アレルヤ・ハプティズムから「沙慈君に会ったよ」と言われた時、それが誰のことだか、しばらくの間分からなかった。それを言うと寂しくなるから、彼には言わないけれど。

 携帯端末に映し出された戦友の顔は、五十年前から殆ど変らない。それに比べて自分は、随分お婆ちゃんになったなと、フェルト・グレイスは苦笑する。それはそうだろう。今度、孫が小学校に上がる。記憶力だって、衰えようと言うものだ。

 それにしても、たった三ヶ月空いただけで、ソレスタルビーイングの仲間と連絡が繋がるなんて、随分珍しい。アレルヤともマリーとも、三か月前に、ライル・ディランディの葬儀で会ったばかりだ。お互いに地球の上に居るのだから、会おうと思えばそれこそ明日明後日にでも会えるのに。

 彼らと疎遠にしている、というわけではない。ミレイナからは年に一度は電話があるが、その度に、リンダも含めて長話になるし、それを楽しみにもしている。数年おきになることもあるが、アレルヤとも、生前のライルやイアンとも、連絡が切れたことは無い。彼女にとっては最も親しい、大切な人たちだ。

 ただ――同時に思う。何だか自分は、独りだけ置いていかれたような気がする、と。

 或いは、誰もが彼女を置いていった、とも言える。

 最初に置いていったのは、両親だ。まだ幼かったフェルトを遺して、何らかの理由で逝ってしまった。今ならば、調べればわかるのかもしれないが、この期に及んで何を知ろうと言うのだろう。ともかくフェルトは、今もって、どうして彼らが居なくなったのかを知らない。

 次は、初恋の人だった、ニール・ディランディ。ただ黙って見ているだけの、憧れだった。あの頃、フェルトは十四歳で、ニールは何歳だったのか知らないが、恐らく十歳前後は離れていただろう。もし、彼が生きていたとして、その後彼とどうにかなっていたのかも、と思えないのは、まだ子供だった自分と、既に大人だった彼の間に、どうしようもない隔たりを感じるせいかもしれない。ただ、優しくして貰った。彼のことが好きだった、という、綺麗なばかりの思い出だ。

 その次は、クリスとリヒティ。トレミーのブリッジで一緒に仕事をした、兄姉とも言える二人。狭い組織の中で生まれて育ち、世事に疎かった彼女に、何かと気を使い、面倒を見てくれた。クリスが居たから、自分はどうにか、女性として一人前になれたと思う。それでも、クリスに比べればお粗末なものだ、という思いもあるし、もし彼女が見ていたら、駄目出しをされるかな、と思うことも多いけれど。

 一緒に居た時間は短かったけれど、アニュー・リターナーのことも見送った。彼女とライルの関係は、年相応に羨ましくも思っていたから、心が痛んだし、その後のライルの慟哭といったら、聞けたものではなかった。

 そして、恐らく意味は違うけれど――違うと、今でも固く信じているけれど――刹那・F・セイエイを送り出した。トレミーの仲間はみんな家族だと思っていたけれど、それとは違う存在になっていた。心の中に思い浮かべるだけで、心が暖かくなる人。それはニール・ディランディと同じだ。けれど、決定的に違ったことがある。

 ニールのことは、ただ想っていれば良かった。近づきたい、構って欲しいと思ったこともあるけれど、ただ彼の笑顔を、柔らかい声を思い浮かべて、ふつふつと湧きあがる暖かさに心を委ねる、それだけで幸せだった。

 刹那は、人生で初めて、この人のために何かしたい、と思った相手だ。

 何が出来たのか、それは今でも分からないし、何をする力があったという自信も無い。

 ただ、刹那が消えてしまった後、トレミーの彼の私室で、かつて自分が贈った花を見つけた時は、涙が溢れて止まらなくなった。

 結局、想いは告げず終い。今にして思えば、刹那・F・セイエイという男は、自分が幸せになるために人を愛そう、愛されて幸せになろうという考えを持っていなかったのだ。マリナ・イスマイールと響き合ったのは、恐らくその線なのだろう。

 ともかくも、彼は人類を救って、いずこかへ消えた。

 そんな彼の、何者でも無かったけれど、フェルトはとにかく、十年待った。そして十年目に、子供たちの父親になる男と出逢った。「フェルトさん」と彼女のことを呼んだ。はにかんだように、よく笑う人だった。

「あ、でも、フェルトさん、待ってる人が、居るんだよね?ゴメンね」

 喋りすぎた、と思う度に、そんなことを言って頭を掻いていた。ニールとも違う、刹那とも違う、けれども、一緒に居てほっと一息つけるような人だと思った。

 その人と、一緒に生きることにした。

 何年かして、再び世界に混乱と紛争が巻き起こった時、フェルトは初めて「自分は行かない」と決めた。まだ幼い子供たちを抱えていたから、そして、子供たちの父親が行くことになったから、だ。親の立場になって初めて、自分を置いて逝かざるを得なかった、両親の無念を思った。そして、二人が一緒に居なくなることを考えた。迷わなかったわけではない。けれど、行かないという選択肢しか、そこには無かった。

 連絡をくれたスメラギ・李・ノリエガは、それがいいわと言ってくれた。心配しないで、こっちの方は任せて、と。

 それが、彼女との最後の会話になってしまった。

 帰ってきたのは、ヴァスティ一家、アレルヤ、ライル。帰ってこなかったのは、スメラギとラッセ、そして夫。それが、彼女にとっての、平和の代償だった。

 自分が行っていれば、とは考えない。新しいオペレーターも育っていたし、自分の力だけであの状況をどうにか出来たなどと、自惚れてはいない。寧ろ、スメラギだったからこそ、あの程度の犠牲で状況を食い止めることが出来たのだ。

 世の中など滅茶苦茶になっても良かったから、帰ってきて欲しかったと、叫びたい気持ちも、当然あったけれど。

 それからの三十年は、脇目も振らずに生きてきたような気がする。女手ひとつで子供たちを育てることは、何時の時代もやはり、大変なことだった。技術があるから仕事に不自由はしなかったが、二本の手で持てるものには限りがあって、いつも足りないものを数えていた。それこそ、夫が生きていたら、こんな風に子供たちに寂しい思いをさせなくて済んだのに、とか。そうならないように仕事をセーブすれば、収入が減って子供たちに不自由をさせてしまう、とか。

 そこにはただ現実だけがあって、待っているとか置いていかれるだとか、考えている余裕すら無かった。

 そんな風にがむしゃらに駆け抜けて、どうにか子供たちを成人させ、一番上の子は結婚もして、孫の顔を見せてくれる。どうやら、自分の人生というものは、こうやって過ぎていくらしい。

 殆ど百歳近い年齢だったイアン・ヴァスティを送った時は、まだ若くもあってそんなことは考えなかった。だが、つい三か月前にライル・ディランディが逝って以来、夙にそう思うのだ。

 そして、それでいいと思う。例えば自分がアレルヤのように、最後まで残って全員を見送っていけるかと言われれば、それはNOなのだ。絶対に。自分はそんなに強くは無い。ただこうして、地味で穏やかな日々を連ねていって、そのうちに終わりを迎えるだろう。

 その時には、両親やニール、クリス、リヒティ、スメラギ、ラッセ、そして夫、すべての人々が、お疲れ様と言って迎えてくれるような気がする。

 それからフェルトは最後に、待てなかった人のことを思う。刹那・F・セイエイ――今、何処に居るのだろう。そのことを思うと、今でも時々、暖かくて切ない、不思議な思いが込み上げてくる。いつか、また会える日があるのだろうか。その時彼は、どんな顔をするだろう。

 ソレスタルビーイングの仲間にしかわからないような、淡い、淡い笑顔を浮かべてくれるのではないかと、信じているのだけれど。でも、実際そんな日が来るのかどうかも含めて、本当は何も分からない。

 階下から、孫の呼ぶ声がして、フェルト・グレイスは端末機を置く。どうやらもう、食事の時間のようだ。孫の一家はここから歩いても数分のところに住んでいて、夕食だけは毎日、一緒に摂るようにしている。

 立ち上がり、はいはいと返事をして歩き出す、その足取りは、まだ不安定にはならないけれど、徐々にゆっくりになり始めている。あとすこしだけ先にある、歩みを止める瞬間を、探るように。今度は自分が送られる立場になる日を、穏やかに迎えられるように。

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