世の中には、冗談にして構わないことと、そうでないことがある。すくなくともレオンハートはそう思っている。そして、どんな冗談も休み休み言うべきだろう。いや――これは、冗談では済まない。もう、いい加減にして欲しい。

 カーライル中佐が一向にイリア・ゼクロスの詳細資料を渡さないので、やむをえずカティア経由で強く要請して貰った。その件については申し訳なく思うし、二つ返事で受けてくれたカティアには、感謝の念を禁じ得ない。問題は、得られた資料の中味だ。

「……洒落にもならん」

 思わず、端末を投げ捨てそうになる。元々レオンハートは顔立ちが鋭い方である。それが露骨に眉根を寄せて不機嫌そうにしているから、それなりの迫力が出てしまったに違いない。傍で見ていたトウヤが、恐る恐る尋ねてきた。

「どうしたよ?」

EVAスペシャリストが未取得だ」

 憮然を絵に描いたような表情で、レオンハートは端末を卓上に置いた。本当は投げ出したかったのだが、流石にそこまで幼稚な真似は出来ない。その端末を拾い上げて、画面を見たトウヤは、うへえ、と声を出すと、呆れ顔でレオンハートを見る。

「…これで、本当にパイロットやらせる気なのかよ? F計画のお歴々はさ」

「このまま外に出していい筈が無い。厄介だが、徹底的に鍛えてやるさ」

「……は?」

「鍛えるんだよ」

 レオンハートはそう言うと、端末を取り返して画面を切り替え、見事なタイピング速度で書類を作成し始める。トウヤはそれを見て、正直なところ「ようやるわ」としか思えなかったが、敢えて何も言わなかった。

 

 EVAスペシャリストとは、手短に言えば、宇宙空間で活動するために必要な資格だ。そんなものは持っていなくても、勝手に宇宙空間に出ている人間も居ることは居るが、職業として宇宙空間に出る場合は取得が義務付けられている。宇宙港の作業員や、コロニー公社のメンテナンス技師。そしてもちろん、軍人もだ。特にパイロットともなれば、日常的に宇宙空間に出ることになる。機体に搭乗した状態とはいえ、いつ何時、そこから放り出されるかも分からないし、例えば機体のテストやメンテナンスの都合で、カタパルト・デッキの上辺りに出ることも少なくない。

 と言うよりも、宇宙空間で活動する訓練も受けずに宇宙の軍人になるのは、地球上の出来事に例えて言うなら、犬かきしか出来ないくせに遠洋航海に出ていくようなものだ(この例えはレオンハートにしか分からないし、彼もまた遠洋航海の何たるかを具体的には知らないのだが)。

 だから、士官学校に入って最初の半年で、EVAスペシャリストの資格は取得させられる。宇宙空間での活動は、銃器の扱いと同じレベルで、軍人としての基礎技能なのだ。

 その基礎を、修めていない。F計画スタッフが何を考えているか、レオンハートには理解出来なかったし、推し量るのも嫌だった。そして、そんなことすら出来ないイリア・ゼクロスには一体何が出来るのか、考えるだにぞっとする。他に何が出来ないか、と数えるより、絶対に出来るものを数えた方が早いだろう。

 とにかく、早急にEVAの研修をした方がいい。スペシャリスト資格まで考えると時間がかかりすぎるから、とりあえず宇宙空間で、ある程度動けるように。無重力空間での行動にある程度慣れているなら、丸一日揉んでやれば、格好はつく筈だ。その他にも、教えなければいけないことが山ほどある。どうやらイリア・ゼクロスは脳波コントロール以外でモビルスーツを動かせないようなので、手動でも扱えるようにしなければ。それと拳銃の扱い方を。あの体格ではそれらしい教練はしていないだろうから、体力面も不安だ。中尉待遇と言うから、本当は士官の心構えも説いてやりたいが、どうしたものか。

 考えているうちに段々と、レオンハートは自分の職業が何だか分からなくなってきた。この艦には、モビルスーツを率いる小隊長として赴任したと思ったのだが、どうやら何かの勘違いだったようだ。

 言いたいことは山ほどあったが、無駄口を叩いても仕事は減らない。

 というわけで、レオンハートは黙々とデスクに向かい、差し当たっての訓練計画書を纏めると、可及的速やかに上官であるカティアに提出した。

「……これは、中々大したものだね」

 その計画書にざっと目を通すと、カティアはその紅い唇に、人の悪い笑みを浮かべた。

「で、これを私にどうしろと?」

「カーライル中佐に、申し入れて頂きたいのです。小官如きが相手では、無下に拒否されるのが目に見えておりますので」

「まあ、そうだろうね。君も上官使いが荒い男だ」

 と、カティアは口ではそんなことを言ったが、レオンハートはこれが、実はカティアの狙いであろうと思っている。本当は彼女も、F計画周りの情報が知りたいだろう。モビルスーツ隊全員の命を預かる立場としては、イリア・ゼクロスがどんな人間でどんな戦力かも把握したいに違いない。だが、ただでさえカーライル中佐との間には微妙な緊張関係があるのだから、そうそう要求ばかりもしていられない。そこで、間にレオンハートを挟むわけだ。無茶を言っているのは部下で、自分はただの、物わかりの良い上官。そういうポーズを取ることが出来る。レオンハートはカーライル中佐やサッシャ・ウィンターから睨まれることにはなるだろうが、知ったことではないし、交渉の矢面に立つのはあくまでカティアだ。それで、通らない筈の要求が通るなら、何の問題も無い。

 カティアは相変わらずの絶妙な笑顔で、レオンハートの仏頂面を見ている。

「それじゃ、この件については請け負うよ。他でもない、モビルスーツ隊の数少ない女性メンバーのことだからね」

 モビルスーツ隊のメンバーは、予備パイロットも含めて二十名。その中で女性は、隊長であるカティアと、イリア、他にもう一人、カディッハ少尉という新任のパイロットが居る。軍全体で見れば、女性の割合は三割を超えているが、やはりパイロットは男社会だ。

「というわけで、貸し借りは無し…だね?」

 そう言って立ち上がったカティアは、思わず誑かされそうな、嫣然とした笑みを浮かべていた。

 

 直接様子を見聞きしたわけではないのだが、カティアはやはりタフ・ネゴシエーターであるようだ。レオンハートが計画書を提出したその日のうちに、さっさとカーライル中佐にアポを取り、話を纏めてきてしまった。正直、そこまでスムーズに話が進むとは思っていなかったので、流石に面食らった。

「すっげー」

 半分は呼気で出来たような間の抜けた声で、トウヤが発した一言が、全体を総括した。

 一方のレオンハートは、驚きはしたものの、勿怪の幸いでもあると、手際良く準備を進めていった。本当は何処かのコロニーの研修施設でも使えればベストだが、贅沢も言っていられないので、最も艦外活動を多く行っている、砲雷科に話を通すことにした。その他にも、教練のスケジュールを細々と組んで、サッシャに突き付けた。

 無論、サッシャが目を剥くことは予測していた。何をさせてくれるのかと、酷い剣幕でつっかかってくるだろうと。

 だが、実際にサッシャが取った態度は、もっと静かで厄介なものだった。

「ザバッシュ中尉、私が申し上げたことを、覚えていて下さらなかったのですね」

 大きめのレンズの眼鏡の向こうで、黒い双眸が冷ややかに光った。

「イリアの主任インストラクターとして、このスケジュールに許可は出せません。私はあの子のメディカルチェック全般を任されていますから」

 つまりは、ここにも一応、権限を持つ抵抗勢力が存在していたわけだ。その点のみ、レオンハートは認識を新たにしたが、無論のこと、従う気は無い。

「おっしゃる意味が分からない。彼女の健康状態は良好ではないのか?」

「そう言う中尉こそ、何も分かっていらっしゃらないんです」

 サッシャは表情を揺るがせないままに、声のトーンをひとつ、低くする。

「先日の演習で、あの子に無理をさせた時の心拍数は、一分間に150を超えていたんですよ。サイコミュの起動は、身体にも重い負担を強いるんですから…その上に、こんなに体力を消耗するようなスケジュールを組まれては持ちません」

 落ち着き払って、この上なく明瞭。それだけに、強い拒否の意思を感じさせる。確かに、「母」だと言うなら、この言い分も有り得るのだろう。ただし、イリア・ゼクロスに、ここで生きる以外の未来があれば、だが。

「心拍数…モニタリングしているのか?」

 それは、些細な引っ掛かりだった。咄嗟にレオンハートは、その言葉を捉えて、問いかけていた。

「はい。あの子のバイタルの数字は、二十四時間体制でモニタリングしていますから、体温も心拍も脳波も、把握しています。だから、負担が重いと断言出来ます」

 サッシャにしてみれば、それは事実に即した、この上なく合理的な意見だったのだろう。だが、それがレオンハートの癇に障った。イリア・ゼクロスは健康な十七歳の少女ではないのか。それがまるで、重病人のように四六時中、生命活動の様子を見張られている。それを解析して何にしているか知らないが、F計画というもののグロテスクさを示す行為に思える。

「分かっていないのは貴女の方だ」

 サッシャより更にくっきりと、冷ややかに、レオンハートは切り返す。

「彼女は軍属なのだろう。ならば軍隊の中で生きる術を、ある程度身に付けるべきだ。まして、ここ以外で生きていくことなど出来ないのだからな」

 その一言に、サッシャはあからさまに怯んでいた。穏当な人間関係を築きたいなら、或いは軍人でない人間に多少の情けをかけるなら、この先は言うべきではない。だがレオンハートは、一切の容赦を捨てた。

「軍人に必要なのは、第一に作戦行動をこなすだけの体力、第二が規律だ。その次に、EVAなどの基礎的な技術。モビルスーツの操縦などは最後でいい。それなのに彼女は、何の基礎も無く、モビルスーツの操縦しか出来ないのだろう。しかも、手動操作は不可能だと? 職務を何だと心得ている」

 さながら、不心得から有り得ないミスを犯した部下を叱責するような調子である。言いながらレオンハートも、自分が八つ当たりをしているのだと気付いてしまった。言っていることに間違いは無いが、もうすこし言い方があるし、態度も選べる。だが、言いだしてしまったら、もう止まらない。止めたいと思っていない。

「トップダウンも特務も大いに結構だ。そちらの詳細に対してコメントは無いし、上層部の決定には従う。だがそちらも、作戦行動に関わる指示には従って欲しいものだな」

 そして――最後のひとつも、止めなかった。

「彼女にとって、作戦行動を無事に終えるということは、重要機密と、自分の命を母艦に持ち帰るということだ。そのために必要な技能を身に付けさせろと言っている。オートでしか着艦出来ないと言うのでは、機体に損傷が生じて、手動で着艦せざるを得ない時にどうしろと言う。EVAもそうだ。戦闘中に外に放り出される危険性が無いとは言えないし、緊急的にカタパルト上で外に出ることもある。無重力に慣れているとは言っても、周囲を壁に囲まれていない、命綱も無い場所で行動するのはわけが違う」

 静かに言えば言うほど、ドスが利いて相手を恐怖させる喋り方というものがある。この時レオンハートが使ったのは、まさしくそれ、そのものであった。

「そんなに彼女が大事なら、生きて帰れるパイロットに育ててやれ」

 ただ、最後の最後で、その口調は酷く柔らかなものに変わった。言い過ぎた自覚がさせたわけではない。ただ、レオンハート自身もイリア・ゼクロスのことは、生きて帰らせてやらなければと思っている。そのことだけは、伝えなければと思ったのだ。前置きにこれだけ手厳しいことを言い、完全に威圧しておいて、滑稽な話ではあるが。

 サッシャは完全に沈黙してしまい、レオンハートも苛立ちに任せて言い過ぎた己の態度を恥じて、言葉が継げなくなった。更に言えば、二人の間で必要な会話は、恐らく終わっていた。それなのに、あまりにも気まずくなってしまった空気が二人の足元にわだかまって、動きを止めてしまった。

 その重苦しい空間から抜け出せず、危うく立ち尽くしかけた二人を救ったのは、意外なことにイリアだった。

「どうしたの?」

 透明な水晶がぶつかり合って生まれるような、細く、澄んだ声。それと同時に、やはり無機質で、抑揚に乏しい声。それに呼ばれて振り向けば、またあの、翡翠色の瞳がこちらを見ている。

 眼差しの強い少女だ、と改めてレオハートは思う。もうすこし感情が出るのであれば、あるいは不躾に感じるかもしれない。全体の、いかんともし難い人形めいた印象が、不必要なほど真っ直ぐな視線を、結果的に和らげている。

 だが、そんなことはこの際関係無い。どうもこの艦に来てから雑念が増えたようだ。レオンハートは余計な考えを振り払い、手にしている端末を示す。

「イリア・ゼクロス。お前には、パイロットとして前線に出るにあたって、不足している技能が色々とある。訓練計画はこの通りだから、目を通しておけ。開始は明日の0900時からだ」

「わかりました」

 モビルスーツを起動する時、そうでなくてもAI機能がある何らかの機械にコマンドを入力する時、まさしく機械的に表示される「イエス」のメッセージがある。それをただ音声化したら、こういう返答になるのだろう。その外見を些かも裏切らない、何を考えた形跡も無い即答だ。命令に疑義を挟まず、丸呑みして実行する。兵隊としては、ある意味では良く出来ているのかもしれない。湧き上がって尽きない違和感は、全部私情だから、この際どうでもいい。

「まずはEVAだ。砲雷科に話を通してあるから、明日は艦外作業をやって貰う。それが済んだら、モビルスーツの手動操縦だ。そう難しいことまで覚えなくていい。ただ、着艦と発艦のシークエンスだけは覚えろ。それ以降も、座学も含めて色々とあるぞ」

 そうは言いながら、説明を続けてしまったのは、多少揺さぶれば何かリアクションがあるのではないかと思ったからだ。

「質問は?」

「ありません」

 再びの即答で、イリアは答える。

「パイロットとして必要なことなら、覚えなければいけないから」

 そうだ。まったくその通りだ。完璧だ。命じられたことにつべこべ言うな。上官から言われたことに、イエス以外を返してはいけない。それが軍隊だ――それなのに何故、こうもすっきりしないのだろう。

 結局レオンハートは、それ以上何を言うことも出来なくなって、場を辞した。当の本人であるイリアが「わかった」と言ってしまったことで、サッシャがそれ以上何も言えなくなったことだけが救いだった。

つぎへ

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