嵐、再び

 

 カタパルトデッキに、一種異様な高揚感が漂っている。本当に行ってもいいのか。誰もが言外にそう呟きながら、決して動くことをやめようとしない。彼らの意識は今、ただひとつの戦場、或いは小惑星へと向いていた。アクシズ――地球へと降下を続ける巨大な岩の塊は、そんな名を負っていた。ある程度以上の年齢の者ならば、それが0087のグリプス戦役以来、幾つとも知れぬ魂を吸った呪い星であることを知っている。そして今、ネオ・ジオン総帥シャア・アズナブルによってそれが地球へ落とされようとしていることは、恐らく全人類が知るところだろう。

 地球連邦軍大尉コウ・ウラキは、愛機のコクピットからそんな様子を窺いつつ、機体の最終調整を行っていた。今、アクシズは落下阻止限界点の辺りにある筈だ。そしてそこでネオ・ジオンと地球連邦軍の独立部隊ロンド・ベルが交戦中だと聞いている。ウラキの所属する艦隊には、出撃命令は出ていない。しかし、何故かそこに行かねばならない気がして仕方なかった。そしてどうやら、居ても立ってもいられないのはウラキ一人ではないらしい。部下たちと艦長に直談判しに行って、そのことはよくわかった。とりあえず出撃許可は出た。後々処分されないという保証は無いが、それでもここでじっとしているよりは遥かにましだ。

 処分されたところで、どうせ俺は前科持ちだからな――自嘲気味に、ウラキは呟いた。前科、隕石、阻止限界点――それらの言葉はウラキに、忘れ得ないある記憶を呼び覚まさせる。あれは十年前。士官学校を卒業して一年目、オーストラリアのトリントン基地でテストパイロットをしていた時だった。事の発端は、アナハイム・エレクトロニクス社が製作した二機の新型MS、ガンダム試作二号機の強奪事件だ。咄嗟に試作一号機でそれを追ったウラキだったが、結局取り逃がし、二号機を追ってオーストラリアからアフリカ、宇宙へと転戦した。

 強奪したのは、旧ジオンの残党からなる秘密結社デラーズ・フリートの士官アナベル・ガトー。最初の対峙で未熟者と断言されて以来、ウラキは彼を追いつづけた。悔しくて、憎くて、勝ちたくて、必死に走りつづけた。その中で様々な人物に出会い、時として未熟を恥じ、自暴自棄を起こしながらも、最後に気付いたのはいつも、パイロットとしての自己だった。ガトーを追った中には、或いはそんな気持ちも混じっていたのかもしれない。自分より優れたパイロット、そして自分より確固とした信念に生きる男への、憧れが。

 憧れていたのは何も、ガトー一人ではない。事件の最中に戦死した最初の上官サウス・バニング。月のフォン・ブラウンで出会った元ジオン兵のケリィ・レズナー。彼らもそうだ。バニングとは師弟関係でもあったから、人間として教わることも多かった。そしてケリィ…片腕を失いながら、穏やかな日々に安住できずに、一人密かにMAを造って戦場に還る日を夢見ていた男だ。そうとは知らずに出会い、一度は正体を知って逃げ出し、それでも強く彼に惹かれて、舞い戻ってしまった。二人でMAの最後の仕上げをした一夜を、ウラキは今でも思い出す。パイロット――そのことを強く意識した、それが最初だったろうか。翌日MAヴァル・ヴァロとケリィを倒した時、確かに何かを超えた感触を得た。

 しかし結局ウラキはデラーズ・フリートの思惑を何一つ阻止できなかった。ガトーの二号機とは相打ちにまで持ち込んだが、その時既に、連邦の艦隊は二号機の核弾頭で壊滅させられた後だった。新たな愛機、ガンダム試作三号機を駆り、命を削ってまで阻止しようとしたコロニー落とし――星の屑作戦も、彼の見ている前で成就してしまった。ガトーとの決着も、とうとう着かず終いだった。挙句、デラーズ・フリートの決起は当時台頭しつつあったティターンズによって利用され、歴史から抹消されて、当事者であるウラキは無実の罪で投獄された。そんな嵐のような日々が、一気にウラキの脳裏を駆け巡る。

 「大尉、準備完了しました」

整備兵の声が、意識を現実に引き戻した。細かいことを尋ねると、なじみの整備兵は苦笑して言った。

「相変わらず、お詳しい。大丈夫ですよ、ちゃんとしてあります。大尉の奥さんに叱られたくありませんからね」

「それもそうだな」

苦笑を返して、機体をカタパルトに出した。

 デラーズ・フリートの一件以来、正直なところウラキは連邦軍を信用していない。むしろ嫌気が差していると言ったほうが正しいかもしれない。しかし、彼はパイロットだった。紛れも無く、生粋の。MSを降りて居る場所など無い。だからこそ、軍に残った。

 カタパルトの向こうに、無限の宇宙が広がる。地球すれすれの位置に、咲いては一瞬に消える無数の華が見えた。目標は、あそこだ。落ちようとしているのは小惑星であってコロニーではないし、今乗っているこの機体はガンダムではない。けれどウラキの目には、戦場の光の中に、たくさんの姿が見えた。サウス・バニング、ケリィ・レズナー、そしてアナベル・ガトー。今度こそ、やらせない。そう、心に念じる。苦しみながら積み重ねてきたこの十年に懸けて、負けられない。激情にまかせて戦っていたあの頃とは違う。

 ガトーを正面から見たのは、最後の最後、コロニーが阻止限界点を超えた後の、一騎討ちの時だけだ。それさえも途中で断ち切られた。今、あの時と同じ所に立っている。根拠は無いが、何の疑いも無く、ウラキは信じた。あの光の中――アナベル・ガトー、お前に、会いに行く。そしてあの日の決着を。負けはしない。決して。そしてウラキは、大きくスロットルレバーを引いた。

「コウ・ウラキ、行きます!」

急速に狭まる視界の中に、ウラキはただ、アクシズに点滅する光の中の、憧れの影を見ていた。

 

 

遠い記憶

 

 サイド6はその日も平和だった。こんなことでいいのかどうかはともかく、ここには、アクシズもネオ・ジオンも無関係だ。ある一人の青年を除いては。

 アルフレッド・イズルハ、通称アルは、森林公園に来ていた。そこには、十四年も前にスクラップになり、今では落書きだらけになったある「もの」が、片付けられもせずに放置されている。

モスグリーンの塗装も随分剥げてしまったそれは、旧ジオン軍のMS、ザク改だった。

「戦争は中々終わらないよ、バーニィ」

年に似合わぬ、幼いといってもよい口調で、アルはザクに話し掛けた。彼はこのMSのパイロットを知っている。ジオン軍伍長バーナード・ワイズマン。彼の人生を、大きく変えた人物だ。

 バーナード…バーニィは、このコロニーで開発されていた連邦の新型MSを破壊すべく送られてきた、ジオンの工作員だった。と言っても下っ端だったが。連邦の新型ガンダムを破壊できなかった場合には、核ミサイルがコロニーを直撃する予定になっていた。このザクには、それを阻止しようとしたバーニィとアルの、誰も知らないポケットの中の戦争が刻まれている。

 あの時、バーニィが幾つだったか、アルには知るすべも無い。今の彼よりは、少し若かっただろうか。けれど今でもここに来ると、アルの目線は十一歳のあの日の高さに戻り、真っ直ぐにバーニィを見上げる。

 喪われる命の儚さと尊さを教えてくれたのは、バーニィだった。恨みを残さず前向きに生きることも。みんながこのことをわかってくれたら、きっと戦争なんか起こらないのに――そんな理想論は、流石に中学に上がる頃には棄てた。大人の世界の仕組みがそう簡単には出来ていないことも、スペースノイドとアースノイドの確執も、漠然と見えてきた。何よりバーニィが教えてくれたことは、きっと前線で命を張って、生死を見つめる兵士たちが、一番よく知っているのだから。

 けれど諦めきれないこと。戦争の向こうには、たくさんのバーニィが、たくさんの幼い自分が、そしてたくさんのクリスチーナ・マッケンジー、そうとは知らずにバーニィを殺してしまった、優しい連邦兵が居る。

 無駄に喪われた、バーニィの命の重さと美しさ。自分が流した涙の痕の、ひりひりするような痛み。何も知らないが故の、クリスの幸福と悲惨。そのすべてを、アルはつぶさに見てきた。見えない筈の、このサイド6の、閉ざされた世界の中で。

 生きることは楽しいことだと疑いもせず、コロニーの作り物の青空でさえ眩しかったあの日を、アルは懐かしく思い出す。大人になり、見えるものが増えて、そのぶん生きる寂しさのようなものも覚えた。けれどアルは忘れない。バーニィと過ごした、短かったけれど満たされていた、幸せだった日々のことを。その記憶こそが、彼に教えてくれる。「人と人はわかりあえる」――そんな、理想論のようなことを。わかりあえないまでも、わかりあいたいと、願うことは出来る。連邦とジオン、中立地帯の民間人、そういった枠組みを外したところでは、バーニィも、クリスもアルも、一人の人間としてわかりあえていたのだから。決してわかりあえない部分も抱えつつ、わかりあえる部分をも育める、それが人間なのだと、アルは思う。

 物思いの淵から顔を上げ、再び見たザク改の、二度と光が灯ることの無いモノアイに、バーニィの面影が重なる。

「また来るよ」

姿勢をただし、一礼して、アルは踵を返した。儀式を済ませたら、現実の世界に、しなければならないことが山積みされている。ゆっくりしている時間は無いのだ。

 赤信号に足を止め、ふと見上げた空は、その向こうに戦場を隠しつつ、あの日と同じ抜けるような青さで、平和な町並みを包み込んでいた――

 

 

アースライト

 

 目覚めたのは、夜半過ぎだった。誰かに呼ばれたような気がして、眠い目を凝らし、ベッドの上に上半身を起こす。綺麗な蒼の瞳が、真っ直ぐにこちらを見ていた。

「フォウ――」

その姿を、見間違える筈も無い。微妙にクセのあるショートカットの髪、ふわりとしたシルエットの洋服の下の細い体、可憐な笑みを浮かべる、すこし青白い顔。そのどれもが、六年前のままだ。

「また逢えたね、カミーユ」

「フォウ、どうしてここへ?」

隣室のファ・ユイリィを起こさないように声を潜めながら、カミーユは問い掛けた。

「見てほしいものが、あるの」

少し悪戯っぽい表情の向こう側には、カミーユが見たことの無い、強い意志の閃きが見える。

「わかった、だけど、そうすればいい?今の俺では一緒にはいけない」

最もな問いかけである。フォウは魂だけの姿だが、カミーユには生身の体がある。

 ほんのすこしだけ考えた末に、フォウはカミーユの手を取った。

「大丈夫。行こうよ、カミーユ」

深く惹きつけるような色合いの瞳に見つめられると、抗する術が無い。そのことも、六年前とまったく同じだ。

 一瞬、とてつもなく巨大な開放感が、カミーユの全身を貫いた。驚いて伏せた瞼を開けると、無窮の闇の中に浮かぶ、青い水の惑星が見えた。かつては見慣れていたその光景だが、今見ると、懐かしいと同時に新鮮でもある。そして辺りを見回すと、地球の姿以上に懐かしい、たくさんの姿があった。エマ、カツ、レコア、サラ、そしてロザミア。カミーユが想いを交わし、今は地上に居ない、大切な人たちだ。でも何故、と問いかけようとした瞬間、また新たな姿が現れる。ジュドーと、プルと、プルツー。カミーユが自分の想いを口に出来なかった日々に出会った子供たちだ。

「フォウ、カミーユ連れてきてくれたんだね。ジュドーも来たよ!」

「わざわざ偉いわ、プル」

「違うよ、ここへ来られたジュドーが偉いんだよ」

甲高い声ではしゃぐプルと、それをほほえましく見ているエマ。プルツーがそこに加わって、賑やかさが増してゆく。呆気に取られてきょろきょろするカミーユに、フォウが微笑みかけた。

「呼んでいるわ。わかるよね?」

 感覚を研ぎ澄ますと、確かに何かが聞こえる。叫びのようなもの。心に突き刺さる一途な思い。

「クワトロ大尉…アムロ大尉――」

かつてそう呼んでいた男たちが今どこで何をしているかは、一応知ってはいる。上手く説明出来はしないが、理由もわかる気がした。ぶつかり合う彼らの想いと、もうひとつ。これは何か暖かいものだ。フォウやファ、エマ、それに母のヒルダも持っていたもの。なんだろう。

 「来るよ!!」

プルとプルツーの、歓喜の叫び。慌てて二人が指差す方向を見る……そしてカミーユは、緑色をした光の気流の中に居た。まるで母の胎内のような、暖かい場所、優しいものの中に。流れた涙もまた、温かだった。

 その涙を、近づいてきたロザミアが拭う。

「大丈夫、カミーユ、悲しくないよ」

何も言えないまま、カミーユは何度も頷いた。滲む光の中で、プルとプルツーが飛び回り、ジュドーがそれを追いかけている。それを見守るエマとレコアの笑顔。あまりにも幸せなその光景が、また涙を誘った。

 ジュドーとカミーユを除いた皆がまだ生身の体に留まっていた頃、こんな笑顔は浮かべられなかった。フォウやロザミア、プルとプルツーの笑顔はゆがめられ、カツとサラの笑顔は憤りや矛盾に曇らされ、エマやレコアはいつも強張った顔をしていた。何故人は、ここに辿り着くまでに、あれほどの血を流さなければならなかったのか。言葉を取り戻したその日からずっと考えつづけていたことを、具象化するような光景だった。

 そんなカミーユの内心を察したのだろうか、背中からふわりと、フォウに抱きしめられた。

「でもね、カミーユ、私は幸せよ。今、とても幸せなの」

気配を察したのか、みんながそこに集まってくる。

「悲しむことはないわ。だって、貴方はまだ生きているでしょう?」

きっぱりとした口調で、エマが言った。

「貴方は生きて幸せになれるのよ、カミーユ」

そうじゃなくて、と言い募ろうとしたところへ、今度はカツが口を開く。

「今から思えば『なんでもうちょっと早く』って言えるかもしれないけど、そういきなりは変われないよ。僕たちより前に、もっと別の人生を送った人がいて、僕たちがいて、この先に、もっと何か別の人生を送る人が居る。そうじゃないのか?」

「貴方やジュドーが、まずはそうしてくれるんじゃないの?いきなりは無理でも、人は変わってゆくものなんでしょ?」

カツもレコアも、さっぱりした口調で言い放った。それに比してサラは、まだ幾分言い澱んだ感はあるが、迷った形跡は無い。

「私たちだって、変わることが出来たもの。きっと変われる。きっかけさえあれば。私たちは、それを探すのが下手だったけど」

 すべての言葉を心に納めて、カミーユはジュドーを見た。彼にもう一度言葉を与えてくれた、バイタリティ溢れる少年。今は地球圏さえ飛び出してしまった少年を。

「俺、難しいことはわかんないけどさ、でもあんたは、プルたちの世界にずっと居ることだって出来た。でも戻ってきたじゃないか」

「それでね、またこっちへも来られたんだよね!」

「カミーユもジュドーも、偉い!」

ジュドーの言葉。プルとプルツーの言葉。それらが一気に、胸の中の言葉を心に入れてくれた。そうだ。自分は、何か理由があって、この暖かい場所からあの世界へ帰っていったのだった。だがそれは、決してこの暖かさに別れを告げるためではない。むしろこの暖かさを護り、伝えて、より強く感じているために――きっと、そうだ。

 涙を拭い、顔を上げて、カミーユはもう一度、光の中の地球を見た。アースライトの青、この光の緑、ふたつが混ざり合って、何ともいえない優しさを創り上げている。胸にまわされたフォウの手をほどいて、もう一度取り直した。

「人は、変わってゆく、か――」

「そうだよ、カミーユ、貴方が私を変えてくれたように……貴方自身が、変わってきたように」

見つめ返した双眸の中にも、光が灯ってちらついている。今、地球を包んでいる光。おそらく地球上のほとんどの人が目にしている光。月や宇宙の多くの人も、やはり目にしているであろう光。アムロとシャアの、これが結論なのだろう。

「そうですよね。クワトロ大尉、アムロ大尉、ララァ――」

光の中に、彼らを感じた。きっとまた会える。フォウたちにだって会えたのだから。

 人が変わってゆくことは、無論容易なことはでない。しかし決して不可能でもない。焦らないこと。絶望せず、前を見ながら待つこと、動くこと。自分やジュドーや、生き残り、何かを掴んだものの、それが義務なのだろう。光に包まれた地球を見つめながら、カミーユはそう、心に念じた。

 

 

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