵影が三。それは良い。問題はその速度だ。通常のモビルスーツの、概算で一・五倍速。

 それは即ち、相手が<クロト>や<アズラエル>と同じ、ミノフスキー・ドライブ・ユニットを搭載したモビルスーツであるという意味だ。つまり今回の相手は、トリウィア最強のトライアングルである<バヤデルカ>小隊。

 レオンハートは咄嗟に<クロト>の進路を変えた。このまま最短距離で接敵しても、一分の勝ち目も無い。取り囲まれて、切り刻まれるだけだ。同時にレーザー通信で<ビルキス>に情報をフィードバックする。まだミノフスキー粒子は戦闘濃度に達してはいないから、無線で叫ぶことも出来たかもしれない。だが、それでは敵にも聞こえる危険性がある。

 後続の味方機はまだ発進していない。それを考えれば、合流までは短く見積もってもあと五分はかかる。それまでの間、逃げ回るなり、身を隠すなりしなければならない。

 急速に張り詰めて、切れる寸前まで鋭くなった神経に、レーザー通信の着信アラームが触れる。この音は隊長機、つまりカティアからだ。画面にはただ一言「三分」とだけ。だが、その向こうには、いつものように紅い唇で、艶やかに微笑むカティアが見える。

「三分だけ待っていなさい。必ず助けに行くから、それまで頑張るんだよ」と。

 敵機との距離を計算する。カティアが三分と言ったのだ。これ以上遠ざかって、その時間を先延ばしにすべきではない。ここで反転すれば、接触まで一分。

「トウヤ!」

 その瞬間には、もう叫んでいた。

「一分三十秒だ」

 残り三十秒は、今から自分が全力で稼ぐ。それで接触を遅らせたら、接近戦はトウヤに託すしか無い。

「それでいいんだな」

「任せる」

 冷や汗が背中を濡らすのが、よく分かった。

 モビルスーツの性能の進化など、止まってしまって久しい。と言うよりも、人類社会全体から、技術革新というものが無くなって久しいのだが、ともかくも。だからレオンハートたちこの時代の軍人は、機体性能が圧倒的に勝る相手との交戦経験がほぼ無い。F正体各機や<アズラエル>の優位性は、ひとつはそこにあった。

 逆を言えば<バヤデルカ>が脅威である理由も、そこだ。カタログ・スペックにおいては<アズラエル>ほどでは無かったと記憶しているが、それでも<エスター>や<フラスキータ><メルセデス>を優に凌ぐ運動性と火力を備えているのだから。

 そして、もうひとつ。<アズラエル>を操るのが撃墜王カティア・バラージュであるように<バヤデルカ>のパイロットもまた、トリウィア全軍から選び抜かれたエースパイロットたちだ。小隊長アルド・カイハル少佐の勇名は、イリン・クァディシンの中でも高いものがある。

 細く研ぎ澄まされた刃の切っ先に立つような、恐ろしいまでの緊張感。その張り詰めた空気を、小さな声が震わせた。

「私にも手伝わせて」

 イリアだった。静かな声だ。いつものように、そう大して抑揚があるわけでもない。だが、今日はそれが何故か凛として聞こえる。通信は音声のみだが、モニターを開けば、真っ直ぐに前を見つめる翠色の瞳が、決意の光をたたえているのだろう。

「何が出来る」

 質問ではなく、確認だ。この際、打てる手があれば何でもいい。

「最初の三十秒が終わったら、『羽根』を全部使うわ。ちょっと難しいけど、三十秒なら大丈夫。そうすれば、あとは一分」

 十六枚の羽根を同時に起動すれば、かなり立体的に攻撃を組み立てられる。一度抜かれても背後から狙い撃てるし、多方向からの同時攻撃も出来る。レオンハートの実感として、「羽根」を使ったオール・レンジ攻撃は、いかに熟練のパイロットであっても、ある程度の慣れが無ければ対応が難しい。上手く使えれば、有効な筈だ。

「カティアが言ってたわ。『羽根』なら、ミノフスキー・ドライブにだって追いつける」

 その理屈は分かる。「羽根」を使った攻撃には、タイムラグが存在しないからだ。

 五感で情報を収集し、思考して判断を下して機会に入力する。モビルスーツを使って「攻撃する」とは、そういうことだ。だが「羽根」ならば、思考も判断も入力も要らないからだ。とはいえ、スラスターの出力には雲泥の差があるから、真っ当に追いかけても意味は無い。

「足が止まっていれば、だろう」

「貴方が止めてくれる」

 イリアが微笑っている、と何故か思った。穏やかな声。真っ直ぐに顔をあげていなければ絶対に出ない。力みが無くて、とても静かだ。

「だから、私はそこを狙えばいい」

 翠色の瞳が――見つめている。それは明らかな錯覚なのだが、不思議と悪い気持ちはしない。

「よっしゃ、一分だな」

 レオンハートが言葉を決めるよりも先に、トウヤが景気の良い声を上げた。

「何だかんだで、多分俺が一番しんどいから、戻ったら何かおごれよ、お前ら」

 通信用の小さなモニターが開く。そこには、不適だが妙に人懐こい、実に彼らしい笑みを浮かべたトウヤが映っている。電力の無駄遣いではあるのだが、その顔を見られて良かったと、素直に思えた。

 そのまま自然の流れでもうひとつのモニターを開けば、やはり予想していた通り、光をたたえた翠の瞳がそこにある。

「少佐殿と合流出来たら、最悪お前は退避してもいい。そのつもりで、出し惜しみするな」

「はい」

 はっきりと響く声で、イリアはそう答え、自分からモニターを切った。

 当たり前のことをしただけだが、着任早々から叱りつけては基礎から教えたレオンハートにとっては、些かならず感慨深いものがある。真っ当に動けるようになってきた、と。

 先程の発言にしてもそうだ。レオンハートが、敵機の動きを止めてくれる――翻せば、止めることしか恐らく出来ない。そのことを、既にちゃんと理解している。

 モビルスーツ戦においては、基本的に狙いはすべて、人の目人の手で定めなければいけない。コンピューターが照準の補正くらいはしてくれるが、旧西暦時代のレーダーのように、見えてもいないものを見つけ出してはくれないし、ごく一部の兵器を除いては、標的を追尾したりも出来ない。人がその手で拳銃を撃つのと、それほど大きな違いは無い。

 今は、こちらが迎撃する立場だから、敵機よりはやや優位に立ち、足場を定めて狙えるから、大幅に外すことはない。足止め程度にはなる。だが、それだけだ。三次元起動で、距離も数百メートルからの開きがあれば、そうそう当たるものではない。一発掠めれば僥倖程度に思っている。

 だが、今はその三十秒のために死力を尽くさねばなるまい。

 ひとつ、敢えて言うなら、敵もモビルアーマーなどという非常識なものとの交戦経験は無い。動く弾薬庫とでも言うべき、火力の塊などとは。

 攻撃の組み立ては、着弾の早いものからだ。まずはメガ粒子砲の一斉射。これは当たらないが、敵機は散開するから、その軌道を読んでレールガン。続いてミサイルポッドで畳み掛ける。もし当たるとしたら、これだ。これだけの火力を単機で叩き付けられるモビルスーツは存在しない。それと、ミサイルはミノフスキー粒子散布下においても、唯一敵を追尾出来る兵器だからだ。電波は使えなくても、熱源は追尾出来る。しかも、モビルスーツならパックひとつを使い果たせばそれでお終いだが、<クロト>には四基搭載されているから、攻撃はまだ終わらない。

 どんなに歴戦のパイロットで、優秀な機体だとしても、これだけの集中砲火を浴びては身動きが取れまい。下手に動けば、それこそ当たる筈が無いものに当たってしまう。熱源を追ってくるミサイルには、対応も必要だ。

 撃てるだけのものを撃ち尽くした後は、再びメガ粒子砲の照準を合わせる。いつでも離脱出来るように備えながら。

 火力のあらん限りをぶちまけた空域は、無数の爆炎で真っ白に染まっている。そこだけ真空の闇が取り払われて、光になっているようだ。経過時間は、三十二秒。

「イリア!」

 叫ぶのと、十六枚の「羽根」すべてが飛び立ったのと、どちらが先だったか。恐らく「羽根」ではないかと思う。

 爆炎がすべて散りきらないうちに、今度は「羽根」たちが縦横に舞って<バヤデルカ>に襲い掛かる。そうだ、自分たちが彼らと交戦経験が無いということは、向こうもオール・レンジ攻撃を受けたことが無い。ならば、どんな機体でも、完璧にあれを躱すことは出来ないだろう。

 「羽根」が狙ったのは、向かって右側の一機だった。残りの二機を無視したのには理由がある。肩のバインダーに、損傷があった。どうやら<クロト>の集中砲火で作ったものだ。まずは全力を傾けて、手負いの一機を。その判断に間違いはない。

 だが、そうすることで、残りの二機がフリーになる。レオンハートは咄嗟にフットペダルを踏み込み、敵機との距離を詰めた。残り一分二十秒。<アトロポス>一機では厳しいに違いない。

「莫っ迦野郎、一人で格好つけんじゃねぇ! これなら最初の予定通りだ!」

 トウヤの叫び、そして<アトロポス>の腹部に内蔵された拡散メガ粒子砲が火を噴く。二機の<バヤデルカ>が散った。

「貴様一人に任せておけないんでな」

「ほざけ!」

 そこで<アトロポス>は真ん中の<バヤデルカ>――恐らく隊長機――に真っ直ぐに突っ込む。その判断も正しい。いかに<バヤデルカ>が超高速で高火力であっても、取りついてしまえば意味は無い。機体の特性を正確に把握し、その性能を活かせない状況に追い込む。或いは特性を潰す。正当な戦術だ。

 <アトロポス>のマニピュレーターが<バヤデルカ>に掴み掛る。接近戦で力押しになれば、機体の質量とエンジン出力で勝る<アトロポス>に利が生まれる筈だ。

まるで格闘をする人間のように、柔軟な起動で<バヤデルカ>を捉える<アトロポス>に、レオンハートは思わず嘆息した。接近しての格闘戦なら、<ビルキス>モビルスーツ隊の誰にも負けない、トウヤのその技量を、機体が余すところなく汲み上げて、動きに反映させている。良い機体だ。その上、最高の整備を施されている。F計画そのものには多大な疑義があるとしても、これだけのモビルスーツを戦線に出せる、そんな戦隊に所属していることは、軍人として紛れもなく幸福だ。

だから、生きてその艦に帰らなければいけない。

残る一機の<ビルキス>が急速接近してくる。当然だ。モビルアーマーは距離を詰められると極端に弱い。そんなことは、データが無くても、この図体を見て、兵装の見当がつけば理解出来るだろう。

だが、レオンハートは焦らなかった。確かに、取りつかれてしまったら圧倒的に不利。切り刻まれて撃墜されるだけが能の、大きな的に成り下がるだろう。取りつかれれば。

今は、まだ、取りつかれていない。そして、急接近してくる機体の軌道は、酷く読み易い。

照準を定めてトリガーボタンを押すのに、殆ど時間はかからなかった。放たれた閃光が、<バヤデルカ>の片脚を消滅させる。機体の制御が乱れ、姿勢が崩れて動きが止まる。

その瞬間、レオンハートが何をするより早く、白い影が視界をよぎり、放たれた細い閃光が、今度は<バヤデルカ>のマニピュレーターを潰した。<ラキシス>の「羽根」。だが、数は二枚だけだ。本体と残りの十四枚は、変わらず最初の位置にあって、別の<バヤデルカ>と相対している。

「イリア、こっちはもういい。『羽根』は自分を守るために使え」

 届くかどうか分からないまま通信を入れると、酷いノイズ交じりではあるが、返信が入る。

「三十秒っていう約束を、守れなかったから。その分は、私が貴方を守ります」

「逆なんだよ、役割が。俺はお前を守るのが仕事だが、お前はそうじゃないだろう」

 言いながら、目の前の<バヤデルカ>の状態を確認し、次の一撃を入れる。スラスターは無傷だが、あれだけ損傷してしまうと、フルスピードには耐えられないだろう。VSBRの火力は残っているから油断は出来ないが、対応出来ない脅威ではなくなった。

「目の前の敵を墜とせ!」

 残り時間は五十秒だ。モビルスーツ戦においては、決して短い時間ではない。

 ノイズが更に酷くなったせいで、それ以上の通信は不可能だったが、羽根たちはレオンハートの視界から消えた。それでいい。後は、目の前の手負いの<バヤデルカ>を上手くあしらって、時間を稼ぐだけだ。先方も恐らく、似たようなことを考えているだろう。真っ当なパイロットなら、あの機体状況で戦果を上げようなどとは考えない。上手く撤退出来る状況があり、上官の許可が下りれば離脱したいところだろう。ただ、現状がそうでないからには、それを待つしかない。この際はそれが、レオンハートの命を救ってくれるだろう。

 互いに決め手はなく、距離を取りたい。だから迂闊に動けない。そうこうするうちに、睨み合いになる。牽制を繰り返して手詰まりに陥る。レオンハートにとっては願ったり叶ったりの展開になってきた。このまま時間が過ぎれば良い。


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