見渡す限りの広い広い花畑を、穏やかな薄暮の光が照らしている。暖かなオレンジ色の光と、すこし曖昧な淡い影。その狭間に彼は立って、人を待っていた。

 さくり、と微かな足音がして、振り返ると、そこには思い出の中と変わらぬ彼が立っている。褐色の長い髪を項でひとつに束ねて、左右で色の違う瞳に穏やかな笑みを浮かべている。灰色の右目と、琥珀色の左目。

「久し振りだね、沙慈君」

 その声もまた、変わらぬ響きだ。変わらなさすぎる、と言ってもいい。何しろあれから五十年は経っている。

「そういうアレルヤさんは、お変わり無いですね」

「まあ――イノベイターだからね」

 客人ことアレルヤ・ハプティズムは、照れたように笑った。イノベイターの寿命は長い。理論的にはそうでない人間の倍とも言い、若い時間が長いようだ。因みに「ようだ」というのは、純粋種のイノベイターが確認されてから未だ五十年であり、彼らが天寿を全うするに至っていないからだ。結論は、それこそアレルヤや、彼、沙慈・クロスロードの生涯を総括しなければわからないだろう。最も沙慈は、アレルヤより十数年遅れて「変革」を遂げたのだけれど。

 何から話そうかと言葉を探していると、アレルヤが半身を翻して、手招きをする。

「こっちだよ」

 そういえばそうだった、と沙慈は得心する。アレルヤには、側を離れないと誓い合った相手が居たのだから。マリー・パーファシー、それとも今はハプティズムを名乗っているのだろうか。白銀の髪をひとつに纏めて、琥珀色の瞳に優しい笑みを浮かべている。これはこれで、あの日と変わらぬ光景で――でも今、彼女はしなやかな上半身を軽く屈めて、両手の先に一人ずつ、小さな子供を連れている。小学校に上がるくらいの女の子と、三歳くらいの男の子。

「お子さんですか……?アレルヤさんと、マリーさんの」

 軽く呆気に取られながら、沙慈が問いかけると、アレルヤは照れたように微笑んで、頷いた。

「不思議だよね。今更何をって言われるかもしれないけれど、こういうことは、考えてもみなかったんだ。僕たちは、戦争をするために造られた超兵で…正直、そういう資格があるとか無いとか言う以前に、そういう機能が無いものだと思っていたから。実際に、随分長い間、二人だけだったから、疑いもしなかったよ。それが、ある日突然、降って湧いたように、さ」

 恐らくアレルヤは、そこまでで「言い過ぎた」と思ったようだ。軽く目線を伏せて、口を噤む。けれども沙慈は、そんな気遣いは不要だと、かぶりを振る。

「いいじゃないですか。すごく……いいですよ」

 彼とルイスの間には、ついぞそんなことは望めなかったけれど、それで他人を妬もうなどと、思える筈が無い。

「ルイスは……あれで良かったんです。あの後の時代の混乱を、何も知らずに逝きましたから。あれ以上何も、怖い思いをしなくても済んだんですから」

 あの日から長い時を経て、それが今の、沙慈の偽らざる本音だ。

 彼の最愛の人、ルイス・ハレヴィは、ELSの襲来からちょうど十年後に、眠るように息を引き取った。GN粒子による細胞代謝異常は癒え、消えないPTSDともどうにか折り合いをつけることには成功した。だが結局、リボンズ・アルマークによって投与された、人体改造のためのナノマシンが命取りになった。どうしても体から取り出せないそれらが、ルイスの体を喰い荒らし、十年かけて弱らせていったのだ。

 何でとは、今更言うことは出来なかった。憎しみに盲目になった彼女は、自ら望んで戦いに身を投じ、その結果として、選ばれてはならないものに選ばれてしまったのだから。

 それでも彼女は、十年という、長いとも短いとも言える時間を、一生懸命に生きた。何度思い出してもそれは、二人にとって幸せな時間だったと、沙慈は思う。それで良かったのだ、と。

「独りになって、それで、泣いて、泣いて、色々思うとこともあって、宇宙に上がったんです。それでしばらく仕事をしていたら、それこそ降って湧いたように、イノベイターになっていたんですよ」

 沙慈が纏う空気は、とても静かだ。まるで今、この花畑を覆う夕暮れのように。

「そして、その後戦争があった」

 世界情勢が急速に不安定化していったのは、ルイスの死の数年後からだった。連邦政府の三代目大統領は、恐らく、ELSの襲来を乗り切り、世界的な人望を集めた二代目に、強烈なコンプレックスを感じていたのだろう。彼女の推し進めた宥和政策を転換し、強硬路線に転ずる。その結果として、各地で反連邦の機運が高まり、紛争に発展し、ほんの数年で、世界は暗雲に包まれた。

「あれが、ソレスタルビーイング最後の戦いだったんだ。僕とマリーもそこに居たし、カタロンに居たクラウスさんとシーリンさん、彼らの子供が、新しいガンダムマイスターになった。何とか、大戦になるのは止めることが出来たけど、スメラギさんがそこで亡くなったのは、知ってるよね?」

 あの戦いを最後に、ソレスタルビーイングが活動を止めたのには、数えきれないほど理由がある。歴史的な役割を終えたとも言えるし、資金的な問題も大きかった。残された二基の太陽炉を失いもした。けれど、やはり何よりも大きかったのは、中心メンバーであり、実戦指揮官だったスメラギ・李・ノリエガの戦死だ。残されたメンバーの誰も、彼女の穴を埋めることが出来なかった。

「僕は、宇宙からニュースを見ていただけでしたけど、でも、何ていうか…身を挺して戦いを止めた、って感じでしたよね。あの……あの時、他の皆さんは…」

 それを訊くのは恐ろしかった。けれども沙慈は、問わずにはいられなかった。遠い思い出の中の人々の、安否あるいは、死亡確定情報を。

「…うん、ラッセが一緒に……本当はみんな、残るって言って聞かなかったらしいんだけど、スメラギさんが強制的に退艦させたって。イアンなんか、リンダさんとミレイナが、二人して引きずっていったらしいよ」

 恐らく一生消しえないであろう苦味とともに、アレルヤはそう言った。敢えてヴァスティ一家の名前を出したのは、沙慈を気遣ってくれてのことだろう。イアンは同じ技術屋同士、沙慈を可愛がっていたから。

「そうですか、ラッセさんも……他の皆さんとは、連絡はされてるんですか?」

「うん、定期的ってわけじゃないけど、気が付いた時に。イアンはもう、亡くなって随分になるんだけど、リンダさんは元気だし、ミレイナはイノベイターになって、宇宙で働いてるよ。フェルトは、何年か前にお祖母ちゃんになったって言っていたかな。ロックオンとは、一番よく連絡を取っていたんだけど、三か月前に、病気で…きっと今頃、天国で、アニューさんやご家族と一緒に……」

 人類の総人口の四割がイノベイターになったとも言われるが、その大半は、戦後生まれの新しい世代だ。彼らの年代で「変革」を遂げたものは少なく、それ故に多くを見送ることになる。アレルヤの言葉には、そんな遣る瀬無さが滲んでいる。

「そういうアレルヤさんは、ずっと何をされてたんですか?」

「僕とマリーは、色々とあって、戦災孤児のための施設で働くことになって、ずっとその仕事をしていたんだ。それで、ロックオンが何かと援助をしてくれたんだよ。彼は実業家で、けっこう裕福だったから。ええと、その、表向きは、だけど」

 どうやらそれで、「一番よく連絡を取っていた」理由が分かった。沙慈自身は、ロックオン・ストラトスとは数えるほどしか喋ったことは無いものの、何処となく荒んだ雰囲気だった彼が、アレルヤとまめに連絡を取るというイメージが湧き辛くて、違和感があったのだ。そして、最後に言葉を濁したのは、「表沙汰には出来ないようなことも色々と、過去の人脈を使ってやっていました」ということだろう。それもまた、立ち回りの器用そうだった彼らしいと言うべきか。

 ともかくも、ソレスタルビーイングの幕が下りて三十年、人類はどうにか、紛争というものと縁を切って歴史を重ねてこられた。あの日以来、生まれてくる子供のほぼすべてが、十歳くらいまでには「変革」の時を迎えてイノベイターとなり、今やその総数は四十億に迫ろうとしている。

 それ故に――人類は、その在り方自体を、変える必要性に迫られている。

 イノベイターの寿命は長い。それは直接的に人口の増加を意味する。直接的に、生産人口も増える。地球だけでは賄いきれず、収まりもしないそれらを、人類は宇宙に求めた。既にスペースコロニーが実用化され、移民も開始されて久しい。百億の人口のうち、三割強が宇宙生活者だ。

 そして、一ヶ月後には、人類初の外宇宙航行艦が、まだ見ぬ彼方を目指して旅立ってゆく。その船の名は<スメラギ>。この時代の礎となった先人に敬意を表して――

「沙慈君は、行くんだね」

「はい。<スメラギ>の整備士になりました」

 宇宙――人類の、夢。続いてゆく長い時間を、沙慈はその中で生きてゆく。

「あの、それで、このちょっと向こうに、ルイスのお墓があるんです。この辺り一帯が、ハレヴィ家の代々の土地らしくって。今は、出航前の最後の休暇で地球に降りて来ているんですけど、僕はもうすぐ来られなくなりますから…それで、アレルヤさんさえ良かったら、年に一回でいいから、ここに来ていただけないかなと思って」

「喜んで引き受けるよ」

 アレルヤは微笑む。彼は地上に残り、すべてを見守って、待ち続ける。

「その代わり、宇宙の何処かで刹那に会ったら、伝えてくれないかな。僕はまだしばらく待っているから、必ず還って来いって」

 <ダブルオークアンタ>のガンダムマイスター、刹那・F・セイエイは、今から五十年前、ELSとともに宇宙の彼方に消えて行った。沙慈はそのことを知っていたわけではない。ただ、あの時宇宙に居た者の一人として、その瞬間に「何か」があったことを悟り、先ほどの会話の中でアレルヤが「その名」を口にしなかったことから、漠然と察したに過ぎない。説明を求めることは出来た。が、そんな必要は無いと思った。

「そうですね、もし、出会えたら。でも、きっと還ってきますよ。彼の還ってくる場所は、地球(ここ)しか無いんですから」

 夕風が吹き、花びらが舞い散る。初めは薄っすらとしていた夕暮れの色は、いつの間にか濃くなり、空は鮮やかな茜色に染まっている。

 ぱたぱたという、小さな足音に振り返ると、そこには幼い二人の子供が、手製の花輪を持っていた。二人とも、褐色の髪に琥珀色の瞳をしている。

「はいこれー」

「どうぞー」

 二人は口々にそう言って、父親を差し置き、沙慈に花輪を手渡す。

「上の子がポリーナで、下の子がセリョージャ。セリョージャっていうのは、セルゲイという名前の変形なんだそうだ。それで、セルゲイ・スミルノフ大佐に因んで、ね」

 貰った花輪を頭に被って見せる沙慈に、膝を折って子供たちを迎え入れながら、アレルヤが教えてくれた。追い付いてきたマリーは、軽く会釈をすると、あとはただ静かに微笑んで、アレルヤと子供たちを見つめている。

 ずっと繋げられてきた過去があり、ここからすべてが始まる現在があって、未来はまだ無限に広がる。アレルヤはこの場所で、すべてを記憶し続ける。最初のイノベイターの一人として。時代の生き証人として。

「行ってきます、アレルヤさん、マリーさん。地球(ここ)を…どうぞ、宜しく」

 そんな沙慈の言葉に、二人は静かに頷いてくれた。

inserted by FC2 system